ダイモス中井三郎氏ロングインタビュー その2 | クラバート・ガレージ

ダイモス中井三郎氏ロングインタビュー その2

―バスコークからラテックスへ



ある日、ラテックスが小分けして手に入ると聞いてん。ということは、原型作って型を取れる。

その1号が、自分(猫族)の好きな84な。あれが一発目。4か月から半年くらいかかったかなぁ。


ハイカラスター金曜クラブ

↑モノリス広告にて発表されたコンテスト結果。

 地図のイラストもまた、懐かしい。



で、丁度モノリスが造型コンテストをやってると。俺のやってることとはスタンスが違うと思っていたんだけど、締め切りの何日か前に電話入れると、「是非に持ってきてくれ」と。それが締め切りの2日前か。で、作品群の中に村上のゴジラ、サンダとガイラがあったわけね。で、「卑怯ですわ、最後にこんなん」と()



で、優勝したんやけど、次選の村上から連絡を取りたいと言ってきて。


「実は僕等ダイモスいうのやってます。入ってくれませんか」と。


―ダイモス結成


直ぐにかな。モノリスで個展やった。


その後、京都に本拠地を変えたわけよ。「ムー帝国」いう店があってん。


その店はアンティックトイやらガレージキットを取り扱っててね。


で、店長の願いで一品モノ「ガイガン」作ってくれと。

その時に初めてガイガン観たんやけど()、ビデオで。「恰好ええやん、こいつ」ってなってね。で、80cmフル稼働で造った。



で、そうこうしているうちに、ほんとは俺、洋モノ(ハウゼン)志向でね。ギルマン、サイクロプスを作りだした。だいたいゴジラは井上のおっさんがおったしね。856年か。その頃は村上も本職あったし、実質ダイモスは何年間か俺一人でやってた。で、関東でも名前が売れていって。



ただ、個人依頼される度に、ちょっと疲れてきた。


(アーマチュアを)一から組み直しやろ。ポンと複製するわけにいかんしな。

一個作るたびに三週間とかかかる。そっちに取り掛かっていたら、新作が出来ん…。

ちょっとしんどいな、と。







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