ここまで。
名作『十二人の怒れる男』の解説をお話ししてきました。
こちらの作品は、僕の演技ワークショップ“EQ-LAB”の「春の特別クラス『十二人の怒れる男女、あつまれ!!」で、現在稽古中です。
本日の、作品解説・第5弾では。
劇中の最大の謎、「合理的疑問」について解説していきます!!
これまでの記事は、こちら👇
「合理的疑問」。
冒頭の、裁判長のスピーチ(音声のみ)の中でも、「謎の言葉」としてネタ振りされ。
その後の展開の中でも、陪審員たちによって「合理的疑問って、一体どういう意味なんだ?」と何度も言及された上。
有罪から無罪へと評決を変える理由として、全員が「合理的疑問がある」と述べながら。
最後まで、その言葉の明確な意味の説明がないんです……。
刑事裁判における、重要かつ不可解なワード
この「合理的疑問のない有罪」という言葉。
実は、れっきとした、刑事裁判における正式な用語なんです。
しかし、一方で。
ウィキペディアをはじめ、ネットでこの言葉を検索しても、なかなかスッキリする答えに出会えないんですね。
一応、めちゃくちゃざっくりご説明すると。
裁判において。
「被告を有罪にするために、疑いの余地のないほどの完璧で絶対的な事実」を揃えるのは、至難の技です。
なので、「完璧で絶対的」とまでは言わなくとも、せめて「一般的な人なら、誰でも疑いを差し挟まない程度の、真実と思われる確信」が必要だよ、ということです。
▲……ん?? 何て??
……これ。
この文章だけでは、やっぱり意味が分かりづらいので。
ちょっと、角度を変えて表現してみましょう。
つまり、この「合理的疑問のない有罪」という意味。
裁判での証言・証拠が、どんなに犯人の有罪を色濃く物語っていたとしても。
それに反対する、無罪の主張が一切存在しなかったとしても。
「何かがおかしいように感じる」
「何か、変…」
「どうも、釈然としない」
例え、この程度のレベルであったとしても、疑問が残るなら、有罪の評決を出してはいけない。
「完璧で絶対的な事実」とまではいかなくても。
被告を有罪にするには、「100%の『納得』があれば、有罪」である。
逆に。
「ほぼ完璧な事実」がそこに揃えられていても。
「理由はどうあれ、1%でも『納得がいかない』のであれば、有罪の評決を下すべきではない」。
これが、「合理的疑問」の意味だと解釈できます。
▲「完璧な証拠でなくても、フツーに考えたら疑問の余地がない」、ということは。
裏を返せば「ほぼ完璧に見えても、ちょっとでも疑問や違和感を感じたならば、立ち止まって考えてみるべき」とも言えますよね。
劇中では。
まず、「全員一致で有罪でなければならない」というルールが、この「合理的疑問」を示唆しています。
「1人でも反対意見があったなら」=「1%でも『納得がいかない』なら」、話し合いを続けなくてはならない、ということ。
第8号が、たった一人、有罪に手を挙げたのなら。
全体で言えば、それこそがまさに「合理的疑問アリ!!」ということになる。
▲多数決じゃなく、「全員一致」。
そして。
第2幕で、有罪から無罪へと投票を翻した、第9号。
彼に対し、他の陪審員は、こう詰め寄ります。
「なぜ無罪に鞍替えした? あんたの『合理的疑問』とやらを教えてくれよ」
すると、第9号は、こう答えるのです。
「それは、私の『フィーリング』です」
しかし、その第9号に対し、さらに別の陪審員が攻め立てます。
「『フィーリング』だと!? ふざけるな!!
事実はどうなんだ、事実は?? 事実をよく見てみろ!!」
……このやり取りが、「合理的疑問」について、非常に分かりやすく物語ってくれています。
目の前の事実を見ても、フィーリング(直感、心の声)が「何かが変」「何かが違う」と訴えるなら。
1%でも違和感を感じるなら、それに従って、話し愛を続けるべき。
もちろん、その話し合いによって、100%の納得が得られるなら、それは「合理的疑問のない有罪」であり。
その時は、胸を張って「有罪」を主張すれば良い。
しかし。
フィーリングに従った結果、「事実、事実…!!」という言葉に埋もれてしまっていた、小さなほころびが、掘り出されるかもしれない。
そして、そこにこそ、「事実」ではなく「真実」があるのかもしれない。
▲アタマでっかちな「事実」よりも。
心が感じているフィーリングや直感、あるいは違和感にこそ、「真実」が隠されているのかもしれない。
あの「名作ミュージカル」との共通点
ここまでのお話しで、ちょっとお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
「事実」と「真実」。
「心の声」。
この話、僕がYouTubeチャンネル「ミュージカル探偵社」でお伝えしてきた、『レ・ミゼラブル』の話と、すごくよく似ているんですね。
パン1つの罪で投獄された、ジャン・バルジャン。
「妹の子を救えなかった」という、心に大きな罪の意識を背負いながらも。
しかし、彼の “心の声” は、どこまでも彼を「人助け」の道へと駆り立てる。
その結果、ファンティーヌを、コゼットを、マリウスを救い続けるのだが。
心の声に従えば従うほどに、彼は「もう一人の自分」に追い詰められてゆく。
それが、“法と秩序” だけに従おうとする、ジャベール警部である。
……どこまでも “心の声” に従おうとする、ジャン・バルジャン。
心の声に耳を傾けようとせず、“法と秩序” に従おうとする、ジャベール。
この図式が、そのまんま。
(冒頭の)第8号と、その他の陪審員たちとの対立構造になっています。
▲ジャベールが歌う「Stars(星よ)」。
法に従うことを誓う彼のこのナンバーは。
同時に、自らの “心の声” に背を向けることを宣言する歌でもあります。
しかし、やがてジャベールは、バルジャンに救われたことによって、「合理的疑問」が心から湧き上がるのを感じ。
そして、苦悩することになるのです……。
事実。
第2幕序盤で、冷静な陪審員・第4号は、こんな言葉を口にします。
「……一体、第8号は、なんの根拠があって『無罪』に手を挙げているのだろう?
私には、分からない。
だって我々は、『法と秩序』を何よりも遵守しなくてはいけないのだから。」
そして同時に、第4号は、
「それにしても……『合理的疑問のない有罪』とは、一体どういうことなんだろう」
と話します。
つまり。
「事実、事実…」「法、秩序…」
そんなことばかりを大事にして生きてきた人間(第4号)にとって。
「フィーリング」「直感」「心の声」という、「合理的疑問」の正体が、理解できないのです。
▲うぅ……
合理的疑問を感じる……
12人の「捨て身の勇気」が胸を打つ
これで、『十二人〜』で語られる「合理的疑問」の意味が、お分かりになったかと思います。
『十二人の怒れる男』。
そのタイトルと、この物語の中で語られる、彼らの選択・決断の意味が理解できると。
これがいかに “内面的” にドラマチックな作品であり。
感動的な人間ドラマであるかがご理解いただけると思います。
ぜひ、このお話をもとに、観客の皆さんは作品を楽しんでいただけたら幸いですし。
もし、これから、この作品を稽古、上演しようと考えている方がいらっしゃったら。
このポイントを押さえておくと、作品をより深く掘り下げ。
道に迷わず、本質的なテーマから逸れずに、奥行きのあるものへと立ち上げることができるはずです。
僕もぜひ、時が来たら。
この作品を、上演してみたいと思っています。
今は、その時に向け。
演技ワークショップという形で、俳優の育成に全力を注いでいますが。
やがて、僕の演技メソッドが、受講生の皆さんの中で大きく枝葉をつけて育ってくれたなら。
その時こそ、その方々と一緒に。
『十二人〜』を上演するタイミングだと思っています。
その時に向け、一緒に訓練を続けていきましょうね。
今回で、『十二人の怒れる男』の作品解説は、一旦終了します。
この続きは、またいつか……。
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