ここまで。
名作『十二人の怒れる男』の解説をお話ししてきました。
こちらの作品は、僕の演技ワークショップ“EQ-LAB”で現在実施している「春の特別クラス『十二人の怒れる男女、あつまれ!!」で稽古中の、演劇史・映画史に名を残す名作です。
本日は、作品解説・第4弾!!
いよいよ、最大の謎が明かされ、本当の『十二人〜』が姿を現します!!
これまでの記事は、こちら👇
ヒントは、この “聖なる書”
『十二人の怒れる男』はアメリカの作家によって書かれたものですが。
アメリカやイギリス等で生まれた作品の場合、読み解く上で必ず可能性を探った方が良い “参考資料” があります。
それが、キリスト教であり、聖書です。
キリスト教圏の国で書かれた作品の多く(というか、ほとんど)が、キリスト教の考え方をベースに書かれているので。
そうしたことに馴染みが浅い日本人が、何も知識がないままに作品に取り組むと、大切なメッセージを見逃してしまう可能性が高いんですね。
欧米の映画や舞台作品を読み解く際、ぜひ一度は「キリスト教」という角度からの検証をすることをお勧めします。
さて、ここで。
聖書に登場する、あるエピソードをご紹介したいと思います。
有名なお話なので、ご存知の方も多いかもしれません。
それは「マタイによる福音書 14章24節〜32節」に書かれています。
……弟子たちは、イエスが湖の上を歩いてこちらに来るのを見ました。
それを見て、弟子たちは恐怖のあまり「幽霊だ!」と叫び声をあげました。
そんな彼らに対し、イエスは「恐れることはない」と言い、弟子の一人であるペテロに「来なさい」と言いました。
そこで、ペテロは舟から出て、波打つ湖面に足を踏み出します。
すると、なんと水の上に立つことができたのです。
ところが、彼は、吹き荒ぶ風あらしを見て怖くなりました。
波が舟に当たってしぶきを上げる様子に目を向けてしまい、パニックに陥ってしまうのです。
すると、身体がどんどん湖に沈み始めます。
「主よ、お助けください!」
そう叫ぶペテロに、イエスは手を差し伸べ。
彼を引き上げながら、イエスはこう言われました。
「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか」と……。
信仰とは。
周囲で起きていることに惑わされず、自分の心を信じること。
少しでも、周囲のことに流されたりして、自分自身の信念に疑いを抱けば。
信仰心は、いとも簡単に湖の中へと沈んでいってしまう。
信仰の薄い者よ…
僕がここまで、4回に渡りお伝えしてきた『十二人の怒れる男』の解説。
アメリカの黒人差別に端を発した公民権運動。
この時代を背景に、偏見や差別の問題を明らかに意識して書かれた、この物語。
(『十二人の怒れる男』)
彼らは、自らの心、信念に従うよりも、偏見や周囲の意見、他人の目を気にして、それに流され。
自分自身の信仰心を、失いかけている。
そうした、自分の心に従えない不甲斐なさ、苦しさによって、自らの心は地獄の業火のような怒りの火に晒され。
苦しさのあまり、その怒りの牙を、他人に向けることで正当化しようとする。
(『十二人の怒れる男』)
そして、この物語は、単なる「架空のキャラクター」だけのオハナシではなく。
「あなた」の物語。
あなたは。
偏見や周囲の意見、他人の目に流されて。
自らの心の声を、無視していないか??
信仰心を、失っていないか??
あなたが学校の友達や会社の部下をいじめてしまう時。
それは、あなた自身の中に巣食う偏見や、他人からの同調圧力によってではないか??
一瞬でも、あなたの中に、「これは間違っているんじゃないか?」という “心の声” がよぎらなかったか??
白人の少年が、黒人の少年に石を投げる時。
それは、大人から教えられ、植え付けられた差別意識からではないか??
一瞬でも、その黒人の少年を「かわいそう」と思う、あなた自身の本当の声が聞こえなかったか??
▲映画「フルートベール駅で」(2013年)
▲映画「グローリー」(1989年)
▲映画「シンドラーのリスト」(1993年)
この、一瞬の “心の声”。
それが、あなた自身の本当の声。
周囲からの風を恐れず、その “心の声” に従うことが、信仰心。
あなたは。
この裁判で、被告の少年に対し、「なんだかわからないが、何かが違う気がする」という “心の声” を聞かなかったか??
あなたは、自分自身のフィーリングが「もう少しだけ議論した方が良さそうだ」と語りかけて来る声を、聞かなかったか??
もう、お分かりでしょう。
『十二人の怒れる男』とは、
我々の「信仰心」の物語。
偏見や差別意識、他人の意見や同調圧力などではなく、どこまで自分自身の “心の声” に従えるか。
そうです。
タイトルのキーワード、最後に残された「十二人」とは、
イエスの12使徒を示しており。
ここに登場する人物たちは皆、その「信仰心」を試されているのです。
▲レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」の、イエスと12使徒。
彼らが本当に裁こうとしている相手は、誰か?
先ほど登場した、12使徒の一人ペテロについて。
もう一つの有名なエピソードがあります。
彼は、イエスが逮捕され拷問を受けている様子を、群衆に紛れて見ていました。
すると、彼の存在に気づいた群衆から「この男もあいつ(イエス)の仲間だ!」と詰め寄られます。
するとペテロは、こう答えます。
「私は知らない。あなたが何を言っているのか、分からない」
そこから彼は。
同じように、3度、否定を繰り返します。
……その時、にわとりが鳴く声が聞こえます。
ペテロはその瞬間、以前イエスに言われた言葉を思い出す。
「にわとりが鳴く前に、あなたは、3度私を『知らない』と言うだろう」
そして彼は、身を投げ出して号泣するのです。
▲「ペテロの否認」と呼ばれるこのエピソードは、多くの絵画作品としても残されています。
イエスが逮捕され、処刑されようとしている時。
12人の使徒たちが、自らの信仰心を試されたように。
一人の少年が電気イスで処刑されようとしている今、この時。
12人の陪審員たちは、いま、その信仰心を試されている。
つまり。
12人の陪審員の男たちが裁こうとしているのは、他でもない。
「自らの信仰心」なのです。
だから、この物語の中では、殺人事件の真犯人の特定などはせず。
“わざと”、その犯行の真実の行方はボカしてあるんです。
それがはっきり書かれてしまっていると、12人の信仰心という重大なテーマがぼやけてしまうからなんですね。
▲1959年の映画版で冒頭に映し出される「被告の少年」。
アングロサクソンの白人でも、アフリカ系の黒人でもありません。
このキャスティングが、作品の本質を知る大きなヒントです。
いかがでしたでしょうか。
いま、皆さんには、『十二人の怒れる男』というタイトルが、これまでと違って見えるのではないかと思います。
いよいよ、次回で、『十二人〜』解説は最終回です。
残りの疑問点……劇中に登場する「合理的疑問」というワードと、考察についてお話しします。
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