こんにちは、じきです。

 

 

 私は、一昨年末に20年ほど勤めた会社を退職し、現在アラフォーヒモニートとして生活しております。

 

 

 今回は実家の家族について書いていこうと思います。

 

 不快な方はいつも通りブラウザバックよろしくお願いします。

 

 

↓ 実家も、私と同じく低収入で生き抜いております ↓

 

 

 家族構成

 

 

 私の家族は、父・母・妹・私の4人で構成されておりました。

 

 

 

 ただ、私が高校卒業するのと同時期くらいに両親が離婚したため、現在は戸籍上、母・妹・私の3人家族となります。

 

 

 

 もっとも、父母は離婚しましたが、私自身は両親のどちらとも仲がいいため、父との交流も未だに続いております。

 

 

 

 

 ヤンキー夫婦

 

 

 さて、私の両親はいわゆるヤンキー夫婦です。

 

 

 両親の昔の写真を見るとリーゼントだったりスケバンだったりお元気そうで何よりです。

 

 

 

 それにしても…写真ではあんなにフワモコだった髪の毛どこに置き忘れてきたのパパン。

 

 

 

↓ 過去記事 我が一族はハゲの血筋 ↓

 

 

 写真を見るに血の気の多そうな両親ですが、現実の両親も超短気な性格でした照れ基本的に感情の導火線が短すぎるのです。

 

 

 

 他人に対し、普段の言動でいたずらに不快感を与えたり、失礼なことをする感じではなかったです。 

 ただ、売られた喧嘩だけは漏れなく購入していましたね。

 

 

 

 

 問題は、その「売られた喧嘩か否か」判断するスピードが早すぎるのです。

 

 

 

 

 ウロコダキさんも驚愕の判断の早さ。

 

 時には、世間ではそれを早とちりとも言います。

 短気極まる気質。

 

 

 

 とはいえ、基本的にはネグレクトや体罰をするようなタイプではなく、相手の気持ちを汲もうとする、根は優しい人たちです。

 

 

 

 そんな両親の性格をわかっている私は、両親に対する普段の言動にかなり気を付けていましたが、それでもたまには逆鱗に触れてしまうケースもありました。

 

 

 

 私が小学生の頃、母親の短気の壁を見誤った口答えをし、私が居間を後にした際に、母親から、家の廊下を猛ダッシュで猛追されてからのドロップキックをくらい、母子ともに廊下に打ち付けられ悶絶したのも良い思い出です。

 

 

 

 覚えている限りですが、体罰らしきものを受けたのは、その1回くらいです合格

 

 

 当時の母はギリギリ20代まだまだ血気盛んだったのですね。

 

 

クラゲの海

 

 

 父は、本当に非常識を絵に描いたような人で、大人と子供とヤンキーの狭間のような性格の人でした。

 

 

 

 父は、次々にワケのわからぬ面白い言動を繰り出す人で、当時は子供ながらに、その言動等を見聞きするのが楽しかったです。

 

 

 

 鮮明に覚えている父との思い出があります。

 

 

 

 私が小学校低学年の頃9月父が海に行きたい!と発言し、ピンク色の巨大な浮き輪と私を抱え、一緒に車で海まで行きました。

 

 

 

 当時の父も、ギリギリ20代。

 お互い若かったですね。

 

 

 

 その日は、よく晴れた日だったので、浜辺に居るのはとても気持ち良かったのを覚えています。

 しかし、9月なのでくらげが怖かったため私自身は海には入りませんでした。

 

 

 

 一方の父は、わーははわーはは!と楽しそうにピンク色の巨大な浮き輪を身に着け、太陽でハゲ頭を輝かせながら海に入っていきました。

 

 

 

 私は、そんな父を眺めつつも、浜辺で砂のお城を作っていました。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 しばらくの間、私が浜辺で砂のお城を作りつつぼんやりしていたところ、突然「ぎょえええー」父の叫ぶ声が聞こえてきました。

 

 

何事!?

 

 

 

 私がとっさに父の方向を向くと、力なくうなだれながら浮き輪で漂いつつ、波打ち際にざーんと打ち上げられる父の姿が。

 

 

 

 全身の身振り手振りで痛みを表現する父の脛には、クラゲに巻きつかれた痕が螺旋状にくっきり残っておりその様子に、子供ながらに青ざめたものです。

 

 

 

 

 

 痛そうにしている父に、大丈夫なのかどうか尋ねたところ、父は鼻水を垂らしながら「痛ぁくねぇぇよ、でも帰ぇぇぇる!!!」巻き舌で宣言しました。

 

 

 

 

 

 その様子を見て、不謹慎ですが私は大笑いしていました。

 

 

 

 安堵です。

 

 

 

 それが、たとえ自業自得な上に強がりでも、その姿がとても頼もしかったのです。

 

 

 

 本当に

 

 

 

離婚について

 

 

 冒頭でも書きましたが、両親は私が高校卒業するのと同時期に離婚しました。

 

 

 

 金銭感覚の相違が一番の原因でした。

 

 

 

 父は、私に勉強しろとも言わないし遊んでくれるし、子供目線では良い親でしたが、逆に、その適当さ加減が母にとってはしんどい部分もあったと思います。

 

 

 

 反対に、母も相当に神経質かつ一本気なので、父だってしんどい面もあったと思います。

 

 

 

 離婚後から現在に至るまで、母は離婚を悔いたような発言を一度足りとしたことはありませんでしたが、対して父は本当にダメージが深かったらしく、今でもたまに「あの頃に戻りてぇな」と言うことがあります。

 

 

 

 両親ともに、20代になったばかりの頃に若くして結婚したので、お互いの価値観もまだまだ未熟で、色々なことを探り探り生活をしていたと思います。

 

 

 

 離婚後に、結婚生活中の何が悪かったとか、どこでボタンを掛け違ったとか、失敗して痛い目を見た後だからこそ今更ながら相手が何を怒っていたのかが、少しは分かるようになったと言っていました。

 

 

 

 もちろん、両親だけではなく、私にだって責任の一端はあると思います。

 登場人物全員が未熟だったのだと思います。

 

 

 

 ただ、それ自体は、今から思えば仕方のないことです。

 当時の我々だって、悪い流れを変えようと、当時の状況等なりに良い道筋を模索はしていたのです。

 

 

 何もせず、文句ばかり垂れていたわけではありません。

 

 

 

……

 

 

 最良の選択肢を、その都度選べるのであれば、誰も苦労はしません。

 

 

 

 

 なので、1度しかない人生で、初めての結婚・初めての人生等を上手く立ち回れる人達については、凄いと思います。

 

 

 

 

 いえ、正直に言うと、素直に凄いなと思うのが3割、凄く運が良いなと思うのが7割といったところです。

 

 

 

 

 勿論、初めての結婚等について、ある程度上手く結果を残した人達に関しては、本人達のたゆまぬ努力があるのは間違いないとは思います。

 

 

 

 しかしそれは、そういった本人達の努力だけではなく親族からの力添え・財力・子供をとりまく環境・能力等…本人達以外の要素が結婚生活等に大きく影響したからこそ得られた結果だとも思います。

 

 

 

 雑に言うと、異なる条件下の各家庭が、全く同じタイミングで、全く同じ行動をとったとしても、それらの行動により得られる結果は、当然のことながら各家庭ごとや一人一人枝分かれするということです。

 

 

 

 それは、各人を取り巻く家庭環境や、本人・親族・身周りの人間の能力や倫理観等が、各人で全く異なるからです。

 

 

 

 

 そのため、全てとまではいかなくとも、多くのことがわりと上手く噛み合って生活出来た人は、努力が凄いというのは勿論ですが、それよりも、相当運が良かったんだろうと感じます。

 

 

 

 特に、他人に対して「普通◯◯だよ」みたいなこと言いたがりな人に対しては、あなたはよほど運のいい人生を送ってこられたんだねとしみじみ感じます。

 

 

 

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↓ ナチュラルなモラハラって、まじでむかつきます ↓

 

 

 

 

 基本的に、想像力や共感力が乏しい人って、運が良いヌルめの人生を送ることが出来た人なのだろうと思ってます。

 

 

 

……

 

 

 自分の道は自分で切り開けば良い?

 

 そんなもの、言うは易しです。

 

 

 

 少なくとも私の場合は、過去記事でも触れたとおり、色々な面でわりと厳しい環境下で生きてきました。

 

 

 

 そのため、頼れる親族が居たり、ご近所さんに恵まれたり、自身の能力や容姿が優れている等恵まれた要素が多い人達のように、自分自身が行動等を起こしさえすればそれなりに形になっていくとも限りませんでした。

 

 

 

 私が、仮にそれらの人達と同じ行動等をとったとしても、上手く事が運ぶ確率は大きく下がるし、そもそもお金が絡むことだったりすると、人生の選択肢に入れることすら難しかったです。

 

 

 

常識という枷

 

 

 さて、前述のとおりの家庭環境で育った私は、世間一般でいうところの教養や常識があまり育まれないまま大人になっていきました。

 

 

 

 特に、社会人になってからは、世間との「常識」のギャップに大変苦しみました。

 

 

 

 家の中では良くも悪くも適当に過ごしていたので、社会人てこんなに窮屈なのか!?毎日が驚きの連続でした。

 

 

 

 世間でいうところの「常識」を教えてくれなかったことについて、一時期は両親に対し恨みにも似た感情を覚えていたことがありましたが、今となっては、両親の価値観や考え方も、悪くはないなぁと感じます。

 

 

 

 私自身が、自分の肌感覚で痛い目を見たからこそ、他者からの指摘等に対し腑に落ちてる部分もあるし、両親より受け継いでしまった私の適当さ加減を、良いと思ってくれる人もたまには居ます。

 

 

 

 

 「常識」という縛りって、程々くらいが丁度良いです。

 

 

 

 

 マナー講師なんてものが必要とされてしまうこと等にも思いますが、常識」に余計な贅肉が付きすぎていると感じる場面が、多々あります。

 

 

 

 

 私が社会人になって以降、常識関連の出来事で印象深いのは、誰かに対し「正しい日本語を使え」と高圧的に言う人は、中で周りの人にも嫌われていて、相手をすることがとてつもなく面倒でした。

 

 

 

 不思議なもので、私が遭遇した限りでは、この言葉を日常的につかう人って必ずねちっこい性格の男性ばかりでしたね。

 

 おまけに何故かその類いの人って、くどい顔つき、ねっちょりとした鼻声の声質等、みんなどこか似てるんすよね。腐れドッペル達でした。

 

 

 

 仕事上の文書や公文書等を作成するわけでもなければ、文法崩そうが擬音で表現しようが、ある程度相手に意味が伝わるのが日本語のいいところだと思っています。

 

 

 

 「正しい日本語を使え」すぐに声を荒げる人って「俺は理解力がないんだゴルァ」って叫んでるようなもので、その手の人に遭遇する都度頭の中で変換して笑いそうになってました。 

 

 

 

愛すべき存在

 

 

 

 色々ありましたが、父親のことも母親のことも、今も昔も大好きですね。

 

 

 短気だけどすごく人情味があったり、貧乏なので普段は頼れはしないけれどたまに帰省すると奮発し、豪華なご飯を作ってくれたり。

 

 

 

 私に、愛をくれる人は稀少です。

 

 

 

 そんな人達が、仮に健康を害したり、ボケてしまって介護が必要になったりした時、介護する側になった人の苦労・苦悩たるや、想像するだけで涙が出そうになります。

 

 

 

 国からの助成金とか、そういう家庭にこそ手厚めに出してあげてほしいですね。

 

 

 

 両親に、いつまでも元気で居てほしい。

 

 

 私自身、退職等、親不孝なことをしておいてどの口が言うんだという感じですが、心からそう願っています。

 

 

 

 

 両親ともに、こんな私のような子供であるにも関わらず、結婚生活はともかく、子供は居て良かったと口を揃えて言います。素直に嬉しいです。

 

 

 

 それにしても、子供…かぁ。

 

 

 

 私も現実の厳しさを度外視して、気持ちの面だけでいえば、自分自身の子供と会ってみたいという気持ちは、正直あります。

 

 

 

 が、私と同じような能力値・容姿等で生まれてしまい、私と同じような人生歩ませてしまったら、現代の時代背景も相まって本当に子供が苦し過ぎます。

 

 

 

 なにより、色々と天秤にかけた時、自分の幸せに重きを置いてしまう私には、子供を持つ資格は無いですね。

 

 

 

 人の親にはなれない私ですが、せめて親の子は全うしたいと思います。

 

 

 

 迷惑千万?

 ミミガイタイナー照れ<hahaha

 

 

 

 

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