こんにちは、じきです。
今回は、一昨年末に20数年勤めた会社を退社し、現在アラフォーヒモニートである私の、学生時代に体育等で苦しんだ話を書きます。
苦手な方は、いつも通りブラウザバックお願いします。
壊滅的な運動神経
過去記事にも記載しましたが、私はとんでもなく運動音痴です。
↓ 地獄の思い出・球技大会 ↓
球技全般が死ぬほど下手くそなのは勿論のこと、走ってみれば100mタイムは18秒台、跳んでみれば跳び箱はぎりぎり5段が精一杯、逆上がりに至っては人生一度も自力では成功したことがありません。
一度、補助の板ありで逆上がりが出来た時、あれはあれで楽しかったし嬉しかったんですよ。
なにせ、本当に自力だといくらやっても成功出来なかったので。どんな手段を用いたのであれ、成功体験を得られるのであれば、それって楽しいですよね。
自力で色々と、自分の思う通りに身体を動かせる人達を羨ましく思います。もはや、身体一つあれば常時楽しいじゃないですか。
運動神経が元々良い人の感覚はよくわかりませんが、自分の身体がある程度自分のイメージ通りに動いてくれるなんて、それだけで一大アミューズメントですよ。
生粋の運動音痴である私ならばこその意見だと思いますが、もし自分自身がある程度早く走れたり、飛んでくるボールをイメージ通りにキャッチ出来たりしたら、それはディズニーランドに行くよりも、よっぽど楽しさを感じることでしょう。
体育という地獄
この壊滅的な運動神経だけでも大変なのに、わきが等も抱えていたため、学生時代は体育や球技大会等が大嫌いでした。
↓ 本当にコンプレックスの宝庫のような男 ↓
球技等の団体競技は、自分のミスによりチーム全体に迷惑がかかってしまうため、大嫌いを通り越して、ただひたすら恐怖でした。毎回が地獄です。
何せ、ほぼなにかしらのミスをしてしまうことが確定しているのに、ミスれば容赦なくいじめられるわけですからね。
本当に常々思っておりましたが、そんなに迷惑ならば私を体育等に参加させないで欲しかったです
嫌いな個人競技トップ2
さて、上記のとおり、私は団体競技が嫌いです。
しかし、だからといって個人競技ならば良いのかといえば、勿論そんなことはございません。
体育や運動会等は、いつ何時だって私に牙を向くのです。
正確には、運動自体に罪はなく、実際に牙を向けてきたのは人間ですが。
さて、個人競技は、跳び箱のように少数のプレイヤーをその他大勢で見守るような体制で行われることが多かったです。
そのため、大勢の注目をあびつつ嫌なプレッシャーを感じながら挑み、結果うまくいかずに嘲笑されることが多かったです。
団体競技ほどではありませんが、見せしめ・辱めみたいな感じで、私にとっては個人競技も十分に地獄であることに変わりはなかったです。
今回は、そんな壊滅的な運動神経を持つ、私が嫌いな個人競技トップ2を発表していきたいと思います。
第2位 持久走
毎回居るんです、私と一緒に走ろうと提案してきてくれる天使もどき。
そして、毎回120%裏切られ、彼らは風を切りながら地平の彼方へ消えて行きます。
持久走が大好きという人はあまり居ないかもしれませんが、私自身はもちろん大嫌いでした。
当然のごとくゴールするのは最下位に近いため、先にゴールした人達の視線がグサグサと刺さります。
また、以前の記事にも書いた通り、私はわきがで陰口を言われて以降、運動をすることや汗をかくことを極度に恐れていました。
↓ 汗をかかずに生きていくことなんて無理なんです ↓
周りを過度に気にしながら運動をしているからなのか、余計に体力を消費し、何をするにもすぐガス欠を起こしておりました。
また持久走は性質上、そもそも汗を大量にかいてしまうため、持久走中はもちろんのことですが、それよりも持久走後のことを考えて、憂鬱になったり不安になったりしておりました。
これはどういうことかと言いますと、持久走を耐えぬきゴールしたとしても、ゴール後に、自分のわきがのにおいで周りの人に不快感を与えないためにはどうすればいいかを、真っ先に考えてしまうのです。
その当時なりに、私は出来る限りのデオドラントを駆使していました。
しかし、私自身の体感としても、各種デオドラントで自分のにおいを防ぎきれていたわけではなかったため、体育のお題を終わらせさえすればそれでめでたし、という甘い話ではなかったのです。
持久走が終わった直後、においを指摘されないために、どうやって人から距離を置こうか…
シャツの替えを忘れてきてしまった。校庭の水場のシャボン液でシャツを洗えば、なんとか誤魔化せるだろうか…
つい一昨日、デオドラントスプレーを使っているところを見られた際「無駄なのに」と言われ笑われたから…次は、屋上で使えばいいかなぁ…
こんな感じで、自分の身体能力の低さ・周りからの嘲笑やいじめ・わきがの後処理という三重苦を常に背負っており、今思い出しても本っ当に辛い思い出だと感じます。
持久走は特に、大量の汗と恥をかくことが確定しているため、悩ましい競技でしたね。
第1位 マット運動
でんでんでんぐりかえってばいばいばい♪
…日本昔話のあいつ。
私的にはメダリストですよ。
なんすか、開脚前転とは。
なんなんすか、ヘッドスプリングとは。
腱という腱の全てが硬直し、筋という筋の全てが悲鳴をあげます。
畳1畳ほどのマットに着地?
当然出来ずにもれなく窮地。
場外へ転がる身体、周りからのクスクス声、体育教師からのやり直し指令。
ワン〇ース某シーンを彷彿させます。
マット…
俺がお前に!!
転がれるわけねェだろうが!!!
ほんと、最初っから私をこの船に乗せないでください。
マット運動自体の疲労による汗は、さほどかきません。
精神的な嫌な汗は死ぬほどかきますが。
常に大ピンチです。
根本的に出来ないことを、クラスメイトの皆の前でやらされ続けるのは、恥ずかしいし悔しいし情けなかったです。
やる気がないわけじゃないんです。
私は必死でやってるつもりです。
ただ、体育教師の反復命令が出るまま、自分なりには一生懸命やっていても結局出来ない様子を、ただただクラスメイトに晒し続ける。そんな時間でした。
幼少期が肝心
先天的に壊滅的に悪い運動神経を持ってしまっていたとしても、幼少期のうちに身体を意識的に動かさせるようにすると、何もしなかった場合と比べてパフォーマンスは相当違ってくるという研究結果もあります。
私自身、そういう英才教育的なことを受けてみたかった気もしますが、両親が試行錯誤の中私に対して向き合ってくれた時間を否定したいわけではないです。
ただ、そうは言えども、やはり運動神経が壊滅しているというのは本当に不便なことです。
実際は、私のように差別的な言動を受ける機会が多くなるのは間違いないことなので、今子育てをされている方々については、子供がなるべく身体を動かす機会を意識的に設けることも大切なのだろうなぁと感じます。
それにより、他者より優れた運動神経を手にする…なんていうのは、どうでもいいことなのです。
しかし、当社比となると、話は別です。
やらなかった自分よりやった自分の方が幾らか高性能になるのであれば、やらない手はないと思います。
「運動神経」は、勉強と違い、後からではある程度すらもリカバリが効きません。
練習や訓練により「技術」は向上出来たとしても、基礎そのものである「運動神経」については、練習や訓練により劇的に向上するわけではありません。
本当の意味で、身体を操作する土台となる運動神経を鍛えられる期間は非常に限られているのです。
苦痛にならない程度に鍛錬を重ね、私のような暗黒学生時代を送る子供達が一人でも減れば良いなぁと感じる次第です。
お金では買えない大きな財産
持って生まれた才能・環境等は本当に人により様々です。
努力でカバー出来る部分は極力してきたつもりですが、それでも当社比でマシになった程度であり、他者と競ったら勝てる要素などありません。
もちろん、誰かと比べるのではなく、当社比でマシになっていく作業を重ねることこそが物凄く大事であるのは、他でもない私自身が一番骨身に染みて理解しています。
しかし、こと運動関連や勉強については、私が100の努力を重ねてようやく出来たことを、まるで息を吐くかのように軽々とやってのける人達がほとんどだったので、やはり本心では羨ましく思ってしまいますね。
各種の神経回路と地頭は、お金では買えないのです。
努力により自分なりに鍛えたとしても、学校という箱庭で強制的に他者との比較に晒されるたび、心がへし折られる日々を過ごしておりました。
今現在苦しんでいる方おられましたら、自尊心はどうか大事にしてください。いつか、ある程度は自分の土俵で闘っても許されるXデーが訪れます。
そのXデーの到来を1日でも早めるために、他の誰にも勝てなくても、昨日の自分よりは1ミリでもマシになるよう、お互い無理のない程度に努力を重ねられたら良いですね。
↓ 私のように、あまり頑張らないってのも手です ↓