こんにちは。じきです。

 

 

 一昨年末に20年ほど勤めた会社を退社し、現在アラフォーヒモニートである私の、運動音痴にまつわるコンプレックス話を開始します。

 

 

 不快な方は、いつもとおりブラウザバックお願いします。

 

 

↓ せめて、こんな風な青春を過ごしたかったですね ↓

 

 

 

わたしの運動音痴について

 

 

 しらんわ!興味ないわ! 

 

 ごもっともです。

 

 殴り書き日記代わりにしてるので、誰も興味なくともだらだらと続いていきます。

 

 がははは((´∀`))

 

 

学生時代の切実な運動神経事情

 

 

 運動音痴。

 

 

 正確には、運動音痴がもたらす体育恐怖症体育恐怖症とは、勝手に私が自分で名付けた恐怖症です。

 

 

 症状としては、学校の体育の授業の前や、体育の授業がある前日や当日に、耐え難いほどの苦悩が押し寄せてきます。

 

 

 

 ミスして馬鹿にされる恐怖上手にできなくてチームに迷惑をかけることや醜態をさらすことの恐怖。

 

 

 

 くだらない悩みですよね。

 けれど、当時は本当に切実に悩んでました。

 

 

 

 社会人になってからは、運動神経がなくとも不便だなぁくらいで済みます。

 

 

 しかし、学生時代(特に男)は、運動神経=クラス内のヒエラルキーといっても過言じゃないくらいの重要項目であり、運動音痴であることのメリットは何一つありません。

 

 

 

 なので、運動が出来ない=ヒエラルキー最下位まっしぐら=ナメられる・イジメられる学生生活の幕開けなのです。

 

 

まじでつらすぎた日々・・・(´;ω;`)

 

 

 学生時代は本当に、体育という授業に苦しむ日が多かったです。

 

 

 

 え、体育なんて楽しいじゃん!息抜きになるしむしろ好き!

 

 

 

 そんな人が過半数を占めているのだと思います。

 

 

 

 ふつうの運動神経を持ち合わせてさえいれば、私にだって、きっと体育の経験が素晴らしい思い出として残っていたことでしょうね泣くうさぎ

 

 

 

 幼稚園~小学校時代までは、運動が出来なくても、周りの子もまだ成長過程だったり、運動の内容が簡単だったりしたので、体育の時間をある程度楽しく過ごすことが出来ました。

 

 

 

 しかし、中学校入学前後辺りからは、周りの肉体的な成長もあり、学年が上がるほどに周りとの差が開き体育の苦痛度が上がってきました。

 

 

 

 ただ幸い、数少ない小学校時代の友人がそのままスライドで同じクラスだったりしたので、運動が苦手ではありましたが、中学校くらいまでは、体育が死ぬほど苦痛という程ではありませんでした。

 

 

 

 地獄の本番は、進学により親しい友達が少なくなった高校時代からです。

 

 

悪夢の運動会

 

 

 体育以外では、運動会が逃れようのないヘイト丸集めイベントであり、この世で一番なくなってほしいイベントの一つでした。

 

 

 

 リレーをしたときの、後ろから次々と抜かれていく絶望感。

 

 

 

 味方であるようで一番の敵である同チームメイトからの罵倒

 

 

 

 

 私も、好きで参加しているわけではないのですよ。

 

 

 

 強制イベントです、しかも確定死の。

 

 

 

(はぁ…次、俺の番かぁ…)【絶望】

 

 

 

 

 仮に、応援団とかやれば競技免除されるのならば、さぞ一生懸命やっていたことだろうと思います。

 

 

成長するにつれて深まる苦悩

 

 

 私の高校時代は、学生生活中では最も暗黒感が強かった時期です。

 

 

 周りも肉体的にどんどん成長してきて、なおかつ進学により仲の良い友達とも離れてしまったことが重なり毎回びくびくしながら体育の授業を受けていました。

 

 

 もともと運動が得意じゃないことに加え、周りに悪く思われたくないというプレッシャー等がとてつもなく大きかったです。

 

 

  メンタル的に不安を強く感じながらの作業となるため、結果的に更にミスを連発し、いつも周りの足を引っ張る結果ばかりでした。

 

 

 

 中学までの親しい友人が、進学により散り散りになったこともあり、高校時代の当時のクラスメイトの多くは、私と仲良くしてくれた人は少なかったです。

 

 

 

 

 それどころか、私に対し辛辣だったと言えます。

 冒頭にも書いたとおり、体育等がもたらすヒエラルキー下位による弊害ですね。

 

 

 

 

 もう、とにかくナメられるんです。

 

 

 

 

 人間も所詮動物ですので、特に学生時代なんかは更にわかりやすく、相手が自分より弱いとみればとことんナメるし攻撃的な態度をとります。

 

 

 

 何かミスするたびに、俗にいう愛のあるいじりとは違う、本当に馬鹿にされている空気感に毎回さらされるため、体育の授業の都度恐ろしい程に憂鬱でした。

 

 

 

 冗談抜きに、体育がある日は学校を休みたいくらいでした。

 

 

 

 おまけに高校時代は、体育運動会のほかに球技大会があり、地獄感の倍付です。

 

 

 

 球技はどれをとっても地獄なのですが、中でもバレーボールは本当に何処にも逃げ場がない(*T^T)

 

 

 

 1ミス=即失点なので、サーブすら手が震えます。

 バレーボールは、フィールドが狭すぎてフェイドアウトすることも出来ないので絶対選んではならない球技の一つでした。

 

 

 

 サーブやトスが取れないときの、クラスメイトの失笑により、全身から脂汗が止まりません。

 

 

 

美しい思い出とは限らない

 

 

 体育・球技大会等の運動系にまつわるの苦痛だった話はいくつもあるのですが、普通に運動できる人からすればとるに足らないことですよね。

 

 

 

 それに、運動出来ない私からしても、今になって考えれば、さほどとるに足らないことなのです。下手なりに、適当にやればよかっただけなんです。

 

 

 

 しかし、若かりし頃の人生経験の浅さにくわえ、学校という狭い狭いコミュニティにいると、やはり力を抜いて振る舞うということがどうしても出来ず、毎日が苦しかったですね。

 

 

 

 「ハツラツと過ごせた学生時代」という美しい思い出は、万人に与えられるスタンダードな産物ではありません。

 

 

 

 美しい思い出を持っている方は、生まれ育った環境・能力・遺伝等含め、本人の努力とかいう以前に、色々な面で超ラッキーだと思います

 

 

 

 逆に、そういったラッキーな環境どころか、ごく普通の標準的な能力等すらも持たず生まれ、苦しんでおられるアンラッキーな方少なからず居るかと思います。

 

 

 

 

 何が苦しいって、ラッキーな人達全般に言えることですが、アンラッキーな環境・能力等で生まれてしまった人に対し「周りのみんなと同じ働き等」を要求されるのがどれほど大変なことなのかという想像力・共感力等が、皆無に等しいんですよね。

 

 

 

 

 中々、わかりあえないのです。

 たぶん多くの場合で、その人自身が実体験で苦しんだ経験のあることでしか、真の意味での理解や共感等は得られないのでしょうね。

 

 

 

 

 日本に生まれた時点で運が良いなどという極端なこと言う人も稀に居ますが、それは、そう思えるだけの充足感を得られる環境・能力等を持ち合わせてこそだと思います。

 

 

 

 

 運動に限ったことではありませんが、運の良い人達の一挙一動に戸惑わず、地に足をつけ、自分なりに少しずつでも前を向いての行動していければいいですね。

 

 

 

 めげずに生き抜きましょう照れ

 

 

 

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