こんにちは、じきです。

 

 

 今回は、一昨年末に20年程勤めた会社を退社し、現在アラフォーヒモニートである私の、しばしば思い出に縛られて苦しく・空しく等感じてしまう現象について書きます。

 

 

 不快な方は、いつもとおりブラウザバックお願いします。

 

 

↓ 私のバイブル ↓

 

 

 

 「楽しかったからこそ」縛られる

 

 

 

 私は、過去記事にも記載してきたとおり、人生の大半で、何かしらの苦悩を抱えた時間ばかりを過ごしていたといっても過言ではありません。

 

 

↓ 過去記事 ずっと続く苦悩について ↓

 

 

 そんな私なのですが、なぜか、過去を思い返し「あぁ…あの頃に戻りたいな。」と、至極無駄で建設的要素の欠片もないことを、堂々巡りに考えてしまう現象に襲われることがあります。

 

 

 

 ろくでもなかったことが大半を占めていた人生ではありましたが、そんな中でも、刺激的で楽しく感じたスポット的イベントもあったからだと思います。

 

 

 

 主に思い出してしまう時期としては私が20才~24才あたりの頃ですね。

 

 

 

 

 その時期だって、当然、当時の自分的に苦しいことは目白押しで存在していたのですが、それと同じくらい、楽しいことや刺激的なことも存在していた時期でもあったのです。

 

 

 

 なんというか、これはもう仕方がないのですが、脳味噌そのものとてもフレッシュだったのだと思います。

 

 

 

 加齢を重ねて思うのは、肉体的な衰えよりも、精神的な衰えの方がはるかに厄介だということです

 

 

 

 若い頃は、まだ井の中の蛙で居られたことが逆に功を奏し、何の根拠もない自信を持っていたりしたのもある意味良かったのだと思います。

 

 

 

 勿論、それは良いことも悪いことももたらす要素ではありますが、当時の謎の行動力を発揮するための原動力だったのは間違いありません。

 

 

 

 自分の身の程を知ることは超大事なのですが、若い頃にたまに感じることのあった、全く根拠のない万能感も、身の程を知ることと同じくらい大事な感情だと思うのです。

 

 

 

刹那的な日々

 

 

 20代前半頃というのは、刹那的なこと、刺激的なこと、官能的なこと、様々な出来事がありました。

 手痛い失敗も多かったですが、それに対する感情のリカバリーも早かったです。

 

 

 

 書いていてなんとなく思いましたが、思い出というより、その頃の自分の感性に焦がれてしまっているのでしょうね。

 

 

 

 当然と言われればそれまでですが、やはり感じ取ることが出来る「楽しさの造形や質」が、明らかに現在と過去では違うのです。

 

 

 

 若い頃、いつも自信がないけれど、たまに何故か強烈な万能感を感じて絶好調になったり相手のことなんて少しも顧みずに我を通したり…今思い返してもろくでもないことをしていた時期なのは間違いないのです。

 

 

 

 けれど何故か、そんなひん曲がって偏った独りよがりな屑的な行動を、平気で行うことが出来ていた頃の自分を、強烈に懐かしく思ってしまうのです。

 

 

 

 

 びょびょ病気赤ちゃんぴえん

 

 

 

 

 まぁ、今現在もヒモニートなんてしてるし、全く人間性が成長していないと言われればぐうの音も出ません。

 

 

 ただ、やはり、私自身が感じている感覚的な話で言ったら、感性は天地の程の差です。

 

 

 

 無論、現在は当たり障りない無難なコミュニケーションを心掛けているので、人と上手に接することが出来ておりますし、ある意味では生きやすくなったとは思います。

 

 

 

 ですが…やはり、いつも多少のモヤモヤが胸に残るのです。

 

 

 

 無いものねだりはよくないですよね。

 ただ、脳の、特に感情を司る分野の変化というのは、何故だか本当に寂しいものだと感じるのです。

 

 

 

 ぶっちゃけ、金が無くても女性と一緒に居なくても不自由でも、自分が小学生の頃のような感覚で居られるのであれば、もはや何をしてたって楽しいわけです。

 

 

 

 だからこそ、そんな過去の思い出や感性に、まるで呪われているかのような感覚に陥るのかもしれません。

 

 

恋愛においても、そういう現象が起こる。

 

 

 恋愛においても、上記とは方向性が違うかもしれませんが、過去に捕らわれるような現象が起こったりします。

 

 

 

 昔、雑誌か何かに乗っていたある文章が印象に残っています。

 

 

 

 細かい部分は違うかもしれませんが、大まかには以下のような内容でした。

 

 

 

 

 

 

 男性の恋愛は、例えるならば長い長い一本道。

 恋愛が完全に終わっても、長い一本道を歩いて行く。

 

 いくら長い時間を経て、色んな女性が過去のものになったとしても、いざ立ち止まって振り返れば、一本道のはるか彼方に小さく人影が見える。

 その人影に向け、間違って望遠鏡でも使ってしまった日には、当時の想いが蘇ってしまうことだろう

 

 

 

 

 

 

 女性の恋愛は、例えるならば曲り道。

 恋愛が完全に終わる都度、道を曲がる。

 

 たまに立ち止まり振り返ったとしても、曲がる前の道の先に居る人影はもう見えない。過去が記憶から無くなるわけではないが、想いまでは蘇らないのだ。

 

 

 

 

 

 こんな感じの文章だったと思います。

 

 

 

 

 

 勿論、上記の文章が全ての男女に当てはまるなんてことはないですが、私自身の実体験からしても腑に落ちますし、実際わりと多くの男女に当てはまる文章なのではないかと思います。

 

 

 

 

 実際、恋愛事において、新しく次の恋愛に歩みだした時の女性の切り替え力は凄まじいと感じます。

 

 

 

 それと同時に、男性が過去を引きずりがちなだけとも感じます。

 

 

 

 もちろん万人共通というわけではないです。

 ただ、どちらも脳の構造的なものなので、致し方ないですが、色々と引きずりやすい男性側の性質というのは何とも厄介な現象だと感じます。

 

 

 

 理論、理屈で簡単に封殺出来るようなものではなく人間という生き物に備わった機能がもたらす感情論なので、コントロールが難しい分野かと思います。

 

 

 

 男性はともかく「過ぎ去った過去という亡霊」にとらわれるという性質を、持ってしまいやすいのかもしれません。

 

 

 

 それも、今が楽しく感じていなければいないほどそうなるのだと感じます。

 何故か、思い出は美化されがちですしね。

 

 

 

 

理想論

 

 

 それにしても、一体どれほどの人が、自分の理想のとおりに恋愛・結婚等を出来ているのでしょうか。

 

 

 

 私に関して言えば、現在進行形でヒモニートをしておきながら、文句など言っていたら罰どころでは済みませんし、現状に大きな不服など感じておりませんし、彼女に非常に感謝もしております。

 

 

 

 ただ仮に、私が、金銭等の懸念材料が少ない、或いは一切懸念材料がないような人生を送ることが出来ていたのだとしたら、どうでしょうか。

 

 

 

 失礼は承知の上ですが、その場合であれば、きっと現在の彼女とではなく、私の心に残る他の誰かと歩む道を選んでいたことでしょう。

 

 

 

 そんな感情は、現彼女に対し失礼千万極まりなく、無論、墓場に行くまでそんな感情を相手に伝えることはないでしょう。

 

 

 

 ただ、こういった感情は、もちろん彼女側にも言えることなのだろうとは思います。

 

 

 

 お互い、初めて恋をしたその瞬間に思い描いていたような、恋愛活動に求める理想像は、いつから色褪せてしまったのでしょう。

 

 

 彼女にとっても、まさか、己が思い描いていた恋愛活動の、晩年或いは終着地点の恋愛相手の理想像が、私であるわけがないのです。

 

 

 

 

 何かしら妥協を重ね、誰かと共に居る。

 多くの場合の人生はそういうものなのでしょう。

 

 

 

 

 けれど、この記事に書いてきたとおり、たまに襲い来る過去の記憶がもたらすノスタルジーな感情が、どうしても私の脳をかき乱すことがあるのです。

 

 

 

 

 

 男性って、ちょっと弱いような気がする

 

 

 さて、いつも通り脱線します。

 男性という性別について、たびたび感じることについてです。

 

 

 生物としての特性に、日本語が合ってないと感じるのですよね。

 

 

 私も含め、結構な数の男性に対し、全然「雄々しい」とは感じませんし、むしろ「女々しい」と感じます。

 

 

 

 よく男性が理性的女性が感情的とか言いますが、私の人生経験上や周りの様子を見ていても、どこが?と感じるケースが多々あります。

 

 

 特に、男性が仕事等において、誰かに本気で嫉妬等している様って本当に見苦しく且つ、あまりにも恨みつらみの感情の持続性がしつこいと感じます。

 

 

 

 

 

 なので、男性が・女性がとかいう区別は、もはやいりません。

 

 

 大概の人間は、もれなく感情的です照れ

 

 

 

 

 統計でいっても、休職者や自殺者数殺人を犯すような犯罪者も男性の割合が圧倒的に多いですし男性は、力だけは多少強くても、精神的には脆さを抱えるケースの多い性別なのだと感じます。

 

 

 

 私の、20年程に及んだ転勤族としての社会人生活を振り返って思うのは、男性って本当にピンキリの差が激しすぎると思うのです。

 

 

 

 人格・知識等がとびきり優秀な人もごく一握りいますが、知能的にも倫理的にも救いようのないレベルの馬鹿に関しては男性の方が圧倒的に多いという印象でした。

 

 

 

 これは、同僚に対しても客に対してもそういう印象でしたし、事実、私や私の身の周りの人が遭遇した、思考が偏っている粘着質なクレーマーは、かなりの割合で男性でした。

 

 

 

 偉そうな能書きを垂れましたが、私自身は紛れもなくアホな側の人間です。

 特に男性下げ、女性上げをしたいわけではないです。

 

 

 

 性別なんてどちらだろうと、所詮は人間という1動物です。ごく一部の人を除き、そこまで性能に大差があるわけではないと思います。

 

 

 

 ただやはり、男性の脳の特性に関しては、どうしてもある種の脆さを抱えているのかなとは感じます。

 

 

 

 

 今を大事に

 

 

 

 さて、振り返っても過去なんてどうしようもありません。

 この非常に短い人生において、今を大切にしないと非常に勿体ないと思います。

 

 

 私自身は、建前や理想論で気持ちに蓋をしても、どうしても本音が顔をのぞかせてしまいそうになることが度々ありますが、いつか、うまく折り合いをつけられたらなと思います。

 

 

 

 ほんと、弱ったことに、私は絵に書いたような小物なんです。

 

 

 そんな、残念な自分という人間のことを、他でもない自分自身が少しでも好きになっていけるよう、今を大事に生きていければと思います。

 

 

 

 そうしていけば、いつか思い出に縛られるような感覚が薄れ、今をより大事に生きていけるようになるのではないかと期待しています。

 

 

 

 五体満足で朝日を拝めるだけで、ある意味毎日奇跡が起こってるようなもんですからね。

 

 

 

 当たり前のことなんて何一つありはしませんので、毎日を大事に生きていければと思います照れ

 

 

 

↓ 自分の心と上手く付き合いましょう ↓