こんにちは、じきです。

 

 

 私は、一昨年末に20年程勤めた会社を退職し、現在アラフォーヒモニートとして生活をしております。

 

 

 今回は、私が過去勤めていた頃に、大型連休について感じていたことを書きます。

 

 

 不快な方は、いつもとおりブラウザバックしていだくようよろしくお願いします。

 

 

 

 すっごく嬉しい連休の「前日」

 

 

 まず大前提として、私は休日というものが大好きです。

 

 

 元来、仕事をめちゃくちゃ頑張りたいというタイプでは全く無かった私は、月曜日が来れば絶望し、金曜日の夜は世の中が煌めいて見える感じで生きてきました。

 

 

 

 私にとって休日の何が素晴らしいかって「時間の制約が無い」ことなのです。

 

 起床時間、始業時間、通勤時間等…仕事に縛られたありとあらゆる感覚から解放され、束の間のリラックスを得られる。そんな「休日」というものが、たまらなく大好きなのです。

 

 

 勿論、ヒモニートとなった今でも尚、時間の制約が無い生活をこよなく愛しております。

 時間の制約に関しては、私の生涯において、今後どんな風に生き方が変わっていくとしても極力緩く生きていきたいものです。

 

 

 さて、そんな私が愛してやまない休日というものですが、それが連休となれば嬉しさだって当然倍付でした。

 在職時の私は、連休前になると嬉ション漏らしそうなくらいテンションが上がっていたことを鮮明に覚えています。

 

 

 

 特に「大型連休の前日」は、もう気持ち的には無敵です。

 

 

 

 眼前の大型連休中に、遊んだり旅行に行く予定なんか無くたって別に良いんです。本当に、仕事ひいては時間の制約から、長期間に渡り解放されることへの喜びがとても大きかった。

 

 

 だからこそ。

 

 

 連休の中でも、特に一般的に言われる大型連休について、連休前の喜びがとんでもなく激しい分それが終わってしまう時の悲しみたるや、尋常じゃなかったのです。

 

 

 

 大型連休の都度、連休の嬉しさが苦しさに変わる瞬間という、恐怖の転換期が訪れるのです。

 

 

 

 

 連休の副作用

 

 

 

 私は自分を、大型連休の過ごし方がとても下手な部類の人間だと思っています。楽しみ方・考え方等が本当に下手なのです。

 

 

 どういうことかというと、連休の残日数が「まだこれだけ残ってる!」ではなく「もうこれしか残っていない」と捉えてしまうタイプなのです。

 

 

 

 例えば通常の3連休だとしても、最初の1日目の夕方時点で「ああ、もう普通の土日になってしまった」というような、不毛な嘆き方をしてしまいます。

 

 

 

 本当、この感性を何とかしたいと思って改善しようと幾度も考え方を変えようとして自己啓発系の本を読んだりしましたが、やはり、性格の根っこの部分は根強すぎて変わることが出来ませんでした。

 休みを愛しているが故に、終わりゆく休日が名残惜しくてたまらないのです。

 

 

 

 さて、3連休ですらそんな調子なのに、これがGW等のもっと長い休みになってくると、更に嘆く傾向が色濃くなっていきます。

 

 

 

 ああ、丸々一週間あった休日が、1日経過し6日に減ってしまった

 

 とか、

 

 休みの半分が経過した時点で「あっという間に折り返し地点だ、もうおしまいだぁ…!」等、ブロリーに絡まれた時のベジータ並みに茫然自失したりと大忙しです。

 

ニゲルンダァ…!!!

 

 

 

 私の体験談は極端な話なのでしょうけれど、それでもやはり、連休が長ければ長い程、それが終わってしまった時の喪失感や絶望感は計り知れないものでした。

 

 

 

 もちろん、在職時のGWにそういった現象は起きておりました。

 

 

 GWが始まる前までは、GWだけを心の寄る辺として仕事に耐えていただけに、目先のにんじんを失い、尚且つしばらく祝日すらないGW明けというものは、私にとっては文字通り「試練」でした。大袈裟かもしれませんが、そのくらいダメージが深かったのです。

 

 

 

 新人の頃、勤め始めてから初めてのまとまった休みであるGW明けに、仕事に行きたくなさからメンタルがゴリゴリ追い込まれた思い出があります。

 

 

 

 在職中はやはり、長期の大型連休後は退職する新人も多かったです。

 

 

 本当に気持ちはわかります。

 勿論全てが私と同じ気持ちや状況だったわけではないでしょうけれど、やはり私タイプの人間には、基本的に連休が終わることっていうのは中々耐え難いことなのです。

 

 

 

 

そもそも「大型連休」なのか

 

 

 

 さて、GWをはじめ「大型連休」と呼ばれるものについて、在職時は常々思っていたことがあります。

 

 何かというと、そもそも、10日前後の休日というのは言う程「大型」なのだろうかということです。

 

 

 

 大型といえど、どれほど長くたって、精々10日前後なのです。しかも、GWや年末等、多くても年に2,3回くらいしか無いわけです。

 学生時の一カ月を超える夏休みのようなスケール感は皆無です。

 

 

 

 …日数、回数ともに、ふつーに少なくないですか?

 小学生の頃のような、夏休み等の定期的な長期休暇。あれは社会人にも必要だと思います。

 

 

 

 

 これを言うと必ず「そんなに休んでどうするの」とか「経済や現場が回らない」とか、休んではいけない理由を壊れたラジオのように唱えてくる層がいました。

 

 

 中でも嫌いな返し言葉は「連休があるだけマシ」というものです。

 

 

 もちろん、休みが無いよりはあった方が良いです。

 そんなもんは当然です。

 

 

 だからこそ「あるだけマシ」なんていう風に考える必要がないと思います。

 「あればあるだけ良い」ならわかりますが。

 

 

 

 自分と他人の状況を比較して、自分よりマシなんだから頑張れみたいなことを言う人って結構多いですが、あなたがどうとか、そんなもん知ったことじゃありません赤ちゃんぴえん

 低い待遇レベルに合わせて歯を食い縛り合う行動に、いかほどの意味があるのでしょうか。

 

 

 

 勿論、やるべきこともやらずに待遇の改善ばかりを声高に唱えるのはNGでしょう。

 

 

 

 私自身、ぶーぶー文句ばかり言ってたって現実は仕事に行くしか選択肢が無かったので、それはそれで淡々とこなしていたわけです。ただ、仮に自分の境遇に不満があるのであれば、その気持ちに無理やり蓋を閉じる必要もないかと思います。

 

 

 

 「経済が回らない」や「現場が回らない」等の話についても、疑義はあります。

 

 

 

 私自身、退職するまでの約20年間に渡り仕事をし、納期等を守れなかったことは数える程度しかありませんし、機械や社内アプリ等の充実で効率よく仕事をすることも可能になっておりました。

 

 

 上記のことは別に自慢したいわけではなく、ただ、あくせくと働いたとしても「だから、なんだ?」という結果しかもたらさなかったと感じるのです。

 

 

 どれほどあくせく働き納期等を守ろうと、納期等を守れば守るだけ何故か更に厳しい納期等を設けられたりしましたし、機械やアプリ等で効率良く仕事が出来るようになれば、更に仕事量自体を増やされ結局労働時間そのものはむしろ増えたりする…そんな糞循環でした。

 

 

 ついでに、何十年も経済成長率激低というおまけつきです。

 

 

 

 とにかく、頑張ること自体が不毛に感じてしまうような扱いや結果が多かったのです。

 

 

 

 働くにあたり、偉人の格言的なものを引用されるたびに辟易とした経験はありませんか?

 少なくとも私は経験がありますし、それらを聞かされる都度、心底うんざりしておりました。

 

 

 そのため、個人的には、労働に関する美辞麗句等はマジでどうでもいいので、休日という目先のにんじんをもっともっと増やしてほしいと感じていました。

 

 

 

 社会人という立場になると、偉人の格言的なことを始め他人の感性等に振り回される機会が劇的に増えてしまうからこそ、自分をリフレッシュする時間がより必要になるのではないかと思っています。

 

 

 

 年々、顧客側の権利意識が肥大化してちょっとしたことでクレーム等の騒ぎになったり、社内でも昔とは形の違うモラハラがちらほら起こっていたこともあり、現代の方が、昔よりも人によっては心の疲労が溜まりやすくなったのではないでしょうか。

 

 

 そんなストレスフルな現代だからこそ、もう少しスローペースで生きていくことも選択肢に入れやすければ良いのになと感じます。

 

 

 

 

 育休等との兼ね合い

 

 

 

 暦上の連休等とは話が別なのですが、もう一つ話題を。

 

 

 近年、有給や各種特別休暇等をある程度積極的にとることを推奨する企業も多いかと思います。

 その中でも特に数が多いのは育休でしょうか。子供を育てる必要があるため、当然必要な休暇制度であると思います。

 

 

 ただ、この育休制度自体はとても良いものなのですが、反面、残された側の負担が丸々と増えるケースがほとんどであるため、本音では歓迎しずらいこともありました。

 

 

 特に私のような、実質的には育休をとれる見込みのない単身者は、育休を担保するための養分でしかないのが悲しいところでした。

 

 

 育休について、どれだけ子育てが大変とはいえ、正直羨ましいという感情が大きかったです。

 

 

 育児が大変なのは勿論のことだと思います。

 朝も昼も夜もないようなドタバタの毎日、イレギュラーなトラブル等、身を粉にする必要があることでしょう。

 

 

 しかしその大変さは、やはり「仕事」とは大変さの方向性が大きく異なると思うのです。どちらによりプレッシャーを感じるかは、その人次第なのでしょうけれど。

 

 

 前提として、ほとんどの場合、自分達が子供を欲しくて授かったはずです。子育てがいかに大変とはいえ、それを折り込み済で覚悟を決めて子供を授かったのならば、大変ながらも気持ちの準備等は出来ておりますし、尚且つ仕事を社会的に許されつつ年単位休める…控えめに言って、神制度です。

 

 

 

 反面、残された側は育休で抜けた人分の事務量が丸々増えるため、その事務年度はより一層過酷で、なんなら、自分達が本来休めるはずの有給を削ってでも働く必要があるケースもあるわけです。

 

 

 

 別に、育休を無くせとなんて少しも思いません。むしろ絶対必要です。

 ただ、それに準ずるような大型連休を得る権利が、子育て等の特別な名目がない人にも与えられていればいいのになと思っていた次第です。

 

 

 

 誰かだけが得してて羨ましいとか妬ましいとかいう感情でいるよりも、皆ある程度気持ちに余裕をもって目先の一日を生きるエネルギーに満ちている状態になれていたら、そっちのほうが健全ではないでしょうか。

 

 

 

 勿論、それをするからには、当然働く人の稼働率が今より落ちるため、今より生活面での利便性等は落ちることでしょう。

 

 店は閉まっているケースが多くなるし、品物も少なくなったり粗末になったり、経済的な発展は更に落ち込むかもしれません。

 

 

 

 …ただ、今までだって、結局そうですから。

 

 

 今までのやり方で社会生活を送ろうと、30年にも渡り、経済的に成長なんてするどころか、絶賛低成長からの爆速で円安進行中です。

 

 

 その間に潤ったものの代表格といえば、調子が良かった企業の「経営者一族」等でしょうか。

 

  経営が傾き気味の厳しい企業であれば従業員もそれなりに忙しくなってしまうのは仕方の無いことですが、経営が安定した企業の余剰資産を10億から20億へ増やすため等に、駒として過剰に働く必要があるケースが少なくないのは疑問が残ります。

 

 

 いっそガラパゴスに振り切って、ちょっとやそっと不便になろうと、国をあげてのんびりしてみることを試すのも良さげな気がします。もちろん頑張りたい人は勝手に死力をつくし頑張れば良いですし。

 

 

 なんかこういう話になると白か黒か、0100かみたいな極端なこと言い出す人も多いですが、単純に頑張ることも頑張らないことも、もっと選びやすくなれば、生きやすさにも繋がるのではないかなぁと思う次第です。

 

 

 

 自分に比べればマシ・誰々に比べればマシ・諸外国に比べればマシ等の、不毛な論調はそろそろ脱したいところですね。

 

 

 何処よりも突き抜けて、ある程度皆そろって今より良い環境になっていけばいいだけだと思うのです。

 

 

 

 

 ヒモニートごときがやかましいですか、わかります。

 

 

 

 

 とりあえず、身体に気を付けつつ、日々生きてまいりましょう照れ