こんにちは、じきです。
今回は、一昨年末に20年程勤めた会社を退職し、現在アラフォーヒモニートである私の、無趣味っぷりについて書こうと思います。
不快な方は、いつもとおりブラウザバックお願いします。
↓ めちゃオススメの書籍です ↓
なかなか湧かない興味
今現在、私には「これ」と言えるような趣味がありません。
強いて言えばTVゲームやカラオケなのですが、ゲームはよほど興味がある内容のものじゃないと長続きしないし、カラオケに至っては数カ月に1回行くか行かないか程度です。
とにかく、基本的に私は出不精だし、色々頭で考えてみたとしても、実際に何かを行動に移すまで、相当時間がかかるタイプの人間です。
駄目な人の典型です
数少ない、行動に移せたこと
怠惰な私が今まで、実際に行動に移せたことといえば、どれもこれも、今後自分の人生を過ごす上で、嫌でも行動しないと落ち着いて暮らせない・楽にならない等の「生きていくためにやむを得ない理由」があることばかりでした。
あくまで、趣味のように楽しいものではなかったのです。
私が過去記事にしてきた、珍しく実際に行動に移すことがてきたことの実例を言うと
◎学生時代の頃から悩み抜いてきたわきがを治すために手術を受ける。
→ 手術失敗するも、死ぬ程色々デオドラントを試す。
→ ようやく本当に効果がある商品が見付かり解決に至る。
↓ ちなみに、これが私の答えです ↓
◎仕事したくないし、面倒くさいタイプの人との人間関係が鬱陶しいし、とにかく時間の縛りをなくしたい。
→親族は貧乏で頼れないのでヒモニートになろうと決意。
→恋愛の数をとにかくこなし、ヒモニートに至る。
◎ヒモニートを着地点にするのは良いが、そうは言っても自分の蓄えや収入が0なのは不安である。
→日々の暮らしでズボラ貯金術を試す・仕事しなくても収入を得るために株等をはじめる。
→紆余曲折の長期ズボラ貯金術等で約2,500万円を貯める。また、株の年間利益を平均100万円程稼ぐに至る
↓ 貯金、適当にやっておりました ↓
これらの話は、自慢等ではなく、ただの実体験です。
見る人が見れば、私の人生は相当窮屈・退屈等な人生に映るかと思われます。
さて、上記のように、必要に迫られてやむを得なく行動することは稀にあるのですが、前述の行動に共通しているのは、どれもこれも「やってても別に楽しくない」ということなのです。
前述の行動は、あくまで、私が生きやすく・楽に過ごすための戦略のようなものです。我慢して継続をしてきただけで、決して趣味ではないのです。
我慢した甲斐があり、現在は日々を不安な気持ちで過ごす時間は大幅に減りました。
ただ、穏やかな気持ちではあるものの、楽しい気持ち自体は、以前と同じく非常に薄いのです。
一応は1日の時間のほぼ全てを好きなように過ごせるようになり、自分の行動ひとつでやりたいことを試せる環境自体は整いました。
しかし、未だに相変わらず無趣味です。
色々試してはいるのですが、やってみたいことがいまいち思い浮かばなかったり、やってもハマれずに終わったりを繰り返しています。
無色な無職で無趣味
冒頭の繰り返しになりますが、私は現在アラフォーヒモニートであり、無職で無趣味です。
まず、趣味云々以前に、無職という状況をどうにかする方が先決、と考える御方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、無職生活は良くも悪くも刺激の少ない日々です。
苦しみも少なければ娯楽も少ない。
現在の私の日々を色で例えるならば無色でしょうか。
これほど透明感の感じられない無色というのも珍しいですね、ソウルジェムの奥の方がとっくに濁りきっている無色の無職です。
そんな私ですが、無職であること自体は、これから先に状況が変化していっても、ずっと継続していく予定です。
一般的な方々が思う無職のデメリットは、挙げ始めれば空にも届くほどの物量になることでしょう。
私自身も、そういうデメリット等について共感出来る部分は山ほどあります。
しかし私にとっては、現在の生活スタイルというものが、それらの一般的に言われている有象無象のデメリットを、軽々と覆すメリットを享受出来る環境なのです。
無職を選択する上で、私にとって、個人的には譲れない程大切な最大限のメリットは2つあります。
そのメリットとは「時間に縛られないこと」と「仕事により、半強制的で、嫌な人間と同じ空間に居る必要がなくなること」です。
特に、いつ寝ても良いしいつ起きても良い等のあらゆる時間の制約がないことについては、この上なく快適であると感じます。
さて、快適ではあるのですが、せっかくならばそこにプラスして趣味等の楽しさが加わると、尚良いです。
現時点でもある意味では贅沢な暮らしですが、彩りはあればあるだけ気持ちが穏やかになるものだと思います。
そこについては、今まで生きてきて散々苦しんだ分、多少図々しく生きようと思っております。
…とはいえ、繰り返しになりますが、タイトルのとおり無趣味なのですよね。
私が、もともと怠惰や退屈がそこまで苦じゃない性格なのも、積極的に趣味等を見付けるための行動を起こさないことに拍車をかけていますね。
半強制的だとしても、自分の身の周りに、自分自身をどこかに連れまわそうとする友人等が存在するお方を、少し羨ましく思います。
おせっかいな人って、素敵です。
趣味にならなそうなもの
行動自体をしていないため、興味が湧くかどうか未知数なものが多いですが、興味がわかないであろうものを先にピックアップし、選択肢を絞っていこうと思います。
お前の趣味なんぞ知らんって感想、ごもっともです。
この記事を読み進めているお方の精神力、大したものです。
へへ…ではいきます
・車関係
私は運動神経が壊滅しているということもあり、車の運転も苦手です。
在職中はやむなく乗らざるを得ませんでしたが、プライベートで遊びに行く際などは、どのようなケースでも助手席が定位置です。苦手なことは極力やらない・任せる精神です。
・将棋・チェス・囲碁等
私は、過去記事やこの記事の文章からも既に滲み出てしまっておりますが、地頭が非常に悪いです。壊滅的といえるレベルです。
なので、高度な知力・戦術が必要とされる遊び全般が向いていないと感じています。カタン等のボードゲームも、人類最弱レベルで弱いです。
・風俗通い
元々、お金を払って性処理をするという概念が無いに等しく、相手が少なからず私に好意が無いと、やる気がおきません。
彼女との性生活にも満足しているため、性欲の解消は悩ましく思っておりません。
とりあえず上記3点は、どう転んでも趣味にはならなそうです。
与太話も甚だしいですが、人生に彩りを求めることをそこまで贅沢なことだとは思いません。
逆に、それ以外のことであれば、何らかのきっかけがあればトライし始められそうな気はします。
きっかけ、って大事ですね。
きっかけなど自力でつくれ
そもそも、他人にきっかけを求めてしまうところが、私のアホな部分の中で、最も深刻な部分かと思います。
きっかけなんか、自分でさっさと行動して作ってしまえばいい!と息まいても、寝ると忘れちゃうんですよねこの感覚。
いつも昨夜の情熱やテンションを思い出せない
本当に、怠惰があまり苦じゃないというのも考えものです。
私という人間を一言で表すならば「下賤」かなと思います。
生き方、考え方に、致命的に品や華がありません。
我が事ながら、哀れになります。
心の貧困は最も哀れだと思います。
何か「推し」があったり、夢中になれるものに邁進している人を見ると、眩しくて直視出来ません。
たとえ他人から見て大したことをしていなかったとしても、今を心から楽しめている人こそが、いつだって最強かと思います。
自分で自分を何とかだまして、趣味探しのきっかけ作りをしたいものです。
釣りやキャンプ等の自然に触れる系列のことはとても興味があるのですが、最初の一歩が踏み出せないんですよね。
以前、私を外に連れまわしてくれた友人が居たことがあったのですが、転勤で疎遠になってしまったのを本当に勿体なく思います。
必要に迫られているわけではないので、趣味探しについて全然急いではいませんが、いきなりやりたいことが泉の様に湧き出てくるような現象は起こらないと思うので、ちょいちょい色々試していければいいなぁと思います。
最近、料理は実際にやってみたんですけど、やると楽しいですよね。ただ私、体質的にあっという間に太っちゃうから、美味しいものを作り続けるのは危険だったんですよねぇ…
人生、健康さえ失わなければいくらでもなんでも出来るので、日々適度に適当に、これからものんびりとやりたいように生きていこうと思います
↓心を意のままに。↓