こんにちは、じきです。

 

 今回は、一昨年末に20年ほど勤めた会社を退職し、現在アラフォーヒモニートである私コンプレックス・あごの形について書きます。

 

 

 不快な方は、いつもとおりブラウザバックお願いします。

 

 

↓参考 主な容姿コンプレックス↓

 

 

周りと異なる見た目

 

 

 前回に続きまして容姿等のコンプレックスについての記事で、部位につきましてはあごの形です。

 

 

 

 私もそうなのですが、容姿にまつわるコンプレックスって、多くの人は感受性の豊かな学生時代に、自分の身の回りに居た人間から植え付けられるのではないでしょうか。

 

 

 

  そのためなのか、半ばトラウマのようになり、本当に根が深い問題となります

 

 

 

 学生時代に、周りから色々な陰口を言われたり嘲笑され続け、常に感じた疎外感焦燥感。

 

 

 

 現在は、あの頃ほど容姿について深く悩んではおりませんが、それでも未だに時折、あの頃の苦しかった思い出に関連した悪夢を見ます。

 

 

 

 いつまでたっても、過去の記憶が私を苦しめます。

 こんな気持ちに苛まれること自体、腹立たしく思ったりもします。

 

 

 

 現在進行形で、誰かをいじめている人、もしくは、結果的にいじめになっていることを気付きもせずに、俗にいう正論を無闇に振りかざす等ナチュラルなモラハラをされているお方は、要注意です。

 

 

 

 いじめを行った場合、時間がいくら経ってもいじめた対象者からずっと恨まれる可能性が非常に高いと思います。

 

 

  いじめた対象者自身によっぽど落ち度がある場合じゃない限り、いじめるのはやめた方がいいと思われます。

 

 

 

 仮にいじめが起因となり、誰かの自殺を引き起こした場合それは実質、ほぼ他殺です。

 

 

 

 いじめの加害者は、ぜひ法整備されて前科もちになればいいなと感じます。それで、亡くなる等した被害者が救われるわけではないですが。

 

 

↓自殺者が身近に居たら、加害者はほぼ殺人犯と等しい↓

 

 

 

あごの形が気になりすぎる問題

 

 

 さて、話を戻します。

 

 

 私のあごの形。

 学生時代は、何といってもこれを1番気にしてました。

 

 

 最近は、もうあまり気にしないように努力しておりますが、あごの形問題は、学生時代に私を一番苦しめた要素です。

 

 

 

 簡単にいうと、けつあごですね

 

 

 

 なんだよ、その程度のことかよって思われるかもしれませんが、なにせ顔面ですからね。

 

 

 

 

 他人の視線が、あごに向くのが本当に怖いんです。

  マジで気になりますよ。

 

 

 

 

 

 あごの形を気にし始めたきっかけは、これも前回記事と同様に、学生時代に同級生から半分陰口のように私の容姿を揶揄する歌を作られたことでした。

 

 

 

 私相手に、真正面からは言ってこないけど、やや遠くから、しかし確かに聞こえるように私に向けてクスクス笑いながら、あごを揶揄した歌を歌われます。

 

 

 

 

「よく見たら、あごげん♪」クスクス

 

 

 

(あご…私のこと??)

 

 

 

 私は、周りの人間の嗜虐心を満たすための、良いおもちゃだったのでしょうね。

 

 

 

 過去記事に記載した後頭部の異様な形以外にもあごに関しても何か言われてると気付いた時の胸の苦しさは、言葉で言い表せません。

 

 

 

 帰宅後に、自分のあごをまじまじと鏡で見てみたあの夜のこと、今でも鮮明に覚えています。

 

 

 

 自分で自分のあごを、いろんな角度からよくみたら、確かに光の加減であごの中心に影が出来ておりけつあごだなと認識出来る程度に、あごの中央部分が窪んでいました

 

 

マスク文化の無い時代

 

 

 自分のけつあごに気付いてしまってからは、人前に出るのがとてつもなく怖くなりました。

 

 

 

 誰かと会話する際の挙動等も、どんどん不自然になっていきました。

 

 

 

 肩で不自然にあごを隠して会話しようと試みたりあごを正面から見られないために、顔だけでも横向きで会話しようとしたり。

 

 

 

 色々なことを気にするあまり、とことん悪い方向へ舵を切り続けていったと思います。

 

 

 

 他人には、その必死に取り繕うとする姿が面白おかしく映るのか、益々陰湿な対応を受ける結果となりました。

 

 

 

 幼心に、自力であごの形を直すことはできないものかといろいろ試したものです。

 

 

 

 セロテープを、両頬からあごにかけてに貼って一日中皮膚を伸ばし続け、けつあごの部分が解消されないか試したり。

 

 

  あごを自分の拳でかなり強く叩いて、形が変わらないか試したり。

 

 

 

 なにせ、顔面ですからね。

 

 

 髪型で一応必死にごまかしていた頭の形とは違い、あごは隠すことができません。

 

 

 

 当時は当然、マスク文化はありません。マスクなど、風邪引いた子くらいしか着けてる人は居なかったです。

 

 

 

 現在みたいに、良くも悪くもマスク文化になれば、この悩みはだいぶ影を潜めたのでしょうけれど、当時はそういうわけにもいかなかったのです。

 

 

 

 真正面から顔を見られることを極度に恐れた私は、うつむき加減に人と話すことが増えました。

 

 

 

 それに伴い、気持ちも言動も、何もかも、どんどん自信を失っていきました。

 

 

 

 あごの形にせよ、頭の形にせよ、私は変なのだと、周りと違うのだと、考えれば考えるほど悲しくて情けない気持ちが広がりました。

 

 

 

 学生時代において、小学校低学年~高校生を卒業するくらいまでは、本当にあごのことを悩ましく考えなかった日はなかったと思います。

 

 

 

 上記のあごを揶揄する歌だけではなく、あごに関するいじめはバラエティに富んでおりました。

 

 

 

 例えば、私と会話中のAさんが、私の後ろに立っているBさんに向け、人差し指をあごの中央にあてるポーズをします。

 

 

 その際、あからさまにその二人がアイコンタクトしながら、あごの中央に指を当てつつニヤニヤしてるんですよね。

 

 

 

 そして、私が去ったあと、後ろからその二人と、取り巻きの爆笑が聞こえてくるのです。

 

 

 

 そこで私が振り向きでもしたら、その二人は急に小声でひそひそ話を始めます。

 

 

 

 「笑うなよぉ~WW」

 「えーだって、くふふふWWWW」

 

 

 

……

 

 

 私が、あなたたちに何をしたというのか。

 

 

 

 何故そんなにも小馬鹿にされなければならないのか。

 

 

 

 本当にみじめでしたね。

 

 

 

 

 取るに足らないことだと言われればそれまでですが、学生時代の私にしてみれば大ダメージです。

 

 

 

 過去記事に記載した、頭の形等のコンプレックスと合わせ技でいじめをうけ一時期は過呼吸で教室でぶっ倒れ保健室に運ばれるくらいに悩みました。

 

 

 

 小学校時代~高校時代まで、やり口や形を変えながら容姿や身体についていじめを受けてきましたが、自助努力で解決できる問題以外のことでいじめを受けるのは、どうにも納得いかなかったですね。

 

 

まじで陰湿

 

 

 自分のことを棚にあげてこんなこと言うのもなんですが、学生時代は特に、私の周りには陰湿な人が多かったです。

 

 

 学生時代の私は、雪国かつ田舎に住んでいたのですが、どこの地域もこんなものなのですかね。

 

 

 私はおよそ20年間の社会人生活を送りましたが、転勤族だったため、在職中は2~3年に1度の転勤がありました。

 

 

 転勤により、複数の県をまたぎ、色んな県に住みました。

 転勤の都度、つぎの転勤までの数年間は、実際に現地で住みました。

 

 

 職場内外で多くの人間と接する機会がありましたが、晴れの多い地域は総じて性格もカラっとしている人が多かった印象です。

 

 

 

 まぁ、上位トップ5%のヤベー奴は、どんな環境下にいようとヤバかったですが照れ

 

 

 

 諸説ありますが、一般的には、日照時間が短い地域って自殺率が高いらしいのです。

 

 

 たしかに雪国は、自殺率が高いです。これは統計的にも紛れもない事実です。当然、快晴の日もあまりないです。

 

 

 晴れていたとしても、雲1つない青空なんて滅多になくて、雨さえ降らなければ、曇っていようと晴れ扱いになるくらいです。

 

 

 日照時間の短さが人間の性根にまで何かしらの影響を及ぼし、人をいじめ殺すような行動をとりやすくなってしまうのでしょうか。

 

 

 私のケースだけではなく、どんな環境だとしても、気に入らないなら住むなとかいう脳味噌死んでる発言してる場合ではありません。

 

 

 

 どのような環境下であれ、いじめというのは改善が必要な問題かと思います。

 

 

 

 日照時間等の環境は自然のことなので操作できませんが、人間の性質について学び、各々気を付けることは可能なはずです。

 

 

 これだけ長い期間に渡っていじめの注意喚起をしても尚、建前だけで一向に大人も子供もいじめが減らないのは、人間という生物そのものの欠陥でもあると思います。

 

 

 

 よく、人間には「理性」があると言う人居ますし、自分には高い理性があるものだと自己評価されている方も多いです。

 

 

 

 もし「理性」なんてものを本当に持ち合わせているのならば、是非その「理性」によりいじめやモラハラを自制をしていただきたいところですね。

 

 

 

↓ 参考 こんな本もあります ↓

 

死ぬと優しくなる現象

 

 

 拳を振るわれるよりはマシなのかもしれないですが、いじめ殺すというのだって相当に悪質なことだと思います。

 

 

 

 それでいて、いじめの対象者が本当に死んでしまった際いじめていた当事者のくせに「なにも死ななくてもいいのに」とか「死ぬほど悩んでいるなら相談してほしかった」とか言い始める人、居ますよね。

 

 

 

 この、叩いたりいじめたりした相手が死なないと優しくならない現象、なにか名前があったりするのでしょうか。

 

 

 

 いじめ対象者が死んでもなお、対象者を追い詰めていたのが自分自身だったかもしれないとは、認識出来ませんかね。

 

 

 

 また、勿論全員に当てはまるわけではありませんが、日本人は、相手の足を引っ張りたがる等のスパイト行動をする人の割合が他国より相当高いらしいです。

 

 

 

 そういった陰湿気質に関しては、ある程度、遺伝子レベルのことなのかもしれないです。

 

 

 

 一例を挙げると、ゲームのレビュー等で、日本人は他国ユーザーより、ゲームの良いところを書くよりも批判的な内容のみを長々と書く人が多すぎて、日本人にだけレビュー欄を閉じてるサイトもあるそうです。

 

 

努力で直らない

 

 

 いつも通り話が逸れましたので戻します。

 

 

 私の悩みは、学生時代の自助努力によりどうこうできるというものが少なかったので、悩んでも努力しても、根本的な解決には結びつかないのが、本当にもどかしくつらかったです。

 

 

 

 結局、誰になんて言われようと、堂々としてるのが一番なんですけどね照れ

 

 

 

 でもそれは、今だから言えることだったり、他人だから言えることなんです。

 

 

 

 

 すべては気の持ちようだよ!

 気にしても仕方ないよ!

 だなんて、言うは易しです

 

 

 

 

 

 実際に後ろ指をさされたら、特に子供時代なんて、そう簡単に割り切れるものではありません。

 

 

 

 今でも、昔ほどではありませんが、人と会話をしていてあごに視線がいくと、あごを隠したくなる衝動にかられます。

 

 

 

 身の周りにつらそうな方がいたら、仮にその人が、周りから過度に冷たくされてしまう程に素行が悪いわけではないのならばどうかほんの少しでも優しく接してあげてほしいです。

 

 

何かに悩む人へ

 

 

 弱い立場の人間ほど、なにか悩んでいることがあるのならば、それを誰かと共有することも大事だと思います。

 

 

 解決に至るわけでなくとも、せめてガス抜きにでもなればいいですよね。

 

 

 当時の私の場合は、下手な羞恥心で相談をろくにしておりませんでしたが、やはり悩みをちゃんと口に出すのと、無理矢理に自己解決をするのとでは、気持ちが大きく違うと思います。

 

 

 

 他人から、自分自身の悩みを大したことない問題だと判断されたとしても、そんなことは全然重要ではありません。

 

 

 

 他人にはどれだけくだらなそうに見えたことであったとしても、当人にとって大きな悩みであるならば、それは紛れもなく大問題なんです。

 

 

 

 日常を過ごす中で、大なり小なりろくでもないイベントはどうしても起こります。

 

 

 現在進行形で何かに悩まれてる人は、お互い乗り越えていければいいですねニコ

 

 

 

↓ 「生き心地」大事だと思います