私は、最近、新聞やテレビを観ていても、知人と話していても、いつも「いい話はないか?」と探しています。ブログフレンドのみなさんに「心温まる話」「心をうつ話」を紹介したいからです。「しんぶん赤旗」を読んでいると、「オッ!」というような記事を見つけることが、時々あります。きょうは、「ひと」欄に載った『おばあちゃんの初恋物語』=中村登美枝(85)著:を紹介します。

【「しんぶん赤旗」8月30日付】
66年前、終戦後に両親を失い孤児に。朝鮮半島から引き揚げた体験です。『おばあちゃんの初恋物語』が日本自分史大賞「昭和の記録賞」を受賞しました。10月には横浜市内で舞台化されます。

当時19歳。朝鮮半島北部の街、「慶興」で青春を謳歌していました。スズランの咲く丘で結婚を誓った初恋は、今でも鮮やかに心に浮かびます。1945年8月9日、ソ連軍の侵攻で運命は一変しました。両親と弟の4人で線路沿えたいに南下する逃避行。父と母を興南の避難民収容所で亡くし、「私もこのまま死にたい」と泣きました。

生きる支えになったのは恋人の言葉です。「『どんな事があっても、生きて内地に帰れよ』と手を握って言われました」。38度戦をめざし、孤児12人とともに歩きました。福岡・博多港に着いたのは1946年6月でした。親類を頼って広島へ。その後、結婚し、夫の転勤で東京に移りました。

シベリアに抑留された恋人とは、2003年に再開できました。互いの人生を涙ながらに語り合いました。父の生家から6歳の頃の写真が見つかり、カラーにして飾っています。日本に持って帰れたのは、父の預金通帳と先祖の名前を書いた過去帳だけです。

「東日本大震災で何もかも失った子どもたちに、私の引き揚げ体験を重ねます。苦難のときには助け合い、強く生きてほしいですね」・・・。<記事全文>

【松下ゆたかのコメント】
・私の見ている「赤旗」の「ひと欄に写っている中村登美枝さんは、とても85歳と見えません。若々しく、美人です。終戦直前のソ連軍の侵攻によって、命からがらの逃避行の途中で、両親を亡くし、初恋の人とも生き別れた体験は悲劇です。よく、生きて帰国できたものです。ソ連の侵攻は、スターリンの領土的野心のもとに強行されたものですが、多くの日本兵がシベリアに抑留され、亡くなった人も数知れずです。戦争で私は”九死に一生”を得ました。戦争の体験を多くの若い人に伝えていきたいと思います。