ウクライナへのロシアの侵攻(侵略といってもいいと思うが…)が始まってから2年半以上が経過している。
日本では、『ウクライナはやり過ぎだ』というような声が何となく、聞こえてきそうな報道、というか空気感が、広がっているように感じる。
もともと、『反戦派』と称する人々(端的には、『憲法第9条改正反対』を信条とするらしい人々)が、日本の報道のなかに一定の比率を占めているせいもあるのかもしれない。
特に、最近、ウクライナ軍があえて、『ロシア領内』というか『ロシアの支配地域内』に侵攻して、そこから(例えば)モスクワなどロシアの中心部に対する(種々の)武装攻撃を仕掛けている。
それに対して、『そんなことをやれば、ロシアを硬化させるだけ』『停戦(終戦)がますます遅くなってしまう』あるいは『ロシアが核兵器を使用するように仕向けているようなものだ』などの批判をする人々がいるようだ。
しかも、そのような攻撃も必ずしも効果をあげていないとの話も聞こえてくる。
それでは、ウクライナはどうすれば良いのか?
ロシアに蹂躙されるのをあえて『耐えろ』というのか?
この辺に対する回答は(どうやら)ないようである。
それに、いくら『日本国憲法第9条の論理』を宣伝したところで、(私自身は)あれは、第二次世界大戦(あるいは太平洋戦争、人によっては『大東亜戦争』という呼び名を好むのであろう)が、極東地域において、『日本の敗戦』で終結するという『特殊な状況』で成立し得た『憲法』だという気がしてならない。
実際、それが誕生した時点で既に、日本の周辺でも、アメリカ、ソ連、毛沢東、蒋介石、金日成、あるいは『韓国』につながる勢力などが、相互に戦い、けん制し合っていたのだろう。
『日本国憲法第9条』が果たして、諸列強に対して適用しうるような『普遍的な論理』なのかどうか、私には疑問である。
つまり、『日本国憲法第9条の論理』は、ロシアに対して効果を発揮しないし、逆に、『第9条の論理』があるから、ウクライナがロシアに対して反撃できない(とか『すべきでない』)というようなことを主張したら、ロシアのプーチン大統領の主張のほうが、今後、通用してしまうことにもなりかねない。
まあ、こんなことを書いていると話が広がりすぎるが、実は、私自身ウクライナの現状について、あまりにも知らないことが多すぎる(パレスティナとか、イスラエル、イラン等の状況については、さらに『知らない』のだが…)もので、何か、この映画を見れば、わかることがあるかもしれないということで、8月23日(今から10日ほど前になる)夜、『マリウポリの20日間』というドキュメンタリー映画を、新百合ヶ丘の川崎市アートセンターに出掛けて見てきた。
実をいうと、この日が、上映の最終日であった。
(なかなか行く踏ん切りがつかなかったもので、遅くなってしまった。)
この場所は、『新百合映画祭』という地域の映画祭が実施される際に、時々出掛ける場所である。
それで(新百合映画祭というのは、だいたい、10月とか11月に実施されるものなので)久しぶりにここまで出掛けた。
この映画、見た時には衝撃を受けたのだが、実をいうとよく覚えていない。
また、『パンフレット』など特に買わなかった(いつも、パンフレットを買うとそれで、中身が分かった気になってしまう傾向もあるもので、今回は、意図的に買わなかったという側面もある)。
それで、映画のチラシや、ネットの記事などを見て、見た内容を『再構成』しようとするのだが、どうもうまく行かない。
それは、私が、高齢化でぼけてしまっている面もあるが、それだけではないようだ。
この映画は、今年の第96回アカデミー賞授賞式(『ゴジラ-1.0』が視聴効果賞を受賞、また『君たちはどう生きるか』や『パーフェクトデイズ』なども受賞したりしたので、『日本映画界』が何となく喜びにあふれた授賞式だった)で、ウクライナ映画史上初めて、アカデミー賞(長編ドキュメンタリー賞)を受賞
した映画だということである。
しかし、ネットの記事によると壇上に上がった人々の表情は決して喜んでいなかったと書かれていた。
(私も、その授賞式は、『WOWOW』の生中継で見ていたし、何度か同じ場面を繰り返し見たりしたのだが、詳細はあまり覚えていない。映画『オッペンハイマー』がどのように遇されるか、あるいはまた見ていなかった、映画『オッペンハイマー』がどういう映画なのかのほうに、気をとられていたせいかもしれない。)
ともなく、ウクライナのスタッフが喜ぶことができなかったのに、それなりの理由がある。
この映画は、ロシアがウクライナに侵攻した最初の20日間を描いている。
2022年2月、ロシアはマリウポリへの侵攻を開始。ミスティスラフ・チェルノフ監督は、(おそらく)少数のスタッフとともに現地に向かった。
突然のロシアの侵攻に、人々はパニックに陥る。
それに対して、着のみ着のまま、半狂乱になって路上をさまよっていた老女に対して、監督は、『自宅に戻りなさい』『ロシア軍は民間人は攻撃しないと言っている。ここより自宅のほうが安全だ』などとアドバイスする。
しかし、その後、(たしか負傷して)病院に運び込まれてきた同じ老女に対して、監督はわびることになる。
なぜなら、ロシア軍は、民間人であろうとなかろうと、むしろパニックをあえて起こさせるのが狙いといわんばかりに、爆撃や銃撃を加えていた。
大勢の民間人が亡くなった。
この映画の特徴は、カメラの視線が、『神の眼』の視線ではないことだ。
地べたをはいつくばっている。
カメラマン、あるいは監督(はっきり覚えていないが、ほとんどカメラマンと監督は、一体化していたようにも思える。監督自身が手持ちのカメラで撮影している場面も多かった)は、自分たちがいつ攻撃を受けるか、あるいはどこが安全なのか、全く把握していない。
泣き叫ぶ子供。
あるいは、吹き飛ばされる女性、老人、子供。
ロシア軍は、容赦ない攻撃を仕掛けてくる。
その結果、最初の数日間で、マリウポリの住民43万人のうち、約4分の1が避難した。
戦争が近づいていると理解していた人は、ごくわずか。
大部分の人が取り残され、気づいた時は手遅れだったという。
この映画が、映し出しているのは、最初の20日間だけである。
というのは、監督たちとしては、自分たちがカメラにおさめた『真実の映像』を世界に発信したい。
それを見れば、『ロシア軍が、いかにパニックを醸成しようとして、滅茶苦茶な攻撃を仕掛けているか』が
容易に理解できる。
しかし、ネットの通信ができる設備はほとんど破壊されていて、マリウポリ市内からは、監督たちが撮った映像のほんの一部しか、外の世界に対して発信することができなかった。
そのような映像の一部が、これだ。
これは、産院の病棟が砲撃され、危険になったために、緊急に妊婦(出産途中の女性である)を運び出して退避させているシーン。
NHKのBSで放送された番組中でも、このシーンは取り上げられていた。
しかも、その一部の映像(ロシア軍が、民間人に対して攻撃し、また病院や産院なども攻撃の対象としていたことがわかる)に対しても、ロシア政府は、『フェイク映像だ』、『この病院は、いまでも立派に機能しており、ロシア軍が破壊したなどということはありえない』などと主張する映像を、わざわざ用意してまで(どこか別の病院で、撮影したものなのだろう)反論していた。
これに対して、さらに詳しく反論し、ロシア軍の暴虐を伝えることが、監督たちに求められていた。
そのため、マリウポリから赤十字の関係者などがまとまった退避する瞬間をとらえて、監督たちも逃げざるを得なかった。
そのとき、監督たちは、ある種の『戦友』という仲間意識で結ばれた、医師とか看護師たちと別れを告げねばならなかった。当然、『生きて再び会うことは出来ないだろう』というような別れである。
こうした姿を描いているのだが、これを見ていると、戦争というのは、『自分が現にいる小さなスポットのことしかわからないのだな』という思いが募る。
なんとも重たい映画である。
しかも、この映画が映し出したのは、たった20日間だけ。
実際には、既に2年半以上、900日以上が経過している。
(つづく)