3日に投開票が行われた、アメリカの中間選挙。

あっという間に、勝敗が決したのには、びっくりした。

 

下院、上院ともに、民主党が多数派を獲得し、共和党は大敗北を喫した。

 

どうやら、アメリカの時間でも、投票日翌日(4日)の深夜12時過ぎにか、遅くとも夜中の1時過ぎには、『上下両院で、民主党が勝利』という態勢が判明していたらしい。

 

特に、テキサス州などで、上下両院だけでなく、州知事選でも民主党が勝利という、『完勝』を遂げたらしく、信じられないような気もする。

 

(01)民主党勝利を伝えるニュース

 

『選挙』というのは、やはり、『勢い』というものが大事で、アメリカでは時差があって、早い時間に投票が終了し、開票が続いている地域の『開票動向』あるいは『出口調査』みたいな結果が、次々と報道されているなかを、中部や西部の地域では投票していくのであろう。

 

そういう場合、後に投票する地域では、『より勢いに乗りやすい』ということは、やはり、あるのではなかろうか。

 

それに今回の結果は、いかに、『トランプ大統領のふるまい』が多くのアメリカ国民に、『嫌われているか』『うんざり感を持って、見られているか』を明らかにしたように思う。

 

トランプ自身は、ここまで負けるとは思っていなかったのだろうが、実際は、いわゆる『MAGA』派とか、これまでトランプ陣営に投票してきた人々の間でも、『トランプ関税』によって、自分自身の商売とか、生活にとって、『良いこと』がなかったり、『戦争をやらない』と言っていたくせに、『弾丸が不足して、戦争が円滑に続けられない』くらい、『新たな戦争をおっぱじめてしまったり』、トランプが言ってきたことと、やっていることとの矛盾、そして『自己陶酔的な演説』ばかり行っていることに対するフラストレーションは、『トランプ支持者であった人たちの間』にも急速に広がっていたことを、示しているように思う。

 

その結果、トランプ陣営は、テキサスでも負けたし、また、バンス副大統領に出身地であったはずの、オハイオ州でも敗北した。

 

だが、今後、どうなるかは、予断を許さない。

トランプというのは、『反省』などすることのない人物のようだし、『最後に勝てば、それまでの負けは取り返せる』というような発想で、『不動産事業』を中心にして財をなしてきた人間でもある。

 

彼は、死ぬまで、あるいは少なくとも、次の大統領選において、『トランプ路線の後継者』であるはずの政治家が、『大敗する』か、『すべての有力政治家が、トランプを歴史の記憶から消し去ろうというような人物ばかりになる』までは、『復讐心』を抱えて、『不屈』かつ『無反省』に戦い続けるだろうというような気がする。

 

(もっとも、本当の彼自身の『性格』から言うと)実際は、『自分のやるべきことについて<信念>も<確信>も、持ちえない<空っぽの人物>』のような気がしないこともない。

そうであれば、どこかのタイミングで、急に『悪霊』にとりつかれていたのが、それが『立ち去り』、『一挙に、老けてしまって、90歳くらいの老人の状態』になってしまうことも考えられなくもない。

 

だが、それは、単なる私の願望に過ぎない可能性のほうが大だろう。

 

だから、彼は、『あらゆる手段』を尽くして戦い続けるという予測をもったほうが、良さそうな気がする。

 

それに、今夜、『トランプが負けたこと』で喝采を叫んでいる人たちも、実際はその立場は多様である。

 

特に、『民主党』は内部がバラバラで、なかには、あの『バイデン元大統領夫妻』のように、政治家生活の中で、『上流階級の一員』に上り詰めた自分たちが、『エリート』また『インテリ?の一員』として、『豊かな生活をエンジョイするのは当然だと考えて、そもそも、どうして『トランプが、一時期、人気を博したのか』がいまだに理解できない人たちもいるようである。

 

もしかしたら、『おおかたの共和党員』よりも、『今回のトランプ敗北の要因』を理解できていないような、『民主党の政治家たち』もいまだにいるのかもしれない。

 

そうしたことを考えると、今回の『共和党』の敗北は、やはり、『地方選挙特有』のさまざまな事情が、積み重なって『出された結果』であるのかもしれない。

 

まだまだ、『トランプ政治は終わった』と思って、『万歳』を叫ぶのは、早すぎるような気もする。

(それに、日本の政治状況は、むしろ『アメリカより、はるかに悪い』という気もする。

つい、この間まで、『トランプ大統領』を『トランプ』などと呼び捨てするのは、『大変、失礼なことであり、そのような言い方はすべきでない』というような、妙な風潮が、日本国内でどんどん拡大していたのは、『事実』なのだから……。)

 

でも、私の本音は、トランプに対して、『ザマーミロ』と叫びたいということもまた、事実である。

(いつまでも、『独裁者のように君臨し続けられると思うなよ』、『選挙制度』のない国であれば、トランプのような人物など、とっくに、『逆さ吊り』にされていたとしても、全くおかしくないのだから…。)

 

痛快というかなんというか…。

驚くべき本を見つけてしまった。

 

私が、川崎市立中原図書館(武蔵小杉の『川崎市民アカデミー』という、いわば『老人大学』みたいなものにしょっちゅう、出掛けているので、最寄りの図書館になる)でみつけた本である。

 

中野正夫という著者が、2008年にバジリコ株式会社という(私にとっては)聞いたことのない出版社から、刊行したものに加筆訂正したのだという。

 

私が借りた本は、ちくま文庫から2011年に出されたものである。

恐らく、最初の本が、予想外?にかなり売れたのであろう。

 

3年弱で、『ミニ出版社の本』から、『ちくま文庫』本の一冊へと、出版物としては『出世?』してしまった。

(もしかしたら、『筑摩書房』という、何となく、経営基盤が安定しない出版社というイメージが付きまとう出版社が、『早く現金化したい?』との思いで、放った『打ち上げ花火』のような本だったのかもしれないが…。)

 

(02)著者近影(表紙裏から)

著者の写真と略歴が、『表紙裏』?に掲載されている。

 

それで見ると、著者『中野正夫』(書かれている内容から考えると、ペンネームで本名とは異なっている可能性もある)は、『1948年東京生まれ』とのこと。

 

その後、ネットで詳しく調べると、私自身と、誕生日が非常に近い。もちろん、『同学年』ということになる。

この人、果たして、まだ生きているのだろうか?

 

(03)裏表紙の紹介

『1967年から6年間、著者は末端活動家として常に現場にいた。それは、羽田闘争から東大安田講堂の攻防、三里塚闘争を経て連合赤軍のリンチ殺人事件まで、日本中が『熱く、激しく、燃えた』季節だった。

 

うなる警棒、飛び交うガス弾、絡み合うゲバ棒に囲まれる日常。そして革命幻想と現実の間で揺れる心理、“塀の中”の体験など、疾風怒濤の時代の極私的ドキュメント。

解説 鴻上尚史』

 

などとと書かれているが、これもどちらかというと決まりきった文章という感じ。

 

この本の内容は、それにとどまるものではない。

 

 

暴力をふるって楽しかった?経験、女性たちとの“下半身”物語、『べ平連』から、(彼らが勝手にでっち上げた)高校生反戦闘争委員会、そして、神田錦町の生まれで、オヤジは、地元の小さなオフセット印刷工場の職工あがりだったという、『地の利?』を活かして、日大闘争や東大闘争の現場にしょっちゅう、出掛けていた著者の、

“日大闘争”と“東大闘争”、そして両全共闘の『比較論』など興味深い、『体験談』がつぎつぎと語られている。

(彼は明らかに、『日大闘争』をひいきしている。

『東大闘争』については、『暴れる場』、『アピールする舞台』としては意識しているが、その共感度合いは、『日大闘争』のほうが、はるかに上であることは明らかである。)

 

このようなことが書けるのは、一つは、著者の資質もあるのだろう。

 

この人は、まず、運動神経が極めて敏捷のようで(これは、わたくし自身と全くの逆なのだが)、『逃げ足』も速いし、機動隊とか『右翼、暴力団』(特に『日大闘争』では彼らが、露骨に表に出てきて、『古田体制』を守るために、日本刀などをふるっていたという)に対する、『投石能力』もすぐれていたようだ。

(もちろん、『神田』で育ったので、『地元の地理』をよく知っているという強みもあったのだろうが…。)

 

そのため、各地の現場闘争に参加し、結構、やばい状況になっていても、警察にもつかまらず、また、他党派とか『各種の敵』に、半死とかそれ以上に、ひどい目にあわされることもなく、『激動の6年間』(1967年からの6年)を過ごしていた。

 

その間、『べ平連』(“ベトナムに平和を!市民連合”、作家の小田実を看板に結成された、ただし、この本にも書かれているが、実務は、『共産主義労働者党』=略称、『共労党』、ただし周りでは、皮肉って、『狂狼党』などと呼んでいたと記憶する=に所属する、事務局長の『吉川勇一』などが取り仕切っていたらしい。

 

また、それを取り巻くように、『共労党』の『いいだもも』、『武藤一羊』、『白川真澄』などの有名人がいたので、『べ平連』自体、必ずしも“ノンセクト”の集団とか、『市民の集団』とはみなされていなかったような印象だ。

 

いろいろ、余分なことを書きたくなってしまうが、これを読んでいると、著者は、『感覚だけの人間』、いわゆる『単ゲバ

の人』という印象も受けてしまうが、そうでもない。

 

たくさん本を読んでいたり(ただし、のちに、起訴されて、裁判になり、その期間中にたくさんの本を読んだらしくて、そこで、得た知識も含まれていると思うが…)、あるいは、いつからか、彼は極めて詳細な『日記』をつけていたようで、それらがもとになって、『どういう活動をしていたのか』とか、『どういう論争があったのか』、ひいては、『どういう取り調べがなされたのか』などを赤裸々に描いているのだ。

 

例をあげると、彼は、『物覚え』が付く前から、子供のいなかった中野家に『養子』としてもらわれてきた(『姉』も養女だった)というのであるが、のちに、警察だったか、検察だったか忘れたが、『姑息にも戸籍から調べあげ、生みの母親一家がどこで何している、兄弟は優秀で国立大学出て就職してがんばっている、会いたければ会わせるぞ、などといって吐かせようとしてきた』、『しかし私が知らん顔をしていたら、最後にはあきらめてその話はしなくなった』などと書いている。

 

こういうのは、現在であれば、『取り調べ上、問題となりうる余地もあるだろうけど』何せ、『昭和の時代』のことである(もっとも、1972年=昭和47年に逮捕されたというので、せいぜい、54年くらい前の話に過ぎないが…)。

 

それに、この時は、この程度で終わったが、著者は、その後、『犯人蔵匿』つまり、『爆発物取締罰則違反』で手配中の『矢萩孝子』を北千住のアジトのかくまったという容疑で、『起訴』されることになる。

(これなど、かなりの『拡大解釈』とも感じる。)

 

しかも、『10万円の保釈金』(『弁護士保証の10万円』を差し引いた残りの金額)を工面することができないで、その後、6年間も『拘置所』にいたらしい。

 

もっとも、それは、その間ずっとではなく、途中、『自由?』になれた期間もあったらしいが…。

 

面白いのは、著者が、この『長期の拘束期間』を逆手にとって、『ゲバルト時代』の『1967~73年』の記憶を呼び戻し、さまざまな記録と組み合わせながら、この『極私的ドキュメント』にまとめるきっかけとしているという点である。

 

この当初は、『ものすごく、感覚的で、肉体派』と思えた人物がここでは、『あの時代』を社会全体のなかで、浮き彫りにしようとしている点が、意外でもあり、『脅威』とも感じた。

 

それで、あまりにも『面白い』ので、何か『続編を書いてないのか』と調べてみたが、どうやら、書いていないようである。

 

それだけでなく、この人、まだ生きているのだろうか?と思って、調べてみても、よくわからない。

 

もしかしたら、『若いころ、滅茶苦茶なことをやっている』し、すでに身体を壊して亡くなっている可能性もあると思う。

 

それだけでなく、この本は、いろんな『身の回り』の人物について、当然、『仮名=変名』にしてではあろうが、ものすごく、詳しく記しているので、なかには、『俺のことを勝手に、プライバシーを侵害して、印税をかせぎやがった』『どうしてくれるんだ』と怒っている人間も、一人や二人ではすまないような気もする。

 

それだけでなく、『ブント(社学同とか共産主義者同盟とかよばれていた)』系が中心だが、それだけでなく、『社青同=革労協』関係、あるいは、著者が一時期、所属していたらしい『赤軍派』とか、『共産同RG派』の関係者なども、著者に対して恨みを感じている人間(あるいは、そういう情報をもとに、『ベストセラー』みたいな本で稼ぐとは、『許せない』と感じている人間)などどれだけいるのかもわからない。

 

そういうことを考えると、著者が、『続編を書くのをやめた?理由』などいくらでも、ありそうだ。

 

それで、『続編を探すのは、とりあえず、やめた』が、それにしても、これだけ、『下半身のこと』、『セクトの対立話』とか、『セクトの中で、威張っている人間のむなしさ』、あるいは、『内ゲバなどで殺された人々の怨念』などを、生々しく書いている、その力量には、感心させられた。

 

もちろん、『女性の側』とか『フェミニストの視点』などで見ると、『馬鹿な、昭和の男の視点で書かれた限界』というのも、たくさんあるだろうとは思う。

 

しかしながら、『50年前の一つの現実』であったことはたしかだし、これも、『同じ世代』とか、あるいは『東京周辺』という『ミクロの世界に共存』していた人々の間にしか、通じないことだらけだという気はするが、『面白い本』であったことは事実である。

 

昨日(10月18日)、投開票のあった横浜市長選挙。

 

『パワハラ』等ハラスメントの見本市のような様相を呈して、なおかつ(ご本人が、10数億円の支出を強いた)『出直し?選挙』に平然として、出馬した山中竹春市長。

 

この人は、もはや、『人格に欠陥がある?』レベルだと思われるが、こういう事態になっても、まだ『当選の可能性がある』と言われていた。

 

それでどうなるかと思っていたが、こういう結果になった。

(01)横浜市長選結果

 

山中が当選しなかったのは、やれやれという感じだが、それでも、19万票強をとって、14.3%の得票率で、3位につけている。

 

当選したのは、原沢あつみ氏(弁護士で、『何でも出来る』みたいなイメージをふりまいている女性。ただし、実態は、『専門性』が欠如した『便利屋』的な人のようだ)。

(02)原沢さん

 

この人に対しては、『軽い神輿ほどいい』という感じで、自民党などが乗っているのだろうという印象もある。

しかし、あまり、『何でもかんでも求める』というのは、選挙に対する『ないものねだり』なのかもしれない。

 

ともかく、『山中』でもないし、(参政党の)『福山あつし』でもない、ということで、(今回は)満足すべきなのかもしれない。

 

私はというと、これまで、いつも『よりマシ』なひとばかりに投票して、その結果、2021年には、(ほかならぬ)『山中推し』(IR=カジノに反対ということで)をしてしまったという反省があるので、今回は、少し違った観点で、投票してみたいと思った。

 

(03)山本さん

それで、ネット討論会の様子などを見てみると、ちょっと異色で、面白さを感じたのが、この建築家の山本理顕さん。

 

『地域社会圏』の再建(確立?)といったことを呼び掛けて、極めて異色な存在である。

(81歳で、立候補するというのも、無謀というか、異色であるが…。)

 

(04)選挙公報から

 

それで、選挙戦の最終日、桜木町まで出かけて、彼の選挙戦の模様を見学にいった。

 

実際に、彼が選挙戦をやっていたのは、東白楽(東横線)の

小さな駅のそばの狭い場所。

 

それを見たら(また、応援に来ている人たちの様子を見たら)、この人は、『建築界のノーベル賞?』=プリツカー賞の受賞者なのかもしれないが、はっきり言って、『社会的常識』にも『人生経験』にも欠ける老人が、『人生の最期に好き勝手なことをやっている』というイメージだということが感じられた。

(別に、そういうことをしてはいけない、ということではない。

自分の『時間』とか『カネ』を使っているだけなので…。

 

もっとも、『遺産が減ってしまう』と思うような『周囲の人』は愛想をつかしてしまう可能性はあるが…。)

 

(05)小林節さん

山本さんを見ていると、なんだか、昔、『憲法学者』で、『保守』の小林節さんが、2016年の参院選に、政治団体『国民怒りの声』を立ち上げて、いきなり比例代表で、立候補したときのことを思い出す。

 

あのときも、選挙の準備など、ほとんど『ゼロの状態』からの出発で、当然、『惨敗』に終わった。

 

考えてみると、そのとき、『候補者』となった人たちの大半は、その後も、『選挙があれば、立候補する』という『選挙中毒』みたいな人たちが多かった。

 

また、小林節さんも、当時、66歳くらいで、いわば『蹶起すべき時』という判断で、ああした行動に出たのだろうが、『実務』とか、『世の中のこと』にはうとい、学者さんだっったという記憶がある。

 

 

妙な話を思い出してしまったが、今回の山本理顕さんの運動も、もっと年齢は高い(81歳だから)し、もっと『孤立』した戦いのようにも感じた。

 

あまり、細かい話を書くと、『悪口』を書くようにも見えてしまうので、やめておくが、ともかく、当初、『東白楽』での選挙運動の後に、最後の、『東神奈川』かどこかでの選挙活動も見に行こうかと思ってたのだが、疲れてしまって、『東白楽』駅だけでやめることにした。

 

ただし、彼が『選挙公報』に書いていること、あるいは『ネットで公開されている討論会』で話していることなどは、それなりに面白い。

 

 

それにしても、ショックだったのは、昔、この『東白楽』の駅の近くの、『六角橋商店街』を訪れたことがあった(30年前くらいだったか?)が、今回、訪れてみると、すっかり商店街がさびれていたことである。

 

ただし、商店街の人たちは、いろいろ頑張っていて、裏の路地というか、横丁みたいなところにある、『飲み屋街』で定期的に『闇市』などと銘打って、イベントをやっているようだった。

 

そこには、『昔の飲み屋街』を懐かしむ人、あるいは若者で、そういうものに『あこがれる人たち』が集まって、相当、懐具合は厳しそうだが、それなりに、『人気』を呼んでいるようだった。

 

残念なのは、どうも、山本理顕さんご本人は、こうした動きを知らないか、少なくとも、全く『連動していない』らしいということだった。

 

私は、ともかく、『プリツカー賞=建築界のノーベル賞』の権威などで、『山本さんへの投票を呼び掛ける』といった宣伝戦には全く、『賛成できない』という気分だったので、東白楽で『脱落』して、最後の『東神奈川?』での選挙活動まで行くのはやめた。

 

山本さんは、結局、7人中最下位で、獲得票数は、4万9000票あまりだったようだ。

 

共産党公認の『あさか由香』さんが、びりから2位(の6位)だった=それでも、8万9000票とっているが=のは、共産党内の事情は良く知らないが、あるいは、『シン・日本共産党宣言』(松竹伸幸著)などに見られるような、共産党内部の対立が、横浜においても存在するということなのかもしれない。

(なお、私は、松竹伸幸氏の『裁判』も『活動』も全く評価していないのだけど…。)

 

普通、『共産党系』とされる人たちは、自分たちが、『勝利の可能性がある』と思うと、すごく頑張るが、『そういう可能性が、ほとんどない』と割り切ると、『共産党系候補の獲得票』は、ものすごく少なくなってしまう、そういう傾向があると私は見ている。

 

長々と書いてしまったが、今回、まあ、山中を追放し、参政党系の候補にも、『当選させなかった』というのは、『比較的マシな状態』と言えるのだと思う。

(今後、山中氏は、どういう人生をたどるのだろうか…?)

 

 

『ウジェーヌ・ブーダン』って、どこのドイツ?と言いたいところだが…。

 

『印象派の先駆者』でなおかつ、『印象派などという、ケチな区分に、こだわらぬ、それを乗り越えた存在』、『生前は一部の人たちにしか知られず、死後に、詩人や芸術家たちが、<真の芸術家>とたたえた人』ということらしい。

 

ちなみに、1824年~1898年まで生きたフランス人である。

その『ブーダン』の展覧会が、甲府にある山梨県立美術館で開催されているというので、カミさんと一緒に出掛けた。

(10月8日だから、一週間前のことである。)

 

(01)ブーダン展のチラシ

 

この展覧会、当然のような話だが、東京でも前にやっていた(巡回している)。ところが、カミさんはその時は、気が付かず、なおかつ、『(実は)アタシはブーダンが好き…』だとかいうので、一緒に出掛けた。

(私は、『ブーダン』など聞いたこともなかった。)

 

(02)甲府の写真

 

甲府にまで出かけるのは、相当、久しぶりである(最後にいつ、行ったのかよく覚えていたい)。

 

特急の『かいじ?号』とかいうのに乗って、中央本線で出かけた。

甲府まではやたらに、トンネルが多い。

外の景色も、ほとんど、見るべきものがない。

 

昔よりは、早くなったのだろうが、何となく、さびれた路線という印象があった。

 

(03)甲府駅まで

そもそも、山梨県というのは、どちらかというと『経済の伸びなどのない』県なのだろうし、特に、甲府は、県庁所在地ということ(プラス、武田信玄という『遺産』)に寄りかかって存在している街のような印象を受けた。

(どんよりとした印象だった。)

 

実は、かなり若い年で亡くなった、カミさんの父親は、山梨の出身であったようで、その名前も山梨に多い苗字だった。

ただし、その父親は、『ネジか何か』のメーカーに勤めていたが、戦争から帰ってきたら、『人が変わったように、無口になっていた』という人で、私も、結婚が決まった後、間もなくして、その人は、『癌』であっという間に亡くなってしまったので、ほとんど、言葉を交わす機会がなかった。

 

(04)甲府駅の印象

駅に降り立つと、通常、地元の元気のいい企業とか、中心的な産業を代表するような看板が、そこらじゅうにあるのが普通だと思っていたが、甲府駅の近辺には、そういうものが見当たらなかった。

 

地元で、企業間のどのような競争・対立があるのか知らないが、この駅は、そのような『中心的な産業』などがなくて、むしろ、『役所』とか『官公庁』からの受注に依存しているような駅なのだろうと思った。

 

(05)道に迷ってしまった

甲府駅前から、バスに乗って、会場の山梨県立美術展を目指したのだが、乗り方がよくわからず、間違ったバスに乗ってしまった。

(だが、途中で、それに気が付くと、バスの運転手は、ただで、『乗換のバス』を案内してくれようとしたり、かなり、東京周辺のバスと比べると親切ではあった。)

 

結局、途中の何か所かで、どのように行けばよいのかと尋ねて、そのため、相当、歩いたりして(これは、運動不足解消になってよかったが…)、ようやく、予定よりだいぶ遅い、午後1時半くらいに、会場にたどりついた。

 

会場は案の定、おそらく、東京会場とくらべると、滅茶苦茶すいていて、ゆっくり絵を見ることが出来た。

 

(06)絵、自体は面白かった

ブーダンの絵、自体は面白かった。

特に、鉛筆などで、書かれたデッサンが、すごく迫力を感じた。

 

白黒で、光をとらえ、空とか、生命力、あるいは牛(彼は、牛が好きで、飼ったことのある経験もあったようだ)、帆船などを大づかみにとらえる、その『画力』(と言えば陳腐になってしまう)が、すごいものがあると感じた。

 

この時代、多くの画家たちが、『写真』というものの威力に対して、どう『対抗』するか、あるいはその『力を借りるか』、そのような選択に迫られていたようだが、彼は、『生命力』そのものを描くことで、その『二項対立』を乗り越えようとしていたようである。

 

ただし、この展示会の配列の仕方(彼の人生の流れに沿ってではなく、一部、テーマ別に陳列していたので、彼が死の直前にどのような境地に至っていたのか、それがつかみにくかった)については不満があった。

 

地方の展示会であるから、特にそうなのか、展示責任者に近い立場の女性が、『率直な感想』を聞いてきたので、それを口頭で伝えたら、『参考になりました。ありがとうございます』と言っていたので、まあ、『外交辞令』かもしれないが、そういうやり取りが出来るところが、『地方での展示』のよいところかもしれない、という気がした。

 

なお、『ミュージアムショップ』で絵のポストカードみたいなのを売っていたが、妙に画質が悪いものばかりで、カミさんも何も買わなかった。

(こういったものは、東京展では、『多少、マシなもの』を売っていたのかどうか、よくわからない。)

 

(07)ほうとう、馬刺しなど

絵を見たら、帰りに『ほうとう』を又食べてみたい(昔、ある種の出張みたいなので、行ったときはそういった余裕はなかったような気がする)とカミさんに伝えていた。

 

その結果、こんなものを食べられた。

馬刺しなどは、昔、熊本で食べたこともあったし、どちらかというと好物である。

 

帰りは新宿まで、また特急に乗ってもどったのだが、カミさんはその後、時刻表とか料金などを調べていて、八王子で下車して、横浜線で帰れば、時間も早く、料金も安かったはずだと、嘆いていた。

(次に行くときには、それにしたら…といったが、甲府に行くことは、あまりなさそうだろう。)

 

しかし、日帰りでもよいから、ちょっと遠出をするのは、面白いものである。

 

また、この旅行の結果、西村京太郎のトラベル・ミステリー小説を何だか、読みたくなってしまった。

(これは、最近、『東野圭吾』とか『松本清張』にはまってしまっているので、その『延長戦』みたいなものでもある。)

 

 

 

 

 

18日投開票の横浜市長選挙。

恐らく、横浜市民のほかは、あまり関心のない選挙ではなかろうかと思う。

 

地方選挙というのは、全国的な関心事になることはほとんどないので…。

 

私は、いちおう、横浜市内(青葉区)に住んでいるので、ややしつこい感もあるが、引き続きフォローしていきたい。

 

立候補しているのは、この7人。

昔は、立候補していてもほとんど選挙活動などしない候補も結構いたものだが、今回は、7人ともそれぞれ割合、『真面目?』に選挙活動をやっているという感じはしている。

 

(02)山中候補

そのなかで、傑作というか、一人で『不条理なパフォーマンス』を繰り返しているのが、前市長(というか、現職の市長)の山中さんである。

 

この人、街頭にたつが、『演説』をしていなかった。

ただ、頭をさげて、『おわび?』のお辞儀を繰り返す。

 

そして、多くの人々が、まるで、『バイキン』を見るように視線を合わせず、完全に無視するかのような様子でそばを通り過ぎていく。

 

こんな選挙活動は初めて見た。

前に選挙民に嫌われて、『前市長』ながら落選した、林文子さんのときですら、彼女は、『孤軍奮闘』の雰囲気漂う『たまプラーザ』(田園都市線)駅頭で、ひとり、演説を繰り返し、それだけでなく、駅のエリアにも入って、握手を求めたり、近隣の店舗等に挨拶をして回る活動をしていた。

(彼女は、基本的に、『気が強かった』し、自分のやっていることは、『間違っていない』という彼女なりの自信があったのだろう。)

(03)林文子さんの選挙

 

 

ところが、山中さんの場合は、『筋が通らない』。

『パワハラ』をやったことは認めていて、『市政を混乱させ、道半ばで辞したこと、心からお詫び申し上げます』『どのような批判も受け止めて参ります』などと『選挙公報』にも書いている。

 

その癖、『お約束した政策は、生活者目線を貫きやり抜く覚悟です』などというのだから、訳がわからない。

(04)選挙公報

 

 

本当に『パワハラが申し訳ない』というのであれば、立候補しなければ良いだけの話だ。また、『お約束した政策』が大事だというのであれば、『辞任』しなければ良かったということになる。

 

それなのに、中途半端に辞任して、再び、『立候補』、その結果、10数億円以上の税を浪費して、二年連続の『市長選挙』を実施させるというのだから、恐れ入る。

それに、仮に、山中氏が当選した場合、『任期は、前回の残りの3年間』のために、また3年後には、『市長選挙』をやらざるを得ないというのだから、あきれはてる。

 

そして、これは『選挙戦術』なのであろうが、今回、山中氏は、街頭演説を行わない。

(仮に、やったのであれば、ヤジでも飛ばそうと思っていたのだが…。)

 

そして、人々は、おおむね、彼を『バイキン扱い』して、『見ないふり』をして、通り過ぎていく。

 

それでは、この人は『完全に落選』するかといえば、そうでもないらしい。

『医師会の一部』と、『山下ふ頭の港湾関係者(ハマのドンと言われた、藤木幸夫を筆頭格の連中)』は相変わらず、支援しているようである。

(05)ハマのドン

 

それに、高齢者の一部に、『反省しているならいいんじゃないか?』とかいう、訳の分からぬ反応を示す人たちもいるようである。

いずれにしても、7人の候補者のなかで、最も有名な人物であることは間違いがなく、『再選の芽』が完全に消えているわけではない。

 

(06)原沢候補

残る6人の候補者の中で、当初、最有力とされていたらしいのは、『自民』『維新の会』『公明党』『国民民主党』などからの『応援』を得ている原沢さんである、ようだ。

 

しかし、この人は、弁護士とか、いろんな会社の社外取締役・社外監査役など務めて、『何でも出来る』かのようなイメージを振りまいていたが、その後の評判を聞き、また、『ネットの候補者討論会』などを見た限りでは、実は、『専門性が欠如』し、にわか勉強で、『政策を論じている』ことがミエミエの『困ったお人』のようである。

 

実際、たまプラーザ駅頭にも来たので、多少、演説らしきものを聞いたが、(そもそも、声をつぶしたとかいって、何を言っているのか、よく聞き取れなかったが)ほとんど、『筋道だって、政策や公約を語ることの出来ない、素人』だということは把握?できた。

 

彼女は、『自民党』をはじめ、担いでいる人々にとっては都合の良い『軽い神輿』であろうが、『独自性』『主体性』などはなさそうな人みたいだ。

(もちろん、山中を再選させないためには、『彼女で我慢する』という選択肢も『アリ』かもしれない。)

 

こうしたことが、徐々にバレてきたせいもあって、『山中氏が落選するかどうか』『ポスト山中で誰が、最有力か?』は、不透明のようだ。

 

実は、『ネット討論会』などで、それぞれの話を聞いていると、一番高齢者である、『山本理顕』さんという、建築家(プリツカー賞受賞というから、この世界では有名人のようだ)は、結構、面白い主張をしている。

(ただし、『理想主義的すぎる』という感もある。)

(07)山本理顕候補

 

それに、彼は、山中のパワハラに心底怒っているし、この間の横浜の行政の『思想』についても批判を加えている。

 

これまで、私は、『当選可能性』なども考慮して、投票していたが、こういう『不透明』な選挙であれば、いっそ、『考え方が、自分と合致している人』という基準で、『好き勝手な一票』を投じることもありかな、という気もしている。

 

いずれにしても、基本的に、『期日前投票』はしないつもりなので、もうちょっと、考えてみたい。

 

同じようなことばかり書いていて、恐縮だが…。

ともかく、信じられないようなことが、『公平』『中立』な選挙という隠れ蓑のもとで、まかり通っている。

 

(01)ポスター掲示板

長い間、何も貼られないままに放置されていた、市長選の掲示板にようやく、ポスターが貼られるようになった。

 

というのも、昨日(10月4日)、ようやく横浜市長選の告示が行われたからだ。

 

立候補したのは、この7名。

その他、『差別バラマキ』を公言していた、1名の人物は、結局、『立候補届』を出さなかったようである。

 

それでも、『フザケルナ』という思いを禁じ得ない。

というのは、そもそも、現職市長でありながら、『各種のハラスメント』が暴露され、その責任を感じて、『辞任』したはずの山中竹春市長が、再び『立候補』しているからだ。

 

この選挙には、他に、国政選挙とかなども同時に実際されない、ほぼ『単独選挙』であるために、〇〇億円の追加費用が発生すると言われている。

それなのに、山中氏は、平然と『立候補』している。

(02)山中氏

 

 

自分が、もともと、『無実』だとか、『冤罪?』であるというならば、『辞職』などしなければ良かっただけの話である。

それなのに、いったん『辞職』し、今度は、『この度は申し訳ございませんでした』と謝罪して見せ、その直後に、『反省を言葉だけで表すのではなく、自身の行動を改める。その姿勢を示し続ける』『5年間続けてきた政策を今後も続けなければいけないと思い、立候補した』。

そのような演説を続けているようである。

 

ただし、私自身は、彼が演説をしている場面に巡りあわせたら、それをじっくりと聞き、ついでに、ヤジを飛ばしてやりたいくらいに思っているが、まだそういった場面に出くわしていない。

 

どうも、その選挙日程を見ると、それほどフルに日程を入れているような印象もない。

あるいは、彼の支持団体(山下ふ頭の関係者、港湾業者、横浜港湾協会、藤木幸夫=ハマのドン=とも呼ばれる、それに医師会の一部など)の関係で、『一生懸命に選挙戦を戦った』『市民からも、一定の支持を受けた』という形をなんとかして整えないと、今後に向けて『具合が悪い』という事情か何かあるのだろうか?

 

良くわからないし、納得もできない。

ただし、日本の選挙習慣というのは、本当に、相当、『変である』ことは間違いがない。

 

恐らく、今後、テレビや新聞でも、これまで以上に、『各候補者の主張や言動』について、報道しない(できない?)はずである。

 

だから、なかには、山中氏について『反省しているのだから、もう、許してやってもいいのではないか』とか、『いつまでも過去のことを言っていても生産的ではない』などと、思っている有権者もいるようではある。

 

私から見れば、彼の『パワハラ』体質は根っからのもので、かなり『病理的な現象』だから、(いい歳をして)そう簡単に『修正ができる』ようなものには、全く思えない。

このような、『人物』は、公的な仕事はさせるべきではないと考えている。

 

だが実際は、厚かましくも、『税金』を浪費して、『無駄な市長選』をやっている。

しかも、いわゆる『反山中』の統一候補が出来ているわけではないので、下手をすれば、票が分散して、『再び山中が当選する』という『悪夢の可能性』もゼロではない、と思っている。

 

(03)福山敦士候補

それに対立候補のなかでも、例えば、『福山敦士』候補などは、『参政党』に応援されていて、そのせいか、自分自身を『弱い者、虐げられた者』の代表であるかのようなイメージを、(以前、立候補したときより)さらに強調したストーリーを語っているようだ(これは、ネット配信を見て知ったのだが…)。

 

また、ヘアスタイルとか、キャラクターづくりも、その辺を強調して、前回の『IT企業のビジネスマン』的なイメージから、より、『弱者を代表して、大逆転のサクセスストーリーの主人公』的なイメージへと転換することを狙っているような気がする。

 

彼の選挙戦を見ると、『参政党』の『底の浅さ』と逆に、『大ブームを起こしかねない不気味さ』の両方を感じてしまう。

 

山中の当選は、『ない』と思うが、このような人物が、ノコノコ再び、『立候補してくる』のをあっさり認めてしまう、この国の『民主主義』の底の浅さを痛感させられる。

 

むしろ、『選挙活動』そのもので言えば、アメリカの上院選、下院選などで、各地で、『右』『左』を問わず、『草の根選挙』が実施されて、『各家庭を訪問しての、説得活動』あるいは、地域ごとに、かなり突っ込んだ『論戦』などがそれぞれのレベルで行われているのを見聞きする(もちろん、メディアで報じられた範囲内のことだから、それほど実態がわかっているとはいえないだろうけど)と、意外にも『今日の日本』が学ぶべき、各種活動が展開されている、その姿を感じることが出来る。

 

日本というのは、やはり、『いつまでも、候補者の名前を手書きすることしか認めず、その結果、大量の無効票を出してしまっている』ことにも見られるように、どこかおかしい、『底が浅い』という気がしてならない。

 

 

山中市長が、辞任してから、?日。

横浜市では、すでに、『市長選』に向けての『選挙の掲示板』が設置済みである。

 

(01)掲示板の画像

ただし、なかなかポスターなどが、張り出されないので、不思議に思っている横浜市民も多かったことだろう。

 

そもそも、この市長選は、山中竹春市長の『パワハラ』など、数々の信じられないような言動が明らかになってきたことによって、市長が辞任し、それで実施されることになったものだ。

 

(02)山中市長の画像

ところが、どういうわけか、やたら早い時期に掲示板が設置され(横浜市も、他の行政と同じなのかもしれないが、こういう『設置』などの仕事はやたらに早い。そして、選挙が実施されると、あっという間に、それを撤去してしまうのも、不思議な『伝統伎?』である)、この間、2週間以上も、『ポスター』が掲示されず、誰が候補者なのかもわからぬ状態が続いていた。

 

この選挙、『10月4日、告示』『18日、投開票』と決まっているので、いずれにしても、もうしばらくしたら、『実施される』というのは、わかり切った話だったのだが、妙な雰囲気になりつつあった。

 

(03)山中竹春、再び出馬の報道

そして、ここ数日の間に、嫌なニュースが、一斉に報じられ始めた。

 

なんと、この市長選実施(当然、経費が発生し、それはすべて税金でまかなわれるはずである。山中竹春のポケットマネーで実施されるわけではない)のそもそもの『原因』であ

る、(『パワハラ』その他、理不尽な言動で有名になった)山中竹春、本人が、再び出馬するというのである。

 

まったく、『訳のわからぬ話』である。

どうやら、その背景には、『最初の2021年の市長選』においても、彼を担ぎ出した一大勢力であった、『横浜港湾協会』などからの、『推し』があるようだ。

 

特に、『ハマのドン』などと時代錯誤の呼び名がつけられることの多い、藤木幸夫氏(現在、なんと96歳)の意向が強く反映しているなどとされている(らしい)。

 

実にふざけた話である。

思い出すと、最初に、『山中竹春』という人物が、多くの横浜市民の前に、初めて登場した、2021年の市長選では、藤木氏は、『IR=カジノ』を無理やり、横浜市に導入しようとする勢力に対して戦う、あたかも、『正義の味方?』であるかのようなイメージで語られていた。

 

そして、そうした視点での『選挙戦を伝える、ドキュメンタリー映画?』もたしか、作られていたように記憶する。

(03)映画『ハマのドン』

 

これは、テレビ朝日が製作したドキュメンタリー番組(2021年と2022年に放送)をもとにして、松原文枝監督、リリー・フランキーのナレーションで2023年5月に公開されたドキュメンタリー映画である。

(2023年5月公開、上映時間100分)

 

私も、当時、(テレビ番組も見ていたし)映画も、映画館に見に行った記憶がある。

 

まあ、私も、『騙された』あるいは、『虚像を世間に伝える、お調子者』の一人であったのだろうと苦々しい思いで、振り返る。

 

(04)選挙情勢の行方

 

今回の選挙、実に多くの候補者の立候補が伝えられているのが実情である。

 

そのなかでは、原沢敦美氏(弁護士、女性、59歳)が『航空整備士』として、JALに12年間勤務して以降、『弁護士』に転身(もちろん、司法試験という面倒な試験に合格という『きつい努力』を経たのはずだが)、『入札制度や公共調達の専門家』として、その後、いくつもの企業で、『社外取締役』を経験、『企業のコンプライアンス等の知見』もお持ちのようだ。

 

さらに異色なのは、『予備自衛官』という顔もお持ちのようで、(ついでに言うと)1989年(当時は、大学4年生だったらしい?)には、『横浜市制100周年』にちなんだ、『ミス横浜』に選出されての広報活動にも従事ということで、多彩なひとではあるようだ。

(ただし、こういう人は、ともすると、『何でもできる』というが、山中竹春氏とある意味では、『同様?』に『誇大宣伝』で『神輿にかつがれたままで終わる可能性』もゼロではないだろう。)

 

当初は、この原沢氏が、『有力候補』とされていたようだが、いまでは、いろんな人たちが乱立(?)に近い状態になっているように見えてしまう。

 

こうしたなかでは、山中氏に対して、(よく知らないで)『反省しているみたいだから、許してやったら…』とか、同情的なことをいう人たちもいるようで、意外と、『山中竹春が復活当選』という芽も結構、ありそうな気がしている。

 

私としては、『パワハラのデパート?』のような山中氏だけは、『再選させてはならない』と感じている。

そうでなければ、横浜市という日本で最大の市を『欠陥だらけ』で『反省などこれぽっちもない人物』が、居座り続けるという悪弊(『民主主義の機能不全』)=『醜い事態』がただただ継続するということになってしまう。

 

神奈川には、さらに、『黒岩祐治』という『11年間の不倫関係』とその後の、『ポイ捨て?』を自身も認めている71歳の男(元ニュースキャスターから大学教授、知事になったという経歴、4期目の現在の任期は、来年4月22日が満了日だという)までいるわけだが、こういった人たちが、『市長』や『知事』をなかなか辞めないのは、それなりの『構造』『存在価値』が、彼らにあるからだろう。

 

ともかく、このような『人たち』は(面倒なようでも)順番に『辞めさせる』しか、方法はないのだろう。

『延命』とか、『再選』だけは、許すべきではないと考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨日(9月17日)、池袋の映画館『新文芸坐』で篠田正浩監督(この人も、2025年3月に94歳で既に亡くなられている。奥様の岩下志麻さんも既に85歳、まだまだお元気のようだ)の作品『スパイ・ゾルゲ』を改めて見た。

(01)篠田正浩監督の映像

 

私は、この映画、今回、二回見ようかと思っていた。

というのは、9月19日にも、再上映が予定されており、しかも、この日は、『トークショー』付きである。

 

どうせ、182分の大作であるし、最近、高齢のせいで、長時間の映画など、一度、見ただけでは、内容が咀嚼できず、もう一回見ないと、内容が把握できそうもないことが多い。

(これは、『脳みその活動』の低下のせいだろう。)

 

またまた、寝不足で映画を見に出掛けることが多いので、見ている途中で『寝落ち』してしまうことも多い。

(02)映画の画像

 

ところが、この映画、見始めてすぐ、『以前、見た映画だ』と思い出した。

それに、この映画を見るのに合わせて、参考書籍(岩波現代文庫・チャルマーズ・ジョンソン著『ゾルゲ事件とは何か』が一番、面白かった。まだ、途中までしか読んでいないのだけど)

(03)『ゾルゲ事件とは何か』の画像

 

こういうものをいろいろ読んだりしたし、以前に読んだものを思い出したりしていた。

 

それで、『脳みそが活性化』した状態で映画を見たせいか、不思議なことに、一度も眠たくならずに、最後まで見ることができた。

 

この映画、不思議なことがいろいろある。

まず、第一は、『篠田監督の立場は何か?』ということである。

 

この映画、途中で、『2・26事件』のシーンが出てくるが、その時間が結構長い。

 

おまけに、(故・石原慎太郎の次男である、最近は、もっぱら気象予報士として売れている)石原良純君が、ナント、2・26事件の青年将校の一人(銃殺刑に処せられる)中原基明中尉の役で出演していて、こまかいセリフは忘れたが、『国賊をたたっきる』とかやって、『東京朝日新聞』を襲撃する部隊を率いていたりした。

(当時の主筆の)緒方竹虎とやりあったりしていたのだが、(私は良く知らないのだが)当時の『朝日』も『読売の前身?』なども、どの程度、違っていたのだろうか?

 

現在のイメージで、『国賊・朝日』とやれば、『一定の層』にはうけるだろうけど…、『はて、どうだったのかな』とついつい思ってしまう。

 

とはいえ、今は、『気象予報士』で『常識人?』みたいなイメージの発言をテレビでは繰り返している、『良純君』が、まるで『親父さんの若いころのイメージ』で『国賊・朝日を許さない』などとやっていると、『ブラック・ユーモア』を感じてしまう。

(なお、彼は、『地方では、我が姉妹が、売春婦に転落することを強いられている』『財閥どもは、私利私欲をむさぼっている』とやるのだが…)皮肉なことに、この時点でも『良純君』は栄養が良さそうで、『やや太り気味』であるという印象を受けてしまう。

 

話が脱線してしまうが、彼(中橋基明中尉)は、特設軍法会議にかけられ、4月28日開廷、7月5日死刑判決、12日死刑執行に処せられた。

そこでは、(昭和天皇にいわば『見捨てられた』という状態に置かれながらも)『天皇陛下万歳』とか、『昭和維新万歳?』みたいなことを叫んで亡くなった。

 

このような青年将校たちを、中心とする『2・26事件』などのシーンが結構、長い。

ここで、篠田監督は、彼ら青年将校たちに対する『共感?』を隠していないような気がする。

 

これは、直接は描かれていなかったが、故・三島由紀夫の蹶起と自決(1970年11月であるから、この映画の公開の30年前の話になってしまうが…)に対する『一種の共感』を隠してさえいない、という気がした。

(ある意味では、『三島由紀夫に対する思い』を込めて、篠田監督は、『スパイ・ゾルゲ』を撮ったのかもしれない。)

 

ところが、一般に、『スパイ・ゾルゲ』を評価する人たちは、こういう立場との矛盾があるのが普通だから、『不思議な映画だ』と改めて思った。

 

しかし、『スパイ・ゾルゲ』のほうは、さらに『謎だらけ』でしかも、なぜ、あのタイミングで、『当局』は『事件の発生』を報道し、あえて、『尾崎秀実』と『リヒアルト・ゾルゲ』の死刑執行まで行ったのかと考えると、不思議な気がする。

(結局、『ナチス・ドイツ』の『在日大使館』の『すきだらけ』を告発し、同時に、日本が、『スパイたち』によって、『情報垂れ流し』状態にあったこと、『スターリンのソ連』が、その情報を『信用せずに、利用できなかった』という、それぞれの『ミス』を『告発する事件』であったので、敗戦目前の日本がこのような事件の発生を世間に明らかにして、どういうつもりだったのか、イマイチ、わからない事件なのである。

どちらにしても、『戦意発揚』に役立ちそうな、『事件摘発』には思えない。)

 

話が、少し先まで行き過ぎてしまったが、この『9月17日の映画鑑賞』で、この映画の内容は、それなりに、把握できたので、19日に『もう一度見る』というのは、必要ないと、判断した。

 

なお、蛇足ながら、前回、『新文芸坐』で映画を見たとき(たしか、7月4日にアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『惑星・ソラリス』を見に行ったとき)は、池袋駅から、『新文芸坐』になかなかたどり着けず、迷いに迷って、ようやく、『半分以上、過ぎた時点』で映画館に入ったもは、のである。

(しかも、『上映の途中からは入れない』ということは、『はっきりわからないような告知の仕方だった』とかなり、ごねて、ようやく、一番後ろのほうで、『立ち見』でお情けで見せてもらった。これは、その後、『上映後の入場禁止』という『告知』を強化しているので、今では、『認めてもらえない措置』であるとは思っている。)

 

だが、どういうわけか、わからないが、今回は、池袋のJR出口から、比較的容易に『新文芸坐』にたどり着けた。

不思議なもんだ。

(この映画と事件の感想その他は、引き続き、書くことにする予定だ。)

 

 

 

 

つい、最近、東野圭吾さんの遺作をできるだけ、たくさん読もうと思ったというようなことを、このブログに書いた。

 

しかし、その後、連続的に彼の作品を図書館から借りて読んでみると、自分自身の脳みその能力に問題が生じていることを、自覚せざるを得なかった。

 

というのは、前に読んだことを次から次に忘れてしまうのである。

おそらく、メモなど取りながら読んだら、そうでもないのだろうけど、しかし、ただ普通に、読んでいくと、なんと前夜に読んだ、ストーリーを忘れてしまっているのだ。

 

やっぱり、(前からその傾向があると、自覚しつつあったが)脳の機能に、障害というか、『機能低下』が生じつつあり、もはや、普通に読み飛ばしながら、どんどん読んでいくというようなことはできないみたいである。

 

もちろん、作品によっては、メモを取りつつでも読んでいきたいという気がしないでもないが、でも、とりあえず、『東野圭吾、むさぼり読む?』プロジェクトは、『ストップ』をかけようかと思っている。

(少々、くたびれかけている、という気もするし…。)

 

なんだかんだいっても、彼の作品は、人間の書いた話だから、『繰り返し』というか、『似たようなストーリー』が非常に多い(という気がしている)。

 

この間、それでも、かなりの数、『東野作品』を読んでしまったので、少々、食傷気味である。

 

今後、再び、読むとすれば、『映像化作品(ドラマとか映画とか)』を見た(見る)前後に…ということになるだろう。

 

しばし、『小休止』。

(自分の『ポンコツ脳』に対して、あまり、余分な『負荷』をかけて、『自分で自分をいじめる?』ことのないようにしないと…。)

 

ちょっとした反省である。

それに、世の中には、嫌というほど、いろんな『文学作品』(別に『文学作品』でないものを読んでも良いのだが…。)があって、例の『川崎市民アカデミー』というNPOの『講座』でも、再び、いくつかの『講座』や『ワークショップ』を受講する予定にしている(2026年度後期のカリキュラムが、10月からまた始まることになっている)ので…。

(01)

 

そこで、『文学関連』の講座、ワークショップも、二つ受講することにしているので、そのための『余力』も残しておきたいという気もしている。

(02)

 

直接、関係ないが、13日、投開票の沖縄県知事選挙で、現職の玉城デニー氏が、敗北し、自民党などが推していた新人の古謝玄太氏が、初当選を決めた。

 

 

開票作業が始まる前に、NHK等は『当選確実』をうったようだが、例の高校生の『船の転覆事故』における学校側の対応の不誠実さ、亡くなった少女の両親の怒りよう、その他を見ると、この事件が、『平和教育を推進している』と称する側の人々の『さまざまな矛盾』を露呈させてしまったことは間違いがないのだろう。

 

ひとまず、翁長雄志・沖縄県知事(2018年8月、67歳で死去)が代表した、『オール沖縄』という政治勢力の結集(保守革新を問わず、『辺野古基地建設中止』『オスプレイの配備撤回』『普天間基地の閉鎖撤去ー県内移設断念』を求める『建白書の精神の実践』)による沖縄での運動は、ある種の『曲がり角』に来ていることを示している、という気がどうしてもしてしまう。

<『首里城全焼』(2019年10月)は、翁長さんの死去(2018年8月)から1年後に沖縄を襲った『悲劇』だった。>

 

こうしたことは、『日本、世界を取り巻く状況の転換』を示しているのだろう。

それを『見て見ぬふり』をしても、しようがない。

そんな気がしてしまうのも事実だ。

(それくらいの『大敗』だったと感じる。)

 

 

 

 

 

 

このような訃報が、新聞やネットなどをにぎわしたのは、7月27日くらいのことだったらしい。

その時点では、既に家族葬で、通夜、告別式などは終えた旨の告知だった。

 

どうやら、東野圭吾さんクラスになれば、各出版社、新聞社など、『担当記者』みたいな存在の人もいただろうから、彼らがいわば『総ぐるみ?』で一斉に『訃報の通知』を解禁しようと、取り決めていたのではないかというような印象を

もつ。

 

そして、それが順当に守られたのかどうか知らないが、このような形で亡くなってから、4日後くらいになって、『訃報の洪水』のような状態になった。

 

それから、もう1か月半近くになる。

 

 

私は、東野圭吾さんが、大腸がんを患っていたことを知らなかったから、しょっちゅう、作品を発表している作家が突然、亡くなったことに驚いた。

 

そして、その後、彼の作品をやたらに図書館から借りてきて読んだ。

(もちろん、我が家の書棚にも、彼の作品の文庫本などたくさんあったのだが…。)

(01)写真など

 

私は、考えてみると、かなり昔から、彼の小説を読んでいる(といっても、本当の意味で、彼の作品を意識するようになったのは、2008年に単行本が刊行された『流星の絆』以降だったかもしれない。)

 

たとえば、『秘密』(1998年)とか、『手紙』など、あるいはデビュー作の『放課後』(1985年)も、たしか、東野圭吾の第一次ブームのどこかで読んだという気がする。

 

ただし、私の印象では、東野圭吾は、『読みやすく』、また、読み出すとなかなか、途中で放り出すことの出来ない、『中毒性』がある。

 

しかしながら、読み終えた読後感というのは、かならずしも『好印象』『爽やかな感じ』というよりは、むしろ、『後味の悪い作品』も結構、多かったような気がする。

 

 

それで、今回、(今月の頭まで、それに集中していた)国立映画アーカイブの『返還映画コレクション(4)文化・ニュース・漫画映画篇』の特集が終わったことから、ここ一週間くらいは、東野圭吾作品を、図書館から借りまくって、読んでみた。

(そのなかには、以前、読んだものも、多数あったが…。)

 

それで、改めて感じたことを書いてみたい。

 

 

彼の作品が、どうして映画とかテレビドラマとかにされるかは、非常に『映像化』しやすい作品が多い、ということからきているように感じた。

 

また、最初はそうでなかったようだが、一定の時期から、『加賀恭一郎シリーズ』とか、『ガリレオシリーズ』あるいは、『マスカレードホテルシリーズ』など、主人公や、背景となるホテル等々の『シリーズもの』をいくつも誕生させたことが、より、『小説を書きやすい』手助けとなったのかもしれない。

 

だが、改めて感じたのは、彼が、相当、毎回苦労して、『設定』とか『ネタ』、『伏線』などを生み出しているであろうということだった。

 

彼は、例えば、将棋の藤井聡太ではないが、藤井が、しょっちゅう、対戦に追われているように、東野さんは、連載をいくつも抱えていて、神経がなかなか休まらないような日々を送っていたのではなかろうかという気がする。

 

(結局、東野さんは、大腸がんで亡くなったということだが、大腸などの臓器が、『寝不足』とか、『神経の疲れ』『締め切りに追われる感じ』などが、身体に良くないのではないかという印象を受けるが)まさに、これは『流行作家の宿命』かもしれないが、彼は、『手を抜くことをしらない』真面目さと、『同じものを繰り返し書くことはしない』『必ず、何か新しい作品を生み出して、読者の期待を満足させたい』そのような律義さ、あるいは一種の『職人気質』が彼の、命を縮めてしまったのではないかという気もしてくる。

 

 

東野さんは、結構、長い間、サラリーマンとして生活をして(その前は、学校の教師をしていた時期もあるらしい)、自分がようやく、『作家として飯を食っていける』という自信が芽生えたときに、漸くプロの作家になったのだという。

 

しかし、彼は、もともと『理科系』であり、おまけに、『本格推理小説のようなもの』へのこだわりが、あったようで、最初は、『トリックにこってみたり』云々で、必ずしも読者のウケはよくなくて、しばらくの期間は、なかなか、本の『重版』が思うように出来ず、つまり、『本が思うように売れない』時期が結構、続いていたらしい。

 

それが、『秘密』とか『容疑者Xの献身』による直木賞、本格ミステリ大賞の受賞以降、読者に存在が認知され、その作品の映像化(映画化、ドラマ化)が相次ぐことによって、雪だるま的に、人気が沸騰するようになったらしい。

 

 

しかし、読者というのは、『気まぐれ』なものだし、ミステリーものにしても、次々と新しい作家が誕生してくる。

おまけに、最近では、いろんなジャンルで、女性作家が活躍している。

 

そうしたなかで、『人気を維持し続ける』ことは、相当の、苦労があったことだろう。

 

実際、今回、私は、既に10作品以上、20作品に及ばんとする数を、ここ1週間くらいの間に読んできたが、さすがに、これだけ集中的に読むと、いくら彼が、その都度、工夫をしているといっても、比較的に筋が、『波乱万丈』というか、『二転三転』というか、やたらに、複雑怪奇で、多様な展開をする作品の多いことに気が付かざるを得ない。

 

 

しかも、後年になるほど、その筋は、(表現の仕方が良くないかもしれないが)複雑にねじれて、『さすがに、ドンデン返しばかり』しかも、(ある意味で)似たような、『ひねた筋の展開の仕方』で、それはいくら何でも、『不自然過ぎる』『筋を追っていくのに疲れてしまう』そのように感じることも多くなってきた。

(もっとも、最近の作品をまだ、読んでいるわけではないので、最終的に彼がどのような境地に至ったのかは、わからないが…。)

 

これなどは、『作家生活による蓄積疲労』のなせるわざではないのか、という気すらした。

 

 

私が、東野圭吾についての印象が固まったのは、2008年に刊行された『流星の絆』、および、それを原作とした、宮藤官九郎脚色による、テレビドラマ『流星の絆』(TBS系で2008年10月~12月に全10話で放送)を見たことによる。

 

今回、改めて、『流星の絆』の原作を読み、宮藤官九郎のドラマと対比してみると(これは、ユーチューブの動画とか、ネット記事のまとめによる。改めて、元のドラマをきちんと見直したわけではない)、クドカンがさすがというべきか、『原作に漂う暗さ』というものを、『コメディータッチの明るさ』に転嫁し、逆にそうすることによって、妹の有明静奈(戸田恵梨香が印象的に演じていた)が、本来、『詐欺の対象』として近づき、その後、『両親の仇』の息子ではないかと思って、『悶々とした』対象であった(というのは、途中で恋に陥ってしまったため)洋食チェーン店『とがみ亭』の創業者の御曹司・戸神行成(『要順』が熱演していた)との、『心の浮き沈み』あるいは、『ヒッチコック流の、追いつ追われつのサスペンス』が、より印象的なものになっていたと感じた。

 

(三浦友和演じる、刑事との、『最終結末のつけかた』も、『変えている』。

このドラマでの三浦友和の演技も、非常に印象的なものだった。

三浦友和の『俳優人生』のなかでも、転機となった作品なのではなかろうか?)

 

 

これは、一見すると、『軽いもの』を『元の味』にミックスすることで、余計、『ドラマ』が生きてくる、いわば『隠し味』のようなもので、もしかすると、あまりにも、真面目過ぎる東野圭吾さんには、なかなか『なせない技』なのではなかったかという気もした。

 

このTBSの『流星の絆』を見たことが、もう一度、『東野圭吾作品』を読んでみようという、きっかけになったので、今、改めて考えても、『良いとっかかり』を得たという感じだ。

 

 

今後、現時点で入手した作品を、もう少し読んでみて、そして、今後、予定されている『最後の作品』の映像化なども、映画館などで見てみたいものだと思っている。

(あらためて、東野圭吾さんには、『お疲れ様』そして、『有難う』の言葉を送りたい。)

 

それにしても、『最もプロらしい作家』で、あまりにも『一生懸命、書き続けた作家』であったという気がした。

 

ただ、こうした作品が『なぜヒットしたのか』『このように読者に愛されたのか』について、いわゆる『批評家』とか『評論家』などの分析とか見解というものが、もっと、きちんと発表されても良さそうな気がしている。

 

松本清張が偉大な作家であり、忘れることの出来ない、『物書き』(歴史認識に対する、かずかずの問題提起を含めて)であったことは、周知の事実だが、東野圭吾という作家は、『現代の松本清張』(もちろん、資質は、そうとう、異なっているが)とも言うべき存在で、日本人の昭和、平成、令和における、『精神のありよう』『物語のありよう』を書き続けた『物書き』であったという気がしている。