久しぶりのシンシア
久しぶりにシンシアに乗った篠崎の水門の桜はまだだな21日に水元で花見をするんだけどまだ咲いていないかもモクレン科コブシの花我が航空隊のトップエースFujiコンテッサとツートップセカンドエースがヒロセコメートスツーカが出来上がったらコメートと並んでセカンドエース我が隊の四天王となるのだシンシアのフレームは僕の体からすると若干小さい本来ならもう少しピラーを上げたいのだがちょうどいいぐらいに上げてしまうとピラーが出過ぎてバランスが崩れてしまうステムもあまり上げたくないのでこいつが一番前傾姿勢が深い乗車感と見た目とギリギリに煮詰めた姿なので僕の自転車達は乗った感じは全車で違います乗車感を統一することは全く頭にありません見た目第一主義ですからこれは僕の師匠、隊長の言葉もしフレームサイズが合わない自転車をどうしても乗りたいときは自分のセッティングに自転車を合わすな自転車が最も美しく見えるセッティングにしなさいどうしても乗りたいときはそうして甘んじて乗りなさいこう言う人だったんですストドロエンドなのでウイングナットでも車輪がずれることはないのですがナットで締めないとウイングナットがディレーラーにあたって回らないのです新小岩公園の桜もまだだなぁ21日やっぱり間に合いそうもないぞまぁ、桜はどうでも良いんです仲間と一緒に走れれば荒サイにでたら自転車発見Matsudoのトラックレーサーオーナーさんに聞いてサイクルランドの競輪ステムに競輪ハンドル、サドルもぜい肉を削ぎ落としたシュッとなっているやつ練習で乗っているのだそうです巷のチャラチャラしている兄ちゃんが乗っているのがピスト本気んで乗っている人がトラックレーサー自分としてはそういう言い回しチャラチャラ兄ちゃんはブレーキアウターをトップチューブににょろにょろ巻いているあれ見ただけでうー、おぞましいこの潔い形が一番カッコええな東武線堀切駅足立区で堀切?堀切は葛飾区の地名です実は荒川放水路は人工河川でそれができる前はこのあたりまで堀切だったよう河川ができた時点で足立区となりました駅名だけが残ったこの河川のおかげで線路も変更されております堀切橋から隅田川へ早咲きの桜水元がまだだったらこっちへ流れてきても良いかもしれない隅田川沿いの都営アパートこれは万が一の場合に備えて防火帯の役目を果たしています浅草まで来ました電車は急カーブを曲がって駅の中に入りますホームも電車とかなり隙間が空いていますDRCが運転していた頃車内で食べたジャンボプリン美味しかったネットで検索してみたらDRCのジャンボプリン復活してくださいって知っている人は知っているのだこのあと浅草橋へ寄って革のハギレを買ってきた大島団地の桜もまだだ翌日はハギレを持って旧江戸川を下ってNOGUさんのところへこのハギレを使ってスツーカのフレームのシートステーとダウンチューブに保護用として巻くシートステーの方は今 ,hcj流星改に付けているサドルバッグを共通運用としてスツーカにも付けるためダウンチューブの方は輪行の際フロントセンタープルブレーキのツノが当たるため取り付けるのは今回両面テープで貼り付けるNOGUさんにステッチを入れてもらおうと思ってステッチが入っていた方がカッチョいいから木根川橋まで戻ってきた上平井橋小学校低学年の頃はもっと橋が低かった川が増水すると橋と川面がギリギリだったモンチッチ公園もこんなもの置いだんだ地元にはこの人形のセキグチがありますやっぱりモンチッチはデビュー当時の森昌子にそっくりだ真相はわからないが、、、、、ひみつのボタン何故かこんなものがあると押したくなってしますえっ、これだけかい森永も完全に更地小学校の頃は周りは池だったなぁ地元には5、6箇所池があった学校から帰ると駄菓子屋へ行って細長い洗濯板みたいな確か杏の味だったか、その飴とすイカを買って池へ行く糸を垂らしでエビガニ(アメリカザリガニ)をとる東京東部では戦争前からエビガニって言っていたようだ最初は戦利品として家へ持って帰ってきていたけどそのうちに持って帰るのはマッカチンだけ他に釣り上げた小物のその後は悲惨だ当時のガキンチョはキャッチ&リリースなどという言葉は知らない慈悲深い心は持っていないのだよだいたい学校から帰るとエビガニ釣りかもんじゃ焼きか駄菓子屋の前で遊ぶあと、ねんど屋か型抜きかなねんど屋かカタ屋どっちで呼んでいたかな学校のそばの空き地とかお寺のそばの空き地に来ていたこの通りすがり昔、通った駄菓子屋の前を通ったまだ桜井やっているんだガキンチョで溢れかえっていた走っている最中、ガチャガチャうるさいガードが緩んでいるんだなあら、ネジがすっ飛んでいる幾度かガードを調整して出来上がり700C用のガードだからチューブラーではきっちり合わない膝を使って慎重にガードをしごいてああ、面倒くせー