A Day In The Boy's Life -87ページ目

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

仕事をしていく上では、必ずといっていいほどチームを組み、またステークホルダーが存在するためその人たちとのコミュニケーションというものは避けられません。

それぞれに役割が与えられ、他の人のタスクが自分に与える影響も少なくないでしょうから、円滑に仕事を進めていく上では、そのコミュニケーションの中でお互いの進捗や課題など状況の情報共有というものが必要意なってきます。


ただ、そのコミュニケーションのとり方次第では、円滑に進めるための時間というものが大幅に削られ、コミュニケーションによって仕事が遅延を生み出す結果にもなったりします。



どこまでが必要なコミュニケーションか


チーム内のメンバーに仕事を依頼するときには、現在の状況ややってほしいタスク、そして目的や課題など数多くのことを共有しなくてはなりません。

そのことを淡々とメールやwikiにまとめ、「これをお願いね」と頼んだとしても、文章に書かれた情報の中には取りこぼした情報も多くなり、他人から見たらそれが気になることもあります。

大筋の概要はすでに相手の頭の中にあるので、そこに多くの時間はとられないでしょうが、その経緯やこうしたらもっと良いのではないかという自分なりの意見というものを伝えてきて、それを解説したり説得したりする時間がとられます。

勝手に解釈されて、明後日の方向に進まれてもこまるので、そこは蜜にコミュニケーションをとり情報を共有していった方が良いかもしれません。


ただ、その中で話が脱線することも多々あるでしょうし、職場での人間関係をドライに割り切って、ただ仕事の話だけを淡々とすることができない場合もあります。

趣味の話に話題がそれたり、週末の話やテレビの話にそれて行くかもしれません。

それでも、その職場での人間関係を良好に保つためには仕方ないことと割り切って話しに付き合っていると、本来仕事を円滑にしようとしたコミュニケーションが自分の時間を削っていきます


人はしゃべることで妙な満足感を得たり、「無駄話をしないこと」と言う人が一番無駄話をしていたりと、なかなか自分のやってることに気が付かないものなので、それで残業することになっても「今日は忙しかったしな」という勝手な思い込みで片付けられたりもします。


そういった、負のループに巻き込まれないためにも、必要なコミュニケーションと不必要なコミュニケーションというものを意識しておく必要があります

ただ、その仕事を遂行する上では不必要なコミュニケーションでも、チームでうまくやっていくためには必要となるコミュニケーションもあったりします。

その兼ね合いを見極めながら適当なところで話を元の道に戻したり、話題をあえて遮ってみたりという意識的な行動は必要になってくるでしょう。



不必要なコミュニケーションの中にある必要なコミュニケーション


組織をうまく活性化していくためには、ただその要員を手ごまのように扱うだけではうまく機能はしないでしょう。

仕事の結果に対してのみ、淡々と注意や褒め言葉を並べたところで、信頼関係を築けない場合もありますから、時には仕事から離れた素の自分というものをさらけ出してみて、本音で話してみる機会も必要になってきます。

(それを好まない人もいるので、相手を見た対応が必要になってくる場合もあるでしょうけど)

当たり前のことにはなりますが、チームとしてのまとまりやそれぞれの役割をうまく機能させるために、互いにある一定のコミュニケーションが必要になってくるわけですが、それは何も仕事の中だけで必要になってくるものだけではなかったりもします。

悩みがあるメンバーがいれば相談を受けることもあるでしょうし、メンバー間の対立が生じることもあるのでその仲裁を買って出ることもあるでしょうし、仕事漬けの毎日でストレスが溜まっているメンバーから愚痴を聞いてあげるということもあるかもしれません。

組織を健全に回していくために、うまくいっているときには必要のないことが、時には必要に迫られてくることになります。


ただ、それを普段からその口実としてのコミュニケーションをとってばかりいては、自分がやるべき仕事の時間が削られ、大きく遅れをもたらすことにもなり、結局はメンバーに迷惑をかけたりする結果にもなります。

そして、そういった類のコミュニケーションは、実際相手に求められていなかったりもするので、より大きな不利益をもたらすことにもなりかねません。


結局これも、コミュニケーションのバランスが必要になってくるもので、取りすぎれば自分への悪影響も大きくなり、取らなさ過ぎても信頼を得ることができなかったりもします。

そして、これらのことはただ単に仕事を遂行するためだけのやり取りよりも、より多くのエネルギーを必要とするものです。

そのエネルギーというものが本来使うべきところに使えず、チームを活性化し円滑に活動するために必要な労力として膨大に消費されていたら、そのコミュニケーション自身が負の方向に働きかけているのではないかと感じます。



まとめ


コミュニケーションという言葉は、いい方向に向かうためにお互いが情報を交換し合うもののようなイメージを持ったりもしますが、それ自身が悪い方向にもたらす結果にもなりえたりもするものです。

お互いが話し合うだけで仕事の結果が出るという状況はほとんどありませんから、それはプロセスとしての道具という割り切りの意識も必要になってくるでしょう。

結局それは、コミュニケーションの質を意識していないせいなのかもしれません。




ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと/著者不明
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冒頭の「はじめに」で書かれていますが、この本では世界的に活躍し、経験豊富なアーキテクトたちが技術面から具体的にアーキテクチャを語っているものではありません。

ただ、その豊富な経験からアーキテクトというものはどういった考え方を持っているべきか、視点を持つべきか、どんな問題にとらわれるべきではないかが書かれています。

技術的な解決策だけを考えてはいけないとか、ビジネスサイドの視点を持つこととか、複雑なことに対してシンプルな解を見つけようとか、問題だけにとらわれてはいけないとか、変化に柔軟であれとか、それは実際の仕事の現場で見聞きしたことの総集編かもしれません。

ただ、それは長年のソフトウェア開発の経験を持った人たちの言葉ですから、とても重く響くものでもあります。


今現在、プログラマーとして最前線でソフトウェアの開発に携わっている人でも、年月とともにより上流の工程に対して責任を持つことになってくることになるでしょう。

そのときに単にシステムの設計をする人として責任を持つのではなく、ここに書かれているような幅広い知識を持つことが重要になってくると感じます。

それは、単に自分の対応範囲のシステムを作り上げるということだけでなく、システムアーキテクトがより多くのデベロッパーやプロジェクトオーナー、そしてそのサービスの利用者にまで、与える影響がとても大きくなってくるからです。


システムを構築するにあたってのコアとなる開発言語や開発環境、フレームワークやビジネスロジックにいたるまで、技術面の課題でさえも単に自分のエゴや経験だけで簡単に台無しになってしまうことがあります。

ここで紹介されているアーキテクトは、その怖さというものを自らの経験とともに知っているからなのかもしれません。


システム開発のデザインパターンがあるように、プロジェクトの進め方やシステムの設計方法(それは、単にシステムを作るというだけでなく、ビジネスそのものを作るというところまで)にも、同じように長年の経験を辿れば似たような問題や課題というものにぶつかるということが、各アーキテクトの意見を読んでみてよくわかります。

そんな、現場で実際に経験した結果により導かれた意見そのものを受け入れることで、私たちも同じ過ちを繰り返さないための貴重なインプットとなると感じます。





って事で、8月21日をもってこのブログも書き始めて4年が経過しました。

結構飽きっぽい性格なのによく続けてるもんだなぁと自分でも思ったりします。

4年間ブログを書き続けてきて、ブログの良いところや悪いところをつらつらと書いてみます。



自己を表現するツールとしてのブログ


4年前、Web系エンジニアをしている割にネットの使い方に疎いって事で、もう少しネットにのめり込んで生活してみようと思いブログを始めてみました。

主に技術系ネタのまとめや、仕事やネット上で話題となったニュースを取り上げて書いていたりしたのですが、それほどリアルで社会的なつながりを太く持っているほうでもないので、ネットを通して色々な人と係れたり、会社以外の場所として自己を表現するって場所を見つけられたことはプラスになったかなと思ってます。


ブログを通してリアルに知り合いになったという人はいないのですが、エントリに対してコメントくれたり、トラバ打ってくれたり、自分のブログの中で言及してくれたり、RSSを購読してくれたりとそれは決して太いつながりと呼べるものではないかもしれませんが、会社の中の数十人レベルとのクローズドな世界だけで生活するよりは、別の視点を与えてくれたり、日々を刺激的にしてくれるインプットとなったりしました。


1年前に「ブログ3周年: 昔の記事を読んでわきあがる感情 」というエントリの中で書いた、昔の自分が思ってたことを不安定な頭の中の記憶としてではなく、永続的に残る記録として残していけることもメリットの一つかなと思います。

Twitterでももちろんいいでしょうけど、情報量が多いですしTwitter上の情報は流動性が激しいため、あまり過去を振り返らないって特性もあり、見直すことがありません。


リアルでの物理的なつながりの限界というものを超え、それ以外のもう一人の自分として表現できる場所を見つけられたことと、その時のありのままの自分を書き写してくれるツールとしてブログを書いてて良かったかなと思ったりします。



ブログに変わるものと、ブログでしかできないこと


1年半ほど前にTwitterを始め、よりリアルな自分の考えというものを表現できるツールを見つけたりもしましたが、それでも体系的に考えをまとめたい場合や、そもそも技術系のエントリをTwitterでまとめるのは無理ということで、ブログと併用してたりもします。


他の人のTwitter上の発言を見る場合もそうですが、Twitterの場合は流動性が高いことと、後でまとめて読むということが手間になったりもしますし、文章を装飾してよりわかりやすい表現をすることがブログではできます。

あと、結論を簡潔に述べるTwitterではそのつぶやきだけで全てが出し終わった感が強くなり、前後関係やそれ以上の思考がストップしてしまったりして、自分の中では手間でもブログにまとめていった方がまとめやすかったりもします。


ただ、考え途中の自分の中ではまとまりきれていないことに対して、Twitterでつぶやいてみるとそれに対するレスが早くに手に入れられ、自分の狭い思慮だけで明後日の方向に考察が突っ走るというようなことを止めてくれるところはブログにない点かもしれません。

アウトプットとして出してしまったエントリは、言い訳のできないものとして記録されますし、Twitterと違って情報が見つけやすい点では諸刃の剣となる要素でもあります。


また、これは自分の中で線を引いていることですが、このブログ自体はあまり日常の自分というものを詳細に表現しようとはしてなかったりもします。

技術系や仕事の上での話が多かったりもしますので、他人にとってはどうでも良いことなどはTwitter上でつぶやいたりして、ブログとTwitterの使い方のすみ分けをしてたり。

自分の中では、その線引きがブログとTwitterを使い分けている大きな理由にもなってたりします。



まとめ


ブログにしろTwitterにしろ、ネット上でもう一つの自分というものの活動がこれほど大きい存在になるとは、4年前は思っていませんでした。

ネット上でのつながりを持つ利点というのは、リアルという閉じた世界の中で得る当たり前という概念に対して、それが当たり前ではないことや当たり前のことという基準を得るところにあるかなと思ったりしてます。

俺スゲーが俺スゴクナイになったり、俺イケテナイが意外とイケテルのかもになったり、俺にとってカッコいいが皆にとってもカッコいいになったり、俺ならこうするがそんなことする奴いないになったりする。


それは分野と視点を変えれば大きく異なるものだったりもしますが、日々新しい気づきを得られることがとても刺激的だったりします。

ということで、だいぶゆるいブログの活動になってきてはいますが、来年も5周年のエントリを書ける様に継続していけたらいいなと思います。