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A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

純粋なPHPで書く場合の$_SERVER['REQUEST_URI']と同じように、CakePHPで自分自身のページのURLを取得したいということがあります。

まぁ、REQUEST_URIでいいじゃん、って言う意見もあると思いますが、CakePHPを使っているならそっちのお作法に倣いたいとか、REQUEST_URIを使う場合、ドメインまでは返って来ないので、


$url = http://' . htmlspecialchars($_SERVER["HTTP_HOST"] . $_SERVER['REQUEST_URI']);

みたいなことをするのが面倒だという場合に便利かもしれません。



CakePHPで自分自身のURLを取得する


結論から書けばテンプレートの中でHtmlHelperを使って


<?php echo $this->Html->url('', true); ?>

のような書き方をすれば自分自身のURLが取得可能です。

元々、HtmlHelper::url()は、引数からURLを生成してくれるモジュールなんですが、第1引数を空で渡せば今開いているページのURLを返してくれます。

第2引数はドメイン名を付けて返すかどうかのオプションです。


// $this->Html->url('', true)の場合
http://www.example.com/search/category/123

// $this->Html->url()の場合
/search/category/123

のような違いです。


第1引数に配列でURLの構成情報を渡すことでそのURLを生成してくれます。


echo $this->Html->url(array(
    "controller" => "foo",
    "action" => "bar",
    "fuga" => "hoge"
));

まぁ、リンクのURLを作りたいという場合は、HtmlHelper::link()を使った方が早いと思いますが。

詳細は、マニュアル も参照してみてください。


少し本件からは話がずれますが、Controller内でURLを取得したいまたはURLを生成したいという場合は、下記のように書くことで取得ができます。


$url = Router::url(array('controller' => 'foo', 'action' => 'bar', 'hoge', 'fuga'), true);

使い方はHtmlHelperと同じです。

ロジックに応じて使い分けができるので便利ですね。





少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

本年も当ブログをよろしくお願いします。

去年はあまりブログかけてない印象だったので、今年は無理はしないでももう少しペースをあげていけたらいいなと思っているこの頃です。


さて、お正月はというと帰省していたりして、戻ってくる際に東京駅付近で発生した火事の影響をもろにくらってしまい、帰りの新幹線が大変なことになったりしていたんですが、この件についてTwitterでの発言なんかが話題になっていたりもしました。

巻き込まれた身としては余裕の帰宅のはずが家に着いたのが深夜になって疲れはしたんですが、あんまり深く考えなくてのんびり変えれば良いや的に思ってたりもしたんですけど、やっぱり当たり前に動くものと思っていたものが想定からずれて新幹線のホームは大混乱でしたし、そのことに苛立ったりしている人を何人も見かけたりして、高度に進んだ技術やサービスというのが、人の豊かさに対して必ずしもプラスになっているのではないんじゃないかって考えさせられたりもしました。



技術の発展と豊かさ


1つ思ったのは技術の発展というのが必ずしも人々を豊かにしているわけではないんだな、という点です。

確かに新幹線や飛行機は高速に遠隔地に運んでくれますが、それによって緩和される時間のロスや旅行の苦労とは引き換えに、特に時間なんかは自由度と引き換えに追われるデメリットも出てきたりします。

整備された交通網のおかげで移動の時間が短縮される代わりに、せわしない旅行日程が組まれたり(現に詰め込みすぎなんじゃないかって印象を受ける旅行雑誌の日程表なんかもありますし)、発展した情報機器によって大量の情報にさらされ目の前にあるものの印象よりもネットの向こう側の情報に気を取られたりします。


現代人というのは常に何かに追われています。

イベントに出れば写真を撮って共有しないという観念に駆られたりする人も多いのではないでしょうか。

余談ですけど、写真を撮ったりすると目の前に起きている事への印象が薄れたりするそうです。


写真の撮り過ぎ、思い出薄れる? 心理学研究 @ AFPBB News


写真の共有というのもTwitterやらFacebookやらで常に誰かと比べられる・比べたい状況に身をおいているのが引き金になっていたりもするわけですけど、常にそんな周りを気にしないといけない状況になってSNS疲れを起すなんて要因になるのもなんとなくわかったりもします。

欲求の満たし方がより高次のものへと昇華し、多くの人の承認欲求が強くなっているのかわかりませんが、相手に伝えたいことは本当はそんなことではないでしょうしその温度間も自分と他人とで全然違うはずで、会えば身内ネタで済まされるようなことが炎上のネタになったりと、その欲求の満たし方の掛け違いによってブーメランのようにダメージが跳ね返ってきます。


今の時代、思い出を切り取ったりそのまま保存するということが容易になったことで人々が感動するレベルというのは一昔の人と比べて全然違うものになっているんだろうなとか思ったりしますが、忙しい我々にとってはただ1つのことに力を注ぐよりもより多くのものを見聞きしたいと考えるのは当たり前のことかもしれません。

ただ、後で見ることは無いのにビデオカメラを差し向け、何故か家ではYoutubeにアップされた他人のビデオを見ていたりします。

新幹線や飛行機は驚くべきスピードで遠くに連れて行ってくれますが、それでもなおその間にじっと座っている人は少なく、携帯やスマートフォンを触っています。

自分も目の前に人がいて喋っている一方でネットの向こう側の情報が気になってチェックしたりしますし、それなのに1人になると人恋しくてLINEなどしてみたりするわけです。

常に時間の隙間を埋めないといけないような病気にかかっているのかもしれません。


1つのことに集中できる時間を持つということは贅沢になってきていますし、常に短時間で並列の処理を求められている現状では相手もそれを求めてきたりします。

自分が豊かになる一方で求められる事、やらないといけない事も増えてそれによって窮屈さを感じてしまうのではないでしょうか。



テクノロジーの取捨選択


以前に読んだ「ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 」という本の中で近未来(2025年)の人々の働き方というのを描いてたりしてますが、ここでも人々がより多忙でより多くの情報にさらわれる未来を予測しています。

大体10年後の世界なわけですが、10年前と今とを比べると劇的に変化している状況と技術革新が加速度的に起こっている状況を見れば当たらず遠からずというような印象を受けたりします。


これと近い将来で2020年には東京オリンピックがあるわけですけど、今の親たちが子供たちに間近でトップアスリートの姿を見せてあげたいと思っていても、その子供たちが見るのは例え現場にいたとしてもカメラやスマートフォンを通してほとんどの光景を見ているのではないだろうかと思ったりします。

まぁ、当の親も同じことをしてそうな気がするんですが、思いは何だか裏腹だなぁとも感じたりするのですが。


きっとこれからも世の中に出てくる新しいテクノロジーによって本来やりたかったことでも好奇心をくすぐるものが多すぎて捨てざるを得ないことって多々出てくると思います。

幾ら並列処理に慣れているとはいえ限度がありますし、常に頭を動かすそんな状況だと平穏もあったものではないでしょう。

ある意味、可能性が広がっているわけですし進む道筋の選択肢も自由度を増すわけですが、よっぽど変化に慣れていたり乗りこなせる人ではない限りその全てを渡り歩いていくのは難しいのではないでしょうか。


常に大量の情報にさらされ、世の中に無作為に放り込まれる数々のテクノロジーと向き合っていくというのは、これからの現代人の生き方と宿命にはなるんでしょうけど、周りがそうだからといってからといって必ずしもあわせる必要もありません。

自分のペースに合わせて世の中にあるサービスや製品を選んでいけばいいと思いますし、選択肢の1つには「どれも選ばない」という選択もあるはずです。

結局のところ、豊かさを得るためのテクノロジーが自分の首を絞めることもありえているわけで、自分に使いこなせるのかどうかも含め、それを道具としてどう使っていくのかということを考えないと、得られるのは豊かさではなく蝕まれる結果になるのではないかと思うのです。




セカイカメラ終了のお知らせ……開発元・頓智ドット「目指した思想は諦めていない」 @ TechCrunch


このサービスが発表されたときの盛り上がりは、当時のニュースサイトで大きく取り上げられていて凄く印象に残っています。

ただ、私自身がセカイカメラを使ったことがあるわけでもなく、またどういうビジネスモデルで収益を得ようとしていたのかという点もよくわかっていないので、このニュース自体を題材について語ることはできないのですけど、今回のニュースのコメントを見るとそのビジネスモデルの作り方という点に言及したものや、エンジニアの集団としてのお金儲けの仕方について触れているところが多かったりして、エンジニアが作りたいサービスとそこからどう利益の出して成長させていくのかという点においては結構、考えるところがあったりします。



お金儲けに染まりたくないという心情


というのは自分もあったりして、流石にこの歳になって家庭を持ったりするとそんな奇麗事ばかり並べてはいられないぞ、というところはあるんですけど我武者羅に開発とかしてたころはお金儲けの仕組みを作るってこと自体に興味がありませんでしたし、凄いものを作れば周りもついてきてくれるという気持ちさえ持っていたりしました。

別に欲しくないというわけではないのです。

それが一番になりたくないという気持ちが強かったんだと思います。


ただ、世の中には色んな職業や考え方を持つ人もいて、それを中心に考える人もいるわけです。

当然、ビジネスの世界で事業を継続するためには資金が要るわけですし、成長させるためにはなおその元金が必要になってきます。

お金儲けを中心に考え出すと、サービスを作るということ自体が乱暴に言ってしまえばどうでもよいものと化す可能性があります。

その寿命や世間の目を気にしなければ人気のサービスのパクリであったって言い訳でなんですけど、エンジニアとしてそれを作りたいか?と問われればそんなものを作りたくて技術磨いているわけではない、って思うエンジニアは多いでしょう。

そんなこんなで偏見だったりする部分もあるんですけどコンサルやっている人を酷く毛嫌いしている時期がありました。


お金儲けを中心に考えると曲げない(捨てないと)といけなくなるところが多々出てきます

これは日常の仕事の中でもそうなんですけど、新しい技術や保守性を保つよりも取りあえずスピードが求められたり、使いたくも無いパッケージを使う羽目になったり、入れたくも無い広告をでかでかと入れる必要性に迫られたりします。

日本人特有のお金は汚いものっていう感性が相まってか、そういう世界で精神を削られるよりは好きな開発に注力したいという心情も理解できたりします。


なので、そのサービスを作る意義や思想というものが大事になってくるのではないかと思うわけです。

まぁ平たく言えば、結局はお金儲けをする道具を作っているに過ぎないのですが、それをしていると感じさせてくれれない気持ちをそちらに向けさせないキャッチフレーズ的なものって結構好かれてるんじゃないかなと思います。



お金を稼ぐってことで割り切られる効果


そんな若かりし頃の感情もまだ残りつつも、自分もプライベートではとあるサービスを作るのにエンジニアとして参加していたりするのですが、そんな話を持ちかけられたときもやはりお金の話って切っても切れなかったりします。

当然、ボランティアでやるわけではないので(少なくともその話はそういった内容のものではないので)、プライベートな時間を削る分の対価を得たいと思うわけです。


ただ、じゃあ月幾らでとか、このサービスを作ってこんなビジネスモデルで集計を立てて、売上目標は幾らでとかいう話をされたらビジネスとしては当たり前のことなんでしょうけど途端に胡散臭ささえ感じられたりします。

エンジニアって営業とかに比べたらお金の話と遠い位置にあったりして、自分が作ったソフトウェアやサービスが幾らで売れたとしてもあまり身近に感じずに単に数値として定量的に見てしまっているところがあるのではないかと思ったりします。

ですので、エンジニア兼営業的なことをやるとその金額が途端に生々しく感じられたり、あまり現実味の無い話に聞こえたりします。


自分がそういったお金に対する抵抗が少し解けて実際に何かサービスを作っていくうえでは、そのサービスをどう成長させていくのかとかどうやって収益を立てていく必要があるのかという視点って凄く大事なことなんだなと思うようになったいう点ではこの話を受けてよかったなと思っているところです。

それは当然仕事をしていく上でも当たり前のように考えられていることですし、対価に対してやる範囲が決められたり、優先順位がそれによって変わってきたりもします。

もちろん、プライベートとは言え仕事の流儀に沿ってやってたりするわけですから割り切るところは割り切らないといけなくなってくるわけなんですけど、完全にプライベートであればそんな難しいことはあまり考えないでしょう。


もう1つ思うのは、そのサービスを成長させるビジネスモデルを作るということは、行き当たりばったりではないことの表れであったり作りたいものをはっきりさせる効果があったりします。

まぁ、やってみないとわからないところはありますし世の中のニーズに沿っているのか、とか考えたらそれだけできていればよいというわけではないのですが、少なくともプライベートで作るものにあまりそういった考えを持ってたりはしません。

取りあえず自分が作りたいものを作ろうという。

ただ、そういったものって長続きさせるには相当なモチベーションが要るわけですから、ある意味仕事のような割り切りができたほうがやりやすい面はあるのではないでしょうか。


そして、そういった成長路線を描くには様々な分析が必要になってくるわけで、自分自身が完全にそうなんですけど「プライベートでは何を作っていいのかわからない」という状況がクリアになってきます。

仕事での役割分担も完全にそうですけど、PJに参加するメンバーごとにロールが異なるわけで、作りたいものがあるけど作れない人と作れるけど作りたいものがわからない人、というのがうまく合致しないとなかなか一人で二役をこなすのは難しいものだと強く思ったりするわけです。


それを作りたいか?と言われればそうでもないんだけどお金もらえるし、その為にはそのサービスを成長させていく手段を考えていかないといけないって割りきりができる分、気分的に楽になるところがあるのではないでしょうか。

それによって得られる環境というのもありますし、やりたい事も広がってくる部分もあるので、それが目的になると道を外れる可能性はありますけど、あるに越したことはないレベルで考えてみるのは良いのではないかと思うこのごろです。