新しいモノやサービスがもたらすものと豊かさについて | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

本年も当ブログをよろしくお願いします。

去年はあまりブログかけてない印象だったので、今年は無理はしないでももう少しペースをあげていけたらいいなと思っているこの頃です。


さて、お正月はというと帰省していたりして、戻ってくる際に東京駅付近で発生した火事の影響をもろにくらってしまい、帰りの新幹線が大変なことになったりしていたんですが、この件についてTwitterでの発言なんかが話題になっていたりもしました。

巻き込まれた身としては余裕の帰宅のはずが家に着いたのが深夜になって疲れはしたんですが、あんまり深く考えなくてのんびり変えれば良いや的に思ってたりもしたんですけど、やっぱり当たり前に動くものと思っていたものが想定からずれて新幹線のホームは大混乱でしたし、そのことに苛立ったりしている人を何人も見かけたりして、高度に進んだ技術やサービスというのが、人の豊かさに対して必ずしもプラスになっているのではないんじゃないかって考えさせられたりもしました。



技術の発展と豊かさ


1つ思ったのは技術の発展というのが必ずしも人々を豊かにしているわけではないんだな、という点です。

確かに新幹線や飛行機は高速に遠隔地に運んでくれますが、それによって緩和される時間のロスや旅行の苦労とは引き換えに、特に時間なんかは自由度と引き換えに追われるデメリットも出てきたりします。

整備された交通網のおかげで移動の時間が短縮される代わりに、せわしない旅行日程が組まれたり(現に詰め込みすぎなんじゃないかって印象を受ける旅行雑誌の日程表なんかもありますし)、発展した情報機器によって大量の情報にさらされ目の前にあるものの印象よりもネットの向こう側の情報に気を取られたりします。


現代人というのは常に何かに追われています。

イベントに出れば写真を撮って共有しないという観念に駆られたりする人も多いのではないでしょうか。

余談ですけど、写真を撮ったりすると目の前に起きている事への印象が薄れたりするそうです。


写真の撮り過ぎ、思い出薄れる? 心理学研究 @ AFPBB News


写真の共有というのもTwitterやらFacebookやらで常に誰かと比べられる・比べたい状況に身をおいているのが引き金になっていたりもするわけですけど、常にそんな周りを気にしないといけない状況になってSNS疲れを起すなんて要因になるのもなんとなくわかったりもします。

欲求の満たし方がより高次のものへと昇華し、多くの人の承認欲求が強くなっているのかわかりませんが、相手に伝えたいことは本当はそんなことではないでしょうしその温度間も自分と他人とで全然違うはずで、会えば身内ネタで済まされるようなことが炎上のネタになったりと、その欲求の満たし方の掛け違いによってブーメランのようにダメージが跳ね返ってきます。


今の時代、思い出を切り取ったりそのまま保存するということが容易になったことで人々が感動するレベルというのは一昔の人と比べて全然違うものになっているんだろうなとか思ったりしますが、忙しい我々にとってはただ1つのことに力を注ぐよりもより多くのものを見聞きしたいと考えるのは当たり前のことかもしれません。

ただ、後で見ることは無いのにビデオカメラを差し向け、何故か家ではYoutubeにアップされた他人のビデオを見ていたりします。

新幹線や飛行機は驚くべきスピードで遠くに連れて行ってくれますが、それでもなおその間にじっと座っている人は少なく、携帯やスマートフォンを触っています。

自分も目の前に人がいて喋っている一方でネットの向こう側の情報が気になってチェックしたりしますし、それなのに1人になると人恋しくてLINEなどしてみたりするわけです。

常に時間の隙間を埋めないといけないような病気にかかっているのかもしれません。


1つのことに集中できる時間を持つということは贅沢になってきていますし、常に短時間で並列の処理を求められている現状では相手もそれを求めてきたりします。

自分が豊かになる一方で求められる事、やらないといけない事も増えてそれによって窮屈さを感じてしまうのではないでしょうか。



テクノロジーの取捨選択


以前に読んだ「ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 」という本の中で近未来(2025年)の人々の働き方というのを描いてたりしてますが、ここでも人々がより多忙でより多くの情報にさらわれる未来を予測しています。

大体10年後の世界なわけですが、10年前と今とを比べると劇的に変化している状況と技術革新が加速度的に起こっている状況を見れば当たらず遠からずというような印象を受けたりします。


これと近い将来で2020年には東京オリンピックがあるわけですけど、今の親たちが子供たちに間近でトップアスリートの姿を見せてあげたいと思っていても、その子供たちが見るのは例え現場にいたとしてもカメラやスマートフォンを通してほとんどの光景を見ているのではないだろうかと思ったりします。

まぁ、当の親も同じことをしてそうな気がするんですが、思いは何だか裏腹だなぁとも感じたりするのですが。


きっとこれからも世の中に出てくる新しいテクノロジーによって本来やりたかったことでも好奇心をくすぐるものが多すぎて捨てざるを得ないことって多々出てくると思います。

幾ら並列処理に慣れているとはいえ限度がありますし、常に頭を動かすそんな状況だと平穏もあったものではないでしょう。

ある意味、可能性が広がっているわけですし進む道筋の選択肢も自由度を増すわけですが、よっぽど変化に慣れていたり乗りこなせる人ではない限りその全てを渡り歩いていくのは難しいのではないでしょうか。


常に大量の情報にさらされ、世の中に無作為に放り込まれる数々のテクノロジーと向き合っていくというのは、これからの現代人の生き方と宿命にはなるんでしょうけど、周りがそうだからといってからといって必ずしもあわせる必要もありません。

自分のペースに合わせて世の中にあるサービスや製品を選んでいけばいいと思いますし、選択肢の1つには「どれも選ばない」という選択もあるはずです。

結局のところ、豊かさを得るためのテクノロジーが自分の首を絞めることもありえているわけで、自分に使いこなせるのかどうかも含め、それを道具としてどう使っていくのかということを考えないと、得られるのは豊かさではなく蝕まれる結果になるのではないかと思うのです。