A Day In The Boy's Life -186ページ目

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

[IT] Web 3.0へようこそ。データセンターが君のコンピュータだ @ TechCrunch Japanese


Web3.0という言葉は、まぁ置いておいてそのWeb2.0の次の時代がここで書かれている


Web 3.0: 誰もがイノベーションを実行できる

というのは肌で感じている人も多いのではないでしょうか。


以前に書いた「新たなプラットフォームと新たなエンジニアの誕生 」という記事の中で


以前にPodcastで聞いた「ウェブを変える10の破壊的トレンド」の中で(※)、著者の渡辺 弘美氏がBlogパーツなどを組み合わせて自由に環境を作り出す人も、これからは広義の意味でプログラマと呼ばれるようになる、と仰っていたの聞いてあぁなるほどという思いが強くなりました。

「ウェブを変える10の破壊的トレンド」を「聴いた」


という内容を紹介しましたが、まさしくそれが当てはまるかのように、一昔と比べるとそんなに知識が豊富でない人でも、オリジナルのサービスをスタートアップさせる事は簡単にできる時代になっています。

ネットの黎明期(Web1.0時代)であれば、それは限られた人にしか与えられていない特権でした。

例えHTMLしか知らないという人でも強者で、そこで表現されるサービスが羨ましく思われていた時代だったわけですが、今では(知っている方がもちろん強いのですが)さほど重宝はされません。

それに取って代わるものがあふれているからです。

ブログを書くこととHTMLをコーディングする事がイコールになっている時代です。


で、Web3.0の行き着く先にある問題が、中途半端な知識しか持ち合わせていないエンジニアの居場所です。

SaaSが当たり前になれば、中途半端なプログラムを書くエンジニアは要らなくなる、PaaSが当たり前になればそれに加えて中途半端にサーバー管理するエンジニアも要らなくなる。

凄腕のエンジニアはもちろんそれらのサービス基盤を作る企業に引っ張りだこです。


そして、イノベーションを起こすのは、エンジニアだけに限らなくなります。

経理のおばちゃんでもイノベーションを起こしえる基盤ができようとしているのです。

逆に中途半端な知識を持ち合わせていない分、中途半端な知識が邪魔するエンジニアよりイノベーションを起こしうる能力を持っているかもしれません。

数年間エンジニア業を続けていて、手段は持っているのに何も始められなかった人と、手段を持ち合わせていないが故にはじめられなかった人では後者の方が秘めている能力は高いといえるかもしれません。


明日からそうなるわけではないでしょうが、そういう方向にITの世界は収束しようとしていると強く感じます。

完全に裏方に徹してイノベーションを起こす基盤を作る優秀な真のプログラマか、それらの上でイノベーションを起こす広義のプログラマか。

極端に言えば、その双方どちらかにエンジニアは向かわなくてはならなくなる。


ウェブの世界で生き抜いていくためには、強固なサービス基盤を作る事が重要です。

日本の中で言うと、ポータルの基盤を作ったYahooとか、SNSの基盤を作ったmixiとか、ネット通信販売の基盤を作った楽天とか、ネット広告の基盤を作ったGoogleとか。

ネット黎明期であれば、その基盤というものを発掘する余地はふんだんにありましたが、時代が進むにつれてその広大な土地は耕しつくされ、やがて中途半端なものを作っても淘汰されるという今の時代になっています。


言い方が悪いですが、中途半端なスキルでもアイデアがあれば光を見つけることができていたわけです。

それが今は、「こんなのどう?」と言ったところで、それは「あそこがやってる」とか「あれとあのサービスを組み合わせるとできる」とかという時代になっています。


これはもちろん極端な例ですし、その間をうまく食いつないでいく余地はあります。

しかし、そこに好きを貫くモチベーションたるものが存在するかどうかは疑問です。

巨大なサービスが作り出す日陰の仕事をこなす事が、それほど楽しいものとは思えません。

なんせ、自社が提供するパッケージを顧客向けにカスタマイズするそれと変わりません。

エンジニアとしての立場は狭くなるのに、モチベーションは今と同じではやりきれません。


それに飲み込まれたくなくば、エンジニアとしての個を磨く必要が出てきます。

そしてはっきりとエンジニアとしての目指す先を見据える事だと思います。

まだ、Web2.0時代の終焉が来たわけではありません。

いわば今の時代は道半ばに悩むエンジニアにとっては最大にして最後の岐路に立っている時期なのかもしれません。

それを幸と捉えるか不幸と捉えるかは自分次第だと思います。





バカの壁 (新潮新書)


少し前に書かれた本ですが、内容としては普遍的に捉えられるべき事項が書かれていてとても興味深く読めました。

その内容は、まえがきの中に簡潔に述べられています。


結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。

私たちは、自分の世界を持って生きています。

親、友達、住んでいる地域、家、自分の勤める会社、好きな食べ物、TV番組などなど。

それらの世界に浸り生きていく中で、私たちは知らず知らずに自分の中に壁を作ってしまっています。

それは、自分の世界がある故の壁です。


それを超えることはなかなかできません。

なぜなら、その世界が全てだと錯覚してしまうからです。ことわざにある、井の中の蛙の状態です。

そして、その中が全てだと勘違いして物事を判断しようとしています。

それが正しいという確証もないのに。

自分の世界の中で得た情報がそうだったから、自分の世界に住む住民がそういっていたから。

それが正しいと判断する材料は、所詮そのようなものからだという事が分かります。


より簡単に表現してしまえば、多角的に物事を考えるようになりなさいということになると思います。

でも、多角的って何だ?となります。

さまざまな角度から物事を考えるということは難しいことです。

では、まず自分の方向や考えの領域をはっきりさせれば、それ以外となります。

その自分の領域の周りに作られているのがまさしく壁です。

その壁を越えた領域にあるものを考えればよいとなります。

もちろんそれがわかったところで簡単にできることではないのですが。


その壁を超えるにはどうしたら良いか、その壁を超えることの意味はどんなことがあるのか。

それらが描かれていて、読んでいて引き込まれる内容です。


この本は、以前に読んだ「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 」と内容が似ています。

こちらは、科学に特化して書かれていますが、「バカの壁」の方はそれをもっと普遍的に落とし込んだ内容で書かれています。

この本の中でも、その科学に関することが出てきていて、2つの本がリンクする部分もあり、併せて読むとより面白いと思います。


人はみな、この「バカの壁」を持ち合わせているものだと思うと、その対策や自分の考えを違う軸から捉える事に役立つかもしれません。





どうやら、前回書いた「ウェブ時代 5つの定理 」という記事を著者である梅田望夫氏が見つけて、本ブログを尋ねてきてくれたようです。

氏自身のはてブ に登録されていて、知りました。


こんなことあるんだなぁという思いと、ネットの向こうにあるリアルが実際に感じられて身震いした瞬間でした。

ネットがリアルの上に成り立っていることは誰でも知っていると思いますが、その向こうにあるリアルを意識することはあまりないのではないでしょうか。

応援しているスポーツ選手のブログを覗こうが、アイドルがファンに向けて書いた重大発表の記事を見ようが、それって多分本人が書いているんだろうけど、一部でフィルタが入っている部分もあるんじゃないか、または本当にそれって本人が書いたのかな?、という思いがあったりもします。

ですが、どちらにしろそんなことどうでもいいよね、と気にしないことが通常です。


その著名人の記事を書く時の姿を想像する人などほとんどいないのではないでしょう。

何らかの情報がネットに発信されたのであれば、それをPCなり携帯なりデータを一つ一つ打ち込んでいる作業と時間がその前段階として存在します。

ですが、そんなこと気にしない。発信された目の前にある情報が興味の対象と。


今回、身震いしたのはそんなネットの向こう側のリアルがイメージができてしまったことに対してです。

私が記事をポストしたその時と梅田さんが記事をみた時、その2つが時空を超えてつながったという感覚です。


自分自身、こういうことをよく考えたりするほうです。

例えば、自分の口に入れた食材はいつ収穫されたものだろうかとか、そしてそのとき自分は何をしていたのだろうかとか。

情緒的に考えれば、それはわからないほうがよいこともあります。

ある人から手紙をもらっとき、それって何時かいたかわからないけど、自分ためにしたためた時間があったことがうれしくなるもので、昨日の夜10時ごろに書いたとわかると、その2時間前にあって話してたよねとか、妙にリアル

つながってしまうことで感情が薄れてしまうケースもあります。


ITの世界を見れば、そういう情緒的に人と人をつなげてくれるよさもあったりするのですが、妙にリアルが見え過ぎるところが嫌という問題もあります。

mixiの足あと問題とかその一つだと感じます。

ですが、ネットはつながっているのに、つながった形跡がないというのもまた寂しいものでもありますし、今回のような体験はできません。


ITを成す基盤には、言ってしまえば確定的なものしか残っていません。

誰が何時サイトを訪れたやら、どういったキーワードを入力したやら、Aを買った人の20%はBも買うとか、確かにそれは戦略的には意味を成す事であるとしても、人を動かすのはそれだけではないはずです。


作る側も使う側も、もっとネットに情緒的なものを持ち込んでもよいと感じます。

誰かの感情と行動が、誰かをつき動くす事ができたのなら、それはとてもすばらしい事なんですから。