VIPが来た日 | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

どうやら、前回書いた「ウェブ時代 5つの定理 」という記事を著者である梅田望夫氏が見つけて、本ブログを尋ねてきてくれたようです。

氏自身のはてブ に登録されていて、知りました。


こんなことあるんだなぁという思いと、ネットの向こうにあるリアルが実際に感じられて身震いした瞬間でした。

ネットがリアルの上に成り立っていることは誰でも知っていると思いますが、その向こうにあるリアルを意識することはあまりないのではないでしょうか。

応援しているスポーツ選手のブログを覗こうが、アイドルがファンに向けて書いた重大発表の記事を見ようが、それって多分本人が書いているんだろうけど、一部でフィルタが入っている部分もあるんじゃないか、または本当にそれって本人が書いたのかな?、という思いがあったりもします。

ですが、どちらにしろそんなことどうでもいいよね、と気にしないことが通常です。


その著名人の記事を書く時の姿を想像する人などほとんどいないのではないでしょう。

何らかの情報がネットに発信されたのであれば、それをPCなり携帯なりデータを一つ一つ打ち込んでいる作業と時間がその前段階として存在します。

ですが、そんなこと気にしない。発信された目の前にある情報が興味の対象と。


今回、身震いしたのはそんなネットの向こう側のリアルがイメージができてしまったことに対してです。

私が記事をポストしたその時と梅田さんが記事をみた時、その2つが時空を超えてつながったという感覚です。


自分自身、こういうことをよく考えたりするほうです。

例えば、自分の口に入れた食材はいつ収穫されたものだろうかとか、そしてそのとき自分は何をしていたのだろうかとか。

情緒的に考えれば、それはわからないほうがよいこともあります。

ある人から手紙をもらっとき、それって何時かいたかわからないけど、自分ためにしたためた時間があったことがうれしくなるもので、昨日の夜10時ごろに書いたとわかると、その2時間前にあって話してたよねとか、妙にリアル

つながってしまうことで感情が薄れてしまうケースもあります。


ITの世界を見れば、そういう情緒的に人と人をつなげてくれるよさもあったりするのですが、妙にリアルが見え過ぎるところが嫌という問題もあります。

mixiの足あと問題とかその一つだと感じます。

ですが、ネットはつながっているのに、つながった形跡がないというのもまた寂しいものでもありますし、今回のような体験はできません。


ITを成す基盤には、言ってしまえば確定的なものしか残っていません。

誰が何時サイトを訪れたやら、どういったキーワードを入力したやら、Aを買った人の20%はBも買うとか、確かにそれは戦略的には意味を成す事であるとしても、人を動かすのはそれだけではないはずです。


作る側も使う側も、もっとネットに情緒的なものを持ち込んでもよいと感じます。

誰かの感情と行動が、誰かをつき動くす事ができたのなら、それはとてもすばらしい事なんですから。