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A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

ここ最近、自分でもあまりブログを書いてないなぁ、って思ってます。

昔は結構、毎日頑張ろう!とかブログを書くことで、自分のブログが成長するのを実感しようと思っていたりしたのですが、今でもその気持ちはありつつも、どうも昔は書いていたネタに反応しなくなってきました。



ネタにするネタ、ネタにしないネタ


前はCNET JapanやITmediaの記事を読み漁ってネタを拾うようなことをしてました。

大体この辺探せば、自分でも書けるネタと言うのは転がってたりします。

新しいサービスや機器について、自分なりの感想を付け加える程度のものですが、それでも1エントリを作ることは、さほど難しいことでもありません。


が、確かに自分の意見をプラスはしてみても、オリジナルに毛の生えた程度のものしかできないので、読んでる人もあまり反応がいいものでもないな、と感じてそのうち取り上げもしなくなりました。

元々専門特化したライターの人が書いた記事です。

無名の自分がそれにプラスする要素としたら、それほどオリジナリティが無いわけなんですよね。

もちろん、自分で実際に使ってみてその感想や自分なりの視点をプラスすればよいのですが、自分はアーリーアダプターでもないので、新しいWebサービスや機器を好んで試すと言うほうではありません。

その時点で、そういうネタを書くことは無理があるな、と。


昔はずいぶんとネットの使い方も下手だったので、見てる範囲が狭かったのですが、今ではそれなりに広げられてきて、1日に拾うネタの量も増えてきました。

確かにネット上には、面白いネタと言うのは沢山転がっていて、自分もそれらを読んでみては考えさせられることが多いのですが、以前に「ブログを無理に更新しない勇気 」という記事でも書いたように、このブログ自体、書くエントリのターゲットを絞っているので、そこから外れるようなものは書かないと言うポリシーを持ってたりします。

なので、情報のアンテナは広くとっても、このブログに引っ掛けるネタというのは、限定的なものだったりもします。


あと、ある程度ブログを続けていると、こういうネタは好まれるだろう、こういうのはウケないだろうというのが、なんとなくわかってきたりします。

合理的選択というか、ブログに費やす時間とそれによって得られる反応と言うのを、どこか天秤にかけだしたのかもしれません。

ブログネタって鮮度が大事だったりもしますし、アルファブロガーがある話題を取り上げると、大体そこで終わった感もあったりしますしね


昔のブログスタイルは、あまり自ら情報を発信していくタイプではなく、誰かのネタに自分の意見をプラスしていく、二次加工ブロガーのような感じでした。

何かのネタがあって初めて、自分のブログが書ける、といった具合です。

いいネタがないと書くこともできなかったりしました。


今では、若干その辺の考えを改めて、自分オリジナルのネタを発信していこうというような方向にシフトさせたりしています。

ただ、ポンポンと日常にブログネタがあったりもしないので、その分更新が遅くなってきたのかな、とも思ったりしています。



ブログから場を変えただけのものも


もう一つ感じることは、ブログ以外にも自分の考えを表現できるツールというのはたくさん出てきています。

はてブでもコメントは残せますから、気になる記事があればブックマークをつけるとともに、そのときの感想を簡単にまとめることもしばしばあります。


また、Twitterを始めたら頭にあることをすぐに吐き出してしまって、そこで多少なり満足してしまって体系的にまとめようと言うことを止めたりもしてます。(良いにしろ、悪いにしろ)

Twitterを始めてブログの更新回数が減ったかもしれない 」に書いたように、頭の情報をあちこちに発散することによって、書きたい衝動が和らいでいる、というのはあるような気がします。


もちろん、こうして今ブログを書いているように、頭のもやもやとした考えをまとめて吐き出したい、という欲求に駆られることもあったりします。

が、やっぱり日々そうやって発散していると、穴が開いた風船を膨らませているように、一気に勢いよく、バッと頭の考えを吐き出したいと言うのは、昔ほど抑えられているような気がします。


なんか取りとめも無いエントリになりましたが、昔と比べてずいぶんとブログとの付き合い方も変わってきたな、というのが大きく感じるところです。

表現ツールの多様化によって、表現の場と表現の方法に選択肢が増えてきたというか。

それぞれのところに、それぞれの表現の仕方があるので、無理にブログに吐き出さなくてもよい、という考えにもなってきました。

昔ブログでネタに取り上げていたような、たいした反応の無いものでも、Twitterだったら意味のある会話として成り立ったりもしますね。

それぞれの表現に適したツールで、それに合った表現がされるようになってきたのかなとも感じます。




紙の本が100%亡くなると断言できる、たった一つの理由 @ 今週の天牌


弾言も出ているようですが・・・。


私自身、紙がなくなるかどうかと聞かれると、今と違って紙の適用範囲ってぐっと縮まっていて、未来ではそれに取って代わるものに置き換わっているのだろうなぁ、ぐらいしか言えません。

数年前に、曲げられる薄型ディスプレイが誕生するみたいなニュースを見たこともありますが、きっとそんなものに取って代わられるのでしょう。


多くの人はそんな予想をしており、私自身もそれに漏れずありきたりな想像しかできないのですが、現時点でそれが紙ほど使いやすいものか、と聞かれると多くは「使いにくいだろう」と答えるのではないでしょうか。

AmazonのKindleのような電子書籍リーダーを渡されても、多くの人はとっつきにくく感じるのだと思います。


それは、単純にそういったものに慣れていないから、だと感じます。

電話をはじめて使った人は、その使い方に戸惑ったはずです。

海のものとも山のものともわからない物体から声が聞こえ、相手に自分の声が聞こえているわけです。

構造的にどうなっているのか、というのもそうなんでしょうけど、人と会話するスタイルが電話を使った場合とで、まったく違うと言うところにも、驚いたことだと思います。


ですが、今は電話は当たり前に生活のライフラインとして確立されています。

電話で話すときは、耳に受話器をあて、口元にマイクを寄せて話します。

そのスタイルに慣れているわけです。


今では一般的に広まったもので、最初はその使い方に慣れなかった、と言うものは数多くあると思います。

私は、携帯でメールを打つことが最初は全然慣れませんでした。

小さすぎるディスプレイにこまごまとした文字が表示され、相手に瞬時に情報が届くとはいえ、それを使うぐらいなら電話したほうが早いな、と思ってたりしました。(実際そうなんですけど)

(私は持ってませんでしたけど)ポケベルが出たときも、何でこんなめんどくさい入力をしないといけないんだ、と思っていましたが、当時のJKは公衆電話や携帯から神速でメッセージを作ってました。


今では、携帯電話は自分自身手放せないものになっていますし、電話するよりメールを送ったほうが色々面倒がなくていいよなぁ、と思ったり当時より少しばかりか大きくなり、高解像度のディスプレイではネットを楽しむようになってたりします。

機器自体が進化したとのもあると思いますが、自分自身がそういった使い方に慣れてしまったのが大きな要因でもあると感じます。


仕事をしてても、ほとんど紙で出力することはなくなりました。

PowerPointやPDFで資料を読むのに慣れましたし、そっちのほうが何かと便利に読めたりします。

一方で、データで資料を渡しても絶対にプリントアウトして読む人もいたりしますが、そういった人はそういうスタイルに慣れていないんだろうなと思います。

(プログラムをプリントアウトして読むエンジニアもいたりしますが・・・)


なので、未来がどうなっているかわかりませんが、先ほど出したKindleのような電子書籍リーダーは、今後多くのメーカーからも出されるでしょうし、それが広まるにつれそれで文字を読むというスタイルに、多くの人は慣れていくのだと思います。

そういう紙に取って代わるものが台等していくのも、メーカーの戦略的要素もあったりすると思いますけど。


ただ、100%紙がなくなるか、と言われたら私はそうは思いませんけどね。

何でもかんでもデジタルデータになってしまうと、なんかありがたみのようなものがなくなりますし。

絵画を電子データで見ても何も感じないですからね。

(もし、紙が100%無くなったら画家という職業は消え、全てはCGデザイナーのような人に置き換わるんでしょうけど)

手紙は気持ちを伝える、というキャッチフレーズがあったような記憶がありますけど、そういう一部のところで価値観をまして紙という媒体は残るのではなかろうか、と。


時代とともにライフスタイルが変わっていき、はじめ受け入れがたかったことでも人間はそれに順応し、いつの間にかそれを当たり前のものとして受け入れていくものだと思います。




ある地位につけられ、下に部下をつけられ、日々上からの達成指示と部下からの不満に悩まされる。

なりたくなくとも、いつの間にかそんな位置に追いやられてしまったエンジニアの人たちも多いかと思います。


こんなことになってしまうと、技術的スキルを磨く時間も取れず、仕事は上流工程に追いやられ、いつの間にか技術的な話題からも取り残されるエンジニアとなってしまいます。

エンジニア定年説なんてものは、私自身信じていませんが、そういう風に本来力を発揮できるフィールドから強制的に退去させられたエンジニアは、武器を磨く時間もなく、いつの間にか錆びたレガシーシステムしかわからない、技術的には現場のエンジニアとかけ離れた能力の人となっていたりします。


それでも、技術的スキルは犠牲にしても、マネジメント能力とか他のスキルが成長してるから良いと言う人もいるかもしれませんが、本来第一線で活躍したいことを願うエンジニアにとっては、翼をもがれた感があるわけです。



管理職エンジニアを阻むもの


管理職やチームリーダーのような地位に追いやられたエンジニアが伸び悩む理由は、シンプルに「それに集中する時間がない」からだと感じます。

技術要素に触れる時間がない、開発に充てる時間が取れない、他の阻害要因に時間を押しつぶされ、それに集中することができない。

なんにせよ、あることを成し遂げるにはまとまって集中する時間が必要になります。


その理由は、それを阻害する要因が多いからです。


・ プロジェクトやチームの管理に時間が割かれる

・ 下の子達を教育に時間が割かれる

・ メールなどで仕事の依頼がわんさか来る

・ 不毛な会議への出席

・ 大量の報告書


などなど、どれもこまごまとしたタスクが多いのですが、それが積み重なって集中する時間を阻害します。


集中するためには不要なものを捨てなくてはならない、と言うのは色々なブログや書籍でも語られています。

まさにその通りだと思いますが、それがわかってても会社の風土やそう思っていない人たちからの圧力によってかき消される羽目になることがほとんどです。

もう、ある程度その地位につけたと言うことは、技術は捨てて次のステップへと進みなさいよ、と宣告している感じも受けます。


皆がみんな共通の認識を持っているのであれば、楽に達成できると思います。

自分の技術的能力と言うものを認めさせ、ただ新人の育成やプロジェクトの管理などの最低限業務はせざるを得ない場合もあるので、そのためにとことん自分でする必要のないものを捨てて、自分の強みが発揮できるところへ時間を注力していく。

それを組織の誰もが実践するようであれば、エンジニアとして活きる道と言うのは、自分の前に進み続ける強い意志でどうにかなるものだと思います。



管理職エンジニアとしての活かす道


思うことは、例えば30歳まで現場で働いているエンジニアに対し、そろそろ管理職としてのスキルも身につけてもらいたい、と思っている上司がいるとして、それって本当にその人や組織にとって一番良い答えなのだろうかと言うことを考える必要があるのではないかなと。

RPG風に言うと、そのエンジニアを転職させるわけです。

転職すると能力は持っていても、レベルは下がります。


ただ、現実世界では能力はただでは継続できないと言うことです。

一般的に使わない能力は退化します。

魔法使いから戦士に転職して、ムキムキマッチョになったとしても、そのうち魔法は忘れ、ただの戦士になってしまうわけです。

その能力を退化させないためには、個人の努力によってカバーできるかもしれません。

しかし、会社ではその時間を与えることはしないわけですから、おのずと純粋に魔法使いだったころの能力は、徐々に退化する一途をたどります。


その組織は誰を何に育てたかったのか?

魔法使いだったのか、戦士だったのか、はたまた商人だったのか。

色々な能力を持つ人が様々な職で成長していったとしても、その最終系は管理職として、チームをマネジメントする人が出来上がればよいのか。


魔法使いは、最後にとんでもない魔法を覚えるわけですよ。

そこまでの成長を待たずして、何でもかんでもジョブチェンジさせるのはどうなのか、そのエンジニアの活かす道というのを、個々に考えていくべきではなかろうかと思います。