バルス祭りに見るネットとテレビのこれからの関係 @ 未来私考
これ、よくわかる。
Twitterに限らずネットって共有する空間が必要なんだなって。
ネットがその共有する空間を埋めるものと考えられてたりもしますけど、まだそういう風な使い方をできるのは限定的なところなんだな、と感じたりします。
のっかる感覚
今の子供たちはどうかわかりませんが、私の小学生や中学生の頃は、面白いテレビ番組があったら必ず「あれみた?」というところから、会話が進んで言ったりもしました。
見なかったらその会話についていけない、でも見てたら勝ち組みたいな。
それは、単に同じ空間を共有したという仲間意識を働かせたいだけなのかもしれませんが、コミュニケーションの根底にあるのって、そういう共有できる情報を持ち合うところにあるのかなと思ったりもします。
大人になって同じ仲間みたいなところは意識しなくとも、同じ情報を持ってた方が会話も弾みます。
共有の話題があって、自分の視点をそこに重ねていく、重ねられていく感覚が楽しいのかなと。
Twitterで、一言POSTがRTによって別の人の一言ネタに重ねられていくのも、そこへのっかることで参加している感覚の楽しさがあるからじゃないかなと。
同時多発的なPOSTをするのも、そこに参加している楽しさを感じているからなんでしょう。
カウントダウンイベントなんかでみんな一斉に声をそろえて数えるみたいな。
そこにいる全員が空間を共有しているという一体感はなんともいえない楽しさがあります。
幾らネットがリアルタイムになろうとも、そのコンテンツを消費する時間帯を揃えることは難しいですし、その消費している人を見せることも難しかったりします。
Twitterのよさは、そのリアルのような一斉に馬鹿騒ぎするという空間を作ったうえに、可視化できているところにあったりするなと思います。
ネタが必要でみんな飢えている
Twitterで幾ら空間が共有できるようになったとはいえ、肝心のネタが無くては何にもなりませんよね。
自分の日常から搾り出すこともできますが、そうそうみんなでわーと騒げるようなものって簡単に見つかったりもしません。
自分で興味を持ったネット上のコンテンツを紹介したところで、見る人が数人でしかも反応が返ってくるとなるとより稀だったりもします。
それだと、空間を共有しているという感覚はかなり弱かったり。
で、ネット以外で一番簡単に、みんなが同時に見ているものということで、テレビが登場したりします。
これは、テレビのいいところでも悪いところでもあると思うのですが、全国に同じ情報を同じ時間に垂れ流しにできるところにあります。(地域によって異なる場合も多いですが)
Twitterのつぶやきの中でもテレビネタというのは結構多い部類ではないかなと思います。
日曜の夕方になると、笑点やサザエさんがバズってますし、リアルに人が見えるツールですから、その人の行動とPOSTが連動していることが目に見えたりもします。
テレビってネット違って見る時間帯を揃えていることと、幅広い年齢層でも理解できるようにかなりわかりやすく作ってます。
なので、ネット上にあるコンテンツに比べて受け取る情報の個人差も少ないのではないかなと。
こういうと何なんですが、ネタにするためのネタを探してたりするところもあるんじゃないかなと。
なので、テレビは死んだみたいな議論もあったりしますが、テレビが無くなったら無くなったで困る人も多いんでしょうね。
ネタとなるためにテレビ頑張れ、なんて言いませんがお茶の間の空間を取り戻すというようなことを言うぐらいなら、お茶の間にあった空間を別の場所に作る取り組みも良いんじゃないかなと思います。
それって、お茶の間どころの規模じゃないと思うんですがね。
Twitterの中の人は、そんな空間を共有できるネタというのを常に心待ちにしている気がします。