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ライコネンF1復帰?

http://www.topnews.jp/2011/10/24/news/f1/teams/williams/45719.html


ちょっと前からライコネンがF1、しかもウィリアムズから復帰するのでは?

と囁かれていましたが、現実に?

情報源がなんと、井上隆智穂!!

本当なんでしょかねえ。


しかし、なぜここに来てウィリアムズからなのか?

考えてみました。


ライコネンはF1に復帰したい、しかし、2年のブランクがあり、今のF1に順応できるか本人も含めて分からない。

しかも、トップチームのシート、どころか殆どのシートは既に埋まっている。

そして、今のライコネンはレッドブルがサポートをしている。

その、レッドブルは、マーク・ウェーバーの後釜を探している。STRのアルグエルスアリやブエミでは物足りない。

ベッテルと遜色の無いドライバーが欲しい。

一方、ウィリアムズは、過去の栄光もどこへやら、チームの存亡がかかるほど低迷。

経験の浅い持参金ドライバーだけでは、情けない、一時的に金回りが良くなるかもしれないけど、

長期的にはジリ貧なのは目に見えている。バリチェロではダメだ。

やっぱり結果の出せる速いドライバーが欲しい。しかし、速いドライバーに見合うサラリーもマシンも今のところない。


そこで、ライコネンには、レッドブルがサラリーを払い、レッドブルはウィリアムズにも資金提供する。

レッドブルはお金持ち、そんなことは容易い。

ウィリアムズはスター性のあるドライバー+資金を手に入れることができる。

ライコネン加入でさらなるスポンサーも得られるかも。

レッドブルは、ライコネンをウィリアムズでテストできる。STRには有望そうな若手を乗せて、そこでもテスト。

ライコネンも自身をテストできる。チームはなんだかんだ言ってもウィリアムズ。新興チームよりもマシ。

そして、ライコネンは2012年良い成績を残せば、2013年にはレッドブルへ移籍。

レッドブルは2013年にスター性のあるドライバー2人もゲット。

しかも、2人ともチームメイトは誰でもOKなドライバー。これ以上望めないドライバー構成。


こんな風に3者の思惑が重なり、ライコネン、ウィリアムズでF1復帰?それとも、ただの妄想?








F1コレクションルーム

F1コレクションルームを製作中
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場所は、実家のような、実家じゃないような両親が住んでいる家の開きスペース。
主な製作者は父上様。週末は私もお手伝いを。

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完成は11月末か?

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窓を付けたら部屋らしくなりました。

JORDAN 191

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ミニチャンプス製 1/18
JORDAN 191 Michael Schumaher

ジョーダンGPのF1デビューマシン。
そして、ミハエル・シューマッハのデビューマシンとしてあまりにも有名。

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シューマッハは、警察に捕まったベルトラン・ガショーの替わりに91年のベルギーGPでデビュー。
いきなり予選7位を獲得したものの、1周目でリタイア。しかし、次のグランプリからベネトンへ移籍。


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グリーンを基調としたカラーリングでとても美しいマシン。
日本企業もスポンサーとして多数参加。

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7upが印象的。エンジンはフォード・コスワースHB。

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このミニカーは、近年のミニチャンプスにしては多くない、ドライバーが付属していません。
おそらく、マテル?との版権の関係?


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そのため、コックピット周りがよくわかります。
でも、元々、ミニチャンプスの1/18F1モデルは、ドライバーが付属していなかったんですよね。
私は、ドライバー無しの方が好きです。何時までたっても、ドライバーの人形のデキがあまりよくない気がします。

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このジョーダン191は、過去にヤフオクで出品されていたことがありました。
でも、ショーカー(エンジン無し?)でチェザリスのカーナンバーが付いていたかな?確か値段は1000万円。
千葉からの出品だったと思います。
そして、後日行きつけだったミニカーの店長さんに、そのマシンをシューマッハが見に行ったとのことを聞きました。
シューマッハは、自身が乗ったマシンを収集していて、ジョーダン191を探していたらしいです。

もし、可能ならばこのマシンならショーカーでも良いから欲しいな。





JORDAN 198

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ミニチャンプス製 1/18
JORDAN 198
DAMON HILL

1998年、ジョーダン初優勝マシン
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この年から、1996年チャンピオンのデーモン・ヒルがアロウズから移籍
シーズン序盤は戦闘力が低かった。
しかし、大波乱のベルギーGPでチームメイトのラルフ・シューマッハとの1,2フィニッシュでジョーダン初優勝。
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デーモン・ヒルは、ウィリアムズ以外では優勝できないと言われたいたが、前年のアロウズでの活躍、
そして中堅チームであるジョーダンでの優勝でそれを良い意味で裏切ることとなる。
そして、チームは、1999年に躍進する。

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エンジンはこの年からそれまでのプジョーから無限ホンダ。
プジョーは前年まで無限ホンダを積んでいたプロスト(リジェ)へ。

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ジョーダンは、前年マシンのノーズをヘビをモチーフにしていたが、この年はモチーフをハチに変更。

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ステアリングのデザインもよく再現されています。
このマシンは、タバコ規制バージョン。
スポンサーとして、タバコ規制が無いGPでは“Benson & Hedges”のロゴがマシンに付されていたが、
タバコ規制があるGPでは、“BUZZIN HORNETS”に変更。
当然、マシンカラーリングであるハチを捩ってつけらている。

このマシンは、96年にモナコで優勝したリジェJS43と共に、埼玉の無限に展示されていました。
いまもあるのかな?

ダン・ウェルドン

残念・・・。