思いのほかアタPで幸せのうちに眠れたのだが、夜中にとうとう発熱してしまった。

何かの感染に違いない。

あほ面で眠ってる間も温かく見守られてる様で、おでこで一瞬で測れる体温計で発覚した。

すぐさま、採決と解熱の為のステロイド剤を打たれる。

不運にも今日は金曜日の夜、検査結果は遥か忘却の頃らしい。

朝目覚めても熱はまだ下がったままだったが、お昼を過ぎる頃になると38℃なんて軽く超えるようになり、寝る頃になったら錠剤の解熱剤じゃ効かなくなっていた。


昼間大人しかったいやがらせっ・・・、幻聴も夜を迎えると嘲笑うように聞こえだしてきたので、今夜も陶酔して眠ることを希望する。

処方されてる薬から、勝手に自分で選択しなくてはいけないのだ。

昨夜脳に刻まれた好感と、なんとなくリスパダールには一抹の不安を感じていたので、再びアタPと眠剤のカクテルで就寝、良い調子で眠りについた・・・っと思っていた。


・・・何人かに囲まれて身体を抑えつけられている。

必死にもがいてもがいて汗だくだ。

「なんで眠るのにこんな汗だくにならなきゃいけないんだよ! 」

夢の中でも、RPG設定で戦ってた様な気がする。

気が付きと、汗で衣服はグチョグチョだったが、気分は爽快だった。

眼の前には、看護婦さんが佇んでいる。

「熱、下がったみたいね・・・」

少しなんだか言葉が出ない。

「・・・色々とありがとう・・・」

それから着替えを手伝ってもらって、彼女は部屋を出て行った。


眠ることに少し未練を残して眠った・・・、朝、人の気配で眼を覚ます。

部屋を出ていく人影に絶句、最悪のシナリオが頭を過る。

やっぱり隣人の野郎!?

ふっと下に目をやるとあるはずの管がない。

慌て布団をめくると、身体につながる点滴の管から大量に血が逆流していた。


嘘だろ?! ここまですんのかよ。


恐怖で身体中が硬直する。

もう誰も信じられない、信じてくれない。

二日間もウダウダ能書きを垂れてた気違いのいうことなんて誰も信じない。

自分でも、信じがたい。


これをきっかけに治療過程の修正が図られる。

24時間体制だって点滴は12時間体制で就寝時はなくなり、G-CSFの投与が本日からになっり(3日も繰上げ)、就寝時も眠剤とアタPは禁止されて、リスパダールと新たに処方された精神安定剤だけとなった。

ちょうど熱も最骨頂キープだったし眠剤中毒だったんで、眠剤の復活をもくろみ拒否をし続けてきたのだが、一度処方された薬を何にもないまま取り下げる事が出来ないのか、ばかインターンは一歩も引かない。

担当医の言葉だけ信じて診察はあいさつ程度、患者の症状も観察しないで嘘も見抜けない、そんな精神科医の処方する薬なんて絶対飲みたくなかったが、リスパダールより効きが弱い事と、昼間なら多幸感を感じられる薬も処方出来るよ(質問に対しの答え)という言葉に触発されて、仕方ないので、一度試してみることにした。


初めてのルーランは、手に取るほど明確な効果は見て取れなかったが、服用して少し気が楽になった気でいるので眠ろうかと思っていたら、次々とやらなきょいけない(やっておいた方が良いなと思っちゃう)事が頭に蓄積されていき、結局、横になるまでに、それから1時間以上後のなってしまった。

それでいて眠れるかっていったらそんなに効果は感じられず、途中で目覚めるといわれのない頭痛に悩まされたり、翌日、翌々日・・・、数日間気分の悪い日々を過ごす羽目にさせられたのだった。


まずは根本的な事を精神科医に認識させなければいけないみたいだった。

入院した当初から聞かれる度に、相談したついでにいただいた薬で、別に精神疾患を患ってるわてじゃないんだよって何度も言ってるのに覚えておらず、リスパダールを持っていた事実だけが独り歩きしていた。

だから服用したのも今回が初めてで、ルーランだって頭痛や気分が悪くなるだけだったし、なによりも僕はずっと・・・、もう普通ですよ、平気です。

みたいな話を、普段は1分で終わる問診を5分以上に拡大して直接お話ししたらすぐに理解した(もしくはめんどくさかった)のか、眠剤を解禁してくれた。

なんてことはない、ちゃんと診察してもらえれば解ってもらえるのだ。


ここにも、スペシャリストであるが故の弊害が垣間見えてしまった。


以後、眠剤で眠れる様になった? のだが、その間の数日は薬物なしでもある程度は眠っていたわけで、投薬済みでも4,5時間しか眠れないってのは果たして・・・。



今度、機会があったら精神科の先生を受診してみよっと。

昼間なら処方できるって言ってた、多幸感を感じれる薬ってやつ、気になるね・・・。

移植治療で病院を移る間際に、リスパダールなる精神安定剤を手に入れたわけだが、治療が終わってよほどの事がない限り飲まないだろうと思っていた。

先生へ憤りもあったし、知らない薬は飲むのに勇気いる・・・、特に頭に効くやつは。

それに、ネットで調べてもそれ以上の効果も見当たらないしね。


一時退院の後すぐさま大学病院へ。

流石に2,3週間軟禁されるってこともあって、荷物が増える事はあっても減ることはなかった。

処方されていた薬をスルーで渡す。

血液内科以外に、栄養士、リハビリ、精神科の問診が続く。

っと言っても気分を聞かたくらいだが、リスパダールを処方されてる事にしか興味がないみたいだ。


かくして順調に軟禁生活はスタートされ、抗がん剤のテラドース投与を経て下痢と不眠に苛んでしまう。

とにかく眠れない。薬を飲んでも二時間だ。

インターンはあまり考えず、処方されてる薬であれば何でも使おうとする。

大いにアタPを進める。

時間的に眠剤は進められないので、それ以外だったら未知の薬だろうと何だろうと進めてくる。

とりあえず、睡眠しましょうと口にする。


まさか、こんなに早く、それも全然違う用途狙いでリスパダールを試すとは思ってもみなかった。

それでも、数時間前に飲んでいた眠剤の影響もあってか、気がつくと朝になっていた。

不調の波に拍車がかかり、気分的には最悪の様に眠いのに、意識的には眠ることが出来ない。

瞼が重くて仕方がないのに、脳味噌が勝手に活発をおびる。

隣人が大音量でエヴァを見てる。

それについて考えを巡らす。

一抹の不安を抱えながら眠れない夜を過ごす。

眠れない、眠れない。

起床時間を超えて朦朧とする。

突然それは発現する。

耳元を大音量が駆け巡る。

弱った頭脳が悲鳴を上げる。

心が乱され、ヒステリックな霧に包まれる。


走り出したそれは、嫌がらせと言う最悪の形に発展して、心をかき乱す。

バカ看護婦の一言が、更に深い闇へと叩き落とす。


もう、いいや・・・。


挫けた心のままに幻聴であることを受け入れると、すぐさま心療内科の医師の指示が電話で伝えられる。

眠剤とアタPそれでだめならリスパダール追加・・・、それが今夜のアラカルト。

アタPを静注しながら逆算して眠剤を服用する。

はっきりと聞こえていた音楽が、次第にぼやけていくのが解る。

おでこの中心にゴミ箱が現れて、音をドラッグするとディレイ出来ちゃう。

聞きたくない音は自由に消すことが出来るのだ。

摩訶不思議とも思える出来事に、心は素直に反応する。

激しく憤っていた気持ちも、何時しか多幸の霞みに包まれて、知らないうちに眠っていた。

プレドニンの服用をきっかけに、どうもおつむの様子がおかしくなってしまった。

それは、抗がん剤の副作用でんも、かなり後をひいている・・・っと思う。

っっと勝手に思い込んでいる。


ちょうど幹細胞移植で大学病院へ移る時に各所の検査をしたのだけれど、この機会に精神面も診てもらおうと、心療内科がなかったので精神科を受診させてもらうことにした。

そしたら面白いもので、周りの看護師たちがそわそわしだす。

科名すら出すのがタブーみたいに扱いやがる。

気違いになったわけじゃないんだから、そんなに気を使わなくても良いのに・・・。


それに比べて精神科の助手はデリカシーがなさすぎる。

いきなりやって来て、でかい声で症状のあらましを根ほり葉ほり聞きやがる。

流石に大部屋で詳細を語るのははばかれて、ブリーフィングルームに移させてもらい話を続けた。

それでも、全てを話し切る音は出来ず、足りないところは受診した時に先生に直接言えばいいやと思っていた核心は助手に言ってもしょうがないとも思ってたしね。


夕方近くになって精神科からお呼びがかかる。

どんな治療をしてもらえるのかわくわくしてくる。

深い落ち込みなのか鬱なのか、調べれば判るってどっかで見たし、診療機具も色々ありそうだし。

中に入ると、さっきの助手(助手助手と言ってるが何者かは解らない)と先生であろう人の後姿が。

くるりと振り返るその優男的な詐欺師の様な笑顔が、さっきの助手との問診の時のメモをペラペラめくる。


嫌なことをされればイライラするし、病気になれば気も滅入るし、うまくいったりしてなけりゃ落ち込んじゃう。

普通・・・、全部普通の事だよ、どうしてもっていうなら薬出しておくけど、頭おかしくなっちゃうよ。


えっ?! あっ、そうじゃなくて。


なに?


もっとなんかこう、治療とか。


治療って、どんな?


どんなって・・・。


あまりの展開に、頭が真っ白になる。

確実に心拍数が上がってくのが解る。

自分でもどんな診察が理想だったのんか解らない。

ただ、自分の気持ちを理解して認めて欲しかったのかもしれない(病気ってことをね)。

支離滅裂なのは解っていたが、この診察における不平不満をのべつならべて、」最後には全身を震わせつつ怒り心頭? で飛び出した。

その際、もっていた携帯電話を床にたたきつけそうになったが、まだ理性は残っていたようだ。


でもその興奮は暫くおさまる事はなく、病室へ戻ってからも心の乱れは続いた。

なんなんだよ、あれもこれも、あんな症状もこんな症状も普通だって言うのかよ・・・、しかも直接問診すらもしないで、薄っぺらな助手のメモだけで判断しやがるのかよ。

悶々は続く・・・。

そして思う。


薬だけでももらってこうかな。


薬なんかいらないです! と啖呵を切って出てきた手前戻るのは忍び難かったが、せっかくなので処方された薬を受け取ることにした。


リスパダール。


D2を遮断してドーパミンの・・・、まぁ強力精神安定剤、メジャートランキライザー。

今度、気が向いたら試してみる事にしよっと。


生着した辺りからだろうか、身体のいたる所が痛い。

喉、首、頭から始まって、胸、脇、腹、そしてふくらはぎとかまで痛くなってしまっている。

頭ズキンと、首は凝ってる様に、喉は扁桃腺が腫れてみたり歯茎まで及んだり、身体はそうじて筋肉痛の様な・・・、皮膚と肉の間が痛い様な・・・、動かしても軽く撫でても痛いくらい。

前の治療の時も発症してたので、1ヶ月もすれば治まるだろうと呑気に構えていたが、いまだに治らない。

っと思ったら、まだ退院して1ヶ月経ってなかったよ。

もう、先週の外来の段階で1ヶ月なんて過ぎてると勘違いしてた。


しかしこの痛み、なんとなくリンパ節の周辺で起こってる様な気がしてならない。

まさか、もう再発ってこともないだろうけど(いや前回は一月ぐらい)気が気じゃない。

特に、頭痛(首)と喉元と脇の下の痛みは気にかかる。

後、ふくらはぎね。

改めて先生に問う、本当に大丈夫なんですかねえぇ~?


そんなすぐに再発されたら、手のうちようがないよ。


・・・。


はい、これ。


手渡されたのは、PET検査の予約書と紹介状だった。

結局、大好きなPETの信頼性の高いデータでの結論待ちとなってしまった。

次の外来は、ほぼ1ヶ月後のこととなる。

心配でしょうがない身体の細かな後遺症にはあまり触れられず、少し物足りなさを残して後にする。


大学病院の治療のしおりには、アルコールは3ヶ月くらいして医師と相談したうえでと書いてあったが、今日聞いたら、


そうなの? 肝臓の値は問題ないから・・・、でも、一人だと歯止め効かないからなぁ・・・。


と、曖昧な答え。

でも、薬の時期とかでも大学病院と若干意見が違うし、ここは大事をとってしばらくはやめとくことにしよう。

そうだ、PETで問題がなかったらいっちゃうか(どうせもう一回先生には会うだろうし)。

本当はうーご君って言って、患者が身体を起こしたりするとナースコールをしてしまうセンサーなんだけど、こいつが人権侵害甚だしいったらありゃしない。

熱が38度以上になると歩いたりするのに介添えしなきゃいけないのが大学病院の規則らしく、ふらついて歩き辛い時や無意識に意識が朦朧としてる時など、強制的に看護師を呼び出して手助けさせるのだが、転倒防止の責任回避だけなんじゃないかって雰囲気がありありだ。

しかしこのむーご君、起き上がると紐が引っ張られ本体に刺さってるプレートが抜けるとナースコールっていう仕組みの為、目的と関係のないところでよくナースコールしてしまう。

紐が短かったり身体のつける場所によっては、布団を直すのについつい身体を起こしただけや寝返りをうっただけで、簡単に紐が抜けスイッチが入ってしまう。

そのたびに忙しくても飛んで来なくてはいけない、患者にも看護師にも迷惑な作りなのだ。


うーご君との出会いは幹細胞採取の入院で、採取後発熱した時だった。

寒気も関節痛もまったく伴わない熱が続いて38度を超えてしまった。

解熱剤が欲しかったので看護師にそれを告げると、早々にうーご君を装着させられた。

当然、意識もはっきりしてるし足腰もしっかりしてるので、ついつい自分勝手に動いてしまう。

寝返りもそこそこ、寒かったので布団の直す。

その都度、プレートが抜け、看護師を呼び出す。

どうやらボタンとうーご君ではナースコールの音が違うらしく、ちゃんと呼び出してから動いて欲しいと念を押される。

そんな時に限って繰り返しちゃうのが人の常で、それからも勝手に動いていたら、とうとう看護師を怒らせてしまった。


手出すぞ・・・


首根っこにうーご君の紐をぶら下げて、ビビっちゃったね。

大学病院って恐ぇって、震えて眠ったよ。


時は流れて、幹細胞移植治療の真っ最中、とうとう解熱剤を飲んでも熱が38度台を下回らなくなった時、うーご君との再会を果たす。

しかも同じ看護師ときた。

ほんとに病院の規則なのかこの看護師の趣味なのか、彼以外の看護師はうーご君に消極的だ。

付けてるこっちが悪い様な態度まで見せるやつもいる。

まぁ、流石にこの時は不本意に動きまわることはしなかったが、2メートルとない眼と鼻の距離のトイレである。

しかも下痢ピー、行きます! と言って行くよりは突然の波に逆らわずに行きたくなるわけで・・・、羞恥心もあるしね。

やっぱり、何回かは勝手に行こうとしたり、ちょっと動いてプレートが取れちゃったりしてたら、幻聴事件でお騒がせしたのもあってか、看護師ついに切れる。


手出すぞ・・・


恐いよ。

深夜、熱は40度を超えたらしく、ステロイドの解熱剤を打とうとした看護師たちを拒否してもみ合いになったらしい、全然覚えてないけど。

朝、2本の静脈カテーテルが綺麗に抜けていた。

噂によると、引きちぎられていたのだという。

いったいどうすれば丈夫な点滴の管を引きちぎる事が出来るのだろうか?

止まった様な時間の中、ひたすら後処理をしてくれている彼。

プロフェッショナルだね。

もうね、人は働かなければいけないのだけどね、どうもね、自分の姿を想像できない。

その一歩が、すこぶる距離感で歪んでいる。


5年間にも及ぶ入院と引きこもりの生活は人を遠ざけ、繰り返されるまさかの病気の度に砕けた心を癒す様に殻に閉じこもっていった・・・。

・・・なんて、そこまで感傷的に陥ってはないけれど、脳リンパ腫で突然入院したのをきっかけに、細々と繋がっていた仕事とのラインが完全に切れた。

だからって、新規開拓バリバリの営業資質のバイタリティもなく、病に甘えて何にもしない。


アフェリエイトとかでペタ貼りまくってる人、尊敬しちゃうよ。


本当、働きたくねぇ。

いやっ、基本何にもしたくないよ。

少なくても今年いっぱいは・・・、なんてことも言ってられないし。

どこかに蟻さんいないかなぁ。


就職怖い、就活面倒い。

こんなことなら、ちゃんとしたサラリーマンの経験しとけば良かった。

そういや、まともに働いたことないよねぇ?

Vのディレクターってつぶしきかなすぎ。

片手麻痺ってるし。

こんな時は、スキルアップ。

今までの薄くて広い知識を確固たるものとしよう。

社会に出るのも延びそうだしね。


いざ! ハロー☆ワーク!!


・・・正直ではね、この先あんまり心の苦労はしたくないと思ってる。


悪性リンパ腫が脳に転移しちゃうまでは、基本、自炊もしてたし、それから続いた長い長い入院中には、栄養士の計算されつくした病院食が出ていたのですっかり忘れていたが、ネフローゼ持ちだった。

治療中も、たまに外泊してしょっぱいであろう物(塩分量と味覚は違う)をバクバク食ってたが、まぁ、ほんの2,3食の事だったのでそれを思い出すには至らなかった。


そうだった、数年前はIgA腎症でオロオロしていたのだ。

1年と数ヶ月、プレドニンと付き合った末、やっと寛解したんじゃないか。

その当時の主治医は言った、塩分には気をつけてね。

でも当時の主治医は言わなかった、寛解してると。

糸球体は半分ぐらいやられてると思って、あまり無理しないでね。

とりあえず、次は3ヶ月後で良いか・・・。


それからすぐ、先生を通して泌尿器科を受診して金玉を切除、2週間弱ぐらいして血液内科を紹介される。

寛解っていうのを、そこで初めて聞かされる。

・・・治ってたんだ、腎臓。

主治医は言う、パルスを乗り越えられたんなら化学療法なんて平気だよ。

乗り越えてはいないと思うが、意外と平気だったのかな?


いまだにぼんくらな頭だからその辺は判らないけど、半年以上の入院生活を経て世間に投げ出されても右半身の麻痺は健在だった。

おまけに気分も滅入ってる感じっだし疲れ易い、全身いたるところが痛いし、皮膚もボロボロ、だから脚が浮腫んでるのもその延長線上だと思っていた。

入院中も浮腫み易くなってたりしてたからね。

でも、違ってた。

ネフローゼ症候群、塩分の摂り過ぎだった。

そりゃそうだ、退院して以来外食とお惣菜ばっかりだったからね。

本当、外食とお惣菜はやたらと塩分が高過ぎる。

まぁ、自炊はまだまだやる気がないとしても、それから塩分も気にし始め、なんとか数日で脚の浮腫みは消えた。


化学療法であれだけ肝腎といじめておいて今更って気もするけど、ストップかけちゃう自分がいるんだな。

十中八九。


いかした数字だ。

でもしかし、これは確率でしかない。

100%じゃない限り、確実とはいかない。


でも、そんな風に言われたらビビるだろうまぁ。

実際の話、睾丸だけだと思われていた頃に調べた感じだと5年生存率は6,7割だったけど、一月の間に全身に拡がった時(ステージⅢだったらしい)半分弱になり、リツキシマブ~を併用する化学療法って事で、また確率が断然に跳ね上がった。

今はもう調べたり勉強してリって事もやめちゃったので、数字は漠然とした記憶にとどまっている。


だって、そんなことちゃんとしようがしまいが、来るもんは来ちゃうんだもん。

まぁ、長く見積もって放射線治療が終わってからでも1月ちょい、予防の髄注に至っては治療中と言う速さで脳に転移しちゃってるんだから、開いた口もなんとやらって感じだよね。

確かに、脳への転移が危ぶまれるって聞いてはいたけどさ、早すぎだろ。

しかも、他の全身はパーフェクトな寛解ときている。


脳のリンパ腫ってやつも意外と厄介で、再発率は高く5年生存率は低めに設定されてる。

自己末梢血幹細胞移植を含む一連の治療で寛解したって事にはなっちゃまったけど、素人目にも抜け穴がありそうで、将来的な不安はけして拭いされない。


しかしこのDNA検査って、悪性リンパ腫も解っちゃうのかなぁ。

しかも、治療はどんな風にするんだろう?


今更、考えてもしょうがないか。

初めてそれを受けなければいけなくなったのは、耳下腺腫瘍の摘出手術が決まった時だ。

テレビやなんかでどんな形かってぐらいは知っていたが、どうなっちゃうかって事は知らなかった。

ただ動く輪っかの中で15分ぐらいじっと動かずに我慢しなきゃいけないんだなって思っていた。

だからそんなに不安も感じてなかったし気にも留めてなかった。

なので前日は誘われるまま朝まで飲んでしまい、二日酔いのままMRIを受ける事となった。

勿論、体内のアセトアルデヒドは元気に活動しまくっている。

そんなこちらの事情なんてお構いなしに、あれよあれよと検査は開始される。

機械の上に横に寝かされると、すかさず身体をベルトで固定。

撮影部分も頭部ということで、頭の位置を決めつけられると、動けない様にこれまたベルトで固定。

大丈夫ですかぁ? などの問いかけに相槌を打っていると、突然目の前を鉄格子(イメージ)で閉じられる。

えっえっえっ? なに? いったい何が起こってるんだ??

それでは始めます。辛かったり苦しかったりしたら、手持ちのボタンを押してください。


びーっびーっびーっびー!

びーっびーっびーっびー!

びーっびーっびーっびー!

びっびっびっびっびっびっびっびっ!

びっびっびっびっびっびっびっびっ!

びっびっびっびっびっびっびっびっ!


うげぇ?! なんだこれは? 何されてんだ?!

突然鳴り響くノイズに、弱った脳と身体が反応する。

あぁ! やめろやめてくれ!

不快な騒音の応酬に身をよじろうとするが動かない。

足だけがかろうじて動く。

身体も微妙に震えだし、脂汗(冷汗? )が皮膚を支配していく。

不快な感覚が身体のあちこちかから発信される。

次第に息も荒くなり、眼球が落ち着きをなくしていく。

でも、決して瞼は開けられない、開けてしまったら・・・。

眼の前には、いわれのない鉄格子(イメージ)。


頭の中はあり得ない妄想でいっぱいになる。

拘束され鋼鉄のマスクまでされて、超音波で洗脳させられてるってところか。


結局、途中で検査を中止してしまい、これをきっかけに暗くて狭くてうるさいところが駄目になる。

途中、プレドニンでその効果に拍車をかけプチパニック症候群の様にまでなったけど、さしあたる困難もなく生きてこれた(社会的、経済的にはクソ野郎にまで陥ってしまったが)。

が、今一度その困難を克服しなければいけない時がやってきてしまう。

右半身麻痺の原因を探るには、どうしてもMRIがかかせない。


CTとかで乗り切ろうとする僕に先生が取り出したのは、アタラックスPと言う安定剤だった。

・・・アタPだ!


押し切られるまま静注され、車椅子に乗せられて久々のMRIへ。

通常の倍の量を投与されたので気分は結構ヘロヘロで、検査中も投与し続けたのですぐに眠ってしまっていた。

しかも、伝達ミスで終わってからも投与し続けたので、処置室で爆睡してしまったようだ。

そんな状態だったわけなので、当然検査はクリアー。

以後、MRIを受ける時は、アタPを検査の30分前に必ず打ってもらっている。

最近、慣れてなくても良いかななんて思ってもいるが、一度試した睡眠薬がやめられないのと同じで、いざとなると頼ってしまってるね。


今は、もうMRIを受ける状況にならないことだけを祈っている・・・、最後の最後に、PETで締めくくるらしいけどね。

スキンヘッドのおじい様の電撃訪朝で少し色あせてしまった感は有るが、連日、市長のぶら下がりが大変なことになっている。

いや、もう、

大変を通り越して中止ということにまでなりそうだ。

どいつもこいつも、一度上げてしまった拳を下げるのは気持ちの良いもんじゃないんだろうな。


まぁ、暇だったし、メディアが勝手に拾い上げるフレーズってやつにも興味あったんで、ノーカットで見てみた。

意外とテレビのニュースとかは市長の真意を的確に伝わるように編集されてると感じたし、徐々に饒舌になっていきトークショの体をなしていく市長の変化が手に取るように解って面白かった。


しかし、世間の反応は違っていた・・・。


どういった意図を含んでその言葉を表現したのかと言う事は関係ないみたいで、ひとつの言葉を無理矢理キーにして、自分たちの主張に結び付ける輩がわんさか湧いて出てきた。

政治家なんだから、言葉に生き、言葉に殺されるのは仕方ないだろう。

ある意味、世間に打って出たわけだから受け止めていくしかない。

でももし本当に、言葉尻だけをとって周りの顔色を伺いながらシュプレヒコールを上げているだけだとしたら、速攻で消えてなくなって欲しい。

生きるのがどんどん複雑で追い込まれそうな状況で、こんなんで大丈夫なのだろうか?

不都合な真実でも、100人が100人イエスと言えば、りっぱに成り立っていってしまう。


「人がいないのに、聞こえるわけないじゃん! 」

「聞こえますよ」

アイソレーターの爆音にまぎれて聞こえてくる隣室の音。

「聞こえないったら聞こえない、幻聴じゃないの! 」

面倒臭そうに対応する看護婦。

そのヒステリックな剣幕に、周りの病院関係者も何とも言えなくなってる。

聞こえても確信が持てるほど聞こえてないのは確かなんだろう。

この状況がいたたまれず、幻聴ということで断念する。


盲進する外郭団体とかの人々、波に呑まれていく政治家の皆様、祟りは避けたいお偉方・・・。

白々しい態度と信心仕切った眼差しと、・・・後あほ面・・・、をみているとフラッシュバックする。

周りで個人を陥れて、勝手に捻じ曲がった事実を組あげてしまう、厄介で簡単な方程式。

僕は屈服しちゃったけど、市長は戦っていくみたいだね。


強い・・・。