何を基に自分の仕事を見つめ直すか
私は、過去、自分が携わっていた仕事に長い間苦しんだことがありました。それは、仕事自体が嫌だとか嫌いだとか面白くないとか、人間関係とか、そういうことではありません。それは、「仕事」という存在そのもののあるべき姿についてでした。私は、仕事に関する本、成功に関する本、経営に関する本、人生に関する本は、読んで自分なりに勉強はしていました。しかし、そのあるべき姿についての疑問は心の中から晴れることはありませんでした。それは、成功者になりたいという気持ちもありますが、それ以上に、自分がなしている仕事は、神仏の目から見て正しいのかということでした。当時は、正直、私もまだまだ未熟者でした。頭では分かっていても、本当にこれで良いのか、これで合っているのか、実感として腑に落ちる感覚が掴めませんでしたし、知識として学んだものを、自分のものとして生かせないもどかしさがありました。これは、宗教的に言うと、まだ知識が智恵に変わっていないということにあたります。現在も日々、修行の身であることには変わりはありませんが、でも、ひとつだけ確信できたことがあります。それは、本物の信仰を自分の中に打ち立てるということ、そして、神の子としての自信を持つということです。これは、言葉を変えれば、霊的人生観を確信するということです。あの世があってこその、この世の存在ということです。そして、正直に仕事をすることの真意が確信できるようになりました。それが、お客様に感動を与えるということにつながるのだと思います。それは、仕事としての現象として現れるようになってきたこともあります。言葉にしてみれば、こんな単純なことなのですが、これは、究極がなく、創造主なる神に造られた、私達人間の永遠の魂修行なのだということです。そして、この永遠の魂の向上に伴う幸福感こそが、真実の幸福であり、神が祝福して下さっている幸福なのだということです。これが、神の理想とされる成功への道につながるのだということだと思います。私達人間は、この世に生まれて、霊的には盲目になります。私達の魂は、永遠の生命を創造主なる神から与えられていますが、この地上では、盲目なために、この世が全てだと誤解してしまいがちです。しかし、霊的人生観を根底に据えた上で仕事に励むことが、自分を誤った道に陥れず、真の意味の成功へと向かわせ、お客様、そして世の中の幸福増進への道につながるものと確信しています。そして、私自身、これからも永遠に、神の理想とされる世界観つくりのために魂修行を怠らず、努力精進をして行きたいと思います。