清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ -7ページ目

議会が本来の役割を果たすために必要なこと

「無所属の会 清瀬市議会レポート」から
もうひとつの記事をUPします。

■議論をしない議会?
 清瀬市議会では議員どうしが議論をすることがほとんどありません。本会議でも委員会でも、議員が、市長(執行部)に質問や要望をぶつけるだけです。討論はありますが、自分(会派)の意見を表明するだけで、他者と議論し妥協しながら議会として見解をまとめていく作業ではありません。
 これは、市長にとっては大変ありがたいしくみです。市長提案を無条件で受け入れてくれる会派は「与党」として優遇することができます。「与党」を標榜する会派にとっても、他の会派と議論することなく、自分たちの要望を政策に反映させることができるなら楽なものです。しかし、これは地方議会の本来のあり方から逸脱し、議会のチェック機能を弱めることになります。
 日本の地方自治制度は、議会と首長を住民が直接選挙で選ぶ二元代表制を採用しています。国会議員から首相が選ばれる議院内閣制とはしくみが違うのです。二元代表制の議会の役割は第一に首長の行政運営をチェックすることです。議会と首長が緊張関係にあるべきで、議会の中に「与党」「野党」があるのは本来おかしなものです。

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■市長がもっとも恐れる議会は
 議員どうしの議論で清瀬市議会の意思をまとめることをせず、会派単位で市長に対してバラバラに意見を主張していては、市長はそれぞれを参考意見とするだけです。議会を何らの脅威と感じないでしょう。もしも議会が議会として統一した意見を市長にぶつけたら、さすがに市長も無視することはできない効力を発揮するはずです。 
 仲良し議会になって多数の意見に従えと言っているのではありません。議員によって主義主張が違うのは当然のことです。異なる価値観を認め、深く議論をすることで新しい発展を求めていく態度こそ、住民の意見を代表する議会には必要なのです。議員間の議論の結果、ベストではなくともよりベターな見解をまとめ、議会として市長にぶつけることができれば、これは市長がもっとも恐れる、強い住民の意思を代表する議会になります。
 例えば三重県議会は、ほぼ政党単位の会派がありますが、しかし政策討論会議という場で全会派の代表者が議員間で調査・検討・議論を重ねたうえで全会一致で政策提言をまとめ、知事に突きつけるため、県政に大きな影響力を発揮しています。

■地方議会に政党は不要
 個人の感想としては、清瀬市議会の面々は人間的には魅力のある人々が揃っていると思います。しかし議論の場になると政党の主張が前面に押し出されるため個人の顔が見えなくなります。中央政党の対立がそのまま清瀬市議会に持ち込まれ、一般質問などは他党の批判や実績合戦に費やされる場面もあります。政党によって主義主張が違うのは当然ですが、他党への批判の声の大きさに比べ、政党を超えて地域社会により良い政策を協力して作り上げていくしくみがありません。
 政党間の批判合戦を地方議会に持ち込むことはマイナス面のほうが多いと私は思っています。       

「市議会レポート」 議員定数削減に賛成します

「無所属の会 清瀬市議会レポート」から
1月に配布したレポートですが、ブログにupするのをすっかり忘れていました。
議員定数削減については陳情・議員提出議案が継続審議中です。
それに加えて住民による直接請求があり、2月下旬に予定されている臨時議会で議案として諮られる予定です。
以下は1月現在時点の文章ですが掲載します。



 清瀬市議会の議員定数を22名から20名に削減する内容の陳情と、議員提出議案が9月議会に提出されました。
 9月議会では審議を深めるため継続審議となり、12月の議会でも再度継続審議となりました。市民による同趣旨の直接請求の署名活動も始まっており、この直接請求が成立すれば市長は臨時議会を招集しこの案件を議会に諮らなければなりません。

 私は議員定数の削減に賛成しています。削減に反対する方々の意見としては、議員の数が減ると住民の声が届きにくくなり、議会の機能が低下するというものがありますが、定数を削減しても今の状態では議会の機能は低下しません。私が議員になってから26名→21名(現在欠員1名)に減員されてきましたが、ひとり当たりの議員の労力が増えて苦労したという話も、議会の機能が低下したという話も聞いたことがありません。
 1委員会あたりの人数が減ると審議に支障をきたすと考えるなら、自治法改正で可能になった「一人が複数委員会に所属」する方法で委員会を再編すれば済む話です。
 住民の声をもっと広く集めるなら議会に付属機関としての市民参加の審議会を作り、多様な意見を持つ人に議論してもらう方法も可能です。
 名誉職として本業の片手間に議員職をこなす人が大勢いる議会よりも、せめて任期中は議員職に専念できる人材が集まる少数精鋭の議会のほうが期待できます。
 議会改革は議会の機能を高めるための改革です。定数を減らしても機能を高める方法はいくらでもあります。一方で定数を2名削減することで最低でも1500万円以上の費用を削減できます。この費用をインターネットによる審議の公開や、議員研修の講師料、議員の政策立案のための事務局機能の充実に充てたほうが、議会の機能の向上にはよほど効果があると考えています。           

首長と議会の関係の抜本的な見直し

今日届いた「月刊ガバナンス」2月号で廣瀬克哉先生が、首長と議会の関係の抜本的な見直しについて、地方行財政検討会議の議論を引きながら以下のように書いている。『特集 分権改革、2011年の論点』「「首長と議会」をめぐる論点」p23

「首長と議会の権限を現行よりも融合的に変更する選択肢(融合型)、現行よりも分離する選択肢(分離型)、(中略)などが検討されている」
(石川注:ここでいう「分離型」とは議会と首長の権限を分離させ、例えば議決事件である契約の承認などのように執行権の運用にかかわる権限は縮小し、逆に立法や予算編成などの権限をもっと議会に持たせようというもの)

「もうひとつの注目点は、分離型の制度設計が、どこまでの分離度を許容することになるかである。(中略)政策決定としての立法を行う機関としての議会の権限をより明確にして、政策の上流こそ議会が審議し、決定していくという方針による制度設計に向かうことになる。したがって、予算編成や、従来行政計画とされてきた、中長期的な事業や施策の組み立ての段階への議会の関与が、従来以上に明確化され、議会の議決権の対象としていくことが期待される。すでに現在各地の議会で動き出している議会改革の中で、総合計画の基本計画や、全庁的な中長期の計画について議会の議決事件とすることが広がりつつあるが、今後の首長と議会の関係について分離型を指向するとすれば、この方向がさらに明確にされることが求められよう。また、予算編成権を従来通り首長の専権事項とするのか、議会にも認めるのか。議会の予算修正権について、従来の制約をどこまで撤廃するのかも検討課題となる。もっとも極端に分離型を徹底するとすれば、条例や予算を含む議案の提出権を議員、委員会に限定するという選択肢もあり得る。」

議会の機能を高めることが議会改革の本旨だと私は主張してきましたが、その行き着くところを廣瀬先生は指摘しています。現在の地方議会に予算を編成する能力があるかどうかについては、廣瀬先生も重々承知とは思いますが、単なる論理的帰結を示しているのではなく、予算編成にまで責任を持つ地方議会の姿に期待をされていると解釈します。

昨夏に大阪で行われた「全国自治体議会改革推進シンポジウム」で、「議会内閣制」を提唱する橋下知事と、それを批判し二元代表制の下での議会の機能強化を主張する三重県議会の三谷議長との論戦は、多くの人が名勝負として評価しています。大森彌先生はこの勝負について、橋下知事の「それなら予算編成権を議会が担ってくれますか?」との挑発に対し、三谷議長が、「もらいましょう!」と即答したところで勝負あったと評価していました。

06年の栗山の議会基本条例をビッグバンとして、一過性ではない本筋の改革への道標は示されています。清瀬市議会の議会改革はまだまだ1合目のあたりですが、議会の機能強化にさらに取り組んでいきたいと思います。

意欲ある自治体職員のみなさんへ

東京財団からメールが届いていた。
内容を読んで、私も!と思ったが、議員ではなく「職員」対象の研修案内だった。
清瀬市の職員のみなさんからときどき「ブログ読んでますよ」と声をかけていただけるので
案内しておきます。絶対に力がつく研修なので、ぜひ検討してください。 …私が行きたいくらいだ。
昨年は市町村アカデミーの宿泊議員研修に計10日間参加して研鑽を積んだがまだまだ足りない。
議員の能力を高めるには議員をもっと勉強させ、忙しくさせるに尽きる。

職員も同様。



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地方議会議員の皆さまへ

■□ 「東京財団週末学校」研修生募集のご案内とお願い □■
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平素より、東京財団の活動に格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

さて、当財団では、現在、市区町村職員を対象とした「週末学校」の研修生
を募集しております。この研修の目的は、住民を主体とする地方自治の実現
と地域の潜在力を活かした多様性あるまちづくりのため、自らの頭で考え、
行動を起こすことのできる人材を育てることにあります。

これまで全国各地の市区町村から120名以上の職員の方々にご参加いただき、
それぞれご関係の皆さまからも好評を得ております。

2011年度は、5月~10月の約半年間で9回の研修を原則として土曜日9時から
日曜日16時半まで行います。受講費、教材費のほか、交通費、宿泊費も東京財団が
負担いたします。
ぜひともお知り合いの市区町村職員の方々にお声掛けいただきたく、
何とぞご協力のほどお願い申し上げます。

                       公益財団法人 東京財団
                    研究員兼政策プロデューサー
                            亀井 善太郎

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【応募資格】
自らの地域をより良くしたいという強い思いを持ち、将来、
自らの自治体や地域においてリーダーシップを発揮したいという志のある者

・市区町村職員であり、5年以上の職歴を有する者
・原則として、所属する自治体の首長、または直属の上司が推薦する者

【募集人数】20~30名程度(書類審査、面接により選考します)

【研修期間】2011年5月から10月までの約6ヵ月、全9回の週末研修

【応募締切】2月28日(月)必着

▼ 詳細はこちらをご参照ください
 http://tkfd-shumatsu-gakko.jp/


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【お問い合わせ先】
 東京財団 週末学校事務局 担当:稲垣、坂野、冨澤
 〒107-0052 東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル3階
 TEL:03-6229-5503 FAX:03-6229-5507
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このメールは、これまで東京財団「地方議会の改革」プロジェクトの活動報
告やイベントのご案内等をお送りした地方議会議員の皆さまに一斉配信して
おります。ご無用の際はご容赦くださいますようお願い申し上げます。

阿久根市の教訓

阿久根市長選は前職の竹原氏が落選した。
西平氏8509票に対し竹原氏7645票で864票の差。リコールの住民投票の差は398票であったから差は開いたものの、根強い竹原人気(というより、“反竹原”に対する住民の不信の強さ)があるからこれほどの接戦になったのだろう。

今朝の読売新聞の解説欄で青山彰久編集委員が以下のように記している。(この色の部分は石川が強調した)

「議会機能を否定して住民投票で市長を解職され、出直し市長選に再立候補した鹿児島県阿久根市の竹原信一氏(51)が落選した。「自分が提案する議案に何でも反対する議会はいらない」。そう語って進めた政治手法は自治体の政策形成のあり方に教訓を残した。
 吹雪の中の投票となった選挙で落選が決まった16日夜、竹原氏は「(既得権を守ろうとする)市職員に負けた」と、嘸然とした表情で敗戦を振り返った。市職員を改革に対する象徴的な抵抗勢力とみなして「市職員の厚遇批判」を展開してきた竹原氏。やがて矛先を議会に向け、地方自治法を無視して条例や予算を議会抜きできめる専決処分を乱発した。
 それでも住民が支持していたのは、地域経済の疲弊で相対的に高くなった職員人件費へのいらだちや、安穏とした議会への不満が強かったからだ。
 そう考えると、この異形の市長は、公務員給与の決め方と議会改革の必要性という、多くの自治体に共通する課題を提起したとみることもできる。
 だが、問題は政策形成の道筋だ。本来、自治体の政策は、情報公開と住民参加を組み込み、多様な意見を調整して立案する必要があろう。だが、ここ数年、竹原氏や名古屋市の河村たかし市長ら劇場政治型の首長は、反対勢力を「自分を妨害する存在」に仕立てる傾向がある。選挙でのマニフェストをそのまますぐに実現しようとするためだ。
 その手法には、そもそも政治とは何かという根源的な疑問が湧いてくる。政治は多数派の形成を目指す権力闘争だろうが、それだけでなく、異なる意見と利害を調整しながら合意を形成して社会を統合する機能がある。地方に権限と財源を渡す分権型社会になるほど、地域の住民意思を統合する政治が重要になろう。
 首長が自分の政策の実現しか考えず、もう一つの住民代表機関である議会を軽視すれば、政治を拒否する独裁になってしまう。
 地方分権にふさわしい地方政治の枠組みが必要だ。
首長と議会が対話を重ね、議会を討論の場にしなければならない。政府が通常国会で準備する地方自治法の改正案は、首長の専決処分を制限したり議長にも議会招集権を与えて議会の通年化を促したりして、首長と議会の政治ルールづくりを目指す点に意味がある。
法改正の起点になった阿久根市では、市長リコールを担った37歳の西平良将氏が熟議と住民参加を唱えて市長に当選したのは象徴的に思える。春の統一地方選で各地で問われるのは、責任ある首長と議員を選ぶ有権者のたしかな眼だろう。」

阿久根の混乱のおかげで?地方自治法の改正案のなかに、首長が議会を招集しない場合の議長による招集権や、専決処分の範囲など、地方議会側が望む事項が追加された。
今後、分権が進むほどに、地方では“発信力のある”“劇場型”の首長が増えてくるだろう。それに対し議会側が、“議会としての”改革とその内容の発信を怠り、議員個人のパフォーマンスに終始するなら、住民の支持は首長に向かい、議会はその力を失っていくだろう。その結果、最終的に不利益を被るのは他ならぬ住民自身である。
引用文で強調したように、議会とは議論によって、異なる価値観をすり合わせながら合意形成を図っていく場である。“ムラ社会的”と形容される多くの地方議会では、同質のよどんだ空気の中で、議論を嫌い、異論を嫌う雰囲気がある。これでは住民が議会に不信を抱くのは当然である。