清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ -8ページ目

次年度予算編成は誰が責任を持つべきか

今期かぎりでの引退を表明した星野市長が、昨年末ある席で「来年度の予算は僕が作っていいものなのか…」とポツリとつぶやかれた。
もちろん、無責任な言動でもなく、ご自分が予算編成の職責を全うすることから逃げているわけでもない。当然自分が予算編成をされることを前提としたなかでの発言であるが、このことについて私も関心を持っていたので、市長の問題意識がよくわかった。

新年度の当初予算は3月の議会で審議されるので、もちろん星野市長が編成作業を行なう。
ただし4月末で退任する市長が、自分が退任したあとの11ヶ月間の市政を拘束する翌年3月までの予算を編成して良いものかどうかは当然ながら気になるものだろう。

単年度の予算編成とはいえ、それは清瀬市の総合計画に基づいて策定される。
とくに4年間分の実施計画には年度計画と大まかな予算額まで明記されているので、
市長が誰であれ、基本的には実施計画に載せられた事業は予算化すべきである。

では仮に、予定されている事業に反対のマニフェストを掲げた候補者が市長に当選したらどうするべきか? 4年に一度の首長選挙は総合計画の見直しの役割も兼ねているので、当然ながら自身の掲げるマニフェストに沿って総合計画は見直すべきである。ただし清瀬の場合は4月が選挙なので、新市長が市政の状況を理解し、事業の見直しを始めるとしても、事実上その多くは翌年度の予算編成からになるのは仕方ない。もちろん年度途中の予算執行の凍結を妨げるものではないが。

総合計画にのっていない単年度の事業についてはどうか?
予備費として財源を留保しておき、予算化すべきかどうかは新市長のもとで判断するのが筋であるとは思うが、市単独事業であるならともかく、多くの事業は国・都の補助金も財源として多く見込んでいる。
例えば子ども手当は清瀬市実施計画には載っていない。では実施するべきかどうかは新市長の判断を仰ぐことにして、財源だけ予備費に計上しておこう…とはいかない。それではまず支給スケジュールに支障をきたす。それから財源の多くは国費であるため、国への申請業務にも支障をきたす。
他の補助事業も、この時期に国・都への補助申請をしないと支給されないことが多いため、「とりあえず予備費に積んでおこう」は事実上できない。

もっと現実的な問題は、清瀬市の場合は、経常収支比率が96%程度である。つまり一般的に入ってくる財源(税や地方交付税:約130億)の96%は職員人件費や公債費、生活保護等の扶助費に充てられるため、新規事業として自由に使える財源は、一般財源のうち4%分(5億円程度)しかない。一般財源130億の96%は誰が市長になっても使い道を変えられない義務的な経費と考えてよい。

こうした問題を解決するには、中央集権から地域主権へ徹底した権限の移行を進めるしかない。
ひも付きの補助金を無くすために補助金を一般財源化する。消費税の地方分の割合を増やすなど税源の移行を進めるしかない。

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それからもう一点。4月までの任期の議会は、新年度予算の議決に責任を持てるかという論点もある。
これも全く同じ論理で、議決は現在の議員の議会が責任を持つべき。ただし5月以降の新議会が予算の組み替えを議論することを禁止するものではないと考える。

2011年 元旦の社説

新年あけましておめでとうございます

元旦の社説を読むと、各新聞社が日本社会の“いま”をどう捉えているのかわかります。
まずは各紙の社説の書き出しから

「なんとも気の重い年明けである。」(朝日)
「めでたいとは言い難い年明けだ。」(日経)
「(前略)いったい、我々はどこへ行くのか。」(読売)
冒頭に浮世絵の話題を持ってきた毎日新聞を除いて、3紙ともなんとも自信のない書き出しである。
朝日の小見出しを拾ってみると。・人類史で初の体験 ・もう財政がもたない ・民主は公約を白紙に といった具合で、中身を読まなくても内容の想像がついてしまうが、何ら前向きな主張がない。
読売の小見出しは ・日米同盟の強化が必須 ・経済連携参加を急げ ・消費税率上げは不可避 ・懸案解決へ政界再編を と、こちらは具体的に各論を述べている。もともと民主党政権に批判的なのでこれまでの主張を繰り返しているだけ。

日経は日経らしく「外国に学ぶ。貿易自由化で外の成長力を取り込む。伸びない産業よりも成長産業を後押しする。世界で通用する人材を育む……。総じていえば、経済開国と国内の改革。それはまさに明治期の人が挑み、なし遂げたものだ。国を開き道を拓(ひら)いた明治人の気概に学びたい。」とあるが、社会の内向き志向は年々増しているように感じる。



朝日新聞 「今年年こそ改革を―与野党の妥協しかない」

日本経済新聞「世界でもまれて競争力磨く志を再び」

読売新聞 「世界の荒波にひるまぬニッポンを 大胆な開国で農業改革を急ごう」

毎日新聞 「2011 扉を開こう 底力に自信持ち挑戦を」

1問1答で行なった一般質問

今回から一般質問が1問1答で行なわれました。
一回目の質問は議場正面の演壇上で行ない、一括の答弁をもらった後は、再質問から自席で1問1答でやりあいます。
持ち時間往復40分間は短いのですが、清瀬市議会は議長以外の議員は全員が一般質問をするので、3日間のなかで行なうためにはひとり40分に制限されています。

さて、いざ実施してみた感想としては、慣れないために時間配分が気になり、議論を深める・論点を明確にすることについてはまだうまくいきませんでした。
最初の質問は8分程度に収め、5分程度の一括答弁をもらったあとは、残り27分位をすべて1問1答で討論しましたので、おそらく10往復以上のやりとりをしたと思います。
40分間の制限なので質問項目を大きく2項目に絞ったのですが、そのなかでの論点を4~5点ずつ用意したのでやはり時間は足りませんでした。
質問項目を2問に絞ったのは私と原まさ子さんだけで、他の方のなかには6つ7つと質問されたかたもいて、とうてい40分ではすべての項目で議論を深めるのは難しかったと思います。
答弁時間も含めて40分間なので、残り30秒で再質問をしても答弁者が答え始めたとたんに終了のブザーが鳴ることもありました。
それでもこれまでの一括質問一括答弁に比べれば誰の質疑もわかりやすく、やはり変更して良かったと思います。傍聴のみなさんもきっと理解していただけたと思います。

議員と答弁者のどちらに軍配が上がったかと言えば、私の主観では今回は執行部のみなさんの優勢勝ちであったと感じました。とくに多くの質問を受けた健康福祉部長はすべての再質問に対して論理的にわかりやすく答弁されていました。部内の担当課長がどの程度の質問取りをしたのかにもよりますが、すべての再質問にほぼ完璧に説得力を持って答弁をされていました。
もうひとつの見所は共産党と市民生活部長のお馴染みの討論でした。1問1答を活用して共産党の議員もだいぶ責めましたが、部長もいつもの調子で一歩も引かず、の構図でした。

私の質問項目は、補助金の見直しと総合計画についての2項目でした。
内容については後日あらためて記します。

【今回の質問の通告書】
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映画『選挙』を観てきました

このブログで紹介した映画『選挙』を遅ればせながら昨日観てきた。


最高に面白かったのだが、自分に対しても指さされているようで、素直に笑って楽しむという心境にはなれなかった。


程度の差はあれ(かなり差はあったが)、自分も同じような境遇に置かれていたせいか、自分の頭のなかを覗かれているような気恥ずかしさもあった。





選挙では、選挙に関わる誰もがフラストレーションを貯めてしまうものだ。


周囲の人々にさんざん世話になり迷惑をかけ、それが自分についての出来事なのに自分の意見さえも主張できないもどかしさがある。主人公の山さんが愛すべきキャラで、そのもどかしさを内に溜め込んでしまうため、思わず「負けるな山さん!」と心で叫んでしまう。





そして、この映画の主人公の山さんと奥さんとの間に、先日可愛い男の子が誕生したとのこと! 君が生まれたとき、お父さんはムービースターだったんだよと語れるのは素晴らしいことだ。




《映画の感想》


最初のシーン:帰宅する通勤客をターゲットに駅頭で演説を始める候補者の山さん。自分でユニペックスのメガホンを肩に担ぎ、のぼりと顔写真の入った看板を抱えて演説位置に並べる。通勤客は誰も気に留めていないのだが、慣れるまでは周囲の視線が気になるものだ。





駅頭での演説のさいに、「人が注意を引くのは3秒間だけ」と教えられ、演説中3秒の間に1回は名前を入れることになる。当然ながら筋道立てて政策を訴えることはできず、名前と、「改革を進めます!」の連呼となる。 私も最初の選挙のとき、事務所にやってきた「選挙のプロ」と名乗る人に「政策なんてどうでもいいから名前を連呼するんだ」と言われ、事務所のスタッフと顔を見合わせ呆然としたことがあった。天邪鬼なのでそれ以来名前の連呼はやめた。




それにしてもよくあれだけ握手ができたと感心する。バス停に並ぶ人にひとりずつ握手を求め、ほとんどの人がそれに(しぶしぶながらも)応じていた。私は握手が苦手で、相手が求めない限りは自分からはできない。握手というのは投票にそんなに効果があるものだろうか? 




告示日に新聞記者から公約の政策を訊かれ言葉に詰まる山さん。本当はこの政策こそがいちばん大事なのだけど、初めての選挙のときは選挙が近づくにつれ政策を吟味する時間が少なくなり、基本的な質問にも言葉に詰まることがある。





選対本部長の県議も地元選出の代議士も、そして先輩となる現職市議たちも、山さんの当選を目指しながらもそれぞれが抱える複雑な思惑が表情から垣間見えて、同情した。





補欠選挙というのは難しい選挙で、組織が一丸になって応援し当選しても次回の選挙では応援してくれた議員がライバルになってしまう。「恩を仇でかえす」ことがあらかじめ判っている選挙なので、応援する側も一定の距離を保ち、支持者名簿までは提供しない。どこまで応援するかは紳士協定なので疑心暗鬼になりがちだ。対立する政党間の場合は、主張では対立しても、選挙の際のこういった疑心暗鬼はない。選挙の本当の敵はじつは同じ政党・組織の人間だったりする。





奥さんも真面目な方なので指示を真に受けてしまいフラストレーションを貯めてしまう。初めて選挙カーに乗り「候補者の家内でございます」とマイクで話すのにはかなりの踏ん切りを要したと思うが、事務所に戻って誉められるとその気になってしまうところがなんともけなげだった。私の場合は前2回の選挙は独身だったので家族を選挙に巻き込むことはしないで済んだ。今回は妻は生後半年の小坊主の世話に追われていたし、妻を表舞台に出さないことに文句を唱える人もいなかったので何の苦労もなかった。これからも妻が選挙の表舞台に出ることはないと思う。





不慣れな奥さんに対してウグイス嬢はあまりにプロフェッショナルで、その対比が可笑しかった。候補者とともに握手する人を目指して駆け足で走るウグイスはかなりのプロ意識を持った方だ。





選挙に出るために借りたアパートの大屋さんとの会話が可笑しかった。家の前の排水の問題について、身近な生活の問題なのでもちろん対応しますと言うものの、この時点では行政の仕組みなど判っていないはずなので安請け合いしたもののどう解決すればいいか心の中では困っていたはず、私もそうだったから。





いくら選挙中とはいえ、24時間緊張状態は続かない。自家用車のなかで鉄道ジャーナルを読んでいる山さん。ここでも館内から笑い声がこぼれた。私は今回の選挙で初めて自分で車を運転して市内を回ったのだけど、看板のない車は誰も選挙カーだと思わないので、疲れたときは駐車場で横になって静かな時間を過ごすことができた。






映画を見に行く時間のない方も、ぜひとも『選挙』公式サイトの予告編だけはご覧ください。


http://www.laboratoryx.us/campaignjp/index.php







6月4日を忘れない ~天安門事件~

1989年6月4日未明、北京で人民解放軍は人民に対して銃を向けた。


新中国の歴史のなかで世界がリアルタイムで目撃した、消すことのできない痛ましい出来事である。






たしかに、学生はやりすぎたのかもしれない。


そして事件当初伝えられていたような天安門広場での「虐殺」があったかどうかは疑わしいとされている。




たとえそうだとしても、改革開放による格差の広がりと、特権階級による汚職や不公平に対する不満を、民主化で解決しようとした学生の行動を鄧小平は武力で押さえ込んだ。中国共産党という銃口から生まれた独裁政党の本質は、このときもそして今も変わっているとは思えない。





(事件の様子はこちら)

http://video.google.com/videoplay?docid=1761062858590826090
 








この事件に関して、私の脳裏には今でも忘れられない光景が焼きついている。





ハンストを続ける学生の前で「私は来るのが遅かった」とハンドマイクで涙ながらに語り事態を収拾しようとした趙紫陽総書記。


そして長安街を行進する戦車の列の前に立ちふさがった男性と、


その彼を轢き殺すことができなかった戦車の兵士の意志。





あまりにも不幸な事件であったが、それでも私はこの3人の人物の行動を受けて、中国人のヒューマニズムを信じてみようと思っている。