清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ -6ページ目

選挙の総括(2) 有権者は何を基準に選択したのか?

選挙の総括(2)有権者は何を基準に選択したのか?

候補者にとっていちばん気になったのは、今回の選挙で、有権者は何を争点と考え、候補者のどんな政策を判断材料にしたのか、という点である。あるいは政策的な争点よりも、候補者の人柄や経歴に大きなウエイトを置いたという人もいるかも知れない。もっと言えば、候補者の政策など考慮せず、知り合いに頼まれたから投票したという場合もあるかも知れない。残念ながら選挙とはこれらすべてをひっくるめた「民意」で当選者が決まるものなので、どんなに優れた政策を訴えたからと言って当選するわけではない。知り合いが少ないと選挙に不利であるのは仕方ないが、それもまた選挙の性質なので、それを補って多くの人に訴える能力を磨くしか方法はない。
当選者は選挙での訴えを原点に議会活動を行なっていくのだから、有権者が候補者のどんな政策を選択したのか、できれば第3者機関が検証してくれれば良いのだが、これは調査の方法も内容の真偽も判断が難しかろう。

多摩地域では最高の投票率とはいえ、54%の投票率では、「一般市民の民意」と「選挙の民意」に大きな差が開いてしまう。せめて80%の投票率になれば、組織票が意味をなさなくなるので政策中心の選択選挙になるし、選挙運動のやり方も変わってくる。このあたりのことは4年前にもブログで記した。http://ameblo.jp/ishikawahideki/entry-10032589936.html

さて、選挙の争点であるが、07年の選挙では清瀬小児病院の移転反対(共産党)、99年は学校給食調理の民間委託等の行革の是非など、それなりの争点はあった。それらに比べると今回は清瀬市政のなかで、有権者に○×を判断してもらうような明確な争点はなかった。私は相変わらず行革の必要性を訴え続けたが、全候補者を巻き込むような具体的な事業での争点は見当たらなかった。
本当は私が訴えたかったのは、首長と議会との関係を問いただすことで、市議会の役割と機能強化を訴えたかった。2月の名古屋市長選・市議会リコールの騒動を受けて、新聞も長と議会の役割のあり方を取り上げてくれていた。年明けからの朝の駅頭演説でも、市政レポートでもこのテーマを中心に訴えてきたが、もともと反応は鈍かった。そしてこのテーマを完全に吹き飛ばしたのが東日本大震災であった。

選挙公報をみると、震災を受けて、防災の充実の訴えも散見された。じつは95年選挙の際も1月に阪神淡路大震災が起こり、防災を訴えた候補者は多かった。実際に議会内では防災は一定のテーマとして継続している。
選挙公報では、各候補者が福祉、教育、環境、など様々なテーマに濃淡いろいろで触れていた。主張したいことは山ほどあるが、限られたスペースなのでどうしても総花的になり、そうなると他の候補者との違いが打ち出せなくなる。また、現職の場合は市政の改革の難しさを体験しているから、その改革プロセスの詳細を訴えるあまり、一般市民の関心から離れてしまうことも気になった。
なによりも33人も立候補者がいると、選択肢が広がって良いことである反面、有権者が比較検討する苦労は大変であったろうと思う。私は清瀬だけでなく他市の選挙公報を見比べ、文面の内容・デザイン・候補者の経歴などから当落を予想することが結構得意のつもりでいるが、今回の清瀬市議選の選挙公報については、紙面と当落の相関関係はかなりズレがあった。私の能力が落ちたのか、あるいは今回の選挙の当落が別の要因に大きく依存したのか、どちらかであったろう。

街頭演説が、有権者の投票行動にどの程度の影響を与えたのか、このことも大きな気がかりであった。私は住宅街での演説は基本的に5分間、駅頭の連続演説でも5~10分程度を1クールにして、内容を絞った演説を心がけた。
政治家だからこそ言葉を大切にしたいと、演説の内容については誰よりも神経を払った。選挙中の休憩時間は、メモを片手に演説内容の表現の吟味に集中した。
選挙後にお祝いを直接伝えてくれたかたやメール、ツイッターでは、街頭での「○○の主張が良かった」との声をいただいた。私の選挙を理解していただき本当に嬉しかった。

できれば演説の合間に有権者との対話をしたいと思った。演説を中断してでも、有権者からの質問やご意見を伺いたかった。有権者と“対話”したかった。しかし実際には難しいだろうとも思った。15年ほど前の参院選で作家の石川好が街頭にテーブルを置き、有権者と対話する手法を行なったがうまくいかなかった例を知っていたからだ。しかし今回は、演説の合間にひとりの女性が寄ってきて、行革の問題、福祉の問題について私の考えを尋ねてくれた。また、自宅で昼食中に初老の男性が訪ねてくれて、行革の問題、コミバスの問題について意見を求められた。このかたのノートには何人かの候補者の名前と連絡先が記されていた。私以外の候補者のもとも回って質問をするのだろう。清瀬にはこんなに市民意識の高い方がいることを誇りに思う。
伝えたいこと、訴えたいことがあるからこそ選挙に出る。選挙前の準備を怠ったことが今回の反省点ではあるが、しかし選挙期間中は演説に集中できた。私が選挙カーを嫌うのは、うるさいうえに名前の連呼では政策が伝わらないためであり、スポットで短時間の街頭演説を行なうために選挙カーで移動することは評価している。
当選には至らなかったが、駅頭で真摯に主張を繰り返している新人候補者がいる一方で、今回も本人の街頭演説の声をついに一度も聞かず、選挙カーから手を振っているだけの現職もいた。断言できるのは選挙の当落は候補者の人間としての評価とは関係ない。しかしそこが選挙の難しさでもある。選挙文化そのものを何とかしなければ…。

選挙の総括(1)

選挙の総括(1)

開票を終えた深夜、正直言って呆然としていた。
自分自身の票が伸び悩んだこともあるが、期待していた無党派の新人候補がそろって届かなかったことがかなりショックだった。結局、何も構造は変わらない結果に終わった。


清瀬市議選の投票率は54.38%(07年53.97%、03年55.38%)
全国的に前回より低下した中で、多摩地区では清瀬市と稲城市だけが前回投票率をかろうじて上回った。両市とも市長・市議選のダブル選挙であり、かつ市長選は現職が引退して新人同士の争いとなったことが共通している。このことが投票率を押し上げる要因と考えられているが、しかし清瀬市の場合、2週間前の都知事選挙の投票率61.71%(07年58.03%)に比べると投票率と前回からの伸び率は低かった。
昔は国政より身近な市議選のほうが投票率が高かった時代もあったが、今は完全に国政や都知事選に負けている。これは市政が身近に感じられていないことの証拠であるので、現職こそ反省をしなければならない。

当日有権者数は59,101人であり、前回(07年)の58,419人に比べ682人(1.2%)増加している。

全得票数のなかの政党別の得票数は以下の通り。( )内は07年選挙からの当選者数と獲得票数の増減。なお、自民系の無所属候補も「自民系」にカウントした。(ただし自民系の場合は必ずしも組織選挙ではないので、この区分はあまり意味がないかも知れない)

自民系: 11,555(8→8名 +85)
共産党:  5,705(5→4名 -812)
公明党: 5,064(4→4名 -455)
民主党: 2,601(1→2名 +454)
みんなの党:809(皆増)
生活者ネット:1,131(1→1名 -159)
無所属:4726(3→1名 +698)

上記をみると、今回33名の多くの候補者が立候補した割には、政党別の得票構造はそれほど大きくは変わらなかった。共産党の得票減が目立つようだが、これは前回(07年)が03年に比べ500票近く増加したことの反動かと考える。そんななかでもみんなの党があと一歩のところまで迫ったことと、逆風のなかでも民主党が1増となった。


読売新聞の以下の記事(クリックして拡大してご覧ください)を借用して分析すると、年代構成は各年代がまずまずのバランスの構成になっている。60代以上が他市より多いことが、新旧交代が進まなかったことを表している。16名の新人が立候補したものの当選したのは引退後継の4名と民主新人の計5名のみ。新人議員の割合は他市に比べ少ない。女性議員は6名→7名で占有率35%。改選前は議長・副議長とも女性であったので清瀬市議会では驚く数字ではない。


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今回は定数20名(22名から2名削減)に対し33名が立候補するという、清瀬市始まって以来の出来事となった。当選倍率1.65倍は多摩地域のみならず、一般市の市議選としては全国最高の倍率ではなかろうかと思う。しかし、結果として番狂わせは起こらなかった。
今回の清瀬の市議選の不思議のひとつはこの立候補者の多さであり、もうひとつは、その新人候補者の動きの鈍さであった。2月の立候補予定者の説明会の段階では、引退議員の後継と民主の新人の計5人が有力と言われ、結果的にその通りになった。
主張の面ではかなり良いセンスを持った候補者が大勢いたにも関わらず、ひとえに「選挙」の難しさゆえに届かなかった。選挙期間そのものは7日間であるが、その準備としての政治活動は、新人候補の場合は最低でも半年前から準備を始める必要がある。支持者獲得のために後援会の資料を持って歩く件数は最低でも2000件は必要であろう。1~3月にこの件数を歩くためには、11月から政策をまとめ、資料を作る時間が必要なので、やはり半年間は必要になる。残念ながらこのことを知らないまま、あるいはこの「選挙のセオリー」を拒否して、告示後の1週間に賭けた人が多かった。
本当は上記のような「選挙のセオリー」を破ってでも当選してくる新人候補者が数多く出てくれば、旧来の選挙文化を見直すことができると期待していたのだが、これはあまりにも厚い壁であった。もっとも1~2月の寒風のなか辛い訪問を重ねることで磨かれるものも多くあるので、今回当選してきた新人議員は苦労し人間的にかなり鍛えらてきたことは確かである。


・選挙カー使用18名(うち当選15名):自民現職全員7、共産5、民主2、他3
不使用15名(うち当選5名):公明党4、他11
この数字だけみると選挙カーは使用したほうが有利となる。ただし今回(とくに前半)は選挙カーを使用しても音を鳴らさなかったり、スポット演説での使用に力を入れている候補者が多かった。現職は選挙カーの使用自粛の申し合わせをしたが、自粛の中身は各自に任されていて、これは横並びで誰かが始めれば事実上の自粛解除になると思っていたので、その通りになった。現職で使用率が高いのは、選挙カーなしでの選挙の方法が思いつかないからだろう。その意味では公明党の4人が選挙カーなしの選挙を行なったのは驚きであった。これまでの選挙でもっともボリュームが大きかったのは公明党であったので、使用自粛の判断はかなりの勇気が必要だったと思う。それを見事にやり遂げたことは称賛に値する。
選挙カーを使わない街頭演説の問題点は、住宅街で音が届かないことであった。演説の内容以前の問題として、物理的に音が届いていないことの問題が大きかった。
(続く)

清瀬市の略図の描きかた

昨年、日本社会事業大学で1コマいただき講義をした。
昭和6年からの歴史をたどりながら、病院街の形成について、地図を描きながら語ろうと考えた。
「ではまず、清瀬市の地図を描いてください」と話したところ、学生さんたちは途方に暮れている。そりゃそうだ、通っているというだけでその街のかたちまでは判らないだろう。

清瀬市の略図の描きかたにはコツがあります。

①まず左手でグーをして、親指を立てる(モデルはうちの小坊主です)

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②左手首をみる

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③輪郭をなぞる

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④できあがり

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これであなたも清瀬の略図の名人!

議員定数削減 賛成多数で可決 22名→20名に

住民の直接請求に基づく清瀬市議会議員の定数削減の条例改正案が、本日行なわれた臨時議会で、賛成多数により可決されました。これによって議員定数は22名から20名に削減となり、4月に行なわれる市議会議員選挙から適用されます。

正確には同趣旨の案件が合計3本ありました。
昨年9月議会に提出された議員提出議案(提出者:原剛、賛成者:石川秀樹)と、同趣旨の市民からの陳情は、9月、12月と継続審議となっていました。この2件とは別に市民が自治法に基づく直接請求の署名運動を起こし、既定の数に達したために市長が提出したものが今回上程され、前2件は急施事件として同意されたため、同趣旨の都合3件がまとめて本日の臨時会で審議されました。


採決の結果
賛成(11名):原剛(風)、石川秀樹(無所属の会)、渋谷信之、粕谷勇、森田正英、渋谷金太郎、中村清治、石井秋政(自民クラブ)、西上忠、久世清美、西畑春政(公明党)
反対(8名):原田博美、深沢昌子、佐々木敦子、宇野克麿(共産党)、斉藤正彦(自民クラブ)、斉藤実(風)、原正子(生活者ネット)、布施哲也(自由民権)
他に欠席1名

同じ部屋でいつも議論している斉藤実さん、原正子さんと賛否が分かれたのは複雑な心境ではありますが、本会議の議論の中で不十分ながらも議員間の自由討議に近いものが行なわれたのは喜ぶべきことです。原剛さんを含めいつもの4人でいつも真剣に議論している様子を、そのまま本会議に持ちこむことができたことは満足です。


主な議論の様子はまた後日ブログに記しますが、
以下に私の賛成討論の要旨を記します。

議員定数削減に賛成する討論

・議員の数が減ることで議会の機能が低下してしまうのなら、定数削減に賛成はしません。しかし私が議員になったときに26名だった数が現在は22名、実際には欠員1名ですので21名。議員の数が減ってしまったために一人当たりの仕事の量が増えて厳しくなったとか、議会全体の力が低下したなどという実感は、残念ながらまったくありません。

・議員数を人口比で考えることには必ずしも賛成しません。人口比で考えると清瀬は住民3300人に一人。仮にこの比率を基準にすると、人口170人の青ヶ島村では議員はゼロになるし、人口360万人の横浜市では1,000人以上の議員が必要になる。人口比はあくまでおおまかな参考と考えるべきでしょう。

・現行自治法の上限数の(人口5~10万都市の場合の)30名は、地方自治法の改正で撤廃される予定です。現在国会で改正案が継続審議となっておりますが共産党以外は賛成しているので、いずれ法改正される予定です。上限を撤廃する理由は、自治体の議員定数は国が決める性質のものでなく、議員の数を何人にするべきかは自治の問題であるとの考えによるからです。

・人口比で議員定数を考えるというより、議会で議論が成り立つ人数はどのくらいか、という議会の機能で考える観点が今回の議論ででてきました。議会を機能させる点での議論で、このような視点が必要だと考えます。

・清瀬市議会は本会議主義ではなく委員会主義なので、仮に現在の3委員会のままでいくとすると、1委員会を6名とし、×3で18名。議長・副議長を加えて20名は議論できる数として少なくはない。
さきほど1委員会の人数が減って議論が狭められてきたという意見がありましたが、それなら委員会数を4にして、ひとりが2委員会に所属すればいいのです。2006年の自治法改正で複数委員会に所属することが可能になりました。議員をもっと忙しくすることで委員会の審議を活発にすれば良いのです。

・いちばんの論点は、議員の数が減ることによって多様な民意が議会に届かなくなるのではないかという意見に対してどう考えるかということだと思います。

・では多様な民意を代弁するために必要な人数はどうやって算出するのか、という問いが生じますが、この問いに答えられる人はいるのでしょうか?
これまで26名から22名に削減されてきたのだから、削減に反対された方は元に戻せという提案をしても良かったのに、それを躊躇される理由を聞きたい。
・確かに民意は多様化していると思います。では多様な民意を議員の人数を増やすことによって代弁するには、議員を30人に増やせば良いのか、50人に増やせば良いのか。50人いたところで必ずこぼれ落ちてしまう民意はある。これらをすべて代弁するためには、究極的には清瀬の人口と同じ74000人が必要になってしまうのではないか?

・選挙のさいの立候補者の人数にも影響されるが、有権者数5万9千人で、千票にも満たず(有権者の1.7%)に当選するとなると、清瀬市全体の代表というより、ある一部の地域・一部の団体の利益の代表になってしまう可能性がある。このことの弊害のほうが私は大きいと考えます。

・そして、さらに根本的なことを言うと、議員は市全体のことを考える代弁者であって、一部の地域やニーズの代弁者であってはいけないと言うことです。日本国憲法15条2項に「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」にあるとおり、自らに投票した人の意見の代弁者であってはならず、清瀬市全体への責任を持つべき存在です。議員の人数を減らしたことによって多様な意見に耳を傾けなくなったとすれば、定数の問題ではなく、それは議員が憲法15条に則った活動をしていないということになります。

・議員の数が足りなくて、議員の知恵だけでは市民の声を拾えないと考えるのであれば、議会の下に市民を集めればよい。市民参加の審議会や検討委員会は首長の付属機関だけでなく議会にもあってよい。現に三重県議会は県議会の下に付属機関を置いています。

・議会の役割の増大するであろうことは、それはそのとおりだが、人数の維持や増員によってなされるべきではなく、議員の能力向上によって対応すべきである。
栗山町や会津若松など全国各地の議会改革を進めている議会では、議員の人数でなく議会の機能を高めることで、住民の意向を取り入れる努力を続ける議会もある。こちらを目指すべきです。

・定数削減のメリットとして、2名削減すれば財政的には確実に年間1400万円以上の費用を削減することができます。これは次の市長になる方に申し上げるべきですが、このうち一部分でもいいから議会の広報と、議員の力量形成のために使わせていただきたい。我々は議会でそれなりの議論をしているつもりでも市民にはまったく伝わっていない。議論のインターネット中継などにはやはり一定の初期投資が必要ですが、清瀬の財政状況を知りぬいているから予算要求もできない。また議員は、当選してから力量形成をはかっていくシステムが現在の議会にはない。当選したから市政について何でもわかっているなんてありえないわけで、勉強を継続していかなければ力がつくはずがない。1400万円の5%、70万円を仮に議員研修の講師料に充てれば議会のない月は毎週1回は研修ができます。

・定数ではなく報酬を削減するべきとの意見がありました。市長の諮問機関の審議会に議員が就任することは二元代表制の観点から問題ありと考えるので、その点のみ賛成します。
しかし報酬を削減すべきとの意見には明確に反対します。他に収入がある人しか議員に立候補できなくなる。現に地方の町村議会が、低い報酬のためにほとんどが兼業議員で、専門性が身に付かないという弊害があるわけです。

・少数精鋭にして、議員をもっと忙しくさせることに尽きると考えます。
市政をチェックし、政策立案まで行なっていくためには、昔の名誉職的な議員で務まるはずがない。片手間に議員活動を行なっている片手間議員が30人いても40人いても議会の機能は高まらない。少なくとも任期の4年間は議員の仕事に専念できる専業議員を目指すべきです。

・議会改革の歩みを加速させなければならない。公明党も主張するようになった議会基本条例を制定し、議会の機能を高め、市民に「見える」議会にしていくべきと考えます。


若者と社会の変革




チュニジア、エジプトに続き、北アフリカと中東の国々で民主化を求める動きが加速している。
デモの中心が若者であるのはどの国も共通している。
イスラム原理主義の台頭ではなく、高い失業率や富の偏在に異議を唱える若者の自然な体制批判であると思う。
さきほどのニュースでは、リビアでは100人以上の死者が出ているという。
今回のデモの呼びかけでは、facebookやtwitterといったツールが活用されたと聞く。
ここまで緊張感を持ってfacebookやtwitterを凝視している社会もあるのだ。
民主化要求は支持する。しかし何があっても死んではいけない。
軍は、何があっても若者に銃を向けてはいけない。


学生時代、1985年に中国の保定という地方都市を訪ねたことがある。まだ公安局の許可証がなければ外国人が訪れることができなかった時代だ。ちょうどソ連ではチェルネンコが死去しゴルバチョフが葬儀委員長として実権を握ったときだった。保定にある河北大学の大学生たちから私はこのニュースを聞いた。これから世界が大きく変わることを実感し、町の食堂の生ぬるいビールで彼らと一緒に乾杯したことを覚えている。どこから情報を入手したのか、彼らはゴルバチョフが改革派であることを良く知っていた。非合法化されていたポーランドの「連帯」についても強い関心を持っていた。

気持ちだけは若いつもりでいるが、そんな話ははるか昔話になってしまった。
最近日本に来る中国人の若者をつかまえてそうした話をしてもまるで関心を持ってもらえない。天安門事件さえろくに知らない留学生もいる。そうした中国人留学生に物足りなさを感じ嘆くと、自分がすっかり年をとってしまったことに気づく。


午前中、4歳の息子を連れて公園を散歩していたら、背を向け合いうつむいて立っている20代のカップルがいた。深刻な状況なのかと子どもの手を引いて足早に通り過ぎたら、じつは二人ともそれぞれスマートフォンでゲームをやっていた。
なんとも平和な社会だと思う。
でもこうした状況が長く続くはずがない。
日本ではfacebookでデモの告知が行なわれる前に、政治の混乱はより深く進み、
そして財政が破綻し、さらに社会全体が混乱していくような気がする。