清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ -5ページ目

清瀬市の新年度予算の特徴(2)

予算の性質別で清瀬市の特徴を読む

清瀬市の一般会計予算を「性質別」で分類してみると、多摩の他の街と比較して極端な数値が現れます。
平成27年度一般会計予算の総額は約285億円。
■人件費 47億円のうち37億円は正規の公務員の給与で、残り10億円が嘱託職員など非正規職員の給与。人口一人当たりで比較すると多摩26市中3位。清掃や学校給食の調理などの技能労務職の職員が他市よりも多い。
■扶助費101億円。生活保護費や児童手当など、社会保障制度の一環として、生活困窮者、高齢者、児童、心身障害者等に対して行っている様々な支援に要する経費。多摩26市中2位。
■公債費 借金の返済額。多摩26市中3位。
■物件費 ごみ収集業務を民間に委託する際の委託料や、事務用品などの購入の費用。多摩26市中26位。他市ではすでに委託されているごみ収集業務のうち、清瀬市では空き缶・空き瓶の回収業務は市の職員が直接行なっているので物件費が低い。
■維持補修費 7600万円。多摩26市中25位。公共施設を建てても計画的な修繕に回す費用がないために、雨漏りがしてから防水工事を行なうことになる。市役所の給水機能も老朽化しており、月曜日の朝は職員が水道を10分以上出しっ放しにして赤水を抜いている。



清瀬市の新年度予算の特徴(1)

■少子高齢化対応で過去最大規模の一般会計
清瀬市の新年度予算は、一般会計で285億円、国民健康保険事業や介護保険、下水道などの特別会計も合わせると476億円に上ります。
■清瀬市は高齢化率が都内1位。いっぽうで財政力は最下位です。歳入の柱である市民税の税収は91億円に留まり、地方交付税、国や都からの補助金に頼る財政運営が続いています。
住民一人あたりの地方税額は、武蔵野市が27万円であるのに対し、清瀬市では12.2万円に留まっています。足りない分は地方交付税で補てんされるとはいえ、100%補てんされるわけではないので、様々な施策で差がついてしまいます。
■数百にわたる事業項目を分類すると、福祉や保健関係の民生費が全体の55%を占めています。当然多摩26市中で1位です。成熟した社会では福祉関係の予算が膨らむのは当然であり望ましいことである一方、それを支える財政力がなければ、国頼み・借金頼みの財政運営になってしまいます。


パリ襲撃テロ 根底はあくまで経済格差

87年春に初めてパリを訪れたときには、前年の連続爆弾テロの影響で、街角には重武装の警官が立ち、デパートに入るにも手荷物検査で足止めにあった。
そのテロはたしかイスラム過激派の犯行だったと記憶している。今回は「イスラム国」との関係で捉えられているが、過去何十年も前からパリではたびたびテロが起きている。

逆説的だが、パリは「開かれた」都市であるがゆえにテロリストの標的になってしまっている。86年の連続爆弾テロは中東の過激派組織との関連で捉えられていたが、いずれの時代も根底にあるのは埋めがたい経済格差により未来を信じることができなくなった若者たちの怨嗟である。

遡って52年のカミュ=サルトル論争は、今では米ソ冷戦の状況を背景にした政治的な論争だと認識されている。しかしアルジェリアの貧民街で育ったカミュにとっては、本当のところはイデオロギーの問題よりも、越えがたい経済格差こそが不条理の原点だったのではないか。
イスラム教の教義には通じていないが、問題がイスラムの教義にあるとは思えない。そんな偏狭な宗教であれば、千年以上も生き残るはずがない。原因はあくまで経済格差だ。


今朝の読売新聞でエマニュエル・トッドが電話インタビューに答えている。
「フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的問題を直視すべきだ。北アフリカ系移民の2世、3世の多くが社会に絶望し、野獣と化すのはなぜなのか。
 (中略) 
背景にあるのは、経済が長期低迷し、若者の多くが職に就けないことだ。中でも移民の子供たちが最大の打撃を被る。さらに、日常的に差別され、ヘイトスピーチにさらされる。「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。
 移民の若者の多くは人生に意味を見いだせず、将来展望も描けず、一部は道を誤って犯罪に手を染める。収監された刑務所で受刑者たちとの接触を通じて過激派に転じる。社会の力学が否定的に働いている。
 (中略)
 真の問題はフランスが文化的道義的危機に陥っていることだ。誰も何も信じていない。人々は孤立している。社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは、何かにすがろうとする試みだ。
 私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。
 ところがフランスは今、誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者たちと共にある。
 私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、「テロリストにくみする」と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ。」





2015 元旦の社説で新聞社の立ち位置がわかる

2015 元旦の社説で新聞社の立ち位置がわかる

読売新聞
「日本の活路を切り開く年に 成長力強化で人口減に挑もう」

アベノミクスの補強を/雇用充実が活力の源泉/台頭する中国に備えよ/欠かせぬ日米同盟強化
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20141231-OYT1T50113.html

アベノミクスの三本目の矢である成長戦略の実行を強く求め、雇用対策、少子化対策、財政健全化の必要性を説いている。国際秩序の変化では米国の相対的な影響力の低下と、台頭する中国への備えを怠るなとの主張。これが1年前の元旦の社説であっても変わりないだろう。つまり、基本的な課題は何も変わっていないとの認識。



日本経済新聞
「戦後70年の統治のかたちづくりを」

きしむ戦後の世界秩序/視線は過去より未来へ
http://s.nikkei.com/1AcQ4Vc

米国の影響力が低下し、中国が台頭して権力の移行がおこった。社会の格差の不満の解消のために政治指導者はナショナリズムをあおる。ロシアのウクライナ介入や中国の海洋進出のひとつの理由がここにある。
政策決定では首相官邸が主導する「官高党低」がすっかり定着、派閥も壊れて自民党内に対抗勢力はなく、単なる議員の集合体になりかねない。保守的なイデオロギー色の濃い若手議員が圧倒的多数を占めている現実もある。与党3分の2体制のもとでの合意形成の仕組みを整えるときだ。
この「与党3分の2体制のもとでの合意形成の仕組み」という論点はあまりメディアが注目してこなかったものだが、実はこれこそが議会主義の存亡をかけた取り組みなのではないか。

朝日新聞
「グローバル時代の歴史―「自虐」や「自尊」を超えて」

http://t.asahi.com/6k6

個人的には、昨年激震に襲われた朝日新聞が、どんな「角度をつけた」社説を示してくるのかに興味があったが、朝日新聞も巨大な官僚組織であろうから、偏屈な読者を喜ばせるような尖がった主張もなければ、もちろん自らを律するような省察も見られなかった。
歴史認識がテーマの社説であるが、もはや国ごとのナショナル・ヒストリーではなく「グローバル・ヒストリー」が必要であるとの主張である。
この主張そのものには異論はない。以前なら朝日のこうした主張は説教がましくて反発したくなったものだが、今年の朝日のリアルさは、次の一節にある。「東アジアに垂れ込めた雲が晴れないのも、日本人や韓国人、中国人としての「自分」の歴史、ナショナル・ヒストリーから離れられないからだろう。日本だけの問題ではない。むしろ隣国はもっとこだわりが強いようにさえ見える。」
以前であればこうした認識を挟みこむことはあり得なかったと思うのだが、目の前の課題を直視したうえで、「自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しい挑戦だ。だが、節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい。」との自問は、その自問そのものが朝日新聞の再生につながっていくことを願っている。

選挙の総括(3) 奇妙な連帯感

選挙の総括(3)奇妙な連帯感

今回は定数20名のところ33名も立候補をしている都内で最も競争率の高い選挙区になった。市議選で1.65倍というのは、もしかしたら全国で最高の倍率あったかも知れない。候補者同士はライバルでありながら、一緒に厳しい選挙を戦っている仲間でもある。同じ境遇にいるせいか、私は他の候補者に対してライバル意識とともに仲間意識さえ抱いていた。

清瀬の選挙は陣営同士の妨害もなく、今回も私は他の候補者に対して一切の悪感情を持つことはなかった。選挙カーが通り過ぎればどの政党の候補者でも、互いに配慮して音量を落としたし、演説中に他陣営がやってくれば、切りの良いタイミングで場所を譲り、私に対しても譲ってくれた。候補者本人より応援団の方々が張り切って場所取りをしていることには閉口したが、これはその方々の役割なので仕方ない。

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選挙カーは少なかったが、清瀬駅周辺はいつ行っても必ず誰かが演説をしていた。
二十歳くらいの娘さんと二人で自転車に乗り、スポットで街頭演説を行なっていた候補の方もいた。父親が選挙に出ることをたいていの家族は反対するというが、年頃の娘さんが父親の応援をする姿に胸を打たれた。選挙の結果は残念であったが、親子の絆を確認した想い出になったと思うし、羨ましくさわやかさを感じた。
市役所を退職した二人の候補者も、残念ながら準備期間が足りなかった。高齢福祉の係長の演説は、日々の業務の厳しい状況を語っていた。特別養護老人ホームもできることなら造りたい、でもそうすると介護保険料が跳ね上がってしまう…、その現場の実務を知る者としての話を語っていた。これは執行部の側にいる者にしか語れない話であり、政治の側にいる私などにはとうてい語れない話だ。どうしてこんな良い話を演説でもっと語らないのかと、残念な気持ちになった。
いちばん目立っていた私と同い年の候補者も彼の持ち味を存分に出した選挙だった。
みんなの党の候補者も非常に良い雰囲気での選挙運動をしていた。あとひと月早く活動を始めていたら当選ラインを越えていたと思う。
自転車で市内を駆け回った候補者はいったい何百キロを駆けたのだろう。最終日の彼の訴えは、若いっていいなと誰もが感心したと思う。
中里さんとは選挙前に一緒に街頭演説もした。本当に良いセンスを持ち、議会を変える新しいタイプの自民党籍を持つ議員になると信じていた。結果的に何も力になってあげることができなかったことを申し訳なく思っている。
他の候補者のみなさんも、みなそれぞれのベストを尽くしたと思う。ただ、「選挙」に負けた。残酷ではあるが、市政で活動の場を得るためにはまず当選しなければならない。当選した者のほうが、選挙に対しての冷徹な見通しと、半年以上に渡るストレスに耐えてきたことは事実である。
選挙というのは、とくに小さな街の市議選ほど、事前の地道な活動が要求される。住民にとっては選挙というのは1週間のことだと思われるかも知れないが、候補者にとっては最低でも半年間の準備を要する。選挙の告示日になると、“いよいよ”とは思うが、“いよいよ”とはスタートを意味するのではなく、ゴールが見えてきたことを意味する。とくに新人候補にとって辛いのは1月2月の寒い時期に、朝は駅頭、日中は政治活動である後援会の勧誘としての訪問を毎日数十件くり返す。私は最初の選挙では3000件歩いた。3000件歩くためにはそれだけの訪問先の名簿が必要になる。個人でそれだけの知り合いがいるはずがないから、紹介親になってくれる人を探し、紹介された人にさらに知人を紹介してもらう…。当然ながら人間関係のあらゆるストレスを体験する。人間に対する喜怒哀楽のほとんどすべてを体験するのが選挙の準備期間だと言っても過言ではあるまい。

私自身も、今回の開票の結果を受けて、もうこれまでのやり方では次回は通用しないことを実感した。選挙カーを使わないことなどは変えるつもりはないが、すべてひとりで選挙の準備を行なうことは無理だろう。

選挙の総括はこれくらいにして、次からはさっそく市政の課題への取り組みを記していきたい。