選挙の総括(3) 奇妙な連帯感 | 清瀬市議会議員  石川秀樹のブログ

選挙の総括(3) 奇妙な連帯感

選挙の総括(3)奇妙な連帯感

今回は定数20名のところ33名も立候補をしている都内で最も競争率の高い選挙区になった。市議選で1.65倍というのは、もしかしたら全国で最高の倍率あったかも知れない。候補者同士はライバルでありながら、一緒に厳しい選挙を戦っている仲間でもある。同じ境遇にいるせいか、私は他の候補者に対してライバル意識とともに仲間意識さえ抱いていた。

清瀬の選挙は陣営同士の妨害もなく、今回も私は他の候補者に対して一切の悪感情を持つことはなかった。選挙カーが通り過ぎればどの政党の候補者でも、互いに配慮して音量を落としたし、演説中に他陣営がやってくれば、切りの良いタイミングで場所を譲り、私に対しても譲ってくれた。候補者本人より応援団の方々が張り切って場所取りをしていることには閉口したが、これはその方々の役割なので仕方ない。

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選挙カーは少なかったが、清瀬駅周辺はいつ行っても必ず誰かが演説をしていた。
二十歳くらいの娘さんと二人で自転車に乗り、スポットで街頭演説を行なっていた候補の方もいた。父親が選挙に出ることをたいていの家族は反対するというが、年頃の娘さんが父親の応援をする姿に胸を打たれた。選挙の結果は残念であったが、親子の絆を確認した想い出になったと思うし、羨ましくさわやかさを感じた。
市役所を退職した二人の候補者も、残念ながら準備期間が足りなかった。高齢福祉の係長の演説は、日々の業務の厳しい状況を語っていた。特別養護老人ホームもできることなら造りたい、でもそうすると介護保険料が跳ね上がってしまう…、その現場の実務を知る者としての話を語っていた。これは執行部の側にいる者にしか語れない話であり、政治の側にいる私などにはとうてい語れない話だ。どうしてこんな良い話を演説でもっと語らないのかと、残念な気持ちになった。
いちばん目立っていた私と同い年の候補者も彼の持ち味を存分に出した選挙だった。
みんなの党の候補者も非常に良い雰囲気での選挙運動をしていた。あとひと月早く活動を始めていたら当選ラインを越えていたと思う。
自転車で市内を駆け回った候補者はいったい何百キロを駆けたのだろう。最終日の彼の訴えは、若いっていいなと誰もが感心したと思う。
中里さんとは選挙前に一緒に街頭演説もした。本当に良いセンスを持ち、議会を変える新しいタイプの自民党籍を持つ議員になると信じていた。結果的に何も力になってあげることができなかったことを申し訳なく思っている。
他の候補者のみなさんも、みなそれぞれのベストを尽くしたと思う。ただ、「選挙」に負けた。残酷ではあるが、市政で活動の場を得るためにはまず当選しなければならない。当選した者のほうが、選挙に対しての冷徹な見通しと、半年以上に渡るストレスに耐えてきたことは事実である。
選挙というのは、とくに小さな街の市議選ほど、事前の地道な活動が要求される。住民にとっては選挙というのは1週間のことだと思われるかも知れないが、候補者にとっては最低でも半年間の準備を要する。選挙の告示日になると、“いよいよ”とは思うが、“いよいよ”とはスタートを意味するのではなく、ゴールが見えてきたことを意味する。とくに新人候補にとって辛いのは1月2月の寒い時期に、朝は駅頭、日中は政治活動である後援会の勧誘としての訪問を毎日数十件くり返す。私は最初の選挙では3000件歩いた。3000件歩くためにはそれだけの訪問先の名簿が必要になる。個人でそれだけの知り合いがいるはずがないから、紹介親になってくれる人を探し、紹介された人にさらに知人を紹介してもらう…。当然ながら人間関係のあらゆるストレスを体験する。人間に対する喜怒哀楽のほとんどすべてを体験するのが選挙の準備期間だと言っても過言ではあるまい。

私自身も、今回の開票の結果を受けて、もうこれまでのやり方では次回は通用しないことを実感した。選挙カーを使わないことなどは変えるつもりはないが、すべてひとりで選挙の準備を行なうことは無理だろう。

選挙の総括はこれくらいにして、次からはさっそく市政の課題への取り組みを記していきたい。