隠者の庵 -12ページ目

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

正直親がいなくなればごく簡単に生活保護一直線な気がする、と思う今日この頃。

毎回本当におんなじ事を思っていますが物価は上がるのに年金はさほどあがらないから仕方がない。

本来施設に放り込むか、地区で最も古い公営住宅に集められてつつましく暮らすのが最善なのだろう、

障害者こそ本来家庭ではなく障害の種類別に施設に集約化されて、毎日一定のことができるように環境が整えられるべきである。

家に固定されると何かしようと思っても人数の制約で何もできない事ばかりだから。それならせめて同じ障害のコミューンがあった方がいい。

あんまり家族に鎖をつけて振り回すことが家族の責任だとは思いたくない。そんな家族なら解散されるべきである。

これも同じ事を何回も書き出している。それ以外に結論が見当たらないからである。

発達障害でも都会に行けば変なニーズを満たす作業所や仕事があったりしますが、

田舎なので変わったものなどなく、むしろ普通のものさえ見当たらないという、

「暮らす」って何でしょうと毎回自問するような生活をしている。

都会にある作業所のホームページとかSNSのページを見ているとAIで何かを作って納品したり、ゲームのランカーになるのか、というような、

ゲーミング環境があってひたすらゲームをしたり動画編集をしたりする紹介ページがあって、

ガリガリパソコンを自作し自分で酷使している人間には願ったりの環境ではあるが、

物理的に行けないのでは全く意味が無いですよね、と思いながら過ごしている。

前の記事にしつこく書いたように畑と家しかないような田舎なので、障害者用に調整された畑仕事があればいいが、そんな甘いものは存在しない。

とにかく自分のニーズに関係なく田舎ですることがとことん限られていることを強いられているんだ!と集中線をつけて叫びたくなります。

静かなのは確かなので音に敏感な人にはありがたい環境ですが、あまりにも退屈なので、

テレワーク可でも無い限り退屈を持て余すことになるのは間違いない。

飯を食うにもチェーン店すらほぼない。顔を覚えられたらついでに奇怪なエピソードが付属してくる傾向のある自分にはきつい。

人がたくさん居ればカモフラージュできるが、田舎は人と人の直接のぶつかり合い、どつきあいがあるだけである。

都会なら人の中に隠れればそれほど山奥に行く必要は無い。自分を知らない人が隠してくれるからである。

しかし田舎ならば周りの人は自分を知っているか知らなくても顔は覚えられている可能性があるから人の中に紛れ込めない。

だからこそ自分を誰も知らない空間を欲せば誰も物理的にいない場所に行くしかなくなる。廃村にでも住めばいいんだろうか、とまで思う。

外に出れば出るほど変な人間と思われる人間には、知られる、覚えられることの怖さがある。

何があっても完全には無視してはくれないだろう。要注意人物という意味で。

自分と相手が相互に知り合いでないから隠れるところができるのである。

知らない人とたまたま視線があっても特にすることはないが、知ってる人と会えば何かをしなければならなくなってしまう。

誰が誰であるかを地域の誰でも知っていることほど恐ろしいことはない。

誰にも存在が知られているのならば指名手配されているのと同じ事である。常に見られて気分が落ち着かない。

それならば施設に監督されて、横のつながりが生じないようにするしかない。勝手にプライバシーを侵害されたら生きている気がしない。

誠に遺憾である。

都会では食べ物を配達する人々が増えている。

田舎?配達とかない。少なくとも組織的な配達とかない。

Uber Eatsとか見たこともないし多分今後もないだろう。田舎だからである。割に合わなくて何もない。

近所のマックが数十キロ先にあるとか、田舎は何もかもが遠くて配達するだけで面倒なお金になるし、

どう間違ってもタクシーには(資金的な意味で)乗れないから、

自力で、車で動いて店に出向くしかなくなる。そもそも店が出前に対応しているかも不明である。

不明なら自分で取りに行った方が早いし速い。都会では頻繁にある、渋滞も、人混みも、極悪な信号待ちもないから。

スクーターとか自転車で車の隙間を抜けなくても車がそんなにいないから問題ない。

そもそも店に人がいないし。田舎だから。

誠に遺憾である。

妙な孤島に放り込まれた。

島の真ん中に巨大な施設があって、それを囲むようにいろいろなレジャー施設が取り囲んでいる配置、と島の地図に描いてある。

この島は善意でレベルファイブの社長が組み立てたと噂されている。真偽は不明だが若干子供向けの施設が多い。

今居る真ん中の施設を出て橋を渡るとテニスを簡易化したような競技をしている人が結構いて、

「スポーツごとに施設が違うからやりたいスポーツで施設を探すといいですよ」と言われた。

仕方ないので来た道を戻って一回島の中に割り振られている自宅に帰る。

真ん中の施設の低い階には巨大なショッピングセンターがあって、食料、日常生活のために必要な物、あとはお土産が大量に売られていた。

自宅(?)は高い階にあるので店を眺めながら歩いたりしながら戻り、

部屋の中の荷物から卓球の道具を取り出して、もう一度地図を見て、卓球のやっている施設へ出向いていった。

到着するとそれなりに混んでいて、団体で場所を取って練習しているから入れる隙間がなかった。

仕方ないので練習パートナーと連絡をとり、日時を決めて施設の予約を取って帰ったが、

毎日夢見てるなら毎日同じ夢を見られた方が一緒に活動できるのに、などと、

妙にメタなことを考えながら帰路についた。

昨日は久しぶりに夜食を食べないで眠れた。

まあ食べているような体調でなかったからですが。

関節は力が入らないし、胃痛は定期的にするし、食欲も湧かないから夕方からは何も食べてない。

甘い飲み物を飲んで、飴を食べたくらいである。むしろいろいろ飲んだ薬の方が多かったのではないだろうか。

ただ、風邪というよりは食中毒にかかってだるいみたいなものなので、咳も出ないし喉も痛くないし鼻水も出ない。

何なら熱も出たが、胃がつらいので飯なんて食っている場合ではない。

風邪が五類になったら似たような症状の出る病気とかどうなるんでしょうね。

食中毒でも倦怠感、胃痛腹痛、体調不良はきっちり出るから、病院には行かねばならなくなるが、

風邪と紛らわしいとうかつに病院には行きにくくなる。

誠に遺憾である。

私は駅ビルの中にあるドラッグストアの横にワンルームを借りて生活していた。

家賃など細かいことは気にせずに。

上の階にはホテルとか分譲マンションとかも併設されていたがどうもここでないとダメらしい。

ちょっとした買い物をして駅ビル内にあるパソコン工房などを見たり、

とにかく便利であることが大事で音漏れとか目の前の店がまぶしいとか気にしていないようである。

更新の時期が来て、上の階の方でもっといい間取りで静かに家賃も安く住めます、とか言われたが、

いや、ここでお願いします、別に家賃高くていいですから、と言い放った。

そしてラーメンでも食べに行こうと勇猛果敢に家を飛び出していった。

都会では障害者雇用の受け皿として特定子会社に入って本業とは関係のない農業をやらされたりする、とか言われているが、

こちらは田舎在住で周りの仕事なんて農業ばかりなのに、農業専門の作業所もなければ特定子会社がないから農業もやらせてくれない。

農福連携、なんて言葉もあるが田舎だからこそそんな作業所があるなんて聞かない。

こう、種や苗からいじって数年勉強すれば何とかなる、長期的にやる感じのないですか。

ないから家庭菜園を必死にいじっていろいろケッタイなものを植えたり跳ね品を大量生産したりしなければならないじゃないですか。

米はいろいろ難易度が高いし全部機械化された作業なんて出来る気配もないから、

野菜または果物を狙っていくしかないが果樹なんて植えたら庭には他の作物を植えられなくなる。

となれば野菜しかない。猫の額みたいな家庭菜園もいいが農業には農業にしかできない何かがある。

もっと広い土をいじって集約とか大規模とはいわなくても、多少でいいから何か農業の基礎基本を学習できればいいが、そんなものはない。

手作業で何かできるものとかないですか、と言っても枠自体がないからどうにもならない。

確かに趣味でパソコンをいじっているから、それなら枠もあるしそれをすればいいのだが、

枠が少ないとか後継者不足とか農業を軽んじている気がするし緑を見ても飽きないから、

健康のために農作方面に行きたいがハローワークも求人紙も作業所にもそんな気配はない。

田舎だからか。

土が一番近くの位置にあるのに土を触れることを仕事にできず、都会の土を遠ざけている人々は土をいじる仕事(作業)ができる。

これを矛盾と言わずして何と言おうか。

誠に遺憾である。

発達障害とか特に関係なく、嘘をついていることにとてつもなく罪悪感を覚えて、しかもそれがすぐに顔に出るので、

嘘なんて事実上つけないのと同じである。キレイなウソも全部白日の下にさらすだろう。

全部顔に出るから。

事実と異なることを喋ったりしていれば顔が次第にわかりやすく歪んでくるから、

ああ、こいつ何か隠しごとをしているな、というのは私のことである、すぐにわかる。

隠すことはあるけれどそれは言葉にも意識にも出ないように、何が何でも触れないようにしつこくやってやっと隠せる。

ウソをついてずる賢くやろうとか思ったことはあるけれども事実上不可能なことである。

何なら最初から考えていることを全部暴露した上でやった方が、何を考えているか全部理解できるからいいだろうと思う。

こいつ悪魔だ、と言われるのは空気を読めない行動とか暗黙の了解をぶち壊しながら進んでいくからであって、

悪だくみをしたり、ずるをしてやろうと企んでいるからではない。

悪だくみをしても全部ばれているようにあからさまだし隠しても何の意味もない。

ずるをしようとしても露骨だからばれる。変なことになる心配なんてない。はるか手前で速攻で阻止されるだろうから。

本当に不気味だ、と言われる時は、その辺のずるをするしないに関わらず沈黙して本当に何もしない時ぐらいだろう。

世間ではそれを完全緘黙という。

何をしたらいいか分からないときは本当に何も言わない。ずるをしようとかそんな余裕もない。

ただ世間の人々に対して理解不能と思っているだけである。

誠に遺憾である。

私は突発的なイベントを日常に含めたくない。プライベートな時間は文字通りプライベートである。

そして一人きりになってからがプライベートの始まりである。

そこに踏み込む人間はたとえ親であろうと容赦はしない。

自分が人のプライベートなんて踏み込む興味がまるでないから、自分の世界を思う存分満喫するし、他人の庭では一切安心できない。

まずどれに手を出していいかわからんものばかりの空間、特に人様の家の中なんて安心して存在できない。

まだスーパーの中に放り込まれて晩ご飯の献立を考えていた方が安心できる。商品は手に取れるからである。

変化を嫌がる、というか自分の権限というものがあって、それを何物にも発揮できる自分の部屋なら安心できるが、

権限のない他人様の家では固まってなるべく動かないようにするしかない。

間違っても他人の持ち物に触れたりしない。許可でもなければ何もしないだろう。

そしてそういうときに限って家の放し飼いにされている犬が飛んできて精神はパニックに陥るのである。

誠に遺憾である。

最近抗不安薬から精神安定剤に薬を変えて、精神は安定したが同じように眠くてかなわない。

一日二回だったのを一日三回に変わったのも万遍なく眠いのを後押ししているのだろうか。

とにかく眠い。眠いから薬を飲む時間をずらしたくなる。

一番寝たいのは夜しかないが実際夜はそんなに眠くない。

この際一日三回を昼後半夕食後(本当は眠くしたくないがここしかない)あとは就寝前とか、

とにかく眠くなる時間をずらして経過を見ながら何とかするしかない。

不安や心の不安定なのを抑えるに越したことはないが、その代償として万遍なく眠いとか、

それ仕事するな、車を運転するな、娯楽もなし、って言われているようなものですから。

誠に遺憾である。

『精神障害者をどう裁くか』という本もあったが、いつでもこの課題は人々の上に覆い被さる。

北九州の事件も、東大阪の事件も、その前にあった諸々の事件も、きっとこの後起きる事件も精神鑑定だの何だのと、

時間をかけてまで裁く必要があるのか、もう人が死んでるんで、というなら身も蓋もないが、

妙に精神鑑定にうるさいし、犯人なんて物的証拠でどうやっても間違えないし、鑑定のための時間も余計にかけているので、

罪人を裁くのにそんな手間暇なんて要るのか、という話が定期的に盛り上がってくる。

社会の不安を煽るような事件が頻発すればさらに余計に、である。

殺人や闇バイトの悪事から、何か些細な盗難事件まで何でもかんでも精神鑑定とか言っていたら時間が足りなくなる。

そもそも普通の診察をする精神医すら足りないし、精神医の娘の起こしたひどい殺人事件もまだ記憶に新しい。

もう精神医学って何なのとは思う人々が「精神科医が自分の子も治療できないで何が精神医学だ」とか言うのを聞いた覚えがある。

怪しさ満点の行動をとっていても自分の子でさえ拘束する自由もなければ、入院させたり施設に収容させる権利もない。

それは本当に人権と言える物か、という話もやはり定期的に出てくるものである。

人権に基づいてどこまでも自発的な判断に任されるもので、勝手に病院に押し込むわけにもいかず、

社会的に甚大な被害をもたらす事件が起きて、犠牲が取り返しのつかないことになってはじめて、

ようやく人を強制的に確保したり逮捕したりする必要な措置を行わせることができる。

隣組とか五人組とか監視システムを持ち出すわけではないが、あまりにも強制力のある行動のできるタイミングが遅いのではないか、とは思う。

まあもう診断済みの自分なんて鑑定もすでに終わっているので何かあったら粛々と手続きされるだけですが。

そうではない、病識もなく異様な行動を繰り返し人に迷惑をかける者に対して、権利の剥奪とはいかないまでも、

ある程度の施設を含む束縛がなければ、もう相互監視して、変なのを病院に送り込むのと引き換えに、

誰かが障害者を監禁したり障害者を殴ってわからせる傷害事件を起こして人質のように逮捕されなければならないのか。

そうしなければ不特定の誰かに危害が及ぶし、かといって大惨事と言えるような事件になってからでは遅すぎる。

果たして簡単に動いた結果人々を安易に扇動したりして無関係な人もなぎ倒すように巻き込まれたのでは救われない。

そして危なさそう、というよう精神医療に関わるべき人というのは百人に数人いるので、

そんな負担を誰が負担するのか。医者か。家族か。地域社会か。それとも警察や行政か。

まあその百人の内の数人が何らかの障害、という割合を単純に考えても、そこまで少なくもなければ多いとも言えない微妙なことになる。

しかし、紛れもなく自分はそこに入っているしそこから一生逃げられないから気が重くなる。

誠に遺憾である。