毎回書くが田舎は障害者には過酷 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

正直親がいなくなればごく簡単に生活保護一直線な気がする、と思う今日この頃。

毎回本当におんなじ事を思っていますが物価は上がるのに年金はさほどあがらないから仕方がない。

本来施設に放り込むか、地区で最も古い公営住宅に集められてつつましく暮らすのが最善なのだろう、

障害者こそ本来家庭ではなく障害の種類別に施設に集約化されて、毎日一定のことができるように環境が整えられるべきである。

家に固定されると何かしようと思っても人数の制約で何もできない事ばかりだから。それならせめて同じ障害のコミューンがあった方がいい。

あんまり家族に鎖をつけて振り回すことが家族の責任だとは思いたくない。そんな家族なら解散されるべきである。

これも同じ事を何回も書き出している。それ以外に結論が見当たらないからである。

発達障害でも都会に行けば変なニーズを満たす作業所や仕事があったりしますが、

田舎なので変わったものなどなく、むしろ普通のものさえ見当たらないという、

「暮らす」って何でしょうと毎回自問するような生活をしている。

都会にある作業所のホームページとかSNSのページを見ているとAIで何かを作って納品したり、ゲームのランカーになるのか、というような、

ゲーミング環境があってひたすらゲームをしたり動画編集をしたりする紹介ページがあって、

ガリガリパソコンを自作し自分で酷使している人間には願ったりの環境ではあるが、

物理的に行けないのでは全く意味が無いですよね、と思いながら過ごしている。

前の記事にしつこく書いたように畑と家しかないような田舎なので、障害者用に調整された畑仕事があればいいが、そんな甘いものは存在しない。

とにかく自分のニーズに関係なく田舎ですることがとことん限られていることを強いられているんだ!と集中線をつけて叫びたくなります。

静かなのは確かなので音に敏感な人にはありがたい環境ですが、あまりにも退屈なので、

テレワーク可でも無い限り退屈を持て余すことになるのは間違いない。

飯を食うにもチェーン店すらほぼない。顔を覚えられたらついでに奇怪なエピソードが付属してくる傾向のある自分にはきつい。

人がたくさん居ればカモフラージュできるが、田舎は人と人の直接のぶつかり合い、どつきあいがあるだけである。

都会なら人の中に隠れればそれほど山奥に行く必要は無い。自分を知らない人が隠してくれるからである。

しかし田舎ならば周りの人は自分を知っているか知らなくても顔は覚えられている可能性があるから人の中に紛れ込めない。

だからこそ自分を誰も知らない空間を欲せば誰も物理的にいない場所に行くしかなくなる。廃村にでも住めばいいんだろうか、とまで思う。

外に出れば出るほど変な人間と思われる人間には、知られる、覚えられることの怖さがある。

何があっても完全には無視してはくれないだろう。要注意人物という意味で。

自分と相手が相互に知り合いでないから隠れるところができるのである。

知らない人とたまたま視線があっても特にすることはないが、知ってる人と会えば何かをしなければならなくなってしまう。

誰が誰であるかを地域の誰でも知っていることほど恐ろしいことはない。

誰にも存在が知られているのならば指名手配されているのと同じ事である。常に見られて気分が落ち着かない。

それならば施設に監督されて、横のつながりが生じないようにするしかない。勝手にプライバシーを侵害されたら生きている気がしない。

誠に遺憾である。