私は自分が疑わしくて実際福祉センターに行って検査も問診も何もかも受けたら見事に発達障害者でしたよ、などということになった。
詳しく言えば自閉症スペクトラム(旧名アスペルガー症候群)と。
そういう物なんですよ、世の中。
逆に言えば誰かに疑わしいと思われても誰にも言われなかったから自分でハンドルを切って福祉センターに突っ込んで行った。
そうしないとどうして世の中とこんなに噛み合わないのか。また噛み合わないということが性格とかの可逆的な問題にされそうだと感じたので。
個人的にはすでに自力で何とかできない不可逆的な何かがあると感じているのに。
いつでも一人ならまあまあどうにかするが、集団では何をしてもどうあがいても上手くいかない、
いわゆる自己啓発の本も読んだし、セミナーではないが人付き合いの講習にも出た。
それでこの体たらくである。
何をやっても人間関係が上手くいかないどころか問題しか生まないのは努力で解決しない致命的な原因があるのではないかと。
それこそ「障害者」レベルにまで自分を落としていかないとこれからの荒波は乗り越えられないだろう、と。
日常生活でも普通に食らったら遭難して行方不明になるような人間関係の荒波ばかりやってくる。
自分を守るには最早制度に、福祉の制度に身を任せるしか自分を守る術がない、
それが心療内科に行って診断が出た頃に思っていたことである。
一回診断してからはもう少しだけ寄り道はしたけれども普通には働けないことを悟ったので、
大人しく生きることにした。自分自身も人によっては荒波であり津波であるから。
自分自身が救われない存在であるのに誰を救うなんて出来るだろう。うぬぼれも程々にしろ。
とでも強制的に思わないと、自意識があらぬ場所にはみ出して全員酷いことになる。
対人関係の障害というのは人前に出れば発動するから、人前に出て役割を求められた時点でもうアウトである。
ひきこもりだの何だのと罵られようが、出てはならない場所には本当に出てはならない。
人も何をするか分からないから恐ろしいが、自分も自分が何をするか分からないから怖い。
自分で制御できないものを誰かに制御させようなんてそんな身勝手なことを思えますか。
障害者だから控えめになるな、自分らしくなんて軽々に言う人もいるが、それは本当に発達障害の本物に触れてないからだと思う。
自分がバーッと弾けたら弾けたまんまなんですよ。誠に遺憾以外の何ものでもない。