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隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

ここ最近の大きな話題にされるような、大都会でお金がらみで刺殺される女性(何故か話題になるのはそうなる)がやけに増えてきている。

昨日もあった。

大都会には金も集めるけど人数の比率的な意味で考えると人を刺すことに疑問を感じない人間も比例して増えていくということなのだろうか。

東京というか大都市って私にとって平和なところがないですね。まず人が多い時点で論外、などと、

メンタルをやられて波があって時折あらゆる人が鬱陶しくなるような人間は思うのである。

大都市に集約化するのも、やりすぎると単なるウサギ小屋と形容される小さな家に人間を強引に押し込めました、みたいな旗竿地とか、

騒音というか生活音まで騒音になりかねないような密集具合で家をギチギチに建てることは果たして正義なのですかと思う。

大都会の住宅なんて見ててとても健康そうには見えないんですもの。

横に狭いところに暮らすならまだ団地に住んだ方がいいんじゃない、縦より横に広いほうがゆとりがありますよ、等と思うのである。

で、よく東京の賃貸を内見するチャンネルで出てくるワンルームでもちょっと豪華なら家賃が六桁になるとか、

まあ障害者の基礎年金程度ならやっていけないからまず都会には住めない。住んでいるのは親の下にいるから何とか助かっているのである。

障害者というのは大抵親なき後を案じられるものだが発達障害も例外ではない。

ツッコミを入れられるような住宅でも家賃が年金をこえれば住めないし、たちまち生活保護だから都会になればなるほど追い出される可能性が増える。

まあ人の多い、多過ぎる世界なんて窮屈で仕方ないから私は住むべきではないと思う。

障害者はそれなりに集約化されるべき、なのが持論だが東京規模でギチギチに集めろとは言ってない。

少し隙間と物理的な空間を空けて、音がトラブルにならない程度に間隔を空けて、人と人が簡単に干渉しないようにして、

お互いが喧嘩にならないような空間を求めるだけでも都会では喧嘩になりそうで怖い。

ちょっと精神がトラブったら住めそうにない、と思うような家は普通の人が長期間住んでいいかも怪しいと思うのである。

そこに金になりそうなこと、お金がらみでのトラブル要素が増えれば、ますます人なんて住むべきではないだろうと思う。

田舎は田舎でしきたりとか暗黙の了解が多過ぎて困るが都会は都会なりの住みにくさがある。

自分にはその真ん中があればいいと思う。

誠に遺憾である。

何故か暗殺されるような気がして人の目を避けるように動き、

ふらふらと歩いている時にショッピングモールの中にある競馬場へと侵入した。

当然中の人に見つかりこっぴどく叱られて反省文を書かされその場に居合わせた騎手にも頭を下げて、

何とかお許しをいただき、別な出口から出るように促されてそのままモールの中にいた。

そのあと観衆に隠れるように競馬競走を見て人に隠れるように家に帰った。

最近分葱の根本にくっつくネギアブラムシを取るのに心血を注いでいるような気がしないでもない。

畑の雪がまだ溶けないから他にすることがないともいう。

雪が溶ければ一部植え替えたり急に忙しくなるがまだその時期ではない。

部屋の窓辺に置いてあるプランターを持ち上げて大抵本当に下の方にいるネギアブラムシをセロテープか何かで丁寧に取る。

ただそれだけだ。

それしかいないから。

もう少し暖かくなれば勝手に蝿とか羽のついた何かの虫が飛んでくるが、まだ来てない。

よってやるべき事は水やりとアンプルのチェック、それからネギアブラムシが集まって集合体恐怖症を起こさないように気を配るだけである。

まあ集合体なんて本当に見なくてもいいものですから。自然の起こす蓮コラなんて御勘弁願いたい。

ロマネスコとか上手に育ったらそれ自体が集合体みたいなものだからそれはそれで辛い。

誠に遺憾である。

承認欲求とか無いとは言わない。しかし何を承認されて、させて自己の欲求を満たせばいいのかは不明である。

大体のことにおいて感情の処理が演算に追いつかない現状にあっては、いかなる承認欲求も冷酷に弾き返されて帰って来る。

人との関わりで壁に正面衝突し弾き返されることが増えれば、自分のせいだが人を信じられなくなる、

人を信じられないということは人に何らかの理解や啓発を期待することが困難ということである。

信じられるのは自分しかない、というか障害を持っていることを加味した上で何かを考えるのは自分しかない。

他の人は「一般的な感情」があるから、最初から感情が欠落している人の思考は困難である。

協調性が無いように、自分のこだわりに間違いなく合うようにして、自分の言葉でちゃんと語る、とすれば、

それはどうしても自分がやるしかない。そしてそれを極力わかりやすく説明して理解していただくしかない。

それを飛ばして「もっと普通になれ」とか「人とちゃんと会話して」とか頭ごなしに話してくる人は私には信用できない人に映る。

なんでも合理的配慮をしてくれ、とは言わないし言いたくないが出来ないと自覚している事ばかり、命令形で「やれ」と言われるほど辛いものはない。

できないから悩んでいるのに。

そこが出来ないのに何を承認されればいいのか。何を認められればいいのか。何より先に「ちゃんと欠けていること」を認めていただきたい。

誠に遺憾である。

何か最近問題を起こした芸能人がどうあがいても「上杉謙信」としか見えなくなる今日この頃、

皆様方におかれましては日々御健勝のこととお慶び申し上げます。


私は学校や部活動で歌とか音楽をやって来た代償として、他人に対する音楽の許容範囲がとてつもなく狭いという自覚がある。

クラシック系統の音楽を重点的にやってからハードロックに走ったので普通の道が走れていない。

前にも同じ事を書いたがポップスや歌謡曲が死ぬほど嫌いだからクラシックやメタルに走るのである。

それは日常生活でも何ら変わりはなく何の変哲も無いポップスをさらっと歌うカラオケボックスとかたまに虫唾が走る思いで眺めている。

聞くんじゃない。眺めるんだ。つまり敢えて意図的に聞きたくなくなる時の方が多い。

何人も居て何の変哲もない曲ばかり流されたら退屈でたまらない。歌詞の意味とか一々考えても仕方がない。

演歌なら四七抜き音階。ポップスならカノンコードとかありきたりなコード進行。

そのどれもが聞いていて拍手の一つもする気が起きなくなる代物である。なんなら私含めて全員が素人の歌大会なんて自己満足以外の何があるのか。

何ならもうずっと一人カラオケに収監されていた方がいいだろうと自分でも思う。

どうせ大したこともないなら自分の好きなジャンルをかき集めて一人で歌って終わりたい。

私の周りの人々には一切期待できない。普通の邦楽ポップスを死ぬほど聞かされるなんて窓の外のお空の向こうの方角を眺めた方がマシである。

大量生産されるポップスや歌謡曲を右から左に流すように歌って満足できるんですか。

私にはそれができない。しかし自分好みの選曲をすれば唖然とされたり耳を塞がれたりなんなら曲の途中で止められたりする。

そんなカラオケの環境なんて平和だと思えますか。

誠に遺憾である。

物を借りると借りているものを無くさないか、壊さないか、不慮の事故が起きたりしないかと気にもめるようになり、

物を貸しているとちゃんと貸す前の状態で戻ってくるのか気が気でないし、メンタルが不安に潰されそうになるから、

とても自分自身の精神が安定しているような状態ではなくなる。

よく若い頃はレンタルビデオとかレンタルCD、DVDとか利用できたと思う。昔は借りるしか手に入れる方法がなかったから仕方がなかったが。

今はよほどマイナーでなければ配信をみたりサブスクライブすればいいから、インディーズのレアな音源とか相当昔の作品でない限り、

見ようと思えば見られるし聞こうと思えば聞ける。わざわざレンタルして物が壊れることに怯える必要もなくなる。

一回数百円のレンタルでも自分なら大変な事のように感じてしまうので、

現金なんて畏れ多くてとても借りていられない。そもそもお金が急に大量に必要になるイベントを組まない。

貧乏ならもうそのように身体と精神を組み立て、趣味も同じくお金がなくてもどうにかなるジャンルに絞っておく。

読書とか音楽鑑賞とか詩作でもついでに出来ればとても有意義な時間の過ごし方だと思う。

お金なんて名前も書いてないから未知の世界に飛んでいってしまっても、それがどうした、みたいな顔をされたらどうしようもない。

借用書とか書面を用意するに越したことはないが基本金の切れ目が縁の切れ目である。

貸す金もないし。

私が知っている情報ならただで聞き放題であるがこんな偏屈なヲタクの話なんて聞く必要もなかろう。

共有できない自分のものが人の手元にあるまたはその逆、なんて事態が私にはとても耐えられない。

俺のものは俺のもの、お前のものはお前のもの、で終わらせられるならどれだけいいだろう。

だから人に自分のお金なんて渡したくない。もう常に「お金がないから貸せない」を言い訳にする。

誠に遺憾である。

めっちゃ一人になりたいじゃん。周りの人間の大半が俗物に見えてくるじゃん。何なのこの人たち、と絡んでくる人を見る度思うじゃん。

それで社会人になってもあれこれ叫いていたが、気がついたら目の前に障害者手帳があったとかそんな感じ、と言えば言い過ぎだが、

普通の人と会話が繋がらず、協調しながら行動するのが不可能ならそりゃ障害者手帳も配られるわ。


大体の不具合が社会人になって数年で嵐のように訪れてにっちもさっちも行かなくなったので、

もはや福祉の恩恵にあずかるしかない、という理由が上記の通りなので、

苦手な人間とそりが合わないではなく、人間とそりが合わないのである。

妥協するにしても何を妥協すればいいか、どこまで妥協していいのか、微塵も譲れないものは何か、

総合的に勘案して判断したら人付き合いなんて辛いからやってられない。速攻で山に篭れるなら篭りたいと事あるたびに思った。

世間は違和感だらけであるがその違和感は自分のこと、自分の内面のことであるから、決して他人のせいにはできない。

自分の心が軋んで音を立てているが同じ場所にいるのに他の人は全くもって平気である。この違いは一体何だろう。

となって内面を疑い出した結果まあ心に何か支障をきたす原因があるのだろう、どう足掻いても人とは合わない、

そうしてきつい仕事に諦めをつける、普通にもついでに諦めをつけて、心療内科を訪れて必要な検査と問診をしてこうなったのである。

結局「合わないものは合わない」という事実に何ら変わりはないが、障害という名前がついたことで無理強いされることは避けられるようになった。

別に誰とも話さなくても、好きで一人になっているのに、一人でいることを咎められ、

協調性や社会性がないとかいちいち文句を言われたのではたまらない。ついでに胃に穴があく。

そうやって人が突っ込んでくるから自分の平衡が崩れて行くのである。お互いプライベートに踏み込まなければ何も起こらないのに。

喧嘩になるようなことはしたくないが、イベントに出ればそうも言ってられないのでイベントにも出ない。妥協できないことが多すぎる。

とにかく一人にしてくれ、というのは山のように高く、海のように深く難しい事柄なのであろうか。

そこに放っておけばいいのに。

誠に遺憾である。

常識がないなんて何回言われたか知らない。

詳しくいうと社会性の障害になってしまうがとにかく常識はない。

何かをやらかしてから三十分後くらいに「しまった」と気づくがもう後の祭りである。

判断も、時間をかければ何とかなるが時間をかけられないとでたらめになる。

そして変なところに情熱を燃やす。大半は体感的に人の嫌がることをやる。悪い意味で。

いつも一人で仕事をやらせれば何とかなるのに、全権あればなおいい、などと訳のわからないことを考えながら作業をしていたししている。

物に対する細かな配慮はするが、人間に対する細かな配慮を欠く。コミュニケーションが細かく必要になればなるほど仕事が上手くいかなくなる。

臨機応変とは一番程遠い位置にいる。全部揺るぎないルーチンワーク、固定化された作業なら多少細かくても出来る。

しかし大雑把でも人と仕事の内容を日々細かくつめながら行う作業になると集団の和を乱す。

家庭菜園に生き甲斐のようなものを感じているのは一人で自分の畑を耕すからであって、

他人にやらせたりやらされたりすることもないから、あるいは成果を求められないからであって、

人が絡んだら即やる気をなくすだろう。あるいは気を利かせて人が畑に何かをやったら激怒して帰すだろう。


昔の中国の兵法家が人に縫い物を作るよう依頼したところ、ちょっと出来が立派に仕上がったので寸法通りに、指示通りにやらないからと怒った、

と言ったその通りの人間が自分である。人に頼んでやるなら寸分違わずやってもらわんと。

やらせるなら最初に言った指示で最初から最後まできっちり仕上がるようにしないと。

それが出来ないなら最初から指示なんて飛ばすんじゃない。

出来が貧相だから少し手を加えるとかいう常識なんて知るか。


臨機応変に出来ないとは、そういうことである。誠に遺憾である。

朝に病院の待合室でテレビがジェンダーがどうのとか、男らしさ女らしさとは性別役割の押し付けだとか何とか言っていた。

所謂「男のくせに」とか「女性だから許される」とか、ジェンダー平等ではない言い方である。

個人的には出来ることは誰でもやってほしいし無理強いはしたくないが、

出産だけは男性はどうにもならないから頭を下げてお願いしなければならないとして、

それ以外の生活において無闇に男が女がどうだのと言いふらすのはどうかと。

大学でガッチリジェンダー論を学習してそういう本も集めて回ったので、

男は仕事女は家庭などとは微塵も思わないが、ちょっと前までは実際そんなことを言ってる暇とかもなかった。

家事が簡単になって文字通り誰にも出来るようになったし、性別役割分業なんてもう形骸化したものだろう。

実際自分の作る料理に使う調味料は山ほどあるし、洗濯は着た服をそのまま洗濯機に入れて洗剤と漂白剤を入れればいい。

個人個人の嗜好が結果的に男性性や女性性を補強するのはある程度前世代の枠組みがあるから仕方のないことである。

その時代の求める道徳に性別役割がなければそれだけのことである。何をわざわざ制限する必要もあるだろうか。

私は普通に桜餅や菱餅が食べたい。

誠に遺憾である。

ハイ天井。

何もかも題名の通りです。

天井叩いたのはドゥラメンテ以来だぜ。つまり一年前と同じ事を繰り返しているのである。

だって池添軍団なら揃えたくなるじゃないですか。

カレンチャンとスイープトウショウはノリと勢いで何とかしました。

ドリームジャーニーは実装時引き損ねましたがチケットで交換しました。

デュランダルは満を持して天井まで用意して天井近くまで来ましたが強引に何とかしました。

ああ、次はブラストワンピースだ…


なお今回の新シナリオで必須と噂されているレジェンドの友人カードは未だに引けません。

というか個人的に友人カードについては大半その友人カードが必要になるシナリオが終わってからスッと出てくるまでが既定路線である。

要は友人カードを引けないディフェンスに定評のあるプレーヤーなのである。

無料ガチャの間になんかこぼれて他のSSRとか来ないかなと思ったが今のところ全く来ません。


こんな体たらくなので新シナリオで育てたキャラはメカウマ娘よりも、いや畑やUAFよりも何か能力が低いという始末である。

UFなんて久しぶりに見た。当然アーモンドアイには勝てないしアーモンドアイが出てくる条件もほとんどわからないので大半は出てこない。

どんだけアレな環境で私はゲームをプレイしているのでせう。

誠に遺憾である。


p.s.それから頑張って何とかサポカのアーモンドアイは出しました。2枚。