常識の体感的に身に付かない方 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

常識がないなんて何回言われたか知らない。

詳しくいうと社会性の障害になってしまうがとにかく常識はない。

何かをやらかしてから三十分後くらいに「しまった」と気づくがもう後の祭りである。

判断も、時間をかければ何とかなるが時間をかけられないとでたらめになる。

そして変なところに情熱を燃やす。大半は体感的に人の嫌がることをやる。悪い意味で。

いつも一人で仕事をやらせれば何とかなるのに、全権あればなおいい、などと訳のわからないことを考えながら作業をしていたししている。

物に対する細かな配慮はするが、人間に対する細かな配慮を欠く。コミュニケーションが細かく必要になればなるほど仕事が上手くいかなくなる。

臨機応変とは一番程遠い位置にいる。全部揺るぎないルーチンワーク、固定化された作業なら多少細かくても出来る。

しかし大雑把でも人と仕事の内容を日々細かくつめながら行う作業になると集団の和を乱す。

家庭菜園に生き甲斐のようなものを感じているのは一人で自分の畑を耕すからであって、

他人にやらせたりやらされたりすることもないから、あるいは成果を求められないからであって、

人が絡んだら即やる気をなくすだろう。あるいは気を利かせて人が畑に何かをやったら激怒して帰すだろう。


昔の中国の兵法家が人に縫い物を作るよう依頼したところ、ちょっと出来が立派に仕上がったので寸法通りに、指示通りにやらないからと怒った、

と言ったその通りの人間が自分である。人に頼んでやるなら寸分違わずやってもらわんと。

やらせるなら最初に言った指示で最初から最後まできっちり仕上がるようにしないと。

それが出来ないなら最初から指示なんて飛ばすんじゃない。

出来が貧相だから少し手を加えるとかいう常識なんて知るか。


臨機応変に出来ないとは、そういうことである。誠に遺憾である。