インキュベーター社長日記 | インターウォーズ株式会社 吉井信隆のブログ -79ページ目

第73回 「イチローの夢」

新たな年を迎え、今年はどんな「夢」を抱いいていますか?


ある小学6年生の作文を紹介します。


「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。


そのためには、中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。


活躍できるようになるためには練習が必要です。


僕は三歳の時から練習を始めています。


三歳から七歳までは半年くらいやっていましたが、三年生の時から今までは三百六十五日中三百六十日は激しい練習をやっています。


 だから、一週間で友達と遊べる時間は五、六時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。


そして、その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。


僕が自信のあるのは投手か打撃です。


去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。


そして、ほとんどの投手を見てきましたが自分が大会ナンバーワン選手だと確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン三本を打ちました。


そして、全体を通した打率は五割八分三厘でした。


このように自分の納得のいく成績でした。だから、この調子でこれからもがんばります。


そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。


とにかく一番大きな夢は野球選手になることです。」


愛知県西春日井郡・豊山小学校六年二組・鈴木一朗。


大リーガーとして47億の契約更新をしたあのイチローの小学六年時の、作文です。


夢に本気で向き合い、すべてをかければ夢は、叶う!


本年も宜しくお願いします。





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第72回 「経営者像」

経営者には、創業オーナー経営者とサラリーマン経営者がいる。 


創業オーナー経営者は、株式の多くを所有し、主要な意思決定を行なう。


一方、サラリーマン経営者は、資本と経営の分離により、自社株のシェアは所有せず、経営の意思決定を行なう専門経営者である。


創業経営者は、創業時から、何から何まですべて自分でやらざるを得ないので、結果的に会社の全機能に精通する。


サラリーマン経営者は、一部門の専門化された道を歩み、出世に価値をおいた調整型社長になるので、経営全般を知る機会が少ない。


創業者の姿を踏襲したクローン型経営スタイルになりがちである。


経営者のミッションは、最終の意思決定にあるが、担当役員任せで全体の経営バランスが崩れ、不幸を招いてしまうケースが、多い。


経営者が変わるということは、環境変化に対し、常に変化、進化しつづけるために交代することに意味や価値があるという認識が、足りないのかもしれない。


創業オーナー経営者の多くは、個人のお金によって会社を立ち上げ、その後、個人保証を銀行に求められ、個人と会社が一体となり、会社の痛みも喜びもすべて自己のものとなる。


創業経営者達は、会社の現状の痛みや危機意識を誰よりも持ち、「不確実な明日に向かって今、何をなすべきか」を考え、自らの全存在を賭けた決断をする。


これが戦略的意思決定の本質となる。「戦略的」とは、与えられた問題に対して解決を図る「戦術的」アプローチではなく、自ら問題を創り出し立ち向かうことに、その本質がある。


今から、45年前、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と、リクルートの創業者は社員に語りかけた。


今日、多くの企業家精神を持った人達が、自ら変化を求め、新たな可能性に果敢に挑戦し、「会社とは、創るもの、創り上げていくものだと、語る。


カルロス・ゴーン氏は、専門経営者の域を出た創業経営者シップを持つ素晴らしい実績を上げ、実業家となった。


ゴーン氏は、コアバリューを明らかにし、明解なビィジョンを描きシンプルな目標を設定し、解かり易い自分の意志をもった言葉で説明する。


 常に競争相手よりも早く、新しい環境に組織を適応させ、前進させていく変革者である。


 変革するには、創業マインドをもって不退転の覚悟で、前進しなければならないことを、実践で示した。


 変革の時代、出世を求め仕事を管理する調整型サラリーマン経営者でない、創業精神を持った創業型経営者が、これからの経営者の姿だ。





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第71回  岡倉天心

時々、東京の下町が好きで、谷中に散歩に出かける。


谷中に、小さな六角で出来た奇妙なお堂のある「岡倉天心」という名の公園がある。


以前から、六角堂と岡倉天心という名前の由来が解からず気になっていたが、10月の連休に出かけた際、茨城の五浦海岸で思わぬ出会いがあった。


今から100年程前、フランスでエコールドパリ、日本では五浦(いずら)時代という近代の美術の礎を築いた黄金期がある。


この時代に、横山大観、下村観山、菱田春草、等をはじめ、日本を代表する画家の傑物達が同じ時代に育っている。


1889年、東京美術学校(今の芸大)設立時、初代校長として若干27歳で就任した岡倉天心という人がいた。


岡倉天心は、古くから受け継がれた日本の美術の伝統を大切にしながらも、西洋画の技術や画風を取り入れようと試みた。


当時岡倉天心は、反支流と見なされ、美術学校の学長職を辞し、茨城の五浦海岸に居を移し、日本美術院を設立した。


岡倉天心を師と仰ぎ、五浦に集ったのが、横山大観をはじめ、下村観山、菱田春草、木村武山といった当時の若者達である。


岡倉天心の思想の影響を受け、「空気」を描く画風が生まれた。


「流燈」などをはじめ日本美術界の宝と言われる作品を多く生み出されている。


五浦時代の画家達は、それぞれ名声を高め、日本画の改革者として、今日の近代日本画の道を示した。


天心の晩年、五浦海岸で海の最もよく見えるところに、六角の六角堂を建て、よく太平洋を眺めていたようである。


英語が堪能だった天心は、日本美術院を運営する傍ら、アメリカのボストン美術館からも中国、日本の美を広める役割を担っていたが、51歳の若さでこの世を去った。


弟子達がこの天心の思いを語り繋ごうと、以前天心が創設した日本美術院のあった跡地谷中に「岡倉天心公園」とそのシンボルとして「六角堂」を建てた。


いつの時代も、新たな変革が行なわれる時、強烈なメッセージを伝えるリーダーがいる。


リーダーの思想を表現するエネルギー溢れる若者達がそこに集い、競い、新たなバリューを創造していく。


歴史は繰り返される。


今、私たちは、時代の大転換期にいる。





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第70回 本社銀座に移転

創業以来、親しんだ本社を、池袋から銀座へと移転した。


1995年4月、先人のビジネスモデルはないが、インキュべーションを事業をスタートした。


1996年6月、上場する企業の社長から「上場記念パーティでスピーチを」と懇願された。


銀行の頭取をはじめ、各界の先輩達を前に、私がスピーチすることは、任ではないと申し上げたら「16年前、【企業は人なり】とあなたが、私に説い、それを私は実践し上場した。


「あなた、なんだと」熱い眼差しで、私の仕事の意味と自社にもたらした価値を説明してくれた。


自分のレゾンデートルを、脳に打ちこまれ、感激した。


今、20社を超える企業をインキュベートし、日々の成長を支援している。


起業家マインド旺盛な方々が当社を通じインキュベーション先の企業をはじめ、多くの成長企業へと参加し活躍している。


会社を創る際、会社は人間が幸せになる為の舞台であると考え、「人と企業のインキュベーター」を当社のコンセプトにした。


創業来、この思いを形にすべく、試行錯誤の連続での9年目の2003年を迎えた。


創業期のパートナーと共に築いた事業に、「人の和」が揃い、いつかは銀座に行きたいとの思いを実現したく、移転の決断をした。


日本の中心地銀座は、様々な事業や文化の発祥の基点でもある。


数百年に一度の変革期に、これまで培ってきたknow how、know whoを生かし、第二の創業と捉え、

決意を新たに、「人と企業のインキュベーション」を極めていきたい。





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第69回 お盆

例年、お盆には祖先の墓参りに欠かさず行く。


子供の頃から、夜の墓参り提灯を持った人々が描く光の河を目にした時が、私にとってのお盆となる。


そ墓参りの後、親族と顔を合わせると、枝豆と冷えたビールで話が盛り上がる。


8月13日の夜、「経営者っていつも叱られてばかりで、かっこ悪い、叔父さんは何で経営者をやってるの?」と姪から訊ねられた。


TVの中で頭を下げ、うなだれている今日の経営者の姿は、確かに哀れをとどめ経営者が尊敬されない、若い子達から見るとかっこ悪い時代を迎えているのかもしれない。


こういった現状が、元気のない今日の日本の一因としたら、経営者は「ノブレスオブリ-ジュ」(逃げも隠れもしない責任能力)で立ち向かっていかねばならないと、改めて考えさせられた。


親族とのお盆での昔話に、あることに気づいた。


会ったことのない祖先の方々が発したと思える「言葉や訓え」を、永い年月を隔てても今日まで大切に語り継がれ、先祖代々のDNAを感じた。

 
成功をおさめた経営者と出会い、共通して感じることだが、自らの過去、体験、感じたこと、そして、自分の成功法則などを見事に明解な言葉で語る経営者が多い。


力をもった明解な言語は、瞬時にその経営者の経営感や人格、人間力を、人の心に響かせ魅了することがある。


経営者は、「ビジョンの構築と理念の明確化」、「戦略的意思決定」、「執行管理」が、役割であるといわれている。


「不確実な明日に向かって、今何をなすべきか」を決断し、それを実現へ導くことがトップの仕事だが、それを伝える戦術アプローチや技術がなければ現場は動かない。


その導線は、「言葉」にある。経営者が語る理念に裏付けられた言語は、自らのふつふつと内側から生み出される魂の叫びであり、自らの全存在を賭けた「決断」への「エネルギー」となり、行動を促す。


言葉は時に、時空を超え、企業の生き様として、理念や物語になり、風土やスピリッツとして育ち、多くの人々の指針となって組織を動かしてゆく。


今年のお盆は、惑わされることなく生き抜いてきた先人達の「生きる叡知」が、生命を持った言葉となって継承されていることを改めて感じた。


忘れてはならない「祖先の先輩たちの訓え」を迎え火によって語りかけられた気がした。





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