インキュベーター社長日記 | インターウォーズ株式会社 吉井信隆のブログ -24ページ目

中村勘三郎さんを悼む

「生きて生きて、まあどう生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわずかな旅路を、潔くもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」12月5日に、亡くなられた大好きだった歌舞伎役者の中村勘三郎さんの、歌舞伎の演目の中でのセリフです。


銀座のカレー屋さんでお会いした際、気さくな人柄に魅せられましたが、おそらく日本人の関わった人だけでない、多くの人々が、大切な日本の宝の様な人を失った寂しさ、残念さ、もったいなさを感じていると思います。


日本の伝統文化の歌舞伎を、身近に感じさせてくれた挑戦者アントレプレナーの生き様に、感謝と御冥福をお祈りします。


第181回 「渋沢栄一生家にて」

 過日、埼玉県深谷にある渋沢栄一の生家を訪ねました。渋沢栄一は日本資本主義の父と称えられ、幕末から昭和の実業家として、日本を代表する500社の企業に関わったといわれています。


 深谷は、江戸時代に中山道の宿場町として栄え、江戸と往来する人や物資の中継基地で、情報や文化に触れていた町です。


 渋沢栄一の生家は、藍玉と養蚕を家業とする半農半商で、年商は1万両を越える裕福な家で、商売と論語をはじめとする中国古典を学ぶ幼少時代を過ごしたことによって、思想形成の基礎が出来上がったことを知りました。
 母屋の木々が、赤城山から吹きつける風雨によって曲がりながら大きく育ち、今でも立派な四つの土蔵の景観が、当時の繁栄を物語っていました。


 生家にいた方から、渋沢栄一がよく語っていたという話を伺いました。


インキュベーター社長日記 | インターウォーズ株式会社 吉井信隆のブログ 政治が変わる時、人生行路の決断をしなければならない時がある。様々な選択があるが、悪習慣を多く持つものは悪人となり、志ある良い習慣を持つものは善人となる。時に善人が悪人に敗けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつく。志を持って良い習慣を心がけ、信用を身に付け、たとえ事業が小さな微々たるもので、自分の利益は少額でも、人や社会の必要な事業を経営すれば、心は楽しんで仕事ができ、幸せで心豊かな人生を送ることができる。


自分の立場だけにこだわることなく、相方の立場も理解し、広い気持ちを持たねば、事業を世の中に円満に処していくことはできない。


処世上の第一要件は、一人ひとりに使命があり、天命を楽しみながら実行しない者には成果はなく、 成果なき者は幸福に生きることはできない。ゆえに、自らの天命を楽しみながら実行することが肝要だ。


 明治維新の頃より今の日本は遥かに豊かで恵まれているのに閉塞感が漂う今、語り継がれた渋沢栄一の精神に触れ、誰かに依存することなく、一人ひとりが志を持って主体的に考え、実行してゆくエネルギーの集大成が社会を変えてゆくのだろうと思いました。


 今年も、残すところ一か月となりました。世界も日本も、経済も政治も緊張感の多い一年でしたが、2013年に向け希望を持って、本年を締めくくっていきたいものです。
吉井信隆のブログ-サイン




第180回 「イントレプレナーの時代」

 世界は今、ビジネスモデルの地殻変動が起きています。日本を除き多くの国がインフレに陥っています。日本の財政金融危機は、緊張感を増してきました。円の価値が変動する事を語る人達が増え、デジタルグローバル社会での競争力が問われ、多くの企業が岐路に立っています。
 パナソニック7721億円、ソニー4566億円の赤字、といった大手電機メーカーや半導体メーカーが総崩れとなり、水面下で数万人を超える大リストラが進行しています。
 これまでの様な、リストラやコストダウンによる一時しのぎで事業を再構築できるものではありませんが、各社人員を削減し凌ごうとしています。その結果、皮肉なことに技術やネットワークを持った経験豊かな人材が新興国に流出し、リストラをした企業に脅威を与える競合企業の牽引者となっています。


 過日、韓国のサムスン電子の幹部の方の話しを聞く機会がありました。韓国も中国も隆盛を極めていた企業が現在、実態は何処も厳しいと語っていました。液晶テレビで隆盛を極めたシャープが、2012年9月中間連結決算の税引き後、予想の約2倍の4000億円規模の赤字を出し、経営危機に陥っています。サムスンもこの領域は赤字で、決して盤石ではないと語っていました。中国やインドも含め、成長は鈍化し、世界の景気の潮流が、変わってきています。


 最近、新たな事業収益を求めM&Aに活路を見出そうと試みている企業が増えています。
 M&Aの7割は失敗といわれています。シナジー効果がないまま途方に暮れ、本業を圧迫している企業も多く見受けられます。


 これからの成長エンジンを創生することで、企業の存亡を賭ける戦略を取る時流が強まっていますが、多くの企業がトライしても、厳しい現実の壁にぶち当たっています。新規事業の投資に回す資金は用意できても、企業内起業家がいないのです。
 現在、多くの大手企業のボードメンバーは、オペレーションやコストカットで評価された方々で構成されています。自ら事業を立ち上げ、成功に導いた経験のあるボードメンバーがいない現状で、新規事業判断基準や社内にインキュベーターが存在していない企業が大半です。


 新規事業が創生される企業には、独自の事業創生文化や仕組みが存在しています。そして、企業のトップが強い意志を持って事業創生に取り組むことが前提条件となります。
 新規事業を育てるには、挑むべき事業領域を技術・産業のライフサイクルから考え、経営層と強い意志を持った企業内起業家とそれをバックアップしてゆくインキュベーターの三位一体となった組織が不可欠です。
 新規事業開発とは、企業内起業家の発掘と支援にあります。


 過日、事業創造大学院大学で「企業内起業成功の条件~イントレプレナーの時代~」というテーマで以下の様な内容の講義をしました。参考になれば幸いです。


 「企業内起業家になる為の成功条件は、起業家資質がなければならない。起業家は、メンタルブロックをはずし、固定概念を壊すことが肝要だ。そして、マーケットや顧客を捉える時に大局観を持った鳥の目、ミクロの虫の目、イマジネーションを持ったクリティカルシンキングの目といった三つの目で捉え、気づきを発想に変え、アイデアにつなげ、ビジネスモデルを創ることが重要である。
 企業内起業家がテーマに向き合う時、自分の会社は「何屋」か定義し、過去・現在・未来を洞察し、アイデア・発想を結び付けていくことが大切だ。特に、変わった顧客を見つける視点やライフデザインのプロセスを踏まえた顧客設定が重要なポイントとなる。
 次に、経営資源を活かすことが、企業内起業の競争優位性となる。大切なことは、不満、不能、不便など「不」の中にあるニーズの根源を把握することはもちろん、顕在化していない部分に焦点を当てることである。自社や組織の強みと弱みを理解し、経営資源を新商品開発といった市場の深耕、拡大、多角化の三方向のどこに向けるのかを明確にすることだ。さらに、経営層、企業内起業家、社内インキュベーターの「三位一体」のチームとしての枠組みが必要だ。新規事業を成功させるうえで確率が高いインキュベーションは、ラインからの提案、つまり現場からのボトムアップによるもので、個人のイントレプレナー精神がその原動力となる。」


 これからのビジネスは、クックパッドやリブセンスのように、利益の源泉のポジションが変わり、富はプラットフォームから生まれています。
 現実と未来を見据え、顧客をみつめ、ビジネスを創り上げる企業内起業家が、一人でも多く出現する社会の実現をしてゆきたいものです。

吉井信隆のブログ-サイン






堀田邸にて

過日、佐倉市にある佐倉藩の最後の藩主であった堀田正倫の邸宅を訪ねました。
旧堀田邸は、最後の佐倉藩主堀田正倫が、維新後東京から佐倉に移り住んだ邸宅で、和風建築と庭園が残された素晴らしい心豊かになる空間でした!


前佐倉藩主・堀田正睦は、幕末の頃、攘夷派の抵抗を押し切ってペリーやハリスと共に我が国の開国を成し遂げ、日本を近代国家へと導く機会を創った人物です。


安政3年(1856年)、タウンゼント・ハリスは、アメリカ大統領の親書を携え下田に到着し来日の目的は、アメリカ初代駐日領事として他国に先駆け日本と通商条約を結び、開国を実現させることでした。
当時、幕府で老中を務めていた開明派の佐倉藩主堀田正睦を外交の舞台に登場させ、ハリスと正睦により、幾度にもわたる直接交渉が行われた結果、今からちょうど150年前の安政5年(1858年)6月19日、日米修好通商条約が締結されたことを知りました。


佐倉城址公園の二の丸跡入口に、堀田正睦とハリスの二人の銅像が立っている姿に、先人達が切り開いて築いた歴史の流れの中に、私達は今、存在し、現代を生きる私達は、後世の人達に、繋げる今を考えさせられました。


佐倉城址公園の二の丸跡入口に、堀田正睦とハリスの二人の銅像が立っている姿に、先人達が切り開いて築いた歴史の流れの中に、私達は、今、存在し、現代を生きる私達は、後世の人達に、繋げる今を、考えさせられました。

第179回 「余韻の残る人」

 言葉少なく圧倒的な存在感と雰囲気を持ち、極めたキャリアを歩いんでいる人と話した後、幾日も余韻が残ることがあります。

 過日、こういった余韻を残す日本を代表する医師と、話す機会がありました。

 この先生は、難病といわれ生命の危機に接した多くの人々の命を救ってきた、名医といわれている方です。

 「どうやって、多くの難病の方々の生命を、救うことができるのか?」と、私の不躾で直接的な質問に、にこやかな笑顔で、静かに次の様なことを語ってくれました。

 「~しかない。というものは、世の中にないんです。人よりも少し目線を高く、深く、固定概念を捨て、知恵を絞って、自分の頭で考え抜いてあるべき方法を見出し、勇気と希望を患者さんと共有すれば道はあるものです!」

 忘れられない言葉と、この先生の考え方と生き方に触れ、勇気を貰いました。

吉井信隆のブログ-サイン