自閉スペクトラム症とADHDを併せ持つ息子が診断を受けるまでの道のりシリーズです。

 

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2020年4月から、新型コロナウィルスの蔓延により、生活がガラッと変わりました。
世間がどんな風に変化したかはわざわざ書く必要がないのでここでは書きませんが、我が家の変化を書いていこうと思います。
 
幼稚園に入るまでの残り1年間。
ここから行きたい園を探したり、プレ保育などに通って合う園に出会ったり…などの計画はいったん白紙になりました。
通常の保育はどうだったかわかりませんが、通える範囲の幼稚園のHPなどを調べると、ほとんどがプレなどは中止になっていました。
不要不急の外出は控えるように、と言われたものの、次の年の4月から幼稚園に入りたいのは変わらないし、どのように探すか…これが躓きの第一歩でした。
 
前にも書いたように、児童館には行っておらず、公園でも砂遊びをしている息子を見守るだけだった私には、ママ友なんていません。
そして、幼稚園の評判というのは、ネットではなかなか見つけづらいものなので(自分の子が通っている園の情報は出せないし、口コミサイトにはそこまで詳しくは書いていないし)、ひとまず幼稚園のHPで雰囲気を確認するくらいしかできませんでした。


2つ目の変化はおでかけです。
当時はまだベビーカーに乗ることも多い時期でした。
4月は2歳11ヶ月の頃。
体格的にはもう4歳児くらいなのに、外を歩くとすぐ「疲れた」「歩けない」「だっこ」だったし、歩かせると手を振り払って走り出す子だったので、ベビーカーの方が楽だったんです。
でも、そろそろしっかり手をつないで歩き、いろんなところへ行ける体力をつけなければ…と思った矢先のステイホーム。
私たち声優の仕事は、オフの日であれば平日でも子供が遊べるスポットに連れて行きやすいので、この1年はいろんなところへ行くぞ~と意気込んでいたのに…悲しい
多動で疲れやすいわりに、集中し始めると親の声も耳に届かなくなるほど全く動かなくなる息子は、外に出ない分体力を思いっきり持て余し、遅寝早起きのショートスリーパーボーイになってしまったのでした。
 
そんなわけで、その後も必要に駆られてお出かけする時はベビーカーをしばらく使っていましたね。
幼稚園に入るギリギリまでそうだったかも…?
秋くらいから園庭開放などで幼稚園に行く機会が何度かあったんですが、その時もベビーカーでした。
他にもベビーカーの子がチラホラいたんですが、おそらく早生まれでまだ身体の小さな子たち…。
安心する気持ちと、早く卒業させないとなぁという気持ちのせめぎ合いの日々でした。
 
ちなみに。


(動画からの切り抜きだから粗いガーン)


歩き始めてからハーネス付きのリュックは使っていたのですが、引っ張る力が強すぎて紐が千切れました爆笑
力比べでうちの子が勝ったんですね。
大変嬉しくない勝利ですね真顔
その後、実家に行った時に母に強力に縫い付けてもらい、再び使い始めましたが、いつまた千切れてしまうかとヒヤヒヤでしたねアセアセ
結果的には大丈夫だったんですが、すぐに息子が大きくなり、そのリュックも卒業となってしまったのでした…。
リュックの下についているタイプだったから、余計に引っ張り合いみたいなってしまったのかな。
上についているのにすればよかった…。
 
 
こうして振り返ってみると、多動や過集中、発語の遅れ、呼びかけが耳に入らないなど、今思えばいろいろ当てはまることがあったんですが。
それでも、発達検査を受けたり、療育に行かなかったのはなぜなのか。
理由は、コロナの影響で3歳児健診が延びに延びてしまい、専門の方とお話しする機会がなかなか無かったからです。
次回は、その延期された3歳児健診でのお話を書こうと思います。
 
⑦に続きます。



この頃の遊びは、家の中かベランダが多め。
あとは、マンションから徒歩1分のコンビニまでお散歩とかかな…。