前回はエゴとその特徴についてみていきました。
今回もいってみましょう
エゴの口ぐせ
前回紹介したエゴを自分自身に当てはめてみましょう。
すると、他者によって作られた自分のルールみたいなものがあるのに気がつくはずです。
エゴはこんなことをあなたに向かって伝えてきます。
- ◯◯するのが一般的だ
- 普通だったらそうするよね
- あの先生がこう言っていたから間違いない
- ◯◯じゃないといけない
- ◯◯じゃないと認めない
- 人間とはこうあるべきだ
- 私はこういう人間だ
- こんなの私じゃない!
- こういう出来事が起こったから私は不幸だ
- 私はあの人と比べたら劣っている
- お金さえあれば幸せになれる
- ダイエットに成功すれば私はモテる
他にも数え上げたらキリがありませんが、思い当たるフレーズはあるでしょうか。
こうして私たちは、他から教えられたものによって、自分の中にエゴを作っています。
ご利益や見返りを求めるのもエゴです。
- 良い事をすると良い事が起こる
- あのパワースポットに行くと良い事が起こる
- これだけやったんだからちょっとくらい良い思いをしてもいいよね
- 悪い行いをするとバチが当たる
といったものがそうです。
また、エゴを逆手に取ることもできます。
『リピート率90%以上の人気商品です』なんて広告を見たら気になりますよね。
みんなが買っているならきっと良い商品なんだろう。と意識的に思います。
全米No. 1ヒット映画と聞けば、どんな面白い映画なんだろうと思います。
世の中のマーケティングはこうしてエゴを刺激しているものが多いです。
『彼女はみんなから愛されています』
と聞けば、どんな素敵な女性なんだろうと期待に胸が膨らみます。
心理的ストレスはどうして感じるのか?
心理学上でのストレスとは、
『心身に負荷がかかった時に生じる緊張状態とのこと』だそうです。
では、人は心理的にどうなったらストレスを感じるのか、一例から見ていきましょう。
たとえば、『人には優しくしないといけない』
というエゴがある人がいるとします。
その人がもし、理不尽に怒られている人を見た時、どうして人に優しくできないのかな。
とか、または自分が怒られているように感じるかも知れません。
心がざわついたのなら、もうそれはストレスを受けているといえます。
これは出来事に『人には優しくしないといけない』というエゴが反応して、エゴが傷ついています。
でも『人には優しくしないといけない』というエゴが無い人には、ただ人が怒られているのを見ているだけに過ぎません。ああ、なんか大変そうだなと。
というように、自分が見たもの、体験したもの、教えられたものから自分が作ったエゴというフィルターを通して出来事を体験して、一喜一憂しているだけです。
もう一つ例を挙げてみましょう。
『何も出来ない自分は価値が無い』というエゴを持っている人がいます。
何をやっても失敗ばかりで、長続きもしない。毎日がストレスで、憂鬱だ。そんな人がいたとします。
この人にとっては理想の自分像があって、それに対して何もできない自分とのギャップを感じ、そこに『何も出来ない自分』と『出来ない人間は価値が無い』とを勝手に意味を結びつけて、ストレスを受けているということです。
前回の『生まれた時にエゴは無かった』というのと、
この『意味を結びつける』というのもエゴの大きなポイントです。
それでは赤ちゃんはどうでしょうか。
赤ちゃんは大人のように何もできません。
だからと言って、『何もできない赤ちゃんは価値が無い』とは思いません。
生きているだけで価値があります。
つまりストレスとは、出来事にエゴが反応してエゴが傷ついた時に感じるものだと考えられないでしょうか。
すると結局のところ、エゴというすべて自分の内側で起こっていることが外の出来事に反応して起こっているのが分かってきます。
エゴが自分に対して意味や条件をあれこれと提示して、それに合わずにギャップが生まれることによって、ストレスを感じているということです。
エゴの得意技は意味付けをして「これが自分だ」と採用してしまう
勝手に意味づけを行なっているのは、エゴのしわざです。
唐突ですが、Mr.Childrenの『君と重ねたモノローグ』という楽曲があります。
その歌詞で、
『誰かにとってのパーフェクトは
誰かにとっての不完全』
というものがあります。
感じ方や捉え方は、自由でその人次第ということ。
エゴは感じたもの、捉えたものを勝手に意味付けをして、善悪、価値の有無、出来た自分はOK、出来ない自分はダメといったものを、『これが自分だ』と採用してしまいます。
たとえば、
やったー、自分ではパーフェクトだと思う作品ができた!
って思っているのに、隣の人に
「あれ、ここ色が塗られてないじゃん!それ、あなたの感想ですよね。」
って言われて、
「あ、ほんとだこんなことも見落とすなんて。私はダメな人間だ」と落ち込んでしまう。
この場合、パーフェクトにできた自分はすごい。それ以外はダメな人間だ。というのを勝手に『これが自分だ』と意味を結びつけて、パーフェクトにできた自分を否定されたことによって、私はダメ人間だと勝手に落ち込んで、生きづらさを作っています。
一例をこうして冷静に見てみると、一見してバカバカしい事を自分が信じ込み、あたかもそれを全部背負って生きていると勘違いし、出来事に対して振り回されて、一喜一憂しています。
前回のドラえもんのハリーのしっぽのエピソードも、今聞けばそんなの有り得ないとバカバカしく思いますが、当時の人たちは真剣に『死ぬかも知れない』と信じていたわけです。
以前の僕の場合、仕事が休みの日は落ち着いて休みたいと思いながらも、何かしていないと落ち着かなく、結局休んだ感じがあんまりないまま休日が終わるということがよくありました。
『せっかくの休みなんだから何かしないともったいない。何かしないといけない。』というエゴがはたらいて、何かをしていないと落ち着かなくなっていたのです。
今は、ダラダラ休んでいる自分もOKってなってます。
エゴはこうして、外側から取り入れたものを『これが自分だ』と信じ込んで採用してしまうのです。
ということは、自分のエゴを理解してエゴをどうにかしたら良いのではないか?
確かにそうですが、それだけではありません。
つづく
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