『シティ・オヴ・グラス』; ポールオースターの素晴らしき不条理ワールド | これは名作・迷作
2005-09-04 14:50:04

『シティ・オヴ・グラス』; ポールオースターの素晴らしき不条理ワールド

テーマ:超名作!

シティ・オヴ・グラス

作者はアメリカ生まれの現代小説家ポール・オースター。ずいぶん前にEnglish Journalで紹介記事を読んでからずっと気になっていた作家でしたが、知り合いが大絶賛しているのを聞いたのををきっかけに初めて読んでみました。・・・自分でもびっくりするくらい、小説の世界にはまり、子供がマンガに夢中になるように、この本をむさぼるように読み続けてしまいました。面白いといえば面白いのですが、それを超えて芸術の域に入っています。


舞台はニューヨーク。数年前に妻と子供を亡くした小説家クィン。前向きに生きる気力もなく、別名を使って小説を書き、自分の存在を抹殺している。そんな彼が夜中に一本の電話を受ける。「ポールオースターさんですか?緊急の用事なんです」・・・間違え電話だと思い相手にしないクィンだったが、ちょっとの好奇心から、再びその電話がかかってきた時にクィンはオースターになりきり、電話主からの依頼を受けるために翌日その家を訪ねていく。


依頼主はピーターという青年。富豪で天才的な頭脳を持った大学教授の父親に9年間監禁され、精神的、言語的に障害を持っている。火事をきっかけに父親は精神異常者として病院に送り込まれたが、明日釈放されるのだという。依頼というのはピーターがその父親から見つからないように父親を監視してほしいということ。クィンは新たな生きがいを見つけたかのように探偵として父親の尾行を始める。・・・自分の生活が少しずつ変わっていくのに気づかずに。


初めは確かにクィンが主体であり、彼の意思判断が物語の軸だったのに、途中から突如主体は読者と作者になる。主人公が姿を消してしまうのだから。この展開は読者にいくつもの解釈を与える。そもそもピーターというのは精神的に分離しているクィンの見た幻想だったのではないか?別の人物の名前を借りての自分を自ら分離させようとしていたクィンはそれに成功し、最終的に本当の自分を失い、夢の世界に生きるようになってしまったのではないか・・・?


作品を読んだ後に映画「欲望(blow up)」を思い出した。あれも不条理を描いた代表作。私が感じる不条理というのは一言で言えばありえないことをあったものとして描き、それを正当化させること。でもそこにおふざけがあってはいけない。主体が真剣であればあるほど、その不条理の世界は意味を持つ。またそれが全く虚構では不条理にはならない。現実なのか夢なのか、判断すれすれのところでほったらかす。読者の感性を試すかのように。


この作品はポールオースターの処女作。しかもニューヨークを舞台にした三部作の一作目だという。できることなら彼の全作品を読破したい。さらにポールオースターといえば柴田元幸と決まっているくらい、オースターの日本語訳は東大教授の柴田がやるのはお約束。この作品は別の人が翻訳しているけどまあ私は別に文句がない。ただ他の作品で柴田がやっている翻訳がどんなに素晴らしいかこの目で確かめてみたい。できれば原書も読んでみたい。


もしかしたら初めてかもしれないアメリカの現代小説。ロンドンとも東京とも全く違う、人間くささを排除して虚無感を浮き立たせたような乾いた感じが私は好き。住みたくはないけれど。

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