相の谷古墳と乎致ノ命 -13ページ目

(3)根本仏教は自分の悟りのみを追及し、他者の救済がないのでは?

(3)根本仏教は自分の悟りのみを追及し、他者の救済がないのでは?


この質問は大乗仏教を信仰する方からよく質問されます。

というより、仏教史でいうところの「根本二大分裂」の論争の原因でもある重要なテーマの一つです。


当時、急進派であった「大衆部(ダイシュブ)」の連中が、阿含経を護持していた保守派の「上座部(長老部)」の僧侶たちを「小乗(自分の救いのみを追及するという意味)」と呼んだ原因となりました。

(これでおわかりのように、実際には「大衆部」は、阿含経のことを「小乗」と呼んだのではなく、当時、一般大衆を受け入れず、自分の悟りを求めることに専念していた「上座部(長老部)」のことを指していたのです。)


果たして、シャカ直説の経典であり、根本仏教の聖典「阿含経」には「自分の悟りのみを追求し、他者の救済がない」のでしょうか?


その答えは「否」と断定します。


そのまえに何よりもお釈迦さま自身がお亡くなりになる直前まで、布教(人々に教えを説き、他者の救済)されていたではありませんか。


学問的にもシャカ直説の経典とされる「阿含経」にそれ(他者の救済の教え)がない筈がありませんし、他者の救済がない信仰なぞあるはずがないと思いますが。


「優婆塞の八法・十六法」(雑阿含経)という阿含経の一つにそのことがはっきりと説かれています。
ちなみに、優婆塞(ウバソク)とは在家の男性信者のことで、在家の女性信者のことを「ウバイ」と呼びます。


このお経の中で八法<信、戒、施、聞、持、観、法次、法向>を自らが実行するだけでなく、他の人々も同じように仏道修行に導き、救済しなければならないとお釈迦さまは解説されておられます。


自ら「八法」を行じ、他の人にも「八法」を行ずるよう導きなさい(合わせて「十六法」)と説いておられます。


そして、このお経の重要な点は、当時からお釈迦さまは出家者だけではなく、実際には在家の者にも成仏法を指導しておられたのです。
在家者の成仏法のことを下根(下品・げぼん)の成仏法といいます。
詳しいことはまた機会があればお話ししたいと思います。


(2)根本仏教は出家仏教では?

(2)根本仏教(釈迦仏教)は出家仏教では?


今から二千数百年前のインドでお釈迦さまの教えを実行するには、家を出て専門に勉強するしかなかったということです。それは時間的に、経済的に、そして知識の点においてもです。

考えてみてください、最近までの日本は、毎日の生活に追われて、在家のままでお釈迦さまの高度な仏教の修行(瞑想その他)などできなかったと思います。


ところが、現在はどうでしょうか? 


ほとんどの人が大学に進学し、専門家以上の高度な知識を持つ人も増え、労働時間もどんどん短縮され、週休二日、三日の時代が来ようとしています。


余暇で瞑想やスポーツ他の趣味を嗜む人も多くなり、複属社会(会社以外に、また主婦業をこなしながら趣味やサークル、ボランティアその他の団体に所属し活動が可能な社会)になりました。


このような現代社会と二千年以上前のインドの社会とでは全く人も環境も異なってきています。

もし今、お釈迦さまがいらっしゃたら、現代人に仏教をどのように指導されると思われますでしょうか。


「仕事を辞め、家族を捨て、出家せよ。」と、おっしゃるでしょうか?


私はそうはおっしゃらないと思います。


「出家して専門に修行したい者はそうしなさい。そうでない者も在家のままでも修行できるよう私が指導しよう」と、おっしゃるのではないでしょうか?


人も環境も全く変わってきている現代社会では、在家のままでも当時の出家者と同じような修行は可能だということです。また、そのように仏教の指導者も工夫しなければならないと思います。


現代社会の科学技術や社会制度を否定するのではなく、それらをもコントロールする「ブッダの智慧」の獲得こそが、現代人に最も必要ではないでしょうか?


昔、日本の「寺子屋」で子どもたちは当時の最先端の知識を身につけました。
これから日本の寺も真の「ブッダの智慧」の獲得の修行を通して、最先端の知識を習得し科学技術を正しくコントロールできる若者を育成する仏教寺院とならなければならないと思います。

(1)上座部仏教を信仰している東南アジアは発展途上国が多い?

前回のブログで書いたこと(全7つの疑問)に対する答えを何回かに分けてお話ししたいと思います。


(1)上座部仏教(根本仏教)を信仰している東南アジアは発展途上国が多い?


 ミャンマー,タイ,ラオス,カンボジアと,ベトナム南部,インドネシアの一部、これらの地域ではスリランカ系の上座部仏教(テーラバーダ)が中心です。

ところで、仏教の聖典は「三蔵」と呼ばれる次の三つがあります。


   経蔵 (sutra) - 釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの
   律蔵 (vinaya) - 規則・道徳・生活様相などをまとめたもの
   論蔵 (abhidharma) - 上記の注釈、解釈などを集めたもの


「西遊記」で知られている唐代の僧・玄奘が最も有名な三蔵法師(三蔵をインドから持ち帰った、又は三蔵に精通した僧侶のこと)の一人です。


 残念ながら、現在の東南アジアの上座部仏教では阿含経に書かれているシャカの成仏法・七科三十七道品を修行することなく、三蔵の中の「律蔵」いわゆる「戒律を守ること」を中心に修行が行われています。


 簡単に言いますと、シャカの成仏法・七科三十七道品を実際に修行し解脱成仏することが困難なため、また、正しく成仏法を指導できる指導者がいなくなったため、戒律を守っていれば成仏に近づくと解釈するようになったものと思われます。


 科学が発達し、生活が豊かになることが即ち人の幸福につながるとは思いませんが、仏教が世界宗教となり世界平和を実現するためには、科学に人が使われるのではなく、科学技術をも制御できる高度な「ブッダの智慧」の獲得が必要です。


 そのためにも戒律を守る修行だけではなく、本来のシャカの教えである解脱成仏法を修行・体得し「ブッダの智慧」の獲得を目指す仏教を世の中に広めなければならないと思います。