ニュージーランド大地震で思うこと
ニュージーランド大地震(2月22日発生M6.3)は被害が大きく、若い日本人の方を含む大勢の方の安否が未だ確認できていません。
こういう自然の大災害が起きるたびに大自然の力の前では我々人間は無力だということを痛感します。
愛媛に住む我々も大地震に備えなければなりません。
四国には「中央構造線」が走っており、専門家の予想では近い将来「南海大地震」が起こるであろうと予想されているからです。
もし愛媛で直下型の大地震が起こると大変なことになりかねません。
それはこの「中央構造線」が伊方原子力発電所のすぐ近くを通っているからです。
実は私は日ごろからブッダ釈尊の教えに基づいて、この大災害から愛媛県、そしてこの東予地方と今治に住む人々を守らなければならないと真剣に考えて行動しています。
中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん)は、日本 最大級の断層 系。
(ウィキペディアフリー百科事典より)
ニュージーランド大地震で間一髪、助かった方の次のようなインタビューの記事をインターネットで読みました。
「もう10秒早くても、あと10秒遅くても助からなかった。タイミングです。」
「タイミング」、日本語では「機」。
ようするに、この人は「運が良かった」ということです。
では、事故や災害からも身を守られるよう、「運を良くする」ことができるのでしょうか?
実は私の仏道修行で一番に解決したかった問題がこれだったのです。
父が交通事故で亡くなったと前回お話ししましたが、父はなぜ事故で死ななければならなかったのか?
私の父の場合もほんの数秒の違いが生死を分けました。
事故や災害で死なないで、助かるにはどうすれば良いのか?
運を良くするにはどうすれが良いのか?
これが自分でも気付かないうちに、10歳の頃から考え続けてきたことでした。
その答えは釈迦の教えの中にあったということです。
「悪い運をなくして、良い運にする」方法とは、すなわち、釈迦の教えの「悪い運命(因縁)を変えて、無くしてしまうこと=因縁解脱」ということなのです。
ニュージーランド地震で亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈りしますとともに、一人でも多くの方が救出されることをお祈りします。 合掌
この時期になると思い出します - 私の人生の目的
この時期、「椿さん」の頃になると思い出します。
私の父親は私が小学校4年生の3学期に交通事故で亡くなりました。
まだ10歳で父親が大好きだった私は、しばらく、父が亡くなったという現実が受け入れられず、父がそのうち「ただいま」と言って帰ってくるような気がしていました。
「椿さん」には罪はないのですが、当時、子供心に「椿さんにお参りしたばっかりやのに、とうちゃんはなんで死んだん? 世の中には神も仏もないんや。」と思ってしまっていました。
その後、私は上京して極真会館総本部道場に入門して空手を習い自力本願の修行に進みました。
「自分しか自分や家族の身を守るものはいないのだ。」という思いからです。
約4年の空手修行の後、黒帯を取得し自分や自分の家族を守るだけの実践空手の実力を身につけることができたと感じました。
又、厳しい稽古を繰り返す中で、忍耐を覚え、精神を鍛えることもできました。
しかし、自力本願には限界がありました。自分の力だけで自分の人生を切り開くことは無理だという現実を知りました。自分の持病のこと、仕事のことなど、自分の持って生まれた運命というものを知りました。その時、私の年齢は24歳になっていました。
その後、わが師、大山倍達総裁は肺がんで亡くなり、ケンカ十段と言われたA先輩も不治の病に倒れました。
私は若くして「生・老・病・死」という人生の4つの大きい壁を感じ、私はこの「四苦」を解決するためにこの世に生まれたのだと思いました。
それから私は、お釈迦様の教えである絶対的な境地を求めて仏道修行に入りました。
お陰さまで私は父親の生きた歳を越えることができました。
しかし最近、再び私の高校時代の親しかった友人が病気で急死するという悲しい出来事がありました。
家族や親しい友人、知人の突然の「死」は生きている私たちにも深い心の傷となり、永遠にその傷が癒えることはありません。
人生は「無常」です。
「生」あるものはいつかは「死」を迎えます。
しかし、愛する家族を残したまま、また自分の夢の実現の途中で志半ばで倒れることは、家族はもちろん亡くなった本人はさぞ無念なことだと思います。
釈迦は阿含経の中で、「人は死後に残る「渇愛(タンハー)」がある限り、輪廻転生が終わることはない」と解説されております。
自分の持って生まれた不幸な運命の星を無くし人生を自分の思うように生き、この世で成仏し(ブッダになること)、死後に「渇愛(タンハー)」を残さず、輪廻転生を止めること。
これこそが私のこの生での最大で最終の目的であります。
このブログで一人でも後に続く人を求めて、ここに私の魂からの叫びを書き記します。
これあるによりてかれあり。これなきによりてかれなし。
・此れありて仳れあり
・此れ生じるがゆえに仳れ生じ
・此れなければ仳れなく
・此れ滅すれば仳れ滅す
これは「四諦の法門(したいのほうもん)」といわれる釈迦仏教の教えの根本です。
中国で「苦集滅道 くじゅうめつどう」と漢訳されたため、釈迦は「苦」を実在としたように考える人がいますが、それは間違いです。(絶対的な実在ではないので「苦」を変え、無くすこともできる)
さらに「四諦の法門」から導き出される「縁起の法」という教えは、「この世のすべてのものはそのものだけでは存在しない。縁によって生じ、縁によって変化し、また消滅もする」ということです。
この「縁起の法」の教えは、「有」でもない「無」でもない「空」であるということを説いた有名な般若心経の「空」の思想のもとになっています。
釈迦はこの「四諦の法門」の原理(公式)を人間の「苦」にあてはめただけで、世の中のすべてのもの、物質的なもの、目に見えないもの(原子やエネルギー、電波、etc. そして人の精神的なものも、霊的存在も含めて)すべてにあてはめることができる宇宙の存在原理なのです。
「水」で例えると、水は常温であれば液体の「水」として存在し、熱という「縁(条件・環境)」を与えると水蒸気となって空気中に浮遊しあたかも気体のように変化し、冷やすという「縁」を与えると「氷」となってあたかも固体のようになる、ということです。
「水」という「因(もと)」は、「縁」によって、液体にも気体にも固体にも変化するということです。
そして、水(H2O)自身についても、水素分子と酸素分子を同じところに集めて熱するという環境を与えると水(H2O)になり、水(H2O)は電気分解という環境を与えるともとの水素分子と酸素分子にもどるということになります。
さらに、水素分子は? 水素原子は? 原子核は? 電子は? 素粒子は?・・・と続きますが、この世に絶対的存在というものはなくて、すべて「縁によって生じる」ということがわかります。
すなわち、これこそが般若心経の「空」の思想の原点であり、「色即是空。空即是色」(現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体では ない)とは「縁起の法」そのものです。
釈迦の教えの根本である「四諦の法門」という公式に人間の「苦」をあてはめた場合に「苦集滅道」となるのです。
世の中のさまざまな仏教の解説本のように難しく言う必要はなく、簡単明瞭です。
「苦」・・・私は苦しい。
「集」・・・なぜ? 苦しみのもととなるものを自分が集めているから。
「滅」・・・どうすればいい? 苦しみのもとを無くせばいい。
「道」・・・苦しみのもとである良くない因縁(原因と条件)を無くす方法がある、それが仏道修行。
そして最も大事なことは「道」(苦を無くす方法)です。
釈迦は人が持って生まれた悪い運命の星(苦しみのもととなる因縁)を無くして、ブッダになる方法「成仏法」を「阿含経」(釈迦直説の唯一の経典)の中で説いておられます。
その方法(成仏法)とは、「七科三十七道品(どうほん)」という阿含経のみに記されている「因縁解脱して仏陀に成る修行法」です。
釈迦が解脱してブッダと成られたように、当時の弟子の多くも釈尊の指導のもと解脱成仏されています。
次はこの「七科三十七道品」を実際に修行して解脱成仏までに至った仏弟子の告白のいくつかを前回ご紹介した「テーリーガーター(尼僧の告白)」から抜粋してご紹介したいと思います。