(3)根本仏教は自分の悟りのみを追及し、他者の救済がないのでは?
(3)根本仏教は自分の悟りのみを追及し、他者の救済がないのでは?
この質問は大乗仏教を信仰する方からよく質問されます。
というより、仏教史でいうところの「根本二大分裂」の論争の原因でもある重要なテーマの一つです。
当時、急進派であった「大衆部(ダイシュブ)」の連中が、阿含経を護持していた保守派の「上座部(長老部)」の僧侶たちを「小乗(自分の救いのみを追及するという意味)」と呼んだ原因となりました。
(これでおわかりのように、実際には「大衆部」は、阿含経のことを「小乗」と呼んだのではなく、当時、一般大衆を受け入れず、自分の悟りを求めることに専念していた「上座部(長老部)」のことを指していたのです。)
果たして、シャカ直説の経典であり、根本仏教の聖典「阿含経」には「自分の悟りのみを追求し、他者の救済がない」のでしょうか?
その答えは「否」と断定します。
そのまえに何よりもお釈迦さま自身がお亡くなりになる直前まで、布教(人々に教えを説き、他者の救済)されていたではありませんか。
学問的にもシャカ直説の経典とされる「阿含経」にそれ(他者の救済の教え)がない筈がありませんし、他者の救済がない信仰なぞあるはずがないと思いますが。
「優婆塞の八法・十六法」(雑阿含経)という阿含経の一つにそのことがはっきりと説かれています。
ちなみに、優婆塞(ウバソク)とは在家の男性信者のことで、在家の女性信者のことを「ウバイ」と呼びます。
このお経の中で八法<信、戒、施、聞、持、観、法次、法向>を自らが実行するだけでなく、他の人々も同じように仏道修行に導き、救済しなければならないとお釈迦さまは解説されておられます。
自ら「八法」を行じ、他の人にも「八法」を行ずるよう導きなさい(合わせて「十六法」)と説いておられます。
そして、このお経の重要な点は、当時からお釈迦さまは出家者だけではなく、実際には在家の者にも成仏法を指導しておられたのです。
在家者の成仏法のことを下根(下品・げぼん)の成仏法といいます。
詳しいことはまた機会があればお話ししたいと思います。