相の谷古墳と乎致ノ命 -12ページ目

(5)後期大乗仏教・密教の金剛界・三十七尊と阿含経の成仏法・三十七菩提分法の関係について

(5)後期大乗仏教・密教の金剛界・三十七尊と阿含経の成仏法・三十七菩提分法(七科三十七道品)はなぜ同じ数字なのか?


そもそも「仏教」でいう「悟り」とは何か?


大乗仏教中心の日本では次のような答えが返ってきそうです。


「空を悟ること?」

「仏の名号やお経の題目を唱えることで来世に成仏できること?」
「仏の慈悲にすがって死後、極楽浄土に生まれること?」
「慈悲の心をもって<菩薩行(自利・利他の行)><六波羅蜜>の行を実行し成仏への道を歩むこと?」
「坐禅の修行により悟ること?」


私はこう認識しております。


仏教でいう「悟り」とは、「ブッダに成る」ということです。


そもそも仏教とは、「成仏陀教」=「仏陀に成るための教えと法」ということです。


「現世でこの身、このままで仏陀に成る(成仏すること)教えとその方法」を「アーガマ(阿含経)」で説いているのが釈迦の仏教です。


それではブッダに成る・「成仏」とは何か?


すべての悪因縁を解脱(完全解脱)した人のことを仏陀とお呼びします。


これがすなわち「成仏(ブッダに成った)」したということです。


「成仏」とは我々日本人が一般的に考えている「亡者が迷わず冥界に行くこと」ではないのです。


釈迦が説いた「成仏」はあくまでも生きて活動している人が対象なのです。
(もちろん「迷っている霊が冥界に行くこと」も便宜的に成仏といいます)


釈迦直説の「アーガマ(阿含経)」にはその「成仏の教えと方法」がはっきりと述べられています。


繰り返しこのブログでお話しています、因縁解脱法すなわち「成仏法・七科三十七道品」です。


日本の仏教で昔から言っている「悟りを得る」というような漠然としたものではなく、はっきりとしています。


因縁解脱=成仏(ブッダになる)ということです


(5)の答えですが、大乗仏教は「根本二大分裂」により「アーガマ(阿含経)」のみに記されている「七科三十七道品」という成仏のための具体的な修行法を説くことができないため、因縁解脱してブッダになる修行者が現れることがありませんでした。


初期大乗経典からずっと抱えたままの欠陥を埋めるため繰り返し創作された大乗経典の最終段階である後期大乗仏教の密教で、大乗仏教衰退の危機に際し、根本仏教であり釈迦直説の「アーガマ(阿含経)」のみに記されている「成仏法・七科三十七道品」を取り入れざるを得なくなったのです。


その証拠が密教に伝わる「金剛界・三十七尊」なのです。


本来「アーガマ(阿含経)」に唯一説かれている「成仏法・七科三十七道品」は、※七科目三十七種類の瞑想その他の具体的な成仏のための修行法なのですが、密教ではこれを「三十七の仏様(金剛界・曼荼羅)の前でお次第通りに印契を結び、真言を唱え、観想を行うことで三十七の仏の智慧(悟り)を身につけた」としてしまっているのです。(密教では三十七尊として「象徴化、観念化」してしまっている)


もっとわかりやすく言うと、例えば「英語の勉強をする」とします。


「英語のホトケサマを紙に描いて、その前で観想その他を行い、英語の知識が身につく」と思いますか?


誰が考えても、実際に苦労して英語の勉強をしなければその知識は身に付かないと思います。


「実際に苦労して英語の勉強をすること」に相当するのが、「仏陀に成るための具体的な修行法(成仏法・七科三十七道品)」ということです。


ですから、大乗仏教は教えについてはともかく、少なくとも修行法として「アーガマ(阿含経)」の「成仏法・七科三十七道品」を実際に取り入れるべきなのです。


根本二大分裂後約千年、インドで行き詰った後期大乗仏教・密教において、最終的に釈迦仏教の原点である阿含経のみに記されている釈迦の成仏法・七科三十七道品を取り入れなければ完全解脱(成仏)できないことに気付いたのですが、残念ながら「三十七の仏」として曼荼羅に描いて象徴化してしまい、本来の釈迦の仏教を復興することにはならなかったということです。


この「成仏法・七科三十七道品」を実践することで実際に仏の智慧(悟り)が身に付くのです。


※阿含宗管長・桐山靖雄師は釈迦直説の「阿含経」にしか説かれていない釈迦の成仏法・七科三十七道品を「神聖なる智慧を獲得するための七種のシステムと三十七種類のカリキュラム」 として、1978年発行の「阿含密教いま」という本の中で、この「アーガマ(阿含経)」の「成仏法・七科三十七道品」を実践することを教える仏教こそが本当の釈迦の仏教であると解説しました。

(まん、Skt :Māna)は、仏教 が教える煩悩 のひとつである。他人と比較して思い上がることを言う。


俗に我慢といい、我が身をのみ頼みて人を侮るような心を指す。

倶舎論では八不定地法(尋・伺・眠・侮・貪・瞋・癡・悪見)の1つ、唯識論では六煩悩(貪・瞋・癡・慢・疑・悪見)の1つとする。 (ウィキペディアフリー百科事典より一部抜粋)



東京電力の皆さんが命がけで頑張っているのはわかります。

しかし、そうなるまえに精一杯の安全対策を講じてほしかったと思うのは私だけでしょうか?

事前に予見できることをしないことは「怠慢」ということになります。


下記の記事(MSN 産経ニュース) を読んで、もし記事にあるように「チェルノブイリの教訓」が生かされていたなら、今回の原発の事故に関してはこれほど大事故にならなかったのではないかと思います。

【放射能漏れ】「教訓生かされず」チェルノブイリ被害者団体が東電を批判 2011.3.18 11:01

17日、キエフでインタビューに応じる「チェルノブイリ同盟ウクライナ」の代表、ユーリー・アンドレエフ氏(共同)

 チェルノブイリ原発事故の被害者団体「チェルノブイリ同盟ウクライナ」(キエフ)代表で、元同原発技師のユーリー・アンドレエフ氏(61)は17日、共同通信に対し、東日本大震災により福島第1原発が放射能漏れを起こしたことについて「チェルノブイリの教訓が生かされていない」とし、東京電力の情報公開が不十分だと批判した。

 1986年4月のチェルノブイリ事故では、4号機の爆発の影響で漏れた冷却水が隣の2号機に入り込み、福島第1原発と同様に冷却装置や電源のバックアップシステムが故障したものの、辛うじて連鎖事故を回避した。

 アンドレエフ氏は「福島第1原発は電源装置がチェルノブイリ同様、原子炉の直下にあり、津波などの水が入り込めば電気供給やバックアップシステムが壊れる」と話し、チェルノブイリ事故後も、電源供給体制を見直さなかったことを残念がった。(共同)

(MSN 産経ニュース [国際]ニュースより 2011.3.18 11:01)

(4)なぜインドで次々と大乗経典が創作されたのか? そして、衰退したのか?

(4)なぜインドで次々と大乗経典が創作されたのか?

(6)なぜインドで仏教は衰退したのか?


少し長くなりますが、まとめてお話しします。


お釈迦さま入滅後、直弟子の存命中はまだ釈迦の教えがそのまま伝えられていました。
入滅直後に「第一結集」(経典編纂会議)が王舎城・七葉窟において行われましたが、その時、5百人のおもだった弟子たちが集まり、お釈迦さまの教説(法と律)の確認が行われました。


会議の座長には摩訶迦葉(まかかしょう、マハーカッサパ)、「経(法)」は阿難(あなん、アーナンダ)、「律」は優波離(うぱり、ウパーリ)が担当しました。


特に「経」については、お釈迦さまの身の回りのお世話をされていた阿難尊者が、「私はこのようにお聞きしました」=如是我聞(にょぜがもん)と、記憶している教えを唱え、その内容を確認し合い、出席者全員で間違いないということが確認された上で、詩の形で暗誦されました。(当時は文字として記録するということがまだ習慣としてなかった)


この「第一結集(けつじゅう)」(経典編纂会議)でまとめられた聖典(マガダ語といわれている)が、後に「第二結集」を経て、サンスクリット語、パーリ語の聖典となり、中国で漢訳され「阿含経」となりました。(サンスクリット語の「アーガマI(伝承・つたえうける)」が音写され、「阿含(あごん)」となった)


その後、仏滅後約百年頃に仏教の歴史にとって重要な出来事が起こりました。

いわゆる「根本二大分裂」です。


この頃、インドの社会は急速に貨幣経済に移行しつつあり、その時代の流れで、在俗信者をもっと積極的に受け入れるべきだと主張する急進派(若手派)の「大衆部(ダイシュブ)」と、

これまで通りの出家者を中心とした教団を維持しようと考える保守派(長老部)の「上座部」との間で意見が対立し、

最終的には「上座部(長老部)」が急進派の「大衆部」を教団から追い出す形となりました。


教団を追い出された「大衆部」はお釈迦さま直説の「アーガマ」を持っておらず、仕方なく自分たち独自の経典を作り始めました。

もちろん、「アーガマ」を真似て作ることは可能ですが、それでは「上座部」と同じ教えになるため、「大衆部」の独自の経典が必要となったのです。


それが、いわゆる大乗経典の創作の始まりです。

その後、後期大乗である「密教」の成立まで、千数百年の長きにわたり大乗経典が創作されることになったのです。


ではなぜ、これほど長きにわたって多くの大乗経典が創作されたか、ということを簡単に述べたいと思います。


それは、所詮はブッダではない”人”が創作したものですから、そこには当然、欠陥があります。

その経典に欠陥があることがわかると、信じていた人は離れていきます。

その欠陥を修正するため、また新たな経典を創作する、ということの繰り返しの結果、これほど長きにわたり、多くの大乗経典と呼ばれるものが作り出されたのです。

(私もシンガポールにいたころ、仕事で何人ものインド人と話したことがありますが、彼らは頭が良く、論理的で、自分たちが正しいことを常に主張し、そして、ディベート(ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論すること) にとても慣れていました)


そして、最終的にはヒンズー教の勢力に押され、起死回生の大乗仏教の復活を試みましたが、それも失敗してしまい、インドで仏教は衰退することになったのです。(ごく一部の地域で存続しているようです)


この「起死回生の大乗仏教の復活」とは、後期大乗仏教の最後に登場した「密教」のことです。

大乗仏教の最後に登場した「密教」によって、これまでの大乗仏教の欠陥を埋めようとしましたが、結局、この「密教」もインドの人たちから欠陥を見抜かれ、とうとうインドで仏教は消滅したということです。
(この大乗仏教の最後の砦ともいうべき「密教」の致命的な欠陥については次回お話ししたいと思います)


なお、これら大乗経典の作者が「私はこのようにお聞きしました(如是我聞)」という文言でお経を創作したため、後の高名な中国の僧侶たちすべてが経典に対する価値判断を誤ることとなったのです。

歴史的に見て「私はこのようにお聞きしました(如是我聞)」と言えるのは「アーガマ」のみなのですが...

(唐時代の有名な誤った経典の価値判断が、前回お話しした「五時教判」。中国仏教である日本の大乗仏教はこれに基づいている。)


現代であれば、インドに直接行って、考古学的、文献学的調査によって、歴史的人物としての釈迦の言行を記録した文献(テキスト)は「アーガマ(阿含経)」のみであるということがわかるのですが、当時としては情報不足でいたしかたないことだったのです。(西洋では約二百年前くらいからこのことはわかっていた)


次に、インド仏教史の略図をウィキペディア・フリー百科事典より一部抜粋してご紹介します。

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インド仏教の歴史

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13世紀に衰退するまでの間は、各国の王族の援助によって隆盛衰退を繰りかえす。大きく分けると、

  1. 開教から教団分裂まで - 約100年間
  2. 部派仏教の成立 - 前3世紀ごろ
  3. 大乗仏教運動の興隆 - 前1世紀ごろ
  4. 密教の成立 - 7世紀ごろ

の4つに分けられる。


(途中略)


これらの大乗経典は、ほぼ3期に分けて見られる。


1.初期大乗経典…般若経維摩経 法華経 無量寿経 ――3世紀には龍樹 によって空の理論が体系化され、中観派 の基礎を作る。


2.中期大乗経典…勝鬘経 涅槃経 解深密経 大乗阿毘達磨経 ――5世紀には無着 世親 兄弟によって瑜伽行唯識学派 が生まれる。


3.後期大乗経典…楞伽経 大乗密厳経 ――6世紀になると、大乗経典の中にも密教の萌芽が見られる。


密教の成立

(略)


以上、「インドの仏教」 - ウィキペディア・フリー百科事典より一部抜粋