Sat 220409 外交のチャンネルを閉じるな/ソルジェニーツィン/東大寺二月堂へ 4192回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 220409 外交のチャンネルを閉じるな/ソルジェニーツィン/東大寺二月堂へ 4192回

 あまりに一方的で悪逆非道な侵略戦争と、非人道的な暴虐&暴行の連鎖について、さすがに多弁なワタクシも言葉を失い、2月28日のコメント(Mon 220228 Cowardの末路/君死に給ふことなかれ/国際法講義の思ひ出 4172回)と3月1日の自制(Tue 220301 文士の政談/オデッサの夢/ゴーリキーのハリコフ/暴挙の主の説得 4173回)以来、できる限り軽薄な口を閉ざして、沈黙を守ってきた。

 

 しかしワタクシも、もう30年も前から青年たちの前で、壇上から熱烈な講義を続けてきた人間だ。事ここに至っては、まさかこのまま「沈黙は金」と知らん顔を続けてはいられないし、「シロートの政談ほど虚しいものはない」とうそぶいて、梅や桜や軍鶏鍋の話ばかりに興じているわけにもいかないだろう。

(東大寺南大門、金剛力士像「あ」。世界中がこんなスーパーヒーローの出現を待ちわびているんじゃないか 1)

 

 我々の世代は、21世紀の理想的な国際関係について、熱烈に討論を続けてきた世代である。主張は対立する2つのグループに分かれ、

 戦略的核抑止による東西陣営の勢力均衡を目指すか

 対立する勢力圏どうしの相互依存度を高度に複雑化させて、容易に敵対行為に発展できない世界構造を目指すか

教授も大学院生も学部生も、今では信じがたいほど熱く語り合っていた。

 

 どこの大学でも国際政治・国際経済・国際関係論、とにかく「国際」の名がつけば学部もゼミも院の研究室も超満員。かく言ふ今井君だって、近松と西鶴と泉鏡花、ホメロスやシェイクスピアにしか興味がなかったクセに、学部は政治学科を選び、学部のゼミも一番カッケー国際政治のゼミを選択した。

(東大寺南大門、金剛力士像「うん」。世界中がこんなスーパーヒーローの出現を待ちわびているんじゃないか 1)

 

 だからこそ、今回の悪逆非道な侵略戦争で、今井のションボリはとどまるところを知らないのである。あんまりションボリが深すぎて、3月6日からまるまる2週間、ブログ更新さえできないアリサマだった。

Sun 220306 どうも3月が苦手/秋田犬の悲嘆/悲しきヘイト/説得に必要なこと 4174回

Sun 220320 そろそろションボリ卒業/京都の山奥でクマ鍋/ネギ責め&セリ責め 4175回

 

 だってそうじゃないか。我々の世代からは、ナンボでも優れた研究者が育ったし、ナンボでも優秀な外交官が揃っていたはずである。大学院に進むことを今井君があっという間に断念したほど、超優秀な仲間がゾロリ&ゾロリと揃っていた。

(左から、Stanley Hoffmann「Primacy or World Order」、鴨武彦ほか「相互依存の国際政治学」、藤原保信「正義・自由・民主主義」)

 

 1つの大学の1つのゼミでさえそうだったのだから、話を日本全体、世界全体、同時代の世代全体に広げれば、優秀な研究者と外交の専門家は、それこそガンジス河の砂つぶ(恒河沙=1052乗)より数多く、オーロラの向こうの星の数より多くウヨウヨ存在しただろう。

 

 それほど多くの優秀な仲間たちが、数十年にわたって誠心誠意、精密&精緻な研究を真摯に重ねても、今回の稚拙きわまりない暴虐非道を予想も予測もできず、防止や予防の措置も対策も全く講じることができなかったなかったとすれば、いったい我々の知性とは何なんだ?

(奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の...の風情。ただしこれは3月14日、東大寺南大門付近のシカどん)

 

「戦略的核抑止による勢力均衡」とは、要するに「暴逆の徒(臆病者・卑怯者 = Coward)がいったん核戦争の脅しに寄りかかれば、誰ひとり果敢に正義の剣を振り下ろすことができない」と言ふ「絶望の肯定」に過ぎなかったんじゃないか。

 

 学部時代にワタクシが組したつもりの「相互依存パラダイム」も、今の状況を眺めるに、マコトにノンキで楽天的なオボッチャマたちの「世間知らずのタワゴト」と、一蹴されても仕方ないんじゃないか。

 

 諸君、4月に入って10日間、早春の公開授業シリーズが終了した今井君は、我が書斎の天井まで届く9つの書棚の奥から、学部生時代に最も鮮烈に印象に残った教科書3冊を探し出し、数十年分の分厚いホコリを払って、じっくり再読してみたのである。

 

 いやはや、つのるのは虚しさばかりである。むしろ若い諸君には、ゴーゴリの大著「死せる魂」の読破を勧めたい。民間人虐殺とその言い訳に関するロシア側の発想が、巨匠ゴーゴリの小説の中であまりにも不気味に予告されている。ワタクシは、日本のロシア文学者の皆様に、ぜひゴーゴリの紹介に努めてほしい。

    (3月14日、夕暮れの東大寺大仏殿付近)

 

 もう1人、どうしてもソルジェニーツィンに触れておかなければならない。ベルリンの壁の崩壊以来、すっかり日本の書店の本棚から忘れられてしまったソルジェニーツィンであるが、80年代にはこれまた大著「収容所群島」が世界的必読書になり、「イワン・デニーソヴィチの1日」を知らない若者はいなかった。

 

 当時ソルジェニーツィンの著作を担ったのは、新潮社。出版界のいろんなシガラミはあるだろうが、例えば河出書房、例えば岩波書店、例えば文藝春秋、良心的な出版社は日本に少なくないはずだ。文春砲なんかより、今こそソルジェニーツィン復活。世界中の青年層にソルジェニーツィンを思い出させてほしい。

   (書棚の奥に残っていたソルジェニーツィンたち)

 

 あとは、絶対に対話のチャンネルを絶たないこと。どんなに許しがたく&オゾましく「唾棄すべき」相手とも、何が何でも対話のチャンネルを保持するのが外交の基本のはずだ。どれほど嫌悪すべき行動&言動を継続してくる相手に対しても、何が何でも対話の継続を要請しなければならない。

 

「嫌悪するから」という理由で「キミとはもう話をしたくない」とプン&プン&プンコ、「外交のチャンネルを決定的に断絶する」というのでは、交際にも外交にも国交にもならない。

 

 例えば医師として、ナースとして、臨床心理士として、「あなたの言動を嫌悪するから」という理由で「あなたとのコミュニケーションを拒絶する」と宣言するのは、要するに稚拙な精神の不用意な露出に過ぎない。

 

 どんなに嫌悪すべき相手であっても、たとえその嫌悪する相手方のほうから「断交したい」「コミュニケーションを拒絶する」それどころか「オマエはストーカーか?」と罵声が飛んできても、話が侵略や戦争や武力行使に関わる場合には、何が何でもコミュニケーションの糸を繋いでおかなければならない。

(3月14日、夕暮れの東大寺、二月堂参詣道。おお、木の幹の向こうにシカどんもいる)

 

 その基本を忘れたのか、この10日間の欧米サイドは「極悪人とでもコミュニケーションの糸を死守する」という大原則を忘れてしまったたように見える。嫌悪すべき悪逆非道の相手であっても、それでもストーカー顔負けの粘り強さでチャンネルを探り当て、「何が何でも話し合おうじゃないか」と必死に迫り続けなければならない。

 

 もちろん、「妥協すべきだ」というのでは絶対にない。今のところ妥協点なんか1つも見つからない。しかしそれでも、激しく募る嫌悪を抑えつけつつ語り合ううちに、思いがけず相手方がボソボソ自省や反省や弱音を漏らし始める一点が訪れる。

 

 諸君、せめてタレーランを読みたまえ。直線的な論理で突き進めば、外交官追放、外交官退去、コミュニケーション断絶、そこから破滅まではまっしぐら、もう誰にも止めることは出来なくなる。

 

 ワタクシは一貫して、「論理より倫理」の立場。論理は直線的で硬直したものだから、いったん暴走を始めると誰にも止められない。一方の倫理は曲線的かつ曲面的で弾力性に富むから、危機を巧妙に回避する。 ワタクシが若者の教育の場で「論理より倫理」と書き続けているのは、昔からの読者ならみんな熟知しているはずだ。

Fri 190614 大阪で仕事/国語教育の破綻を思う/論理より倫理/BUZZで痛飲 3847回

Sat 190727 ホコよりもタテが大事/京都で山鉾巡行/近江八幡350名の大盛況 3861回

Fri 201113 理系サマサマ/文系の自虐/倫理は論理の防波堤/磨くべきは発想力 3977回

Thu 210610 ナマの逆襲/論理の傲慢/ナマか映像か15(ウィーン滞在記28)4071回

 

 今度の危機は、「論理的思考を鍛えましょう」というノー天気な教育が、20世紀後半から21世紀にかけて全世界的に跋扈した結果にすら見える。

 

 教育の場ではむしろ、曲線的思考・曲面的で豊かな感情教育・言わば楕円形の柔軟な発想、要するに直線的&論理的思考よりもはるかに大切な優しさを優先すべきではないのか。

 

 ナイフのような直線は、他者をキズづける。他者ばかりか自らをキズつける危険だって多いはずだ。教育の場では、直線的ナイフを優先するより、誰も傷つけない滑らかで柔らかな球体思考を大切にすべきだと信じるのだ。

 (東大寺二月堂にて。お水取りが始まるまで、残り30分)

 

 というわけで、今夜の今井君は少なからず興奮しすぎた。梅や桜やイノシシ鍋や、梅園の美熟女モデルや自分のズンボの穴を論じている時にも、実は今井君の心の中は、以上のような考察に熱く煮えたぎっているのだ。

 

 3月14日、京都城南宮の感激を胸に近鉄特急に乗り込み、17時の近鉄奈良駅に到着。いやはや諸君、東大寺では「お水取り」クライマックスの晩だというのに、奈良の町は深い静寂に包まれ、奈良駅から興福寺や奈良県庁前を通って東大寺に向かう道もほぼ無人、観光客の姿さえ見えない。

 

 シカ君たちも、同様に冷静である。「東大寺お水取りのクライマックスの晩だよ」ということになれば、シカ君たちだって、本来もっともっと盛り上がっていて然るべきじゃないか。「お水取りだヨ、全員集合!!」と掛け声をかけるか、シカ世界の回覧板を回すぐらいの熱意があっていいんじゃないか。

 (東大寺二月堂にて。お水取りが始まるまで、残り15分)

 

 シカし、奈良の町はどこまでもしんと静まり返って、ほとんど夕日が沈んでいく音が聞こえるほどの深い静寂。シカ軍団は甲高い哀れな声で夕日に応えるシカない。「もう今日のシカせんべいは終わりですか?」と、マコトに宗教的な問いを夕日に向けるばかりである。

 

 夕暮れの東大寺大仏殿を正面に見ながら、今井君は大きく右折。「二月堂参詣道」の緩やかな坂を登って、お水取りの賑わいを目指した。コロナさえなければ4時間も5時間も前に参拝締め切りになる日であるが、「ホントにお水取りは開催されるのかね?」と、不安が高まるほどの静かな夕暮れなのだった。

 

1E(Cd) José JamesBLACKMAGIC

2E(Cd) Radka ToneffSteve DobrogoszFAIRYTALES

3E(Cd) Billy WootenTHE WOODEN GLASS  Recorded live

4E(Cd) Kenny WheelerGNU HIGH

5E(Cd) Jan GarbarekIN PRAISE OF DREAMS

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