Fri 190614 大阪で仕事/国語教育の破綻を思う/論理より倫理/BUZZで痛飲 3847回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 190614 大阪で仕事/国語教育の破綻を思う/論理より倫理/BUZZで痛飲 3847回

 6月12日、午前のヒコーキで大阪に向かった。オウチを出たのが8時、羽田空港発10時、伊丹空港には11時に到着した。予約してあったMKタクシーに乗り込んで、11時半にはもうインターコンチネンタルホテルにチェックインしていた。

 

 お仕事は阪急梅田駅前、ホテルからは徒歩5分もかからない。公開授業開始が19時半だったことを考えれば、今井君の張り切りようが如実に分かるだろう。前日からどれほどパンパンに張り切っていたか、ちょっと想像してくれたまえ。

   (大阪梅田でお仕事。約200名が集結した 1)

 

 実はこの前日の6月11日、今井君は渋谷のうなぎ屋で目いっぱいスタミナをつけた。午後から吉祥寺スタジオで「実力アップ教室 B組」第11講 & 第12講の2コマ分の収録を済ませ、吉祥寺からタクシーに飛び乗って渋谷に向かった。

 

 吉祥寺から渋谷までタクシーで4500円もするのであるが、翌日の大阪梅田での公開授業を200 %の大成功に導くためなら、そのぐらい目をつぶろうと考えた。

 

 タクシー4500円、豪華うなぎセット約8000円。いやはや贅沢なことをやっているが、それでもいいから大阪梅田の生徒諸君を「おお!!」「うぉ!!」「すげぇ!!」と言わせたいじゃないか。

  (渋谷。瓢六亭のうなぎコース。まず湯引きが出る)

 

 11日のうなぎについては、ここでの言及はしない。串焼き・湯引き・白焼き・蒲焼き、どれもとにかく旨かった。蒲焼と一緒に供されるシメの「曲げわっぱ」に入ったメシは、正式には「信玄飯」と呼ぶんだそうだ。

 

「獺祭」「ばくれん」「鶴齢」「八海山」「群馬泉」など、選りすぐった日本酒が飲み放題なのもいい。実はこの店は先週も訪ねたばかり。店のオネーサマも「あ、落研の人だ!!」と、今井君を記憶してくれていた。ホントは落語研究会でも何でもないが、ホントの落研より遥かに面白い。

 

 こういうふうで、大阪に到着した今井君には強烈なうなぎパワーが漲っていた。会場にたどり着いてみると、今井会場は200名がパンパン。隣の小会議室は「消化器系がん学会」であって、全国から優秀なお医者様が大集結、それだけでも大いに光栄な状況なのだった。

  (渋谷。瓢六亭のうなぎコース。次に串焼きが出る)

 

 しかし諸君、今井うなぎの目の前に集結してくれた受験生200名の構成が何とも嬉しいじゃないか。押しも押されもしな大阪府立のNo.1・北野高校の生徒が50人以上を占めている。

 

 同様に府立最上位校、茨木高校と豊中高校からもすげー数の参加者があって、10年後20年後の関西をリードする優秀な若もたちが、今ここに大集結したのである。

 

 灘高に合格しても、北野高を選択する生徒は少なくない。ラサールに合格しても、福岡県立修猷館高を選ぶ生徒がいるのと同じことである。6月12日、今井君の前にはそのタイプのハイレベルな生徒がズラリと並んでいた。

  (渋谷。瓢六亭のうなぎコース。定番の白焼きが来て...)

 

 今のサトイモ入道がものすごく気にかけているのが、2020年に始まる入試制度改革である。というか、ハッキリ言ってしまえば、「こんなくだらん問題ばかりの共通テストじゃ、大事な生徒たちに受けさせたくないな」と、試行テスト問題を見るたびに胸が悪くなる。吐きそうなほどだ。

 

 特に大キライなのは、現代文の問題である。ワタクシは英語の講師だから、他の科目について発言する権利はないのかもしれないが、他教科だからこそ大胆にズバリと物が言える。

 

 こんな試験なら、今すぐ、きっぱり、ヤメにしたほうがいい。今井君の前に並んだ前途洋々の生徒たちに、駐車場使用契約書だの、賃貸借契約書の読み方なんかを指導して、彼ら彼女らの大事な若い時間を浪費させたくない。

 

 しかし驚いたことに、長い伝統を誇る有名予備校のHPを見ても、この類いの問題に対する批判的な文言は全く見当たらないのである。教育者としての良心を、いったいどこに置き忘れたんだ?

(渋谷。瓢六亭のうなぎコース。蒲焼きと信玄飯でシメになる)

 

 こういう無味乾燥きわまりない文書なら、実社会に出た後でナンボでも読めるのである。というか、生活のためとか立身出世のために、日々この種の文書に悩まされる一生を過ごす人が大半だ。人生100年時代、大学ないし大学院卒業後の80年近くを、こういう文書に縛られて生きることになる。

 

 おそらく出題した側は、「だから」この種の文書を材料に論理的思考力を試そうと考えたのだ。しかしワタクシは、「だからこそ」せめて今ぐらいは、この種の文書から隔離してあげなければいけないと考えるのだ。

 

 21世紀に入ってから、世の中の教育論は何が何でも「論理的思考力を育てよう」である。「世の中に メディアほどうるさきものはなし ロンリ&ロンリと夜も寝られず」という有様であって、「論理的思考力」の一言は、水戸黄門のインロー並みの効力を発揮。日本中の先生が「ははあーっ」と地面に這いつくばる勢いだ。

   (大阪梅田でお仕事。約200名が集結した 2)

 

 しかし諸君、論理とはマコトに直線的なものであって、直線的でない論理は論理の名に値しない。だから論理は暴走する。20世紀終盤から21世紀の最初の20年間、世界の不幸の大きな部分が、論理の暴走の典型である金融工学によってもたらされた。

 

 金融工学が組み立てたサブプライムローンがまず破綻。続いて論理的思考を磨きに磨いたエリート集団 → リーマン・ブラザーズの破綻。エンロンも破綻。世界同時株安から、自国第一主義と保護主義の台頭が続いた。

 

 それとは完全に別の話だが、決して作ってはいけない無慈悲な爆発物を20世紀中盤に製作してしまったのも、実は論理の暴走の果てではなかったか。

 

 論理の暴走を止めるのは、倫理の防壁しかないのだが、21世紀の日本の教育論には、すでに「倫理」の「り」の字も見えない。「ゴンベンとニンベンの違いなんか興味ねー」「AIに勝って生き残るには論理的思考力しかない」、そういう勢いである。

 

 いったい教育界は、この100年の歴史から何を学んだのか。論理の暴走を食い止める倫理の防壁を堅固にすることを、なぜ一顧だにしないのか。中等教育で倫理を教えるのも、現代文という科目の1つの役割であるはずだ。

 

 だからかつては中島敦を読み、小松左京を読み、川端康成のノーベル賞受賞記念演説や、小林秀雄の「説得ということ」を読んだ。「こんなの読んでも役に立たないから、実用的な契約書を読む練習をしましょう」などとは、優れた教育者は誰一人として口にしなかった。というか、口を慎んだ。

 (大阪梅田、おなじみの「Buzz」で単独祝勝会を開催)


 歴史の先生方だって、みんな無理をして「歴史の勉強は記憶のためにあるんじゃない」「過去の過ちから未来の教訓を得るためなんだ」と見栄を張った。古文の先生方はもっと無理をして「古文をやるのはな、イニシエの人の心を知るためなんだ」と、これまた不必要な見栄を張り続けた。

 

 古文で「イニシエの日本人の心がわかる」なんてのも、ハッキリ言えば無理があって、古文を書いたのは貴族と坊さんと世捨て人ばかりである。大多数を占めたはずの農民・商人・一般人の心については、万葉集まで遡るか、一気に近世まで接近して、井原西鶴と近松門左衛門あたりからしか分からない。なのに平安時代ばかりがクロースアップされる。

 

 今回の入試改革は、現場の先生方の100年にわたる努力を踏みにじるものである。もしも本当に歴史の過ちから同じ過ちを繰り返さないためなんだ」と言うなら、せめてこの30年の経済の歴史を振り返って、「論理の暴走を止めなきゃいけない」と真剣に訴えるべきじゃないのか。

(大阪梅田「Buzz」で単独祝勝会は、大好きなベルギービールから)

 

 現場の先生方は今までだって、そこまで無理して「思考力を鍛えよう」と訴え続けてきた。ホントは「すげー面白いぜ」「面白いから勉強してみようぜ」であるべきなのに、何といま目の前に、面白くないこと100%保証付きの「使用契約書」や「賃貸借契約書」が現代文の教材として使われようとしている。

 

 それなのに有名予備校の部長クラスの発言として「学習指導要領には『役に立つ文章の読解力をつけさせる』とあるんですから、この出題方針は指導要領に合致しています」なんてことを言われちゃうと、サトイモ入道は悲憤慷慨、あまりに悲しくて熱い涙を抑えきれない。

 

 つまり何かい? 文章は「役に立つ文章」と「役に立たない文章」の2種類に大別され、小説や随筆や哲学系の文章は「役に立たない」、使用契約書の類いは「役に立つ文章」、長い伝統を誇る予備校の部長クラスともあろう者が、そんなふうに考えていらっしゃるんですかい?

 

 ワタクシは、違うと思うのだ。英語だってそうだ。論理の暴走を許せば、「日本人は読むことばかりか話すことも聞くことも苦手」→「しかし国には4技能を全てバランスよく試す試験を作成する能力がない」→「大きな不公平が予測できても、業者のテストを使わせてもらおう」という結論に暴走する。

(大阪梅田「Buzz」で単独祝勝会。チキンと、イタリアワイン)

 

 しかし諸君、ここでたくましい倫理の巨人が悠然と姿を現さなきゃいけない。大学入試にアンフェアは決して許されない。これは国家が責任を持って試験を作成すべき場である。そもそも国全体で同じ問題を若者に強制する必然性はどこにあるのか。

 

 センター試験とその前身の共通一次から続く単なる惰性で、中途半端な共通テストなんかを続ける必要は実は全くないんじゃないか。バカロレアやSAT、科挙や殿試への憧れに過ぎないんじゃないか。各大学が独自に入学試験を作成すればいいだけじゃないか。

 

 こうしてサトイモ君の想いは、ますます熱くなる。これも前日に貪ったうなぎが原因か。大学入試の問題作成は、ともすれば白い巨塔に堕しがちな大学の教育倫理を、外の社会に向けて発信する最高の場だ。それを国家で統一的に行って、大学のアイデンティティを崩壊させるのは、やめにした方がいいと考える。

 

「それでは大学が序列化します」「難問奇問ばかり出るようになります」などの反論はあるだろうが、それについては過去40年の歴史を見ればいい。まさに一目瞭然だ。序列化はセンター試験で確立し、難問奇問を出題した大学は、大きくその序列順位を下げた。

(大阪梅田「Buzz」で単独祝勝会。野牛のステーキに、シカのステーキをサービスしてもらった)

 

 だから諸君、大ベテラン講師♡今井君は、予備校や予備校講師諸君に団結してほしいのだ。こんな共通テストを許してはならない。制度設計にも大きな欠陥をかかえ、出題傾向には倫理が欠けている。「英文を読まなくても、図表を見ただけで解ける問題」なんてのが乱立したんじゃ、4技能も何もあったものではない。

 

 しかしどこの予備校も塾も、こういう出題を無条件の前提として、「この問題を解くためには、こんな勉強が有効です」「こんなところに注意して学習すれば対処できます」の類いのアドバイスばかりがズラリと並ぶ。

 

 それでもまだ、この問題を国会論戦に持ち込もうとさえしない野党の皆さまよりマシか。「何でも反対」でギョロ目をむき出し、またはヘラヘラ薄ら笑いで揶揄することにはご執心でも、教育問題を論じて若者の幸福を熱く論ずることはなさらない。

(単独祝勝会は、単独2次会へ。吉野家で「牛丼並盛り、つゆだく、玉子つき」。おいしゅーございました)


 というわけで諸君、大阪梅田に200名の優秀生諸君が集まった公開授業は、21時ぴったりに終了。どんなに相手が優秀でも、「基礎基本徹底」を述べ続ける姿勢は変わらない。大爆笑の連続の中でも、200名は基礎基本徹底の強固な意志をますます固めたようである。

 

 終了後、「本日は懇親会はありません」とのことだったので、阪急梅田駅そばの「BUZZ」を1人で訪問、「単独祝勝会」ということにした。いつもは東進関係者の皆さまと7〜8人で訪ねるお店だが、1人でひっそり&こっそり行くのも悪くない。店の人々も大いに喜んでくださった。

 

「野牛のステーキ」というたいへんワイルドなものをワシワシ貪りつつ、イタリアの濃厚な赤ワインを痛飲、カンタンに1本が空っぽになった。そうして1人、静かに倫理の思考を繰り広げた結果が、本日の熱い文章なのである。

 

1E(Cd) Duke EllingtonTHE ELLINGTON SUITES

2E(Cd) Bill Evans TrioWALTZ FOR DEBBY

3E(Cd) AnastasiaSOUVENIR DE MOSCOW

6D(DMv) WATERLOO BRIDGE

total m36 y353  dd24973