Fri 200605 ブログ誕生日/マテーラの夜景を見に行く(アドリア海岸探険記10)3940回
今日は、今井ブログの誕生日である。2008年6月5日に生まれて、今日で満12歳になった。12年とは諸君、マコトに長い年月であって、18歳だった青年は30歳となり、38歳だった人は50歳を迎える。
逆に言えば、いま18歳の諸君は12年前のブログ誕生当時、まだ6歳という計算だ。「1年生になったら友だち100人できるかな?」とか、そんな無理なことをホザいていた幼年期の真っただ中である。
せっかくのスーツもなんとなく無用の長物と化した感のある現シューカツ生だって、12年前は10歳の小学生だ。「予備校講師の今井」なんてのとはまだ完全に無関係の時代。いやはや、人間にとって12年とは、あまりに長い時間なのである。
(マテーラの夜景。これを満喫するために、あえてマテーラ1泊の小旅行を試みた)
おっかなびっくり始めたブログを、いったいどうやって継続したらいいのか分からなくて、今井の外国旅行がますます頻繁になっていったのも、その12年前のことである。年に3回ペースから5回ペースに頻度が上がり、とにかく外国の写真さえ掲載すれば、何とか毎日の更新が可能になった。
あとは、もちろん2匹のネコだ。2008年、なでしことニャゴロワの姉妹はまだ6歳の若い美ネコ姉妹だった。雑誌やらDVDやらの出演依頼も頻繁にあって、動物病院の里親探しから始まった2匹のニャン生がググッと上向きに転じた時代だった。
「ツイッター」「スマホ」というものもなかったし、「SNS」という用語も一般的ではなかった。まだ世の中では「写メ」という用語がフツーであって、「あとで写メちょうだい」「ケータイで写メ送っといてくださいね」などと、みんな笑顔で言いあっていた。
(バーリ発、マテーラ行きの私鉄。いきなりの車両故障&車両交換に驚かされた 1)
だから諸君、驚くなかれ、12年前の今井ブログは「1ページにわたって段落分けがほぼゼロ」「写真は1ページにつき1枚」というスーパー&ウルトラごっそり文字媒体。今では考えられない文字&文字&文字、拷問のような徹底文字責めで始まった。
まあ、仕方ないじゃないか。ワタクシはカンペキな昭和人間、パーフェクトな20世紀生命体だ。四方の壁の書棚には、2段組の日本文学全集と、3段組の世界文学全集。そのどれを開いても、写真も挿絵も段落分けもナシ。むしろ段落分けをしないで数ページ書きまくるのが、エリートの象徴だった時代である。
(バーリ発、マテーラ行きの私鉄。いきなりの車両故障&車両交換に驚かされた 2)
ブログ誕生当時は、そういうスタイルで大喝采を受けた。写真1枚に紙芝居みたいな説明が2行か3行ついたブログが主流の中、「読みごたえがある」「さすが今井先生」とみんなに褒められて、それで当初の目標だった10年 → 3652回を突っ走った。
ブログ開始当時の雰囲気は、以下12年前の記事で味わってくれたまえ。
(マテーラ風景 1)
途中、右目の失明の危機にもさらされた。右目を失えば、左目にも同じ危険が及ぶ。網膜剥離の緊急手術に臨んだ2010年11月、ワタクシは両眼失明の場合にその後の人生をどう生きるか、手術台の上でさえ、それを夢中で考えていた。
「たとえ失明しても、ブログだけは続けよう」。手術が終わるまでに、その決意はできていたのである。何とかPCのキーは操作できるだろうし、それがダメでも「口述筆記」という手段もある。その口述を誰に筆記してもらうか、その人選さえ手術中に考えていたぐらいだ。
その4ヶ月後、2011年3月に大震災がきた。さすがにそこで1週間だったか10日だったか、更新が途切れた。当時は「快傑ババサマ」ことワタクシの実母が仙台で1人で生活していて、いやはやさすがにブログどころではなくなった。
(マテーラ風景 2)
それでも何とか書き続けた。2015年10月20日、妹ネコのなでしこが天国に旅立っても、2019年10月16日、巨大台風が首都圏を襲った翌々日に姉ネコのニャゴロワがなでしこの後を追っても、それでも何とか継続だけはしてきたのである。
2年前の2018年6月26日、当初目標にしていた「10年連続」を達成。思えばあの時が「ヤメ時」「潮時」だったけれども、「ここからは2次会です」「3次会です」と、まるで第2波&第3波みたいなダラしない継続を決めて、ついに今日に至った。
しかし諸君、その2次会を決断したおかげで、2018年8月の甲子園・金足農旋風をほぼ実況中継できたのである。この12年で最大のアクセス数・18419を達成したのも、金足農の決勝進出が決定した日のことだった。
(マテーラ風景 3)
その後はまさに「エッチラ&オッチラ」の世界で、昨年は1ヶ月平均6回か7回の更新。あとたった60回、目前に迫った「4000回達成」の大台も、このままの計算だとまだ10ヶ月かかる。2020年内にはギリギリであって、2021年にズレ込む覚悟も必要だ。
しかし、まあいいじゃないか。今井のヒーコラも、エッチラ&オッチラも、ブログ世界全体の停滞と不振ぶりに比較すれば、まだ遥かにマシなのだ。むしろ今は「ヤメてあげない」「意地でも書き続ける」という気概のほうが強い。
世の中は、こぞって「脱文字」「ポスト文字文化」が潮流。文字なんかみんなヤメちゃって、画像と映像と音声で文字を抹殺しようという方向性が、コロナ以降はほぼ完全に定着してしまった。
(マテーラ風景 4)
しかし諸君、今こそ昭和世代♡20世紀世代の出番であって、ワタクシはいくら嘲笑・冷笑・憫笑されようと、ウィズコロナ時代もポストコロナ時代も、カビ臭い文字文字君であり続けたい。
だから諸君、読者諸君の中から1人でも2人でもいい、このユーチューブ活動全盛時代に、「自分だけは長文ブログ派です」「ワタシは今日から今井に負けない長文ブログを毎日書き続けます」と宣言するような、ドンキホーテみたいなオカタがバンバン登場してくれるのを、心の底から待ち受けている。
「10年達成」の歓喜、2次会開始の歓喜、金足農旋風の歓喜、そのあたりについても、ぜひ以下の記事で味わい直してくれたまえ。
Mon 180604 帰ってきた/3652回完了/夢は沃野を駆けめぐる(イタリアすみずみ 17)
Sat 180630 では2次会を始めます/フテ寝の3日/3つの躊躇を克服(3653回)
Wed 180822 小さな大捕手/ダブル菊地君・斎藤君・打川君/10年後のこと 3703回
(マテーラ名物、巨大パン)
しかしそうは言うものの、6月もやっぱり自粛&自粛の世界。「日本は民度が優れているから」とイタズラ小僧の老大臣が発言しただけで、野党やら自粛警察やらオールドメディアやらのウルサ方が、「いかがなものか」と寄ってたかって批判なさる世の中だ。
だから、ますます書くべき材料がない。掲載する写真も自粛しなきゃいけない。ワタクシも「社会経済活動の再開」として、恵比寿の老舗うなぎ屋やら、西新宿の老舗中華料理店やら、旨い飯を食べさせてくれる店を「経済的に支援する活動」に入ったが、やっぱり野党と自粛警察が怖くて、写真掲載も店名公開も自粛せざるを得ない。
(大昔の貴族の邸宅を改装したホテルに宿泊する)
致し方ない、それならやっぱり1年前の外国旅行だ。2019年8月、アドリア海岸に長期滞在していたワタクシは、滞在3日目の8月30日、バーリから私鉄「アップロ・ルカーネ線」に乗り込んで、洞窟住宅群「サッシ」が有名なマテーラの町に向かった。
ワタクシは、やっぱりご他聞にもれず夜景大好き人間だ。この数年は長崎の夜景、昨年春はモナコの夜景。そして2019年夏はマテーラの夜景。マテーラの夜景を満喫するために、バーリに全ての荷物を置いたまま、あえてマテーラ1泊の旅を敢行したのである。
(マテーラ風景。町の真ん中にいきなりヒツジの大群が現れた)
マテーラは、世界遺産にも登録されている。かつて南イタリアの貧しい人々が、渓谷の崖を掘りぬき、石器時代の横穴式住居を思わせる窮屈な暗い穴倉の中で、ウシやウマやヒツジとともに生活した。住居の中でニワトリを飼い、ウシやウマの体温で冬の寒さをしのいだ。
そういう生活が、20世紀に入っても放置されていた。「イタリアの恥」とまで呼ぶ者がいて、1950年代に住民を強制移住させる事態になった。ということは諸君、第2次世界大戦前、ムッソリーニの時代になっても、石器時代そのままの横穴式住居生活がイタリアの南端に存在したということである。
21世紀初頭から急速な観光地化が進み、今では洞窟生活はほぼ皆無になった。横穴式の穴倉は、瀟洒な高級宿泊施設に姿を変え、「中世の雰囲気が残る南イタリアの洞窟に体験宿泊してみましょう」などという広告が雑誌やネットに躍っている。
「もしかして、これってやっぱり中国マネー?」
「一帯一路は、ついにここまで進出してきたの?」
であるが、おそらく間違いなくその通りなのである。
21世紀に入ってからのイタリアの変貌はあまりに急速だ。12年前のブログ開始の当時、イタリアは「そこいら中が吸い殻」のタバコ天国、バスも電車もカフェも、やっぱり20世紀そのままのタバコ天国。ミラノもローマも、ナポリもヴェネツィアもフィレンツェも、近代以前の混沌のカホリの中にあった。
(調査ナシ、予約ナシ。いきなりこんなリストランテに闖入してみた)
しかし今やイタリアは、北から南まで新幹線ネットワークで結ばれ、フレッチャ・ロッサに「イタロ」にフレッチャ・アルジェント、慢性的だった列車の遅れもバスの運休も、少なくとも日本の5倍ぐらいには抑制されている。
ホテルやカフェやリストランテの従業員の勤勉さだって、12年前とは比較にならないぐらいだ。ブログを始めた頃は「チップをもらわないと…」とマコトに不承不承だった彼ら彼女らも、いやはや日本人がビックリするぐらい勤勉に誠実に面倒を見てくれる。
(ワインリストに大好きなアマローネを発見。さすがマテーラじゃないか)
この日のワタクシは、マテーラ旧市街地の貴族の邸宅を改築したホテルに宿泊。美しい夕景と夜景を満喫することにした。ホテルに到着する前に、マテーラの街を一周してすでに汗まみれ。というか、朝早くバーリを出て私鉄に乗り込む前にすでに汗まみれになっていた。
前回も書いたがイタリアの私鉄は、怒涛のような中国マネーの影響の中でも、今だに前近代的なのだ。始発駅を出て1駅、バーリの街をマコトに不承不承に半周してみせたところで、いきなり車両故障を起こした。
すると、鉄道職員なのかどうかさえ分からない普通のオジサマが1名、両手をメガホンの形にして叫び始める。ほぼ満員だった車内の人々が、そのオジサマの叫びを聞いて一斉に電車を降りる。
「車両故障だから、別の車両に乗り換え」
「そのために直射日光の照りつける吹きっさらしで30分待ち」
これは別に珍しいことではなくて、前年のコモ → ミラノ間でも同じことを経験したばかりだ。
しかし中国マネー君、もしホントに一帯一路がホンキなら、この辺もぜひしっかりしていただきたい。日本の老大臣ではないが、もしこれが日本マネーなら「民度が違う」わけだから、この辺の痒いところまで手が届くはずなのだ。
(前菜に、赤エビのタルタルを選択。おいしゅーございました)
しかしさすが中国マネー。マテーラの食事のレベルは低くない。ここまでの大汗を拭ってほとんどお客のいない静かなレストランに入ってみると、おお、ワインもちゃんとアマローネが準備されている。あらら、2本もカラッポにしちゃいましたぜ。
赤エビをギュッとキレイに固めた「和の達人もびっくり」な絶品タルタルも出てきたし、フィレステーキもまた文句なしの「おいしゅーございました」。これは諸君、侮れませんな。
かつての牛馬同居の横穴式住居の暗い影なんか微塵もナシ。中国マネー恐るべし、一帯一路、恐るべし。和の鉄人の若者たちも勇んでイタリアに進出しないと、もう南イタリアは中華マネー一色に染まりそうな勢いなのである。
(メインはフィレステーキ。おいしゅーございました)
まあ諸君、もしも夜景が好きならば、長崎にモナコ、世界が誇る夜景の美しさを以下の記事で満喫してくれたまえ
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