Thu 080605 ブログ開設にあたって | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 080605 ブログ開設にあたって

 さて、いよいよブログを始めることになった。かなりの戸惑いと躊躇を感じながらのスタートである。何を今さらブログなんかやる必要があるのか、正直言って自分でもよくわからない。


 予備校講師としては、あと5年ぐらいでそろそろ現役引退を考えたい年齢になっている。河合塾と駿台で6年、代ゼミで8年。東進で3年。著書も合計10冊になったし、教えた生徒の数も延べ10万人はとっくに超えている。この18年いろいろあったけれども、まずは満足のいく日々だったことは間違いない。


 今でも講演旅行で日本中を駆け回っているが、千歳空港でも熊本空港でも見知らぬ人から「今井先生ですか」と声をかけられ、新宿のジュンク堂でも渋谷の紀伊国屋書店でも「受験生時代はお世話になりました」と頭を下げられ、ローマやミラノを歩いていても大学生らしき日本人に黙礼される。


 成田空港ではANAカウンターの女性職員にも、浜松付近を疾走する新幹線車内で車内販売のアルバイトさんにも、東京駅地下のバーカウンターではバーテンダーにも、新横浜の駅では公認会計士の先生にも、とにかく至る所に「昔の生徒」がいて、もう5年も10年も昔に彼ら彼女らが大学受験生だった頃の「お礼」を丁寧に述べられる。私のコミュニティがmixiにあって、そこでは現役の高校生と昔の高校生が、いかにも楽しそうに私の雑談内容について語り合っている。


 こういう状況で、今さら何のためにブログなんか始めるのか、自分でも納得できないのだ。何らかの読者層を設定して、彼らにメッセージを送らなければならないというのではない。「メッセージ」ということなら、彼らが受験生の頃に、既にイヤというほど授業で送り続けてきた訳だし、そのメッセージなるものが、伝わる相手にはこちらが呆れるほど伝わりすぎてしまうこと、伝わらない相手にはこちらがいくらムキになっても全く伝わらないこと、ムキになればなるほど相手は意地でもメッセージを受け取るまいとするどころか、ほとんど想像を絶するほどの巧みさでメッセージを曲解し、ねじ曲げ、嘲笑し冷笑すること、そうしたことはこの18年で嫌になるほど経験した。


 おそらくそのせいで、私は多少疲れてしまったのである。私が本当にエネルギッシュな活動を展開したのは2001年度まで。参考書8冊を3年間で出版し、フジテレビ「とくダネ」で私の特集があり、それがきっかけで読売ウィークリー・週刊プレイボーイ・毎日新聞など続けざまに取材を受け、サテライン講座が週8コマになり、渋谷・新宿・六本木と毎晩深夜早朝まで飲み歩き、早稲田祭に出演し、そこでも泥酔し、ほとんど熱病にかかったような日々が続いた。


 もちろん、授業自体は全力を尽くしてきたし、2002年以降も、年月を経るに比例して授業の質はますます高まった。授業展開と説明の巧妙さには、磨きがかかりすぎて自分でも恐ろしくなるほど、もうほとんどホテイ様のお腹よろしく、なでられて黒光りせんばかりである。だから、2002年以降の生徒諸君に迷惑をかけたということは一切ない。むしろ、よけいなメッセージを伝えようとしなくなった分、授業への集中度がグンと高まったという自負もある。


 しかし、まあ、それでは寂しいのだ。2005年秋、東進に移籍した直後に早稲田祭に出演し、「島耕作」の弘兼憲治氏とディスカッションしたのを最後に、疲れてしまった私はずっとおとなしく授業に専念し、というよりやっぱり毎晩ウンザリするまで酒を飲むだけの生活で、授業以外には、執筆など生産的なことはほとんどせずに3年が過ぎた。


 しかし3年がすぎても、元生徒に街で声をかけられる頻度は全く低くならない。いや、2008年になって、むしろ頻度は高まったぐらいである。中学の英語の先生、不動産会社の社員、予備校の先生、弁護士、無職のままの人、ディズニーのスタッフ、街に出るたびに「元生徒」が懐かしそうに声をかけてくれる。彼ら・彼女らは、まず自分の活躍を語り、次に私の授業の思い出をうれしげに語り、別れ際に「先生は、いまは?」と尋ねてくれる。ところが私には、それに答える言葉がないのだ。2001年以降は、著書もたった3冊しか出していないのだから。


 あえて言い訳するなら、この3年は旅行に費やした。2005年2月8日正午少し過ぎに、私は代ゼミ最後の授業を終えた(サテライン「名大セミナー」)。外はどんより曇って、冷たい雨が降りだしていた。そしてその翌日にはすでにスカンジナビア航空の機内にいて、コペンハーゲンに向かっていた。雨のベルリン、大雪のミュンヘン、ウィーンの裏町、真夜中のジェノバ、デモに荒れるマルセイユ、パリに40日。あれを皮切りにこの3年で7回の渡欧を繰り返した。ランス・ルーアン・シャルトル・アミアン。ボローニャ・ラヴェンナ・フェラーラ・パドヴァ・ヴェローナ。だから、「先生は、何を?」と問われれば「まあ、旅行かねえ」とごまかせばごまかせないことはない。しかし、やはりそれだけでは寂しいのだ。


 というわけで、このブログを開始することにした。これはあくまでプライベートな日記である。読者層を設定することはしないし、ましてその読者に熱いメッセージを送ったりすることはしない。読んでもらうことなど、最初から予測していないことにする。もし万が一読む人がいたとしても、面倒なメッセージなんか送られるより、他人の日記をこっそり盗み見するスリルの方が楽しいだろう。


 ただし、このブログは、街で私に挨拶して、私が今でもエネルギッシュに活動していることを当然のことと考えながら「先生は、何を?」と尋ねてくれる元生徒の諸君と、全国の講演会であたたかく私を迎えてくれる現役高校生諸君への、私からのささやかな報告書にはなっていくと思う。


 私は、決して怠けているばかりではない。引退まであと5年か6年かと思い悩みつつも、生徒諸君が知ったら驚くほどの「悪あがき」を続けているのだ。だから、これは「あくまでプライベートな悪あがきの記録」である。


 迷惑がかかるといけないので、家族・友人・知人のことには一切触れない。だから、読んでも、全然面白くない。面白いことなんか、書くつもりは一切ない。ただ、オヤジの悪あがきの有様と、その激しさと迫力を知りたい人には、もしかするとこの上なく興味深い記録になるかもしれない。


 始めるからには、多忙を極めている場合でも、できる限り毎日更新する。写真も1日1枚掲載する。ネット独特の言葉遣いに慣れていないので、昭和中期の文体で、しかも毎回A4版1枚を目安に書き続けたい。期間は10年、2008年6月5日から2018年6月4日とする。タイトル「風吹かば、倒るの記」の由来については、機会があれば早めに記すことにしたい。冒頭の写真は、イタリア・コモ湖畔のヴィラ・デステの庭園にて、2008年5月18日。ネコは、純白がニャゴロワ。キジトラ柄がナデシコ。今日は午後から吉祥寺1号館で授業収録2本。

1E(Cd) Holiger:BACH/THREE OBOE CONCERTOS
2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 1/4
3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 2/4
4E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER 3/4
7D(DvMv) 12 ANGRY MEN
10D(DvMv) BODY HEAT
15G(α) 塩野七生:ローマ人の物語14 パックス・ロマーナ(上):新潮文庫
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