離婚してから町ですれ違う男の人を見て

かっこいいとかなんとか思うようになった。

結婚してた間一度も思わなかった気すらする。

夫がいたり、彼氏がいたりすることは

視野を狭めることでもあり、見なくてもいいものを見ずに済むことなのかもしれない。


5月は登場人物が多かった。

その中の一人。

小説をひとつ勧めてくれた。

その人との毎日の会話が楽しくて、毎日連絡が来るのが楽しみだった。

ふざけてるけど知的で情緒的な表現をするのがなんか心地よかった。

恩と義理にかたく、私が不出来なところを指摘された。

いつもの私だったら、素直に受け入れられないし反論したくなるんだろうけど。

なぜか、そうだよね。って思えた。

少しの反論?説明をすれば引き下がった。


なにもかもあきらめなくても、いいんじゃない?


私に勧めてくれた。

ふとこの小説を私に読んでみて欲しいと思ってくれたことが嬉しかった。

そんなふうに思われる程度に関係性を作れていたことも嬉しかった。


あきらめる必要ない!

諦めるな!笑

という言葉を言ってもらえて嬉しかった。

嬉しい以外の語彙がない。こういう時の。


会うことがない画面の向こう側の人にも感情は宿る。

救われることもある。

傷つくこともある。

ありがとうと伝えられることが嬉しかった。

沢山のおすすめを私に教えてくれる人だった。

私が辛い時にそんなふうに声をかけられるということは

彼もまたそんなふうに辛い日々を過ごしたことがあるんだろう。

私も誰かに優しくできるのか。許せるのか。この地獄から何かを得てまた生きるのか。


今でも思い出せる。

両親に離婚届にサインをして欲しくて実家に帰った。

数年ぶりだった。

いつも通り化粧もせずに、忘れちゃいけない離婚届をリュックに入れて。


駅でお帰りと言ってくれた母に迎えられて家に入った。

ビールは母が買ってきてくれていた。

飲んでいいのかな?こんな話をしにきたのに。

と思いつつも飲んだ。


ご飯ができると父が降りてきた。

何を話せばいいのかわからなかった。

父がずっと仕事について聞いてきた。

ずーーーーっと質問してくれていた気がする。

それに答えているうちに時間が過ぎた。

ビールは早いうちに空いていた。

いつもならもう一杯飲みたいけど、流石にやめておいた。

この後泣いてしまうかもしれない、冷静でいられないかもしれない。

それが酔っ払ってるからだと思われたくなかった。

母は父が仕事の話ばかりを聞いている間、私と父の顔を交互に見て、そんな話より離婚の話は?という顔をしていた。


食べ終わって少しして話が途切れた。

私が話し出すべき場面で。

なんて言えばいいかまだわからなくて。

母が離婚届のこといわなくていいのって言ってきた。

うん、と言って父に頼んだ。

父は二階に上がり降りてこなかった。

本籍がわからないのかな?と思ったがハンコを探していた。

婚姻届を見直した。

同じハンコだった。

父は言った。

「何があっても一緒にいる覚悟はなかったわけか。」

それは元夫に向けたものだと思う。

父は静かに怒っていたのかもしれない。

それを私に気付かれないように。

帰りに母は「また帰ってくる?」と聞いた。

色々あって実家にはもう帰らないと言っていた。

でも帰ることになった。

あの日あの空気

私はこの家庭で育った子供なんだ。

あの日のあの空気、有り難みや申し訳なさや気まずさ何とも言えない忘れられない涙が出る。

諦めて生きていきたい

こんな人生になった時に思ったことだ。

このブログは大学生の時に作ったもので、そのタイトルに人生諦めたりしないって書いてあった。

奇しくも。


自分を大切にするってどういうことなんだろうか。

休むことになって度々考えた。

栄養バランスが整った食事?ストレッチ?散歩?嫌な事を考えない?瞑想?よく寝る?好きなことをする?

いまだによくわからない。

ジャンクフードを食べたい日も、ストレッチしたくない日も、外に出たくない日も、色々考えたくなる日もある。

自分の意思で。


ただ一つわかったことがあるとするなら、その自分の意思を評価しないで受け入れることかもしれない。


小説が読めるようになって嬉しい。

日中の暇、何しようって時間ずっと読んでいられる。

他の人の人生を垣間見ているようで楽しい。

栞を挟んで考える時間も好き

私だったらどうするかな、私の人生にはこんなことなかったな、恵まれてたんだ。

わかる、心が空っぽになる感じ、何もしたくない、諦めるかーって気持ち。

読み終わった後誰かに感想を伝えたいって思う。

勧めるわけでもなく、自分が思ったことを聞いて欲しい。

これはどういう欲求なのかな。

雨が降り出す前にスーパーに行こう。

本当は手続きがまだ残っている。

いつの頃か全く手続きが進まなくなった。

結婚時の姓を早く消したくて、手続き頑張ってたけどふとやらなくなった。

ほとんど終わったけど、まだ残ってる。

そのうちやろう。

新年を迎えた。

テレビをつければおめでとうが飛び交っているだろうけど、

私は何かを祝う気持ちにはなれず、Netflixで今まで見たことがある番組を垂れ流していた。


初詣ではいつも穏やかにしか祈っていないのに叶わなかった。

近所に神社があったけど、行かないことにした。


この頃になると少し体調に余裕が出てきたのか

お金のことを、考えられるようになった。

固定費削減、資産運用、傷病手当…

いつまで休めるんだろう

どんな人生になるんだろう

投資銘柄を深夜遅くまで見ていた。

まだ元夫のことをネガティブに思い出すこともあった。

泣くこともあった気がする。

誰とも会いたくない。

週に1度、病院の先生と話す以外誰とも話していなかった。

別によかった。

私の人生に誰も絡んでくるな。くらいの気持ちだった。

ただ、味噌汁を飲んだり、あったかいお茶を飲んだり、ストレッチをしたり、時間がなければしなかったことはしていた気がする。

引っ越し先でGoogleマップを眺めては散歩コースを考えていた。

出かける気力はなかったが、スーパーくらいは行っていた。

案外きちんと夜にお風呂に入って午前中起きるという生活はしていた。

体調が悪い日もあったが寝込むほどではなかった。

無気力ではあった。この程度であればそんな日人生にいくらでもあったけど、あれはうつ病だったのか?

私の何が悪かったのか?

どうすれば諦めて生きていけるか?

そんなことを考えていた。

何年ぶりだろうか。

自分のためだけに化粧をして

着たい服を着て

履きたい靴を履いて

行ってみたかった場所に行ったのは。


初めて自分の意思で美術館に行った。

感想は

涼しい

絵でも赤ちゃんと女の人の肌はふわふわ

カラフルな絵が好き


やっぱり教養がないからなのか?人がなぜ美術館に行くのかわからなかった。

でも独特の静けさとたまにこの絵が好きと思える瞬間は好きかもしれなかった。


ずっと行きたかった動物園に行った。

とても暑かったが止まらず歩いた。

ゾウとゴリラとカバを見たかった。

ゴリラはカッコよかった。

ゴリラが好き。

ゴリラを見つけた瞬間前のめりになった。

楽しい!って思った。

次に付き合うならゴリラかクマみたいな人がいい。


そのあと久しぶりに一人で居酒屋に入った。

ハッピーアワーで入ったはずなのに忘れて対象外のものを頼んでしまい、

色々頼んだからなのか5000円近くした。

たっか!と思った。

席の隣に海老の水槽があって水族館に来た気分だった。

動画を見たり、本を読んだりして過ごした。


この1日で、私からいくつかの形容詞が出てきた。

それが新鮮だった。

感情を取り戻すって形容詞を増やすことなのかもしれない。

今日こんな一日だったって誰かに聞いて欲しくなった。

私は誰かを求めている。

わがままに生きたい。自由に生きたい。誰かと。

1ヶ月目

離婚して引っ越しや手続きなども残っていたので休んでる気がしなかった。

メールやチャットもたまに確認していた。

しかし仕事をしていたら乗り越えられなかったと思う。

お酒を飲んでべろべろになってからでないと引っ越し作業ができなかった。

思い出のものを直視できなかった。

狂ったようにものを捨てた。

引っ越し作業が酔っ払って夜9時からとかしかできずなかなか進まなかった。

毎日離婚と仕事のことを考えて寝て、朝も同じ状態で起きた。

救いは眠れていたことだ。

離婚してからもたまに元夫から連絡が来た。

悲しかったのは誕生日に離婚届を提出したのかの確認されたこと。別居してすぐに知らない女と寿司屋予約メールが届いたこと。

因果応報があるとしたなら私も誰かをこれほどまでに地獄に落としたことがあるんだろう。

家族は優しかった。前のブログにも書いた通り。

友達も優しかった。

しかし離婚の報告を祝ってくれた人たちにはすべきだと知りながら今はそんなことできる余裕はなかった。

引っ越しが終わってからは怒涛の手続きラッシュを行なった。

作業に集中するということがすごくしんどくて、作業して寝込むを繰り返しながら進めた。

当時は同じ時間に寝て起きることを指示されていた。

お酒の量が多かったこと、食欲も異常だったので起きるということができなかった記憶。

ただ近所のスーパーには頑張って行っていたかな?

味噌汁を飲んだり、あったかいお茶を飲んだり、ストレッチをしたり今までしたくてもできなかったような?したかったのかわからないけど?

自分を大切にするってどういうことなんだろうって思いながら過ごした。

リラックスできる音楽を聴きながらあったかいお茶を飲むお風呂上がりは

こんな時間もあるんだなという、情緒のない感情を持ちながらネガティブな記憶を反芻していたようにも思う。

寝る前に泣いたり、音楽を聴いて泣いたり、怒りで眠れなかったり、夢で怒って起きるようなこともまだあった。

服薬に対する不安もあったが、薬のことを調べても文章が頭に入ってこない。

頭が悪くなったのか病気のせいなのかまだわからなかった。

ひとりで暮らすことに慣れず、物音がすごく気になった。

この不安は夫への未練なのか?と考えたこともあった(実際には違った)。

1ヶ月目はまだまだ今思えば不安定だった。

誰にも会いたくなく、このまま誰にも会わず知られず喋らず関わらず生きていけたらいいなって思っていた。

もう一つはもう頑張りたくない、人生を諦めて生きていきたいという思いが浮かんだ。

そんな1ヶ月目だったような気がする。

それは客観性を持った意見なのかもしれない。

言われて耳が痛いのは腹が立つのは図星なのかもしれない。


捨てられた、見捨てられた、信じてたのに全部嘘だった。

全部を相手のせいにすることで自分を守った。

そんな自分もいるということを直視させられる。

事実は一つなのに解釈がたくさんある。


私は自分がされて嫌なことはしないでって口酸っぱく言ってきた。

しかし私は言えないこともあった。

きっとそんなの普通でみんなそうだよって言ってしまえば終わるけど。


なんで正論言われて素直に聞ける人と聞けない人がいるんだろう。

私のコンディションなのだろうか。

相手の言い方なんだろうか。

尊敬なんてしていない。

元夫は尊敬してないから俺のアドバイスが響かないとよく言っていたが違う。

尊敬してない人の方が多い。

でも刺さる時は刺さる。

なんでなんだろう。知りたい。

ある本を読んで「記憶の改竄」という言葉が出てきた。

私も同じ言葉を夫に対して使ったことがあった。

そしてまた後になってふりかえれば、私も記憶を改竄していたことに気がついた。

確かめなければ一生夫の記憶のせいにしてただろう。


元夫は私に対してひとつだけ強く心に引っかかり許せていないことがあった。

それについて私と彼は記憶が食い違っていた。

彼は私にひどく傷つけられた。

私にも言い分があった。

しかしその出来事の心の抉り方は彼の方が深かったようだった。

私に非があるとすれば、それは彼を愛していなかったのに結婚してしまったことだろう。

後に愛していると思ったとしても。

彼が大事にしていた、決意や覚悟を持ち合わせていなかった。

それは私が歩み寄らなかった唯一自覚のある非。


傷つけた側と傷つけられた側では記憶に大きな乖離がある。

それを目の当たりにすると相手が記憶を改竄しているように感じる。

ある意味それは「私が傷ついた」証拠であり、相手に「悪気がなかった」証拠なのかもしれない。

そして立場が逆になることもまたあるんだということを肝に銘じないといけない。

ちょうど去年の今頃だった

なんか雰囲気がおかしくなってきたのは。


いつものりのりで過ごしている夫の顔が曇っていた。

私は気付かないふりをして楽しいふりをした。

どうしたの?何か言いたいことある?とでも聞けば何か変わったのだろうか。

その後聞いた気がするけどそんなに深く印象には残っていなくて。

そんなこと?それ大事?って思った記憶がある。

でも、大切な人が大切にしてるものを大切にしてよ!って考えの私ならもう少し相手に寄り添っても良かったのかもしれない。

私は相手に求めていたことをできていたのか。

相手が求めていることを理解しようとしたのか。

あの時の私は相手のことを理解しようとする余裕は少なくともなかった。

でもあの結婚生活で何度も寄り添い理解しようとしたことがあるのも事実だよね。

でも私もきっと彼をたくさん傷つけたんだろう。

自分を守りたくて相手を責めてしまうけど本当は自分にも悪いところがあったんだろうと思ってる。

今はそれを直視することはできないけど。

私の人生には価値がある

私可愛い

私偉い、よく頑張ってる


そう心から思えれば自分の評価を全て他者に預けることなんてないんだろう。

私は自己評価より他者評価によってコントロールされてしまう節がある。

みんなそうなのかもしれないけど。


今は知らない人に会って可愛い綺麗若いって言ってもらえて自己肯定感を回復させている。

普通に心も体も喜んでるのを感じる。

人生諦めようかと思っていたけど、その気持ちも浮かんでこなくなった。

諦めて生きていくための計画を立てなくなった。


でも副作用としては、結局人に委ねてしまっているから常に誰かを求めて、誰かからの承認や賞賛を求めてしまってる。


これをいつか自分でやれるようにならないと大人じゃない。

元の自分に戻ることはできない。

戻る必要もない。

ただ自立して聡明で美しかった自分が過去にいた証拠が少し残っている。

たまに見ては「え?私すごいじゃん」って思ってる。

私がしてきた過去の努力は未来の私を何度も救ってくれた。

未来の私が過去の自分に何かできるとしたら

頑張ってるよ、偉いよ、美しくて聡明だよ。

自立した女性とはあなたのことでは?

なりたかった姿になれているのでは?

と声をかけてあげたい。

今までの誰がしてくれたハグよりあったかくて優しいハグをしてあげたい。