4 血は燃ゆる (4) || 池袋ぐれんの恋
r (4)
愚連隊は手に手に得物を持って取りかこみ、その中で矢之倉は身がまえ、目を配っていささかも動じるところはなかった。
正面の羽太がドスで突いてきたのを冷静に手刀でかわした。当てがはずれて蹈鞴たたらを踏み、ふり向いた羽太の顔に怒りの痙攣けいれんが走った。同時に周囲の者たちが寄ってたかって攻撃するのを、矢之倉はつぎつぎ倒す。
羽太はドスをかまえなおし、手下たちを押しのけて前より慎重に近づき、ふたたび矢之倉をおそう。そのドスを叩き落とすと同時に、矢之倉のするどい蹴りが羽太の下腹にはいった。
羽太は白目をむき、血を吹いて突っ伏すようにして倒れ、即死と見えた。
が、数人のこん棒や鉄パイプと相対している矢之倉のうしろから横にはらうようにきた長い丸太が矢之倉の背中をうしろから直撃し、つんのめったところへ四方から棍棒が襲った。よけきれずに足に一撃をくらって倒れた矢之倉は、もうめった打ちだった。棍棒を打ち下ろす。突く。蹴りがはいる。死ねとばかりに丸太がふり下ろされる。
「やめてッ」
恭子が叫びながら走り寄ると、一人がとびかかるようにして腕をねじあげ、口に手拭いを押しこんだ。
徹底的に打たれ、動けなくなった矢之倉に、一人が羽太のドスをひろって近づいた。そのとき、
「ワアッ!」
「なんだお前は!」
愚連隊から叫び声があがった。
正体不明の浴衣姿の若い男が、無言のまま空を跳んでドスを持った男の顎を蹴ったのだ。男はのけぞってひっくりかえる。
身軽な浴衣姿は跳んでは蹴り、降りては突き、あるいは裏拳でこん棒をたたき落としてつぎつぎ愚連隊を倒していく。目のさめるような動きは空手の使い手と見えた。
たちまちの間に5、6人が這いつくばった。
「待て……」
声が湧いて、和服の中年の男があらわれた。小太りで背はひくく柔和な顔つきだが、目は蛇のようにつめたい。
「親分……」
愚連隊がみな一歩さがった。
中年男はつかつかと浴衣男の前へ近づいた。
そこへ、岩間が駆けつけてきた。彼はその場の様子を見まわし、状況を把握できぬまま、
「兄貴っ……しっかりしてください」
ころがり込むようにして矢之倉を抱き起こした。
恭子は口の手拭いをとって捨て、あたりを見まわした。
焼け跡に水道の蛇口が立っているのに目にとめると、走りながら夢中で自分の左の袖の中に手をいれ、肌襦袢の袖を引きちぎっていた。それを水でしぼって行って矢之倉の顔や腕の血をぬぐう。
「大丈夫?」
訊くと、岩間の腕の中で矢之倉はわずかにうなり声で答えた。
その間、浴衣男は親分と二人でなにやら静かに話していたが、うなずいた。話は簡単にすんだらしく、愚連隊と別れると三人のところへ近づいた。天馬征四郎の家へ矢之倉を訪ねてきたあの下士官源場辰五郎だ。
「あ、ありがとうございました」
気づいた恭子が矢之倉の手当てをしながら頭をさげると、源場は、恭子たちと矢之倉の関係もわからないので迷う様子で、
「いえ……自分、このかたの軍隊時代の部下でゲンバというものです」
「あ、そうですか。自分は矢之倉さんにお世話になっている岩間といいます」
岩間がいったが、恭子はとっさに何と挨拶すべきか迷って、
「岩間さん、ご挨拶よりさきに、早くお医者さんへ……」
「え? いや、医者は……」
岩間は困惑顔になった。
「ええ、あちらも、警察が来ないうちにと急いでいます……」
と源場が間にはいるようにいって愚連隊のほうを見る。たしかに愚連隊もいそいで羽太をかついで去っていく。羽太はまだ息があるようだ。
「とにかく、まかせてください」
岩間がいって、矢之倉を背負う。源場が手を貸す。
「こちらへ……」
矢之倉をかついだ岩間のいいなりに、恭子も源場も彼について行く。
「一目で喧嘩とわかるから、医者には見せられないんです。サツに通報されます」
岩間が弁解するようにいいながら急いだ先は、海老名という本建築の新しい旅館だった。
2階の一室に案内されると、女将が女中にいいつけて布団を、その上に敷布を2枚かさねて敷かせた。血で汚れるとわかっていながら親切に扱う様子で、ここは矢之倉たちがよく利用する旅館らしいと理解しながらも、恭子はあせっていた。
「早く! 岩間さん」
といいつけながら矢之倉のアロハシャツのボタンをはずして脱がせようとする彼女を見て、源場も女将も、恭子を矢之倉とそういう間柄の女と解釈した様子で、
「今、焼酎をお持ちします」
女将は廊下へ走り出た。矢之倉はぐったりしているが、フーッと大きく息を吐いた。
「打たれようが蹴られようが、くたばる兄貴じゃないですよ」
と自信ありげに岩間はいって、アロハを脱がせた矢之倉をふたたび横たえようとする。
「あ君! うつ伏せに」
源場が厳しい命令口調で強引にひき取って矢之倉を裏返しにする。
「はい……」
岩間は上官に対するように首をすくめて身を引いた。源場の鋭い眼力に圧倒されて、ガラッと態度を変えてへりくだった。
源場は血だらけのアロハで背中の血を拭う。背中には大きな裂傷があって手がつけられぬ様子である。
「焼酎はまだですか」
源場が廊下のほうへ叫ぶ。そこへ女将が一升瓶とサラシを抱えて走り込む。
「あ……」
源場が受け取って口に含んだ焼酎を傷口に吹きつけ、サラシを裂いて血を拭き取る。
慣れた様子に呑まれた岩間は、恭子に訊く。
「店のほうはどうなっていますか」
「もう目茶苦茶のまま……」
「じゃ、そちらの後始末のほう、お願いします」
「はい。お店閉めてすぐ戻ってきます。じゃ、よろしくお願いします」
と恭子は最後は源場にいい、
「わかりました。まかせてください」
源場が声だけでこたえる。
誰が命令する側かされる側かわからぬやりとりのまま、恭子は旅館から走り出た。
ヤミ市の店にもどると、すでに2枚の戸が閉められていて、向かいの店から磯海が出てきた。
「あ、大丈夫でしたか? お怪我は……」
「ご心配おかけしました」
「いえ、すみません、自分、お役にたてないで。相手が相手だったもんで……」
「いいんですよ。何とかおさまりましたから」
「よかったぁ……あの、よごれた古着類はあつめてミカン箱に入れておきましたから。洗えばなんとかなりますよ、どうせ古着ですから」
「ありがとうございます。あの、私まだちょっと行かなければならないので」
「わかりました。自分、ここがネグラですから、店の留守番は責任もちますよ」
「すみません。これ、鍵ですから」
鍵を渡しておいて旅館へかけもどると、傷をサラシで巻かれた矢之倉はフンドシ一丁で腹這いになり、苦痛に歯をくいしばりながらも、岩間につがせた焼酎を湯飲みで飲んでいた。
「駄目じゃないですか!」
恭子は岩間を叱りつけ、瓶を取り上げてから見まわして、
「あのかたは? ゲンバさん……」
「ええ、親分と約束があるからといって……」
「どこへ?」
「さあ……どこともいわないで」
「大丈夫かしら」
「心配するな、あいつの空手は一級品だ」
矢之倉がいって湯飲みを飲みほし、横向きに枕に顔をうずめると、すぐにいびきをかきはじめた。
岩間は旅館が用意した浴衣をそっと矢之倉にかけてからいった。
「実は自分も、ゲンバさんのことが気がかりだったんです。ちょっと行ってみますから」
「だって、どこへ?」
「組の連中を探して訊いてみます」
「気をつけてね」
「はい」
岩間が階段を駆け下りる音を聞きながら恭子が、
「ダメじゃないですか、も少しご自分を大事になさらないと……」
強い調子で声をかけてみたが、矢之倉はすでに寝入っている。
恭子は枕元にすわって矢之倉の顔をみつめてため息をついたが、落ちついてみると、先刻の乱闘の恐怖、興奮がまだ体を震わせている。愚連隊は仲間を殺されたのだから、当然矢之倉を殺すと思った。残忍な仕打ちだった。
なぜ親分が喧嘩をやめさせたのか、恭子には疑問だった。金を要求するつもりだろうか。源場はどんな要求をされているのだろうか。親分を相手にこれからどんなことになるのか、空恐ろしい思いにおそわれた。
矢之倉の寝顔を見つめ、このまま死んでしまいそうな気がして、ふっと涙がでた。 生き返ってくれるよう祈った。いびきもとまって静かな寝息をたてている。
30分もたった頃、お帰りなさいという女将の声が聞こえ、トントンと階段を踏む音がして源場が帰ってきた。ふり向いた恭子はホッとして、
「ああご無事で……お帰りなさい、いかがでしたか」
「はい。矢之倉さんの様子は……」
その声で矢之倉が目覚めるかと、恭子も矢之倉をのぞきこんだが、寝顔にはまったく変化がない。源場もじっと見ていたが、改まって畳に手をついた。
「初めまして。自分、戦地で矢之倉さんのご指導をいただいておりました源場辰五郎です」
「あ、あの……」
恭子がどう自己紹介しようか一瞬考えるうち、
「はい。矢之倉少隊の3番機でした」
「3番……」
「あ……といっても奥さんにはおわかりにはなりませんか。矢之倉少尉どのを尊敬申しあげている子分とお考えください」
「あの……」
恭子が返事に困った瞬間、矢之倉がうす目をあけた。
「源場、いつからお喋りになった」
源場はうれしそうな顔になり、
「少尉どの……お目覚めですか」
「苦しいですか?」
恭子ものぞきこんだ。
「……大したことはない」
「何が大したこと……ダメじゃないですか、無茶ばっかり……」
ホッとしたせいか、急に涙があふれてはらはらと頬をつたった。
「本当ですよ少尉どの……あんな連中を相手に喧嘩なさるなんて」
「少尉どのはやめろもう。兄貴でいい。よく来たな」
「探しましたよ。ご実家の矢之倉商店は焼けてなくなっているし、天馬さんを訪ねたら池袋の闇市だとお聞きして……でも、いいところへ来たもんですね」
「そうか……これはまだ俺の女房じゃない。これからくどいて女房にしようと思っている」
きょとんとなる源場を横目に、恭子はあえて否定はせずに、
「よろしくおねがいします」
「もうここはいい。家のほうが心配だろう」
矢之倉の言葉に、
「ええ、あの、実は……ちょっといいにくいんですけど……」
その様子に、反応の早い源場が気を利かせた。
「自分、ちょっと便所へ……」
さっと立って階段へむかった。
夕立が軒を打ちはじめていた。
「どうした」
こんな時に矢之倉に金を借りるのは、今までの恭子なら絶対出来ないことだった。
だが恥も外聞もない。一家存亡の危機なのだ。蚊帳の一件を話して、買い戻したいからと借金を申し込んだ。きちんと働いて返済しますと約束した。
「そうか、あの婆さん、気に入った。すぐ買い戻せ。いや、それが無理なら新しく買えばいい」
と矢之倉は応じた。
「気にするな、俺はお恭に真底惚れた。それだけだ。無理に交換条件を出す気はない。遠慮するな。そのズボンのポケットに金がある。出してくれ」
ズボンから新聞紙にくるんだ札を出すと、
「いくらで売ったか知らないが、買い戻すとなったら新品同様に吹っかけられる。2000円ほど持っていけば大丈夫だろう」
恭子が旅館の階段を降りてくると、帳場で女将と話し込んでいた源場が、
「あ、お出かけですか」
と声をかけた。
「ええ、今夜は源場さんとつもるお話があるそうですので……」
恭子は女将の差しだす番傘を借りて暗い道へ走り出た。
源場は遠慮して恭子が降りてくるのを待っていたのだった。彼が2階へ駆けあがると、矢之倉は布団の上に座って焼酎を飲んでいた。背中のサラシは鮮血にまみれている。
「少尉どの! もう酒は……」
とサラシをとり、新しいサラシをあてがって一升瓶の焼酎を吹きかけた。
「気にするな。どうせ長くはない……」
「え?……敗血症、その後医者に診せたんでしようね」
「古傷を丸太で突っつかれたのがこたえた」
「やっぱりそうだったんですか……相変わらず血の気が多いんですね」
「気に入らんことばかりだ」
「まあ、それは……」
「おふくろさんは……」
「元気でした、おかげさまで」
「そうか、よかったな……」
「少尉どののご家族のこと、ご近所の人から聞きました。残念なことで」
「うむ……」
二人のあいだには当然語り合うべき話題がありながら、それに触れるのをおたがいにためらっている。二人とも、日本が無条件降伏したと聞かされたときの興奮を思い出していた。
東京死守のため日夜命をかけて戦っている最中だった。思いは小園司令官と同じで、「203空」の血気盛んな若鷲たちは日本の無条件降伏に怒り狂った。
「こうなったらマッカーサーと刺し違えて死ぬしかない」
厚木の飛行場を脱出する際に誓い合った。矢之倉が天馬を訪ねてこいと、住所をメモして源場にわたしたのはそのときだった。
「とにかく、よくきてくれた。無事再会の乾杯をしょう」
「はい、遅くなって申し訳ありません」
源場は座卓から湯呑をとって焼酎を注ぎ、矢之倉のほうへ突きだした。
「あの、ほかの連中は……」
矢之倉はだまって湯呑をぶつけ、ぐっとあおってからいった。
「もう来んだろう、今まで来ないんだから」
「そうですか……」
ため息をついてから、源場の顔にホッとした様子が走るのを矢之倉は読んだ。
「あの時は頭に血がのぼっていた。でも今はそんな気は失せた。そうだろう」
「悩みました……」
源場は両手を突っ張るように膝の上においていった。
「自分は軍人として生きる以外に取柄はないし、失業した農家の五男坊なんぞ、兄貴やおふくろにとっても厄介者なんだから、生きている値打ちはないと思っていたんですが……そうおふくろにいったんです、僕なんぞ小指だからって。そしたら……バカなこというなと叱られました」
と、困ったように身を縮めてから、感極まったように顔をしかめて、
「わが子を可愛くない親があるもんか……5本の指、どれ1本いらない指はないと……」
「………」
この言葉は矢之倉にもこたえた。
「5本の指……」
彼は左手を前に突出し、見つめながらゆっくり小指から握りしめた。
「……竹刀を握りしめるのはまず小指からだ。小指がなければ力ははいらん」
源場は驚いたように矢之倉を見返し、
「おふくろもいいました。百姓は小指がなかったら鍬を使えないと」
「ううむ……いいこというなあ、おふくろさん」
5本どころか、自分は両親にとっても伯父にとってもたった一人の跡取りだった。<親の心子知らず>という言葉が浮かんでガンと頭を殴られた思いだ。
「……よくわかった。帰って、おふくろさんを、大事にしてあげてくれ」
「申し訳ありません」
「まあ飲め今夜は」
「はい」
湯呑をあおる二人の武人の目に涙がにじんでいた。
「少尉殿はこれから……」
問われて、矢之倉は顔をそらした。
夕立は雷をともなってますます激しくなり、走る恭子の番傘をパラパラと打っている。
家へ帰り着くなり、恭子は粂子の防空壕に駆け込んで、
「おばあちゃん、どこで、いくらでお売りになったか教えてください。お願いします」
そのずぶ濡れになった恭子の気迫に粂子はおどろいた。
「まあどうしたの? あれはいいっていったのに」
「よくありません。日本脳炎でどんどん死んでいるのをご存知でしょう。おばあちゃんがかかったらみんなの、子どもたちの命もないんですよ。あの伝染病は蚊が媒介することもご存知でしょ?」
粂子はハッと気づいた様子で目を丸くした。
「早く教えてください」
「大通りの、要町へ降る坂の途中の右側の村上布団店……400円」
「わかりました。ありがとうございました」
恭子は階段をあがり、ころがるようにまた雨の中を走った。
村上布団店は簡易建築ながらも、間口2間で営業を始めていたが、雨を避けてすでにガラス戸をしめ、カーテンを引いて明かりを消していた。だが、ひいてみるとガラス戸は開いた。
主人もずぶ濡れの客を迎えてびっくりしたが、事情を話すと、
「ああ、そりゃおやさしいお婆ちゃんですねえ……何かご事情がおありと思ってました」
と胸を打たれた様子で、こころよく400円で返してくれた。
こんな世知辛い世の中にもこんな人がいるのかと感激し、恭子は包んでもらった蚊帳を抱えて泣きながら家へ向かった。
つづく
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4 血は燃ゆる (3) || 池袋ぐれんの恋
( 3 )
西口の坂を降った<ションベンガード>の入口あたりには、戦前はいつも乞食こじきがすわっていたものである。通行人から食物や金銭を恵んでもらって生活する人たちで、ものもらいとも呼ばれた。
だが戦後は、戦闘帽に白衣の傷痍軍人がとってかわっていた。負傷して戦地からもどった兵士たちである。彼らはアコーディオンを鳴らしたりハーモニカを吹いたり歌をうたったりして、通行人から金をもらっていた。
片腕や片足をうしない、中には両足をなくしたり視力を失ってすわる気の毒な姿もあって、おおかたの日本人が感謝と同情と義憤の涙をさそわれた。白衣は戦場で負傷した元兵士たち独特の服装であり、国のために傷ついた彼らがなぜこんな生活をしなければならないのか、という憤りだった。死んだら靖国神社にまつられるのに、怪我ならこの扱いか──
傷痍軍人のほうにもその腹立ちはあったに違いない。彼らは金を受け取っても目礼だけで、頭はさげなかった。「名誉の負傷」という意識があったのだろう。プライドを保っていた。
ボール紙で作った小箱を首からさげて小銭をもらうこの傷痍軍人の姿は、盛り場を歩けばどこでも見られた。山手線に乗れば、不自由な義足などで車輛から車輛へと渡り歩いてもらっているのがごくありふれた光景だった。
人々は傷ついた同胞の悲劇に敏感で、同じ日本人でありながら無事生きていることに後ろめたさをおぼえ、この人にも親が妻が子があるのだろうと、貧しい財布をはたいて少しでも苦悩を分担しようとする心を持っていた。
それが昭和30年ごろを境に、いつまで戦争を引きずって同情でメシを食ってるんだと、蔑みの目をむける人びとがあらわれて、日本人から次第に他者を気づかう共同体感覚が失われていく。豊かになった者は貧者をさげすみ、弱者を見捨てる。
国難に直面したとき人は同胞意識にめざめ、団結を熱く叫ぶが、一段落すると急速に飽きてしまう。これ以上負担を肩代わりできるか、こっちだって犠牲を払ってまでは付き合えないという気持が突き上げてくる。
こういう傾向に拍車をかける不届き者が現れる。金になると見込んで弱者に成りすまして稼ごうとする偽者である。ニセがいると知った途端、善意の人々の気持は急速に冷めるばかりか、怒りにかわる。
義手でハーモニカを吹く傷痍軍人に、恭子は丁寧に一礼して、小箱に小銭をいれてから東口へ向かった。矢之倉に会うということで、どこか浮きうきした気分でいる自分に気づいてはいなかった。
ガードを抜けると、靴磨きが並んでいる坂を上がって東口へ出た。駅前には都電のターミナルがあった。
恭子は戦時中に秀雄に連れられてここから数寄屋橋行きに乗ったことがある。すでに昭和18年に都制が施行されて東京の市電は都電になっていたが、ひさしぶりに見た戦後の車体には、かつての敵国語英語の案内がしるされていた。
そこからはるか彼方までがきれいに焼かれて、巣鴨プリズン(現サンシャイン60の敷地にあった刑務所)も見えていたし、色彩に乏しい光景の中、護国寺の青い大きな屋根が際立っていた。右手には西武農業鉄道のホームが見えて、その改札口前から手前の国電(JR)池袋駅の方向へ、木造の武蔵野デパートがあった。西武デパートの前身である。
駅前正面の焼跡広場(今の駅前広場の全域──現東池袋1丁目地内19380平方メートル)には、貧しい露店商たちをわきへ追いやるようにして真新しい建材を使った連鎖商店街が出来上がっていて恭子の目を引いた。この年2月20日に開設された森田組東口マーケットで、1坪ないし2坪の長屋式300店舗だった。
これがどんな目的で作られたか、東京露店商同業組合池袋支部長森田信一氏の言葉を、昭和21年1月19日の朝日新聞が紹介している。省略抜粋して紹介すると、
「現在池袋の青空市場の露店商人は800に近い。1日商売の浮草商人が多いので、”闇商人”の汚名をそそぎたい。4月までに完成させる清潔なマーケットは数を限定して商売仁義に徹底させる。出所のわからぬものを並べることはお断りで、これが本当の失業救済にもなると思いましてね」
ありとあらゆる商品が並んでいた。寿司屋、食堂、ビヤホール、肉、酒、新鮮な魚、野菜、みそ醤油、砂糖、貴金属、呉服洋品、化粧品、薬品、文房具、、ラジオ、時計、電気用品、パチンコ屋──量や質は別として品目はこんにちのデパートに近いといっても過言ではない。
西口とは違う。世の中は暗くともここのヤミ市には夢が満ちていた。歩いている人々の目が輝いている。買えなくても、他人のモノばかりでも、豊穣ほうじょうの中に身を置くと心が晴れてくるものだと、恭子も楽しくなっている自分に気づいて思わず苦笑していた。
行く手から大きな白人兵と黒人兵のコンビがきた。ごった返す日本人たちより肩から上が出ている。体格がまるでちがった。汁粉屋をさがす恭子がその二人を避けるようにしてすれちがったときだった。
「チャリンコだッ」
横手から突然のさけび声がきた。当時チャリンコとは子どものスリ・カッパライのことだった。
「とっつかまえてくれ! そのガキだ」
声に追われて人ごみの下をくぐり抜け、ぶつかりながら走ってきた浮浪児は、形をなしていないほどの汚い戦闘帽をアミダにかぶっている。小さくてもいっぱし修羅場をくぐった愚連隊のような面魂で、偶然立ちはだかる形になった恭子を脅すように三白眼でグッとにらみ上げて肩いからせたが、アレ? という顔になり、いそいで目をそらし、脇をすりぬけて逃げた。一瞬の出来事だった。
たけしちゃん……恭子は口の中で叫んだ。生死がわからなかった隣家の岳士だ。まちがいないような気がした。瞬間、友美が浮かんだ。何とかしなければとあせった。とっさに本能的に動いて、追ってきた若い復員兵の前へ、人に押されたふりしてよろけ出た。復員兵は避けられなかった。まともにぶつかられた恭子はつきとばされて吹っとび、尻餅をついた。
最もケチな露店商だった。人が往来している道に、畳半畳のその又半分ほどの大きさにたたんだ毛布を敷いて売っている蒸かし芋の上、直撃だった。
「あッ、ばかやろッ」
座っていた芋売りの老爺がとび上がって目をむき出した。
恭子のモンペの下で、ならべてあった芋のほとんどがつぶれている。おかげでグニャッという感触で尻はさほど痛くなかったが、恭子は痛そうな顔をした。
「あ、これは、大変失礼をいたしました。大丈夫でありますか」
追ってきた復員兵はすっかり恐縮して恭子の手をとって立つのをたすけ、
「あ、失礼しました」
にぎった手を急いではなして赤くなった。
「大丈夫ですか」
「はい……」
恭子は困惑顔で、高価なモンペを気づかった。
「おいッ、大丈夫ですか、はい、じゃねえ。ど、どうしてくれるんだッ」
イモが全財産の老爺は、痩せこけた両腕をふり上げて今にも泣き出しそうだ。
「こんなところで売ってたのか……」
復員兵は恭子にも老爺にも責任を感じて、これも泣きそうな顔をしている。ハタチそこそこだろう。とても弁償する能力などなさそうな顔つきだ。華奢でほっそりした体つきの美青年である。
「ええっ、どうしてくれるんだってんだよ」
老爺は立ち上がって、あばらの浮いたうすい胸をはった。
大勢の野次馬がたかりはじめ、三人はその輪にかこまれた。恭子も弁償するような金は持っていない。
「可哀相だよなあ、あれじゃ売り物にはならねえよ」
野次馬の中の数人の復員兵のグループがうなずきあい、
「すげえケツアツだ」
と卑しいわらい声をあげあって恭子をのぞき込む。恭子も若い復員兵も大勢の目を集めて進退に窮した。
「あ、何するんだ……」
と叫んで復員兵グループが横に倒れた。野次馬たちを乱暴にかきわけ、見下すようににらみつけながら現れたのは、派手なアロハシャツの大きな矢之倉だった。
「おやじ、またか……」
「え?……」
老爺の目が卑屈にしぼんだ。
「芋をつぶせばイモ餡だ。ついでにもっとつぶして色つけてイモ餡にして売れ。ほら」
と百円札を1枚投げた。
「あ、これはどうも、いつも……」
老爺は最敬礼して、札をひろおうと野次馬たちの足元に身をかがめる。
矢之倉は恭子の手をとって、その野次馬たちを押しやってさっさと歩きだした。
「すみません。困っていたんです」
引っぱられて小走りになりながら恭子がいった。
「爺さんも文句はいえねえ。あそこは通路だ。ショバ代はらう金もないんだ」
「ああ……」
恭子にも、老爺がなぜ急に卑屈になったかがわかった。
「何してたんだ、あんなところで」
「あなたをさがして……」
「そうかぁ……もう来ないと思っていた」
「え?」
「いや……よく来てくれたな」
矢之倉は嬉しそうに白い歯を見せた。
「実は……」
仕事がほしくて、と恭子がいいかける前に、
「手伝ってほしい仕事がある」
矢之倉がいい、恭子はホッとした。もう会わないと冷たく決別をつげた相手に、どうやって頭を下げようかと迷っていたが、その手間ははぶけた。
「怒らせた穴埋めをさせてほしかった」
いたずらっぽくやさしい目で見られて、恭子は思わずにっこりしていた。あの時からずっと私のことを考えてくれていたらしい──胸に歓びがひろがった。
「西口だ」
「はい……」
恭子は、どこか別人のようになった矢之倉がうれしくて、いそいそと彼の後を追った。追いながら、
(キクさんのようなことが自分にできるだろうか……)
やはり不安はあって、つぶやくように、
「私にできるような仕事でしょうか」
「怖がっていたらなにもできないさ」
サラッといった矢之倉のうしろ肩を見あげて、それはそうだ、何がなんでもやろうと決めた。袋張りではとても真弓の空腹を満たすことは出来ない。誠一に安定した量の乳をあたえられない。その日暮らしから早く抜け出したい。
捨てられていた赤子、大家夫人の子育てが頭を埋めている。姑の蚊帳を買いもどさなければならない。捨て身になろう。
「お宅から近いところで働いてもらうほうがいいと思っていたんだ」
この言葉も恭子を温かく包みこんだ。
ガードをくぐって西口にもどり、矢之倉がまっすぐ入っていった幅一間ほどしかない通路の両側は建築中の連鎖マーケットで、迷路のようだった。
建材が運び込まれるのと競うように、どんどん新しい借手が商品や店の造作の材料などをはこび込んでいる。電気をひく工事もしている。釘打つ音、鉋かんなの音もはげしい。
完成直前の店で早々と営業を始めている甘酒屋の前には人がたかって、この暑さの中で汗をかき、熱いのをふうふう吹きながらすすっている。客や浮浪者、酔っぱらいなどで混みあい、人にぶつからずに歩くのが困難だ。
そんな中に、はだか電球を一つぶらさげた一坪の完成した店に行き着いた。
表は2枚の戸板で閉める造りだが、その戸板をはずしてミカン箱の上に横たえて商品台にし、古着が雑然と山積みにしてある。ほとんど店面積いっぱいの商品だ。
むかって左側がわずかにあいて奥への通路になっていて、そこで小さくなって坐っていた男が矢之倉を見て、ふわりと立ち上がった。
「ああ……」
アゴを突き出した青い顔は、あの買出し電車で一緒になった二等兵、飛田だった。
「何がああだ。不景気なツラさらして野良犬のように坐ってたんじゃ、客は買う気にならねえ。お前はクビだ」
「え?」
飛田がますます卑屈に顔をゆがませながら、ああと恭子にも頭をさげた。
「この店をやってくれ」
矢之倉が恭子にいった。
「え? いえ、それではこのかたが……」
恭子は困った。飛田から仕事を奪うのは本意でない。
「こいつはこいつに合った所へ今から連れていく。だからちょっと店番していてくれ。すぐもどる」
「今からですか?」
あまりにも大雑把な矢之倉のいいかたに、恭子はあわてた。
「値段はみな品物につけてある。こいつでもできた仕事だ。じゃたのむ。おい」
矢之倉は飛田をうながしてさっさと歩き始めた。
「はい。あ、これ店の鍵です」
飛田はポケットから出した鍵を恭子に手渡した。
「え? あの、鍵なんてまだ……」
恭子はあわてたが、飛田は矢之倉を追いかけて行ってしまった。
すぐにも客がくるかもしれない。いそいで陳列されている古着類を二、三手にとって見た。たしかにむずかしい仕事ではないようだ。これからやっていくためには一刻も早く慣れなくてはならない。あれこれ値段を確認した。
値札は<観世縒りかんぜより(細長く切った和紙の片方に縒りをかけて紐状にしたもの)>に筆字で値段を書き、洋服のボタンやズボンのベルトホルダーなどにむすびつけてある。その金額で売ればいいとわかる。
何人かの客が品物を手にとり、値札を見てあきらめて行く。
その度に恭子はどきどきした。村長さんのお嬢さんとして女学校を卒業して家で花嫁修行をし、社会人としての経験などまったくないまま首藤家へ嫁いだ彼女だ。女学校は当時としては高学歴といえたし、恭子の育てられかたは深窓の令嬢といっても過言ではない。人に物を売ったことなどない。どう対処しようかと心の準備をいそいだ。
ふらふら近づいてきた老人が恭子の顔を見て立ちどまり、古着の山の中から軍服をつかみあげた。浮浪者だ。持ち逃げされてはいけないから、恭子は立ち上がって店の前へ出た。
「おい、これ、いくらにまける」
男がいった。
「え? いえ、ダメです。私はちょっと店番をたのまれただけですから」
「まけろっていってるんだよ」
老人はおどしにかかった。目がすわっている。ポン中(ヒロポン中毒)特有の顔だ。
「困ります」
「なんだとォ?」
男が凄んで恭子に顔を近づけた。恭子は恐怖をおぼえて後退したが、店の奥は狭い行き止まりである。男は恭子を追い詰めてきた。大声をあげようか、それとも黒江刑事のときのように攻撃しようか一瞬ためらった。
ななめ向かいの、戸板を半分しか開けていない店から若い復員兵が出てきた。子どもっぽい顔つきだが、体格はいい。
「まけられないって、いってるじゃないか」
ときびしい調子でいいながら浮浪者の後ろに立った。浮浪者はふり向いて彼を見てから、
「ちぇッ……」
ブツブツいいながら去っていった。
「ありがとうございました」
恭子はホッとして復員兵に頭をさげた。
「いえ、当然のことですよ」
復員兵は赤くなって頭をかいてから、あれッ? という顔で恭子を盗み見た。
「こちらでお店を?」
恭子が訊ねた。
「はい、昨日からここで……今材料をはこんできたんです。いいところへ来ましたね」
「本当。助かりましたわ」
答えてから、恭子は復員兵の怪訝顔に気づき、じっと見返して、
「あの、ひょっとして……」
「はい。いつぞや、川越駅で……」
電車に乗ろうとする恭子を後押ししてくれた純朴そうな若者だった。
「思い出しました。あの時はありがとうございました」
恭子は礼をいいたくて探したが見つからず、心残りだったことを話した。
「は。あの時自分、乗れませんでした」
復員兵はニコッと笑顔を見せて頭をかいた。
「まあ、私を押して下さったために……」
「いえ、気になさらないでください」
「それは申し訳ないことを……あの、何のご商売をおはじめになるの?」
「タイコ焼き屋です。お姉さんもここで?」
口のききかたにもまだ子どもっぽさが残っている。
「ええ、ごらんの通りで……よかったわ。お仲間ができて」
「はい、そうですか、先輩ですか」
「いえいえ先輩だなんて……」
「よろしくお願いします」
ペコリと嬉しそうに頭をさげ、
「あ、自分、磯海いそがいといいます」
「首藤です。こちらこそ……」
通路の先方で騒々しい声がおこった。
「何かしら……」
恭子がいい、磯海が背伸びをした。
騒ぎは近づき、通行人が逃げてきて道があいた。5、6人の愚連隊が、道の両側の店の品物を台ごとひっくり返しているのが見えた。手当たり次第投げつけ踏みつけて、品物をかばおうとする男や女たちを殴りとばし突きとばしながらこっちへやってくる。特定の店ではなく、片っ端から荒らしている。
「どうしたのかしら?」
恭子が訊いたが磯海もわからない。彼はあわてて自分の店の戸板をしめて鍵をかけた。
だが恭子の店はそうはいかない。戸板をはずしてそれを商品台にしているのだから間に合わない。
やってきた先頭の愚連隊に、隣のおでん屋の老爺が訊いた。
「どうしたんですか。何でそんなことするんですか」
「うるせえッ、こんなマーケット目ざわりなんだよ」
「そんな無茶な……」
「無茶だあ? この野郎!」
おでん屋がなぐられてふっ飛んだ。後から来た愚連隊がおでん鍋を道にぶちまけた。
次は恭子の番だった。台ごと前の道にひっくり返されて古着類がおでんの上に落ち、それを愚連隊たちが踏みつける。恭子はもちろん磯海も唖然となって逃げ腰で見守るだけだった。
前を通りすぎて行ったその愚連隊たちを見送って、恭子は磯海とともに踏みつけられた古着類に目を落として、どう手をつけようかと迷っていた。
愚連隊が去った方角でも騒ぎがつづいていたが、その内彼らが大声あげてわめきながら逆にひき返して来て、古着類の上に倒れこんだ。
追ってきて彼らの前に仁王立ちで現れたのは矢之倉だった。
「なんだこの野郎!」
愚連隊の一人が叫んだ。
「ひとの商品を台無しにしておいて、なんだとはなんだ」
矢之倉の声は落ちついていた。
「この野郎!」
とびかかった愚連隊の腕を矢之倉は簡単にひねりあげて、愚連隊が悲鳴をあげた。
「待て……」
愚連隊の中から男が一人前へ出た。かしら分らしい。
「ここで商売しているのか」
坊主頭で額に向こう傷があり、首のふといガッシリした体つきの男だ。
「そうだ。お前らが踏んづけているのを、元通りにしてもらおうか」
と矢之倉がおさえつける調子でいった。男は睨みかえし、
「よし。ナシ(話)をつけようじゃねぇか。ついてこい」
背中をむけ、手下たちが矢之倉をかこんだ。ついて行こうとする矢之倉に、
「やめて! 行かないで」
恭子が叫んだが、矢之倉は静かに恭子をとどめておいて男のあとにつづいた。
一番うしろの手下が、
「手前ら、サツにタレ込んだ奴は生かしちゃおかねえからな」
とまわりの連中ににらみをきかせ、いきなり恭子の腕をつかんだ。
磯海も心配したが見送るしかなく、恭子はひっぱられていった。右手に曲がった通路をぬけると、そこは広い焼跡だった。
「名をいえ」
かしら分がいった。
「そっちが先に名乗れ」
と矢之倉がきりかえした。
「羽太はぶとだ。わけあって今は組の名はいえねえ」
「矢之倉だ。ここの親分には上納金を払っている」
上納金とは、この闇市で出店するための入会金と3カ月分前納の会費のことで、ゴミ銭とかショバ代といわれる1日1円の場代に、東京都道路占有税、直接税、間接税などで、それは東京露天商同業組合に納めたのだが、当時その組合長や支部長などをつとめていたのは愚連隊の親分で、親分はそのほかに各店から売上の2~5割をピンハネしていた。警察は親分の行為を黙認するどころか、治安の維持を実力のある彼らにゆだねるほど弱体だったので、へつらうようにして応援するしかなかった。
「俺たちはそんな親分は認めねえのよ」
いいざま、羽太はふところから出した刃渡り30センチのドスをひき抜いた。
このころ新宿は小津組、渋谷は安藤組など大物の親分が支配したが、池袋西口の場合は群雄が割拠しで血なまぐさい縄張り争いをくり返していた。
恭子は体の震えをおさえられず、闇市から裏の焼跡への出口のところで、愚連隊の一人に腕をつかまれたまましゃがみ込んだ。
恭子の手をつかんでいた愚連隊も、その手をはなして胸をはりながら矢之倉を取り囲むグループに加わって行く。
つづく
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4 血は燃ゆる (2) || 池袋ぐれんの恋
( 2 )
終戦からひとめぐり目の夏が来た。秋の米の収穫までに餓死者1000万人と渋沢敬三蔵相が予言した東京大飢餓の年である。
焼け跡の路傍には、早くも戦前と同じほどの数の夜店が復活していた。大流行した並木路子の「リンゴの唄」<♪リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ>の替え歌<♪金魚高いや高いや金魚>が流行ったのも夜店の金魚売りからで、店や品物は同じでも、何もかもがびっくりするほど高値になった。
東京の一人1日あたりの配給は、黒い一分づきの米2合5勺(約300グラム)の主食(ただし米ではなく代用の小麦粉・サツマイモ、大豆など)で、野菜は75グラム、タンパク源は、4日に1度いわし1尾あれば上々。砂糖・肉・バターなどはぜいたく品とされてゼロ。1日1200カロリー未満だから、体重50キロの男性が横になってじっとしているのが精一杯のエネルギーで、現代なら小学生でも耐えられない。
しかも7月末の豊島区の遅配は平均217日だったのだから死ねというに等しく、餓死者が続出していた。池袋の道々には萎縮型栄養失調による貧血、体重の減少、むくみ、病害への抵抗力低下をきたした人がうろつき、行き倒れ寸前状態の歩行者はざらに見られたし、出歩けば疲れるから防空壕の中でじっと寝ている人が多かった。
海や川が近ければ釣りにも行けよう。山があれば自然の恵みを採集することも出来よう。池袋ではなす術がない。
この朝、恭子も起き上がるのが億劫なほど体が動かなかった。腹と背中がくっつくかと思うような空腹だった。食べるものは昼までしかないのだが、不思議と飢えに対する恐怖心は鈍っていた。あせっても無駄──という諦めだった。
庭で作っている菜園は、トマト、ナス、キューリ、トーモロコシなど、手をかけて育てたのだが、ろくに実らぬうちに盗まれてしまい、骨折り損のくたびれ儲けだった。塀も垣根もないのだから防ぎようがないし、夜、未成熟のトーモロコシをもぎ取る男を見かけた時も、とがめれば乱暴されると思うと声もたてられなかった。水をやる気力もおとろえた。
元気者の真弓もここ数日ぐったりして、昨日は一日中こんこんと眠っていた。すいとんを作ってから真弓を起こし、蚊帳をたたんで二人で食べた。すいとんは鍋に入れた水に塩だけで味付けをし、水でといた小麦粉を餃子程度の大きさにちぎって落としたものが3つずつしかなかったが、丼いっぱいの汁で腹を満たした。弱々しく乳を吸う誠一に時間をかけてから、抱いて姑の防空壕へ向かった。
「おばあちゃん、おはようございます。起きていらっしゃいますか?」
と声をかけたが、答えがない。
「失礼します」
とムシロをはぐると、蚊帳の中で浴衣1枚の寝間着の粂子が横になったまま団扇を使いながら、トロンとした目でまぶしげにこっちを見ていた。
「すみません。ちょっと内職を届けに行きたいんですが……」
というと、かなり衰弱した様子だが、横になったまま誠一を抱き取ってくれた。
内職の茶袋張りの仕上がった袋を風呂敷に包み、下駄をつっかけて家を出たのはそろそろ暑くなりはじめた10時ごろだった。毎日の習慣通り友美の家の焼跡に手を合わせると、
「江戸っ子はさつきの鯉のふきながし、腹の中は空っぽなんだから」
カラカラわらっていた友美の顔が浮かんだ。お人好しでよく喋るが悪気のない、それでいて頭の回転のはやい、世話焼きで親切な人だった。その友美が先日フッと夢にあらわれた。
「恭子さん、岳士をよろしくお願いね」
と拝むようにしていっただけで消えてしまったのが気になる。岳士ちゃんは生きているのだろうか。内職の仕事はその友美の紹介で、岳士の幼稚園時代の友人の母親、これも戦争未亡人の五十嵐夫人の家でもらっていた。
夫人の家には戦争未亡人たちが内職を求めて集まり、かげではしっかり者で計算の細かい彼女を<ガラ子>と呼んでいた。袋張りは1枚15銭、100枚で15円というわずかな手間賃で、夕べは遅くまでやって200枚張った。その代金をもらわないと今夜食べるものは何もない。
立教大学の裏手にあるガラ子宅に近づくと、いつもの唄声が聞こえてきた。
♪ 花もつぼみの若桜 五尺の命ひっさげて
国の大事に殉ずるは 我ら学徒の面目ぞ
ああ紅くれないの血は燃ゆる
学徒動員の歌『ああ紅の血は燃ゆる』は日本人の大半が愛唱した軍歌の名曲で、学徒は学業を捨てて国のために死ぬのが名誉だと教える歌だった。哀調のこもった愛らしい幼女のような細い声で、音程がずれてテンポも妙に間のびしていた。
ガラ子宅は、粗末ながらも新築で、トタン屋根に板張りの家だった。玄関のガラス戸の前に立つと、暑いさかりだから2間きりの家は戸も窓もすべて開けっ放しで、襖の奥の4畳半に若い娘が横ずわりのシュミーズ姿で、窓によりかかってうつろな目を空にむけて歌っていた。
いつ来ても同じ場所で同じ姿勢で歌っている。竹久夢二の絵からぬけ出たような色白の美しい娘である。
「姪をひきとったの。ひとりぽっちなのよ。父親は赤紙、兄は学徒動員でどっちも戦死。母親……私の姉だけど、空襲で行方不明になってね……今年女学校5年生(今なら高校2年生の年)なんだけど、あんな風になっちゃって」
とガラ子から説明を受けていた。娘は人がきてもそ知らぬ顔で歌いつづけ、ガラ子もまるで気にしていないのだが、恭子は見るたびに胸がつまり、目尻に涙がにじむ。
ここにはさまざまな女が出入りするが、内職の仕事をもらいにきながら、ちゃっかりオナニー用具を売りつけるのがいる。
「男がまるでいなくなっちゃったんですものね。結構売れてるみたいよ」
とガラ子がいっていた。
恭子もその女からあんただって不自由してるんでしょといわれたことがあり、顔をあわせたくないので、用がすむとさっさと外へ出た。
途端にまぶしい光線にさらされて、目がくらんだ。用心して歩かないとヒザが折れてつんのめる。栄養失調がすすんだと自分でもわかる。仕事をとどけるときは夢中だったが、金をうけとって気がゆるんだのかもしれない。紺の浴衣地のモンペに上は配給の薄い白いスフのブラウスだが、強い陽射しをうけた額からは拭いても拭いても汗が吹き出る。
立教大学のキャンパス中央をまっすぐ表から裏まで縦断する並木道の木陰までくると、恭子はベンチに倒れこむようにして腰をおろした。周囲の焼け跡とは別世界の、ほっとするような涼感があった。
恭子たちが空襲で逃げ込んだ広いテニスコートも戦前と同じ姿だったが、空襲前ははげしかった蝉の声がこのときはなくて、ひっそりしていた。地下にいた蝉の幼虫も空襲で焼け死んだのだろうか。
静寂の中で、先刻の歌声がよみがえってきた。その唄を了典が仲間の学生たちと歌っていた姿もよみがえる。声まで聞こえる。腕をふり、明るく勇壮な歌いっぷりだ。学生たちはこの歌で士気を鼓舞されて紅くれないの血を燃やし、お国のために死ぬ気になった。
滅私奉公──自分を投げ出して国のために奉仕するという使命感を抱き、軍靴の足なみをそろえて戦場へおもむいた。将来を夢見る青少年が死にたいはずはないと恭子は思う。学校教育が、これからどんな色にでも染まるであろう純白を、熱狂的な紅に染めたのだと。
この歌は平和をのぞむ恭子をも陶酔させ、感涙をさそう。歌は人を酔わせるすばらしい力も怖ろしい力も秘めている。それが彼女は憎い。憎いから、いつも弟に語りかける。
『了典、どうして死ななければならなかったの?
誰のために死んだの?
誰かがありがとうといってくれましたか?
御国のために役立ったとおもいますか?
御国がごくろうさんといってくれましたか?
誰もがしらん顔しているなんてあんまりよ。姉さんはくやしい』
学徒は92校から動員されたが、何人が戦地へ行ったか、何人が死んだかの記録はない。国のためと信じて銃をかつぎ、悲壮な思いで死地へおもむいた純真な彼らを、国はもう少し大事にあつかうべきだった。生きていれば別なかたちで国家に貢献したであろう有能な若者たちを、大量に無駄使いした者たちの罪は大きい。
真弓が腹をすかして待っている、と思いなおし、自分をふるいたたせて立ち上がった。
立教通りを横切ってむかいの道にはいると、両側の焼跡に密生した雑草が人間のたけほどに伸びていて、ムッと熱い草いきれが体をつつんできた。
アスファルトが破壊された道は乾いて、風がなくても歩けば埃があがる。しばらく歩いたところで、とうとう座り込んだ。人通りはなかったが、もしあったとしても誰もふり向かない。体力低下のため道端にしゃがんで休憩する人は町なかでもよく見かけるからだ。しばらくうつむいて呼吸をととのえてから顔をあげた時、思いもよらぬ子どもたちの元気なはしゃぎ声が聞こえた。
立ち上がって草の間からのぞき見ると、池袋第5国民学校の焼け跡のプール(現・立教大学セントポールプラザの敷地)で子どもたちが騒いでいた。
校舎は焼けても25メートルプールはそのままの形で、管理する人間もいないらしく、雨水が流れこんで濃いみどり色ににごった水がたまっている。そんな不衛生なプールに痩せこけた小中学生たちが群がっていた。空腹も忘れてとび込んだりもぐったりしている。
(ひょっとして岳士ちゃんが……)
恭子はいるはずもない隣家の少年を目でさがし、一歩草むらの中へ足を入れた。 その途端、異様な悪臭が鼻を襲った。足元を見ると、赤ん坊の腐乱した死体があった。顔をそむけると、うしろの道の向こうの焼け跡に土蔵があった。戦災にあった江戸川乱歩邸は、その土蔵だけが残っていた。
「あの蔵の二階で、江戸川乱歩はローソク1本立ててそのむこう側に骸骨を置いて、怪人二十面相を書いたんだって……」
どこで聞いてきたのか岳士ちゃんがいうのを聞いてから、恭子はこの道を通るのがなんとなく気味わるかった。早々に立ち去ろうと道に出た時、歩いてきた人とばったり顔があって思わず声をかけてしまった。
「あら大家さんの奥さん……」
中年の女性が足をとめた。
大家の若原夫人は、知らん顔して行きすぎたかったらしいが、しかたなく、
「まあ、おひさしぶり……お元気?」
上品な物腰でいってから、卑屈そうに目をおとした。
「はい。あの……もうしわけありません」
恭子は深々と頭をさげた。空襲以来、家賃をはらっていない心苦しさがあった。家は焼けても地代を払わなければならない。
「いえ、いいんですのよ。じゃ……」
夫人は逃げるように行く。
「がんばってくださいね」
恭子が声をかけると、夫人は涙を浮かべて立ち止まり、ありがとうと小さくいって弁解するように、
「区役所が立教中学に移ったと聞いて行ったら、6月にまた引っ越したとかで……本当は昼間は外へ出たくないんですけど……」
「そんな……私、ご立派だと思っています。ホント。心の底から」
恭子は一緒に歩きながら、誠意を伝えてはげましたかった。
「ありがとう。なさけないことになったわね」
夫人はいいながら手で顔をおおい、頭をさげながら道を右折して行った。
新婚時代から、恭子は周囲の人々にたすけられてきた。友美やメンソラのおばさんがことに世話焼きだったが、ちょっとむずかしい相談事があると大家夫婦をたよった。秀雄が出征する時もみんなが一緒に見送ってくれた。
職業軍人だった夫が戦死し、家作はすべて焼けて家賃がはいらず、といって防空壕生活する店子たちから地代を徴収する非情さは持ち合わさず、夫人は内職につかれ、闇成り金の愛人になって子どもを大学へ通わせている。団子のような丸い鼻の下にちょび髭をはやした闇成り金がそのことを得意気にいいふらすため、もっぱらの噂であることを夫人はわかっていて、世間を狭くわたっている。
罹災した豊島区役所は立教中学に仮住いしていたが、池袋病院と関東配電出張所の焼け跡へ移転したと、恭子も聞いていた。これから東口まで行けば、戦前から顔のひろい夫人は何人もの知り合いに出会うだろう。つらいことだろう。うしろ姿へ頭をさげながら恭子は胸がつまった。
(空襲前は恵まれたご家庭だったのに……)
弱い立場の人々はみな、持って行き場のない憤懣に、さまざまな紅の血を燃やしていた。
大通りへ出たところに豊島マーケットという新しい闇市が建てられていた。そこでジャガイモを3個買った。1個を姑に届けようと思った。ところが家へ帰り着くと、粂子の防空壕の入り口の階段に腰掛けて、真弓がなんと茶碗の銀シャリにタクワンを載せたのを食べていた。
防空壕の中をのぞくと、粂子が誠一を抱いてつぶした粥を飲ませている。
「ああお帰り、あなたも召し上がれ」
「おばあちゃん、一体……」
「ううん、子どもたちがまいっとるもんでね、私のを売ってきたんよ」
「おばあちゃんが?」
買い出しになど行ったことのない人である。闇市へでも行ったのかと訊こうするのへ、
「まあええでしょうが。あなたもおなかすいたろう?」
粂子が茶碗に銀めしを盛った上にタクワンを一切れのせてさしだした。
「あ、ありがとうございます」
何を売ったのだろう。衣裳持ちの人だから、ま、たまにはいいかと、内職の材料を脇に抱え、茶碗を受け取って自分の防空壕へ入った。銀シャリはもちろんタクワンも涙がでるほどおいしかった。真弓も元気づいてホッとしたのだが、その夜寝ていると、外でピシャッ、ピシャッという怪しげな音に気づいて目覚めた。
そっとのぞくと、粂子の防空壕の前に人影があった。ギョッとなってよく見ると、粂子がリンゴ箱に腰掛けて団扇を使っている。団扇では追い切れず、足にたかった蚊をたたいている。
「おばあちゃん、どうなさったんですか、こんな真夜中に……」
と恭子が出て行くと、
「ああ、暑くて寝苦しいもんだから……」
「ああ……でもおやすみにならないと、お体に……」
「はいはい、わかってますわかってます。あなたもおやすみ」
「はい……じゃ、早くおやすみくださいね」
恭子は心を残しながら自分の防空壕へ入り、入り口からこっそりのぞいて見ていると、粂子は立って防空壕に入ったが、戸板をぴったり閉めた。暑くて寝苦しいといっていた人が、戸板を閉め切ったのを異様に感じた。
恭子はいつも入り口にはムシロをさげただけで、風が入るようにしている。粂子もそうしていたはずである。寝ようとして、蚊帳をはぐって入りながら、恭子は首をかしげた。
翌早朝、目覚めにまた蚊をたたく音を聞いてハッと思い当たって、防空壕から出てみた。
「おばあちゃん……」
思わず大きな声を出していた。粂子が夜中と同じようにみかん箱の前で団扇を使っている。
「ああ、おはようさん……」
と粂子が顔をあげた。
「おばあちゃん、もしかして……蚊帳をお売りになったんじゃないでしょうね」
「え? ああ……」
と粂子は微笑でごまかした。
「そうなんですね?」
「ふふふ……」
鷹揚にわらった。
「なんということを……」
恭子はあきれた。防空壕はせまいし入り口が一つだけだから風が通らない。蒸し暑く、蚊帳があっても蚊は隙間から入ってくる。
「いくらでお売りになったんですか」
「いいじゃないですか……」
恭子は涙が吹き出した。
「子どもたちのために、申し訳ありません。私がふがいないもんで……どこでお売りになったんですか?」
粂子はだまりこんだ。
「おばあちゃん!」
「やめてください」
粂子はきつい表情になった。
「私の考えでやったことです。放っておいてください」
「そうはいきません」
もう粂子は口を開こうとはしないで脇を向いた。
「わかりました。では今夜から私たちの蚊帳でおやすみいただきます。後で持ってまいりますから」
「いりません。うちの孫を……粗末にしないでください」
厳しい顔でいわれ、恭子は絶句した。
明治26年生まれの女の凝り固まった考えでは、誠一は恭子の子というより大事な首藤家の跡取りだった。男女同権、兄弟同権の平成の人々には理解できないことだが、恭子は大正11年生まれだけに、それがわかる教育を受けていた。
幼いころから、両親は了典を増田家の相続人として恭子や桃子とは別扱いにしてきた。食事は台所のとなりの小座敷で母の給仕で父と了典がすませ、そのあとで母と恭子と桃子が台所の板の間でとった。それを不満と思うこともあったが、当然のことなのだと教えられ、納得もしていた。
だから粂子の言葉は胸に落ちた。家も財産も失った首藤家を建て直すのは相続人の誠一と思うゆえの、祖母の自己犠牲だった。それが当たり前と考える老人に何をいっても始まらない。世の中がガラッと変わっても、人間はそう簡単には変われない。
ジャガイモを蒸かして粂子にも運んでおいてから真弓とふたりで食べると、恭子は覚悟をきめて、宮古上布のモンペをとりだした。モンペにつぶすにはためらわれた高価な夏物だが、もう着物を着るような時代はこないと思って縫いかえたのだった。
このところ顔を見せないだけに桃子のことも無性に心配だった。悲しい思いに耐えているのが哀れだった。金のために犠牲にさせるなど、姉としてなさけなかった。了典や両親亡きあと、自分が妹の面倒をみなければならない。桃子は仕送りが絶えて大学を中退したのだろうか。中元寺家で肩身の狭い思いをしているのだろうか。生活のために身を落としたにちがいない。追い立てられる思いだったのが、粂子の行為で火をつけられた。
(私にも私の考えがあります)
恭子にも意地があった。いや務めがある。子の幸せを願う大家夫人の捨て身の行動に複雑な感銘をうけながら、今や一家の大黒柱として、自分が果たすべきは何か。捨て身になろう。心の乱れを整理し、東口へ行って矢之倉をさがすことにした。しるこ屋だとキクはいっていた。なりゆきを予想して、下着も新しいものに着替えていた。
つづく
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4 血は燃ゆる (1) || 池袋ぐれんの恋
4 血は燃ゆる
( 1 )
朝からこぬか雨が降ったりやんだりして、そろそろ昭和21年の梅雨が明けようとしていた。
隣も向かいも家々の境もわからず、ところどころに防空壕や小さな焼けトタンの小屋がある中に、ポツン、ポツンと安普請の新築の家が建ち始めているが、まだはるか遠くまでが見渡せる。
その日、恭子は昼から防空壕の入口近くにすわって霧雨の空を見上げ、かつての庭のあとに目をやり、時折ため息をつきながら針仕事をしていた。夫の古いYシャツをつぶして真弓の夏物のワンピースに仕立てている。
春は桜が散ると山吹が黄金色の花を咲かせた。山椒が芽吹いた。木の芽和えがその季節のたのしみだった。やがてツツジが、サツキが花を咲かせ、藤の清楚な花房がさがり、ビワの実が色づく。ユスラウメの実が真っ赤に熟し、ツバメが巣作りをはじめる。鬱陶しい梅雨にうたれたアジサイが、そしてアヤメが風情をかもし、当時の東京の民家ではありふれた造りの素朴な板塀に囲まれた小さな庭を見ているだけで、心はなやいだのだった。
そのささやかな楽しみのすべてが空襲で失われた──と思っていた。
花が好きな恭子にとってはあまりにも味気ない庭、というより整理も投げ出された形の70坪たらずの殺風景な汚らしい塀のない敷地の焼跡だった。家が焼けて灰や炭になったところへ雨が降るから、庭土は黒くきたなく変色している。落ちた釘が錆びて土に浮き出て茶色くなった部分もある。焼け残った木片が雨水を吸い、それに陽があたると陽炎を立ちのぼらせ、いまだに焦げたにおいをはこんでくる。
だが、そんな死んだような地面の底からも、新たな生命が芽生え始めていた。
変色した庭土から最初に芽を出したのは山吹だった。根をはって、いくらでもはびこるたくましい植物だから、出ている部分を焼かれても負けなかったのだろう。その中に1本だけユスラウメがあった。新芽は山吹そっくりだったが、葉が大きくなるにつれて違いがはっきりしてきた。つぎにあじさいが顔を出したが、桜やサツキ、ツツジは出てこなかった。
それに勢いを得て、雑草を丹念に抜いて耕し、矢之倉がくれた種を蒔いた。小松菜と赤蕪が発芽して双葉をあらわした時は、姑、真弓と三人で手を打って喜んだ。
気をよくして5月にはトマト、キュウリ、ナスの苗を植え、ふだん草、トウモロコシ、豆など、安く手にはいる夜店で種や苗を買ってきて、その都度焼跡に鍬を入れた。荷馬車の馬や牛が道にたれ流した糞をひろってきて干して肥料にし、家庭菜園はけっこう収穫をあげそうだった。
焼跡はそれにこたえるには適度の耕作面積を提供してくれて、貧しいながらもさまざまな苗がバラエティー豊かな希望をもたらしてくれた。
毎日のように米、魚、野菜などの配給の列にならぶ。買い出しにも出かけなければならない。内職もある。着るものも乏しいから繕い物などにも追われる。菜園の水やりだけが明るい希望をもてるたのしい日課といえた。
両親や弟の眠る先祖の墓まいりをしたいのは山々だが、時間的にも経済的にもそれはとてもかなえられない夢だった。まさに「ふるさとは遠きにありて思うもの」で、女は嫁いだらその家の人間であり、「里帰り」という言葉はあっても、裕福でない家庭では生涯一度も実家へ帰らなかった者が珍しくない。恭子には里帰りする家も家族もない。親戚や親しかった人たちも戦災にあって亡くなったり消息がしれないと聞いている。そこに懐かしい顔たちがいてこそ故郷であり、会いたいからこそ恋しいのだ。山や海だけを見たら悲しすぎる。
現代とちがって、同級生との付き合いも婚家に遠慮してひかえがちな時代だった。とにかく嫁の立場は弱かった。恭子が住所をメモしていた女学校の同級生の名は3人だが、そのノートは空襲で失った。田舎のことだからおぼえている村名だけでも届くはずだが、相手からも手紙は来ない。手紙に書いて送りたい内容もない。
どっちをむいても断絶、断絶……さびしくむなしい空ばかりだが、嬉しいこともあった。恭子の家の裏手の麦畑のわきに3軒長屋があって、すべて焼けたのだが、その1軒に山村さんという家があり、中年の女性が住んでいた。<メンソラの山村さん>と呼ばれるその人が疎開先から帰って来たのである。首藤家よりはずっと古くからここに住んでいて、新しい住人である恭子や友美を買い出しに連れて行ってくれた人だった。
「恭子さん、ただ今……」
と、持ち前の明るい甲高い声をかけられたときは、恭子の体内をゾクッとするほどの喜びが走った。
「ああおばさん!」
と振り向いて,思わず走り寄り、手を取って涙ぐんだ。
「大変なことになってたのねぇ池袋は……」
「ええ、お宅も……」
と恭子は跡形もなくなった3軒長屋のほうを見た。
「見たわよ。どうせウチなんかはオンボロ長屋だったんだけど……友美さんもお元気?」
と田林家の防空壕に目を移した。
恭子もその方を見たが、新たな涙があふれてきて、口を強くむすんで首を振った。
「えっ、じゃあ……」
おばさんに見つめられて、恭子はうなずいた。
「亡くなったの?」
恭子がもう一度うなずくと、おばさんは目を大きくして、
「じゃ、岳士ちぁんも……」
恭子はうつむいた。
「まぁ……」
おばさんはしばらく絶句してから、急に恭子の手をとって自分の胸に抱きしめ、
「恭子さん、がんばりましょうね」
恭子は大きくうなずいた。
「うれしい、おばさんが帰ってきてくださって」
と、あいたほうの手でおばさんの肩へ泣きついた。
「大丈夫よ。何とかなるものよ。お祈りしましょうよ、きっと救われるから」
「はい……」
おばさんはクリスチャンだった。信念を持っているのがたのもしかった。
「よかった……お帰りなさいおばさん」
あらためて頭をさげた。名前で呼んでくれるおばさんは、肉親のおばのようだった。友美のほかの隣人はみな、首藤さんとか奥さんと呼ぶのがこのころの池袋だった。
おばさんは早速恭子の畑に目を留めてほめてくれた。
「まあ、すばらしいじゃないですか……トマトね。そっちはナス、キューリ……練馬大根の畑は昔は練馬だけではなく長崎、池袋、巣鴨のほうまでひろがっていたそうですから、もともとこのあたりの土地は肥沃だったんですよ。お宅の家も建つ前は麦畑だったし……」
と説明してくれた。
メンソラという家庭薬を売りながら出征した一人息子の復員を待っているおばさんは、首藤家の菜園のファンになってあれこれとアドバイスしてくれるだけではなく、焼けたトタンや木切れなどを拾い集めてきて、すまいのための小屋を作り始めた。恭子にはこんな嬉しいことはなかった。
矢之倉はあれきり姿を現さない。あの土蔵を出てどこへ行ったのか、MPに捕らえられたかと気にはなるが、キクのところへ行って聞きたいという思いはおさえた。むろんキクとも会っていない。
もうかかわりあいにはなるまいと心に決めていたのに、おかしな夢を見たからといって、発作的に矢之倉の土蔵へ出かけて行くなど、なぜあんな異常な心境になったのか自分でもよくわからない。去年暮れの雪の日、買い出し帰りに熊野神社前でカンボイに出あった記憶が強烈だったのはたしかだが、なぜその夢の場に矢之倉が登場したのか。
(ただの他愛ない夢……何の根拠もない)
と忘れようとするのだが、どうも心に引っかかるし、その後彼がどうしているかという思いは胸を去らない。
陽がかたむきかけて手許が暗くなったので、そろそろワンピース作りを切り上げようかと思っていたときだった。
パタパタと真弓がかけてきた。ズック靴の底がはがれて音をたてている。配給の粗悪な合成ゴムの靴底はすぐ割れた。子どもが野球に使うゴムボールもぬれると溶けて穴があくという、ゴムもお粗末な時代だった。
「兵隊さんのお父ちゃん?」
真弓は階段の上にたちどまって、キョトンとした顔で訊く。
何のことかとのびあがり、真弓がふりかえったほうを見やった恭子の目に、前の道路でキョロキョロしている復員兵のうしろ姿がとびこんだ。真弓には、お父さんは兵隊さんだと教えてあるが、出征したときはまだ物心ついていなかったから父の顔をおぼえていない。
復員兵は、たたんだ毛布をふくらんだリュックの上に頭より高くのせ、両肩からタスキがけにしたズックのカバンと水筒、手にはボロボロの革のトランクと風呂敷包など、小山のような荷を身につけている。町でざらに見かける復員してきたばかりの姿である。
背格好も似ている。恭子が待ちこがれた姿だった。手のものを投げ出し、下駄をはくのも忘れて素足のまま夢中で地上へかけあがっていた。
「あなた……」
叫んだつもりが、喉にはりついて声にならない。雨水が壕内に流れこまないよう、入り口の周囲にひくい土手をつくってある。その土手につまずいて転倒しかけながらも、目は復員兵からはなさなかった。
が、つぎの瞬間、恭子は気が抜けたように膝から落ちて、その場にすわりこんだ。
こっちを向いて目が合った復員兵は、顔中濃い髭におおわれて、夫の秀雄とは似ても似つかぬごつい顔だった。
真弓がびっくりして二人を見くらべている。
背格好は壕内の低い位置から見たための錯覚だった。秀雄より大きい。第一秀雄ならいくら焼き払われたとはいえ道はわかっているのだから、キョロキョロしないで自分の家へ直行するはずだ。そんなことにも思いいたらぬほど動転していた。
一度門柱がわりに棒杭を立てて板切れに<首藤>と書いて取りつけたが、棒杭はその日の内に持ち去られた。どうせ燃料か家の補修用に持ち去られるのだからと、それからは柱も表札も出していない。
遠慮しながら首をのばして近づいてきた男は、軍隊式の挙手の礼ではなく、戦闘帽を取り、頭をさげて丁寧に訊ねた。
「こちら、首藤さんのお宅でしょうか」
「はい……」
恭子は膝の汚れを払いながら立って姿勢をただし、
「さようでございますが……」
「自分、合田得太郎と申します。増田了典りょうすけ少尉の戦友です」
「あ……」
合田得太郎という名にはおぼえがある。つい先日村役場を通じて広島県庁から送られてきた弟了典戦死の一報だった。
『……比島より馬来へ転進の途中、昭和19年10月18日午後10時10分パラワン島西方海上にて敵魚雷を受けて沈没。生存者1名、合田得太郎復員……』
つまり合田得太郎一人が復員したがそのほかは全員戦死したという報せで、それは恭子を打ちのめした。夫のつぎにたよりに思っていた弟だった。
「わたくし、了典の姉でございます」
ひょっとして何かいい報せかと、はかない望みを抱いた。遺骨の骨壺の中には1枚の紙切れが入っていただけなので、死を信じきれないでいた。
「はあ……」
合田はうつむいた。言葉が出ない。
「あの……」
恭子は催促した。
「はい。お届けしたいものがありまして……」
と、うなだれる合田に、
「……やはり、ダメだったんですね?」
「はい……申し上げにくいことなんですが、増田少尉は、確実に亡くなりました」
「カクジツ?」
恭子は問いなおした。
「フィリピンから、一昨年の夏葉書をくれましたけど……」
「はい。海没はその昭和19年の10月18日でした」
「カイボツ?」
聞きなれない言葉だった。
「米軍に攻撃されて後退し、フィリピンからマレー半島へうつる時でした。何百人もが土民の漁船に分乗して行ったんでありますが、敵魚雷の波状攻撃で船はすべて沈められて全員……恥ずかしながら、私一人だけが奇跡的に助かりまして……」
「漁船……弟は飛行機の整備だったはずですけど……」
「はい。その頃にはもう、友軍機は全滅していました。私はどうしたことか運よく島へ流れついたんですが、ほかはみな、私の見ている前で早い潮に運ばれて、あっという間に広い……鮫の多い海に流されまして……」
「鮫……」
恭子は身震いし、思わずしゃがみ込んで嗚咽をもらした。自分が鮫に襲われたような恐怖に包まれた。
「……失礼します」
合田は地面にリュックをおろして、内ポケットから大事そうに封筒を出した。
「これを……」
立ち上がる元気もなく受けとると、表にペン字で<父上様 母上様>とあって、その達筆はたしかに見覚えのある弟の手だった。封筒の端が、水でぬらしてから乾かしたように、よれよれになっていた。裏返すと了典の名もある。封を切って目を通した。
『合田得太郎中尉殿は小生の中隊の中隊長殿ですが、小生が最も敬愛し、ラグビーをやっていたという共通点もあって、親しくさせていただいている方です。おたがい命はないものと確信している昨今ですが、心残りは家族です。もしもどちらかが命をひろい、祖国へ帰ることができたなら、相手の家族をもわが家族と思って大事にしようと、固く誓いあいました。小生も中隊長殿がお書きになった同じ内容の文面を所持し、もし小生のみが生きて帰った時は、中隊長殿の夫人と結婚する約束です。ですからどうか、中尉殿を小生と思って頼ってくださいますよう……』
むさぼるようにそこまで読んできて、恭子は涙があふれて読みつづけることができなくなった。明るかった了典には似あわない文章で「夫人と結婚する約束」などとあきらかに異常だが、死を目前にした戦場なら、こんなふうに思いつめるものかもしれないと思った。
誰しも、国にのこした親や妻子が気がかりだったのは当然であろう。
了典は、出征以来何回か、陸軍の赤い星のマークと<軍事郵便>という印刷のある葉書をよこしたが、文章の調子はまるでちがっていた。<比島派遣翼第一五、三一五部隊 近藤隊増田了典>からの文章は、まずは一人称が小生ではなく小兵であり「相変わらず健在御奉公に精励致しております」「昼夜を分かたぬ訓練は依然続いてゐます。スコールの合間合間に友軍機が飛び立つ様を見ると闘魂の感深きものがあります」といった調子だった。文筆に親しんでいた了典らしくない、ただ健在を伝えるだけの葉書に思えていた。
軍隊の厳重な検閲の網の目をくぐって郷里へ送る葉書には、女々しい文章などは許されなかったのだとわかる。親友と託しあった手紙を、二人とも命がけでかくし持っていたのに違いない。
恭子は涙を拭って立ちあがり、深々と頭をさげた。
「ありがとうございました。戦友というより、上官でいらしたんですね?」
「軍隊をはなれれば、いい友人として一生親しくつきあえたはずです」
合田は力なくいって、リュックから一升入りぐらいの布袋を出した。
「これはおみやげがわりに……わずかですが、米です」
「まあ、とんでもないことでございますわ。そのような貴重なものを……」
恭子は遠慮した。復員軍人の持込み通貨は将校500円、下士官と軍属は200円と規制され、楽なはずないと知っていたからだ。すると合田はしゃがんでそれを真弓に持たせ、
「君が……真弓ちゃんだね?」
大きな目で見た。
「はい……」
名を呼ばれた真弓が驚いた目になると、合田は感慨ぶかげにその頭に手をおいた。
「増田少尉、よく君の話をしていたよ。逢いたかったと思う……」
「学生時代ここに下宿して……この子はまだ赤ん坊だったんですけど……」
恭子はまた涙があふれた。真弓のほうも、最初からいっぺんに好きになった、と後で恭子にいったほどで、他人とは思えないものを感じた様子だった。
合田はズックの鞄に手をいれ、メッキのはげた古ぼけたハーモニカをとりだした。
「これは増田少尉の形見だ」
と真弓に持たせ、この一本を増田少尉とかわるがわる毎日のように吹いていたと説明した。
「増田少尉はハーモニカ上手だったよ」
「どういうの? ねえ吹いて」
真弓がハーモニカをさし出すと、合田は柄にもなく、髭の中の顔をちょっとはにかませてから口にもっていった。
吹き始めたのは、もっともポピュラーな古い子守唄だった。哀調をおびたメロディーは、恭子をいっきに平和だった時代へとひきもどした。ついて小さく口ずさむと、郷里福山のなつかしい景色がよみがえる。山にしずむ夕陽が大きく真っ赤に燃えていた。父や母が歌ってくれた歌をおぼえて、恭子も弟や妹をおぶってよく歌ったものである。
♪ ねんねんころりよ、おころりよ、坊やはよい子だ、ネンネしな
里のみやげに何もろた、デンデン太鼓にショウの笛
おさない了典が桃子をおぶって歌っていた姿も浮かぶ。
♪ ねんねんころりよ、おころりよ、桃ちゃんはよい子だ ネンネしな
ちっともよい子じゃないけれど、やっぱりよい子だ、ネンネしな
泣きやまぬ桃子に困って自作の替え歌をうたう了典を見て、両親が吹き出していたのが思い出される。辛抱づよくやさしい弟だった。了典は年の割には大柄だったが、たった二つしか違わないのだからしんどかったにちがいない。
ハーモニカの音色はおさな心にもしみいるのか、永遠にかえらぬ叔父を思ってか、真弓も合田をみつめたまま涙ぐんでいる。
落陽前の焼跡の荒涼とした風景に、もの悲しいメロディーがしっとりと溶け込んでいくのを恭子は感じていた。
恭子は合田を防空壕へ通すべきかどうか一瞬迷ったが、いくらなんでも遠来の大事な客を外での立ち話でかえすのは失礼と判断した。
「防空壕住まいで本当にむさくるしいのですが、了典の位牌がありますので……」
「そうですか、じゃお焼香だけ……」
と合田も腰の手拭いをとって、顔の汚れをぬぐった。
万年床をはぐりあげてから防空壕へ招き入れ、弟の位牌の前に、停電に備えるためのローソクを置いて火を灯した。
県庁から骨壺とともに受けとってきた真新しい小さな白木の位牌は、茶箱の上の秀雄の写真の隣に置かれている。焼香といっても線香はなかったが、合田は長い間合掌してから訊いた。
「それで、お骨は……」
「はい、郷里の菩提寺に……」
「ああ、やはり県庁へいらっしゃったんですね」
「いえ、私は行けなかったんですが、妹が……」
と、桃子が県庁へ行って貰った骨箱を福山にある先祖の墓地におさめたことを話した。
防空壕のうす暗い電灯の下で、電熱器にヤカンを置いて湯をわかして出すと、合田はその湯飲みを口に持っていきながら途中でとめて、ため息まじりに、
「皮肉なもんです……自分が死んで、増田少尉が助かったほうがずっとよかった」
しんみりした調子で、ずっと、という言葉に妙に力をいれた。真実味のこもった響きが、恭子には合田の本音のように聞こえた。
「そんな……合田さん、ご家族は?」
と聞くと、合田は、はいともう一度ため息をついてから身の上をかたった。
復員したのは先週だが、本郷肴町(現・文京区向丘)の彼の家は、5月25日の空襲で近隣もろとも跡形もなくなっていた。妻と当時小学校3年の息子がいた、二人とも行方不明であった。
区役所にも行ってみたが無駄だった。知人宅もまわった。ひょっとして子どもが浮浪児の中にいないかと上野駅の地下道などをさがしているが、まったく消息はつかめないままである。
召集前は国鉄(現JR)に勤めていたが、人員整理の対象にされて仕事はなく、友人の家の台所で寝泊まりだけさせてもらっているのだという。国鉄の大量人員整理の報道は恭子もラジオで聞いていただけに、慰めの言葉がなかった。
真弓の明るい愛らしい歌声が聞こえてきたのはその時だった。最初、恭子は童謡『証城寺しょじょうじの狸囃子』だと思って気にもとめなかった。
この年の2月から始まったラジオの番組、平川唯一の「英語会話」のテーマソングがこの曲を使って「カム カム エブリボディ ハウドュユドュー アンド ハウアーユー」という替え歌で、大ヒットしていた。替え歌ばやりで、この曲は米人女性歌手の替え歌(英語)もヒットした。
だが、聞こえてくる歌詞はおだやかではなかった。(括弧内は原詩『証城寺の狸囃子』)
♪ショ ショ ショジョジャナイ(しょ、しょ、証城寺)
ショジョジャナイノ ショウコニハ(証城寺の庭は)
ツ、ツ、ツキノモノガ ミンナデテコナイ(つ、つ、月夜だみんな出てこいこいこい)
オイラノトモダチャ((おいらの友達ゃ)
ポンポコポンノ スッポンポン(ぽんぽこぽんのぽーん)
スチャラカチャンノ スッポンポンと、間奏までやっている。
恭子はあわてた。合田がびっくりして口をあけて聞いているのを見て、顔から火の出る思いでとび出そうとした。
「おばちゃんご馳走さま……」
とそこへ顔を出したのは、数日前に疎開先から戻ったばかりの数軒先の高萩さんという家の長男、国民学校3年生の連太郎だった。買出しで手にいれた大豆を煮ておすそ分けした皿をかえしにきたのだ。
「あ、連ちゃん、やめさせて!」
「え?」
恭子の異常な様子に、連太郎はびっくりした。
「はやくッ、真弓にそんな唄歌っちゃいけないって」
「え?……あれ……今はやってるんだけど……」
「いいから早く! 防空壕は危ないから上がっちゃいけないって」
連太郎はキョトンとなった。彼も歌の意味はわからないのだから、怪訝そうに恭子の剣幕におされて皿をもったまま出ていった。防空壕の天井は土を盛っただけで精一杯の強度だから、子どもとはいえ上がるのは危険だということは彼にもわかっていた。
♪マカロニ マカロニ(負けるな負けるな)
オショーサンニ マカロニ(和尚さんに負けるな)
アイアム ハングリ ベリー ハングリ(おいらは浮かれて)
ポンポコポンノ スッポンポン……
田林さんの家の防空壕の山の上で腹をたたいて歌っていた真弓の声がやっと止まった。
「あんな歌、だれが教えるんでしょう」
恭子が腹立たしげにうつむいていうと、
「大人がつくったに決まっています」
合田は生真面目に両腕を膝の上につっぱって、怒りをあらわにした。正義感のかたまりのような男に思えた。
間もなく合田は帰っていったが、奥の防空壕からのぞき見て気にしていた粂子に説明すると、
「まあ、了さんもやっぱり……」
粂子は悲しげにため息をついたが、合田にはいい感じを抱かなかったらしく、焼け跡の道を行く合田の小さくなった後ろ姿に、ちらっとうさんくさそうな目を送った。
初対面の男を狭い防空壕の中にいれた恭子の行動を非難しているとわかったが、ほかの場合とは違う、焼香もさせないのは失礼だと、恭子の中には強く反発するものがあった。 もしあの人が戦死して了典が生きて帰ったら、了典はあの人の奥さんと結婚していたかもしれないと思うと、ごく身近な存在の人間のような気がした。そしてハッとなった。
(ひょっとして、米は、自分も食べるつもりで持ってきたのでは……)
合田も腹をすかせていたにちがいない。炊いて一緒に食べさせてくれると思っていたのだろうと、またしても後悔だった。
花ちゃんのときもそうだった。昔は日常生活の中でこんないたたまれないほどの後悔をすることはなかった、と肩を落としてため息をつくと、母のきびしい顔が浮かんだ。
『恭子、あんたもう少し慎重にならんといけんよ。今、自分はなにをなすべきかをつねに考えながら生きていかんと……』
『姉ちゃんはそそっかしいけぇのう。ワシャはずかしいよ』
了典もあきれ顔でよくいった。後悔しないですむようなあたたかい家族にかこまれていた日々がなつかしい。
つづく
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3 ぶくろの鼓動 (7) || 池袋ぐれんの恋
( 7 )
明るい空の下、晩春の荒川はのんびりゆったり流れていた。
土手は若草につつまれて、幅500メートルほどの大川をはさむ広いみどりの沿岸風景は、上流側も下流側もはるか彼方までつづいている。
さわやかな風が吹くその人影のない草原のなかに、ポツンと黒い色がある。
黒は男のセーターで、大の字になって昼寝している矢之倉だった。
周囲ののどけさとは裏腹に、寝顔には苦悩の色がにじみ出ている。夢とも現ともつかず、彼はこの10年間飛行機野郎一筋に生きてきた自分の突っ走り人生を脳裏に甦らせていた。
旧制中学4年1学期終了(それが受験の資格だった)と同時に、矢之倉は予科練に願書を出した。親の同意書が必要なので、父の印鑑を無断で持ち出して、あとで詫びた。
「ごめんなさい。お願いしても許してはいただけないと思ったので……」
印鑑をさし出して、畳に手をついた。
東京滝野川に江戸時代から続く富商、種苗問屋の奥座敷は歴史を感じさせるつくりで、庭の築山ともよく調和して閑寂なおもむきがあった。
温厚な父とやさしい母の呆れ顔、悲嘆顔がよみがえる。進学校だった都立中学でも秀才の部類にはいり、父母は将来を楽しみにしていた。一人息子だから当然店を継がせるはずだった。こともあろうに死ぬ確率のたかい予科練をわざわざ志願するなど青天の霹靂、まさに足元をすくわれたような驚きだった。、
「店よりも、今は国のために働くべきときですから」
少年らしい熱いまなざしで訴えた。
荒川べりでの寝顔が一層ゆがむ。若気の至り、わがまま、親不孝への申し訳なさがある。
国民はこぞって命を投げ出して戦争に協力するというのが当時の国論であり正論だった。異を唱える者は官憲から厳しく罰せられた。だから親も世の風潮に染まったツッパリ息子を言葉を荒げて叱り飛ばしてまで引き留めることはできなかったが、腹の中は煮えくり返っていたのだろうと、今の矢之倉にはわかる。
彼に理解をしめしたのは、隣で同じ種苗問屋を営む父の従兄(キクの父親)で、両親を説得してくれた。
「俺にとっても跡取りだし、キクとのこともあるから行かせたくはない。でも止めたところでこのご時世じゃいずれ赤紙(召集令状)で持っていかれる。赤紙の一兵卒だって死ぬ奴は死ぬ。飛行機野郎でも必ず死ぬとはかぎらない。誰がなんといっても曲げない強情があいつの気性だ。死ぬにしても生きるにしても、親子の喧嘩別れはいかん。おたがい後悔する。気持よく行かせてやって、無事生きて帰るよう、みんなで祈ろうじゃないか」
涙こらえての痛切な言葉に押し切られて父が折れたと、立ち聞きしたキクからあとで聞かされた。
「健ちゃんの気持もわかるけど、叔父さんも叔母さんもお気の毒だったわ」
告げながらキクも泣いていたが、矢之倉は聞く耳をもたなかった。誰にも負けない俺の運動神経を国のために役立てたい、パッと男をあげたい、目立たない平凡な人生を送るんじゃ生まれてきた意味がない――そう思いつづける少年だった。日本が戦争に負けるとは夢にも考えなかった。口には出さなかったが、空の勇士として志を遂げて帰って両親や周囲を喜ばせてやろうと腹をかためていた。若いうちでなければならないと。
熱血の塊だった彼が、海軍予科練習生に合格し、横須賀海軍航空隊追浜基地へ入隊したのは昭和10年、16歳のときだった。3年の教育期間と1年間の飛行戦技教育を経て20歳で海軍二等飛行兵となり、翌年には当時の最新型戦闘機零戦のテストパイロットに抜擢されるという抜群の成績で、零戦21型乙(当時世界最速の時速533.4キロ)、32型、22型、22型甲と次々試乗した。思い通り、身体能力を高く評価されて無我夢中になり、世間をアッといわせる日が近づきつつあることに胸おどらせる毎日だった。
翌昭和16年が太平洋戦争開戦の年で23歳。すでにえりすぐりのベテランパイロットだった。18年には零戦の戦技研究担当となり、19年の6月、「あ」号作戦発動に参加してマリアナ方面の後詰として硫黄島に飛んだ。
だがラバウルでの惨敗で、日本軍は海軍6000機、陸軍2000機の航空機を失い、陸軍9万人、海軍4万人の犠牲者を出すことになった。
玉砕する彼ら守備隊、飛行機整備員たちを島に残して飛び立つとき、零戦隊員はみな泣いた。送るほうも送られるほうも涙の別れだったが、戦闘意欲を失うものはなかった。あったとしても、国に殉じるのは国民の義務というあきらめがあった。
その劣勢を一気に挽回しようとしたのが「ア」号作戦で、日本海軍艦艇・航空機の総力をあげて、マリアナ群島のサイパン島に上陸するアメリカ機動部隊を叩こうという作戦だった。が、この「弔とむらい合戦」も無残な敗北に終り、海軍の航空兵力は致命的な打撃を食らって、サイパン島も7月7日に米軍の手に落ちた。
このとき矢之倉の戦友の90%が戦死し、矢之倉自身も負傷して倒れ、輸送機で横須賀に運ばれて不本意な帰還となったのだった。
その後少尉になって、九州方面で特攻攻撃の援護をしていたが、11月1日にB29偵察機がはじめて関東上空にあらわれた直後、矢之倉は命令によって第302海軍航空隊厚木基地に転じた。
この通称「302空」は首都防衛のために編成された部隊で、彼はゼロ戦のエースとしてその補強のため急遽加わったのである。
同月5日、7日にも続いてB29は偵察のため本土に飛来し、迎撃のために矢之倉が初めて乗ったのは零戦52型甲(時速564.9キロ、急降下速740.8キロ)だった。「302空」にはほかに零戦21型、局地戦闘機雷電、紫電改、夜間戦闘機月光などの名機が配備されていた。
以後、B29の編隊が関東上空に来るたびに迎撃したが、同月24日にはマリアナ諸島から飛んできた70機のB29が武蔵野の中島飛行機工場を爆撃して、ついに東京空襲がはじまった。このとき矢之倉は当時最新式のロケット弾(3式6番27号爆弾――現代でいうミサイル)を装備した零戦52型丙に乗り替えて戦ったが、302空の戦果は敵撃墜3機にとどまった。すでに敵の圧倒的な物量作戦に対抗できる戦力ではなくなっていた。
昭和20年に入ると、米軍は貧しい木造民家の密集地帯への爆撃に方針を転換し、いよいよ押し寄せる大量のB29による日本全土空襲が日常のものとなった。昼間でも伊豆大島から富士山を目標に10000メートルを超える上空を飛んでくるB29を要撃する零戦は、酸素ボンベを使用しなければならなかった。量だけでなく質においても彼我の戦力はけた違いになっていたのだ。
数々の迎撃の中でも矢之倉が忘れられないのは自分の郷里上空での死闘で、2月25日と3月4日はまさに滝野川の自宅の真上を飛んだ。3月10日の東京大空襲では荒川上空で12機撃墜、42機撃破(大本営発表)。4月12~13日未明の城北大空襲のときも荒川上空を飛んでいた。5月25日にはまた滝野川上空での迎撃で、このときの大本営発表では26機撃墜、86機撃破という最大の戦果をあげた。
矢之倉自身は敵の戦闘機爆撃機あわせて生涯で50機ほど撃墜したつもりだが、敵味方入り乱れての空中戦で、個々人の戦績を見届けることなど不可能だった。
撃墜撃破した米空軍の機種は、陸軍戦闘機ノースアメリカンP51Dムスタング、海軍戦闘機グラマンF6Fヘルキャット、爆撃機はB25GミッチェルとB29スーパーフォートレスで、巨大なB29を襲う零戦はカラスに群がる蜂のように見えた。
いかに名機として世界に名をはせたとはいえ、零戦の働きで最も効率の良い高度は6~7000メートルまでだから、昼は12500メートルを飛ぶB29には届かない。夜はB29の高度が2~3000メートルに落ちるので、必然的に夜の攻撃が中心になり、夜間攻撃用の零夜戦れいやせんが威力を発揮した。
零夜戦とは──
「特攻作戦(体当たり自爆攻撃)はせっかく大切に育てた搭乗員の無駄遣い。即刻中止すべき」
と主張した302空司令官小園安名大佐の考案で、一部の52型機の操縦席の風防後方に金属板を取り付けて20ミリ機銃(斜銃)を装備したものであり、通常の零戦が真上からB29に襲いかかったのに反して、下から接近して狙撃した。
自身中国戦線のエースパイロットとして名を轟かした小園司令だけに、優秀な搭乗員の命を惜しみ、体当たりを命じて神風特別攻撃隊を編成させた第一航空艦隊司令長官大西滝治郎中将ら上層部への不満、怒りをつのらせていた。腕に自信のあるパイロットなら、零戦1機で敵複数機を落せる。特攻ではうまく当ったとしても1機しか落せないのだから、矢之倉も小園司令の主張を当然至極と受け止めていた。
「俺たちは国のために命をささげているんだ。1機で10機も20機も落とさなければ物量作戦のアメリカには勝てっこない。そのために開発されたせっかくの零戦だし、俺たちもそのために訓練を積んできた。1発の鉄砲玉なみに扱われてたまるか」
というのがエースパイロットたちの本音だった。最後の最後まで生きて敵を撃ち落す気でいた。
東京上空での壮絶な空中戦で、もちろん火だるまになって空に散った零戦も数知れない。海没したのも空中分解したのもある。最新鋭機だった零戦は、その性能を盗まれたくないから敵の手に渡すことが許されず、不時着の際は破壊もしくは自爆するよう搭乗員には義務付けていた。
地上に落ちた破片すら、地元の消防団員が埋めかくした。B29による無数の着弾跡は、埋めるための充分な大きさのの穴をこしらえていた。
戦後、国内の道路や建築現場でたびたび零戦の残骸が発掘されている。昭和20年代は鉄くずとして民間人にひそかに処分され、30年代は新聞の記事にもなってマニアの間で高値で取引された。中にはそれらを集めて1機を再生した者もいた。
米空軍は日本の対空高射砲やその弾薬庫を真っ先に破壊した。北区は川崎市と並んで陸軍の兵器庫や弾薬庫が密集していた町で、しかもそれぞれが戦後は大学などの敷地になったほど広大だったから恰好の標的にされ、爆撃による破壊、火災のすさまじさは群を抜いていた。
矢之倉は愛する国土が、滝野川が、矢之倉商店近辺が猛火に包まれて人々が逃げ惑う姿を敵機を追いながら上空から垣間見て、泣きながら歯ぎしりしながら必死に操縦し、発射しつづけた。愛機の日の丸には矢之倉の矢の字を書き、矢のごとく飛んで敵機をとらえるという祈りを込めていた。むろん官給品だから後で消せるように石灰で書いた。
終戦を迎えた8月15日の小園司令官の言葉が残っている。
「今まで1億特攻だ、必勝の信念だといって兵たちを死地に送ってきた者どもが、今さらポツダム宣言を受託するとか無条件降伏するとはなんだ! 恥を知れ! 俺は降伏を拒否する!」
そして302空には徹底抗戦の訓示をした。世にいう厚木事件である。
翌16日、米内海軍大臣は寺岡中将に小園司令の説得を命じたが決裂。
17日、昭和天皇が軍人にあて隠忍自重の詔勅を発したことで、米内海軍大臣は横須賀鎮守府に厚木基地の制圧を命じたが、寺岡中将が猛反対して実行されなかった。
20日には菅原中佐、吉野少佐の2名が高松宮殿下から「陛下の御心」を伝えるため302空の説得に行ったがこれも実らず、ついに21日、「302空」解散の命がくだって、小園司令は憲兵隊に鎮静剤を打たれて強制連行され、海軍野比病院精神科に監禁された。
小園に心服する厚木基地の士官、下士官たちは納得できず、零戦や彗星等で厚木を脱出。零戦52型丙、零戦52型甲、零戦62型の22機が陸軍狭山飛行場へむかった。彗星13機は陸軍児玉飛行場へ降りたが、狭山に着陸した零戦は18機で、4機が消えた。
他は知らず、その1機――矢之倉はすでに「ア」号作戦などを経験して、このころのアメリカの空軍力を熟知していた。
小園を日本武士道の鑑と神のように尊敬していた彼は、命をかけて上司に正道を説いた姿を葉隠の精神とうけとめて感動していた。それだけに扇の要小園を失った302空がもはや無力となったことを悟り、狭山での抗戦など意味なしと断じた。
死ぬ前に両親の安否を確認したかった。国のために働くと大口を叩いて出かけながら、国を守るどころか両親を火の海に投じてしまったのだ。
(俺は俺らしい意味のある死に方を選ぶ、すべては両親の骨を拾い供養をしてからだ)
彼は少年時代の遊び場で勝手知った荒川土手に着陸すると、そこから近い親友天馬の家へ真っ直ぐ走った。天馬の家あたりが焼けなかったことは空から確認ずみだった。
中学の同級生天馬征四郎は陸軍士官学校を出て騎兵連隊に所属していたが、昭和16年騎兵部隊が全面的に機甲部隊となり、馬が好きだった彼も戦車に乗り換えて、翌年10月に戦車第3師団に編入された――というところまでは矢之倉も文通で知っていたが、その後の消息はわからなかった。
矢之倉や天馬たちが通っていた都立中学(旧制)は板橋にあって、二人はそこの4期生だったが、のちの記録によると、4期(卒業は昭和12年)は250人中30人が戦死し、群を抜いている。そういう宿命の年齢だったのだろうか。
探し当てると、天馬は早々と復員して、戦前からの古い家で母親との二人暮らしを始めていた。
「おーお、矢之倉が帰って来たとは天の恵みだ」
天馬は大手を広げてよろこんだ。
「復員して真っ先に滝野川のお前の家へ行ってみたが、残念ながら店は丸焼けで、ご両親も空襲で亡くなっていた。でもキク姉さんがいた。会ってきた。お前の家の番頭と結婚して両方の店をあわせ継いで子どもも二人いるけど、亭主は戦地から帰らず、防空壕生活で苦労しているらしかった」
と告げ、矢之倉の身の上を聞くと、
「そりゃ思い切ったことをしたなあ」
とあきれてから、ここを当面の隠れ家にしながら、ゆっくりその後のことを考えろという。
「ゆっくりとはいかないが、そのつもりで来た。ところでお前はこれからどうするんだ」
「む? どうとは……」
「決まっているだろう。まさかこのままアメリカに屈従する気じゃないだろうってことさ」
「ああ……」
天馬は苦笑して、ゆっくりタバコをとって火をつけ、上目づかいに矢之倉を見て、
「お前はなにかをする気なのか」
「当然さ」
矢之倉は決めつけるようにいった。
「仲間がいるんだろ。何人だ」
「何十人になるか……おいおい集まってくるはずだ」
「……来ない」
天馬は矢之倉をまっすぐ見つめてから、きっぱりといい切った。
「え?」
「来ないっていってるのさ。そいつらは来ない」
矢之倉はムッとなって天馬を見た。
「どういう意味だ」
「俺のまわりにもそういうムードはあった。いや、具体的に連合軍総司令部に突入すると本気で企てる奴らもいた……俺はちがったがな」
「違ったとは」
「終戦の詔勅を聞いたときから、そんなばかばかしいことは頭の中から拭い捨てた」
矢之倉はポカンと口をあけて天馬を見た。
「仲間たちもひとりふたりと脱落して、結局計画は流れたそうだ。いや、立ち消えになった。誰だって、国よりは家族が大事なのさ。そうだろうが……」
「………」
「戦場にいたときとちがって、肉親と再会すれば人間はかわる」
「………」
「お前のように空中戦ばかりやってりゃ敵を撃ち落すのは面白かろう。相手が軍人ならいくさだ。だが、俺は敵の民間人と身近に接しているうちに、戦うのは殺人行為だと思うようになった」
「あたりまえだ。いくさとは殺し合いだ」
「お前も、これまでやってきたことをこれから後悔するだろう」
「ふん……」
矢之倉は鼻先でわらった。
「俺のこれまでの生きかたには満足している。自分のしてきたことを否定する気はない」
「そうか……俺はなあ、これから俺を裏切った国に仕返しをする」
「国に仕返し?」
声を荒げる矢之倉を手で制して、
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらずだ……日本はもう、もとの日本にあらず。お前の生きる場所もなくなったということがわからんのか」
天馬はタバコを灰皿に押し付けてゆっくり火を消してから、
「じっくり考えろといったろうが……」
「生きるつもりで帰ってきたわけじゃない」
かみつくようにいう矢之倉をまあまあとなだめた天馬は、
「おちつけ……実はな……」
と、天馬は今、習志野の倉庫に隠した旧日本陸軍の物資を、ポンポン蒸気の漁船で荒川をさかのぼって運んで来て売っぱらっていると打ち明けて、矢之倉を驚ろかした。信じられない矢之倉は、ポカンと口をあけて、
「習志野といえば、騎兵の町だったな」
「そうだ、だから俺に協力する地元の人間も何人もいてな、ほとんど丸儲けだ。そりゃそうだろう、カッパライみたいなもんだからな。ガソリンもせしめてある」
矢之倉は心底あきれた。海軍はガソリンの欠乏に苦しんできた。
「悪党になったもんだな」
典型的な謹厳な陸軍将校で、尊敬もしていた親友の豹変ぶりにとまどった。彼からそんな話を聞くつもりできたわけではない。だが天馬はつづけた。
「今生きている日本人はみな悪党さ。正直者はみんな餓死した。それが敗戦国の姿だ。誰のものでもなくなった物資をアメリカに手渡すわけにはいかん。そう思うだろう」
「それはまあ……」
「ただ俺は役人の息子で馬と戦車のことしかわからん。商売には向かん。大店の若旦那ならうまく手をまわして売りさばけるだろう。一緒にやろう。いや、お前は必ずやる。わかってるさお前のことは。お前も俺を知りつくしている。だからお前はこれから俺と一緒に羽目を外すにきまっているとわかる」
矢之倉は天馬をみつめて黙り込んでしまった。
「見せたいものがある」
天馬は顎で矢之倉を誘って、彼の家に持ち込んで隠匿している陸軍の物資を見せて歩いた。それは矢之倉が唸ったほどの量で、父が高級官僚だった広い邸内は、部屋という部屋が大きな布袋や木箱で埋めつくされていた。衣服もある。米も酒もある。あらゆる食品類があるという。
「死に方ばかり考えながら帰ってきたんだろうが、あせることはない。真っ先に悪友を訪ねたのが運の尽き、あるいは運の付きだ。もう少し生きる気になれ……闇屋、という生き方がある」
「やみや?」
矢之倉は初耳だった。
「世を捨てたやくざ、いや、世をすねた渡世人といおうか」
「渡世人……」
「そうだ。今のお前は、届け出て米軍の裁きを受けない限り日本人ではない。戸籍を取りもどすことはできない。矢之倉ではなく偽名を使って生きるしかない」
「この世に未練があるなら……そうだろうな」
腕組みして思案する矢之倉に、
「何かを取り戻したい、このままじゃ引き合わない……そう思わないか」
「何かとは……」
「いろいろある。まずは国に捧げたわが青春を国から取り戻す。習志野にはまだまだある。米軍の手がまわらん内にどんどん運んでくる」
「もう置き場がないだろう」
矢之倉が屋敷を見まわすと、
「心配ない、タイミングよくお前が来たからな。商売仲間がいるだろう、明日からまわれ、といってもお前自身が歩き回ってはまずい。キク姉さんをたずねろ。空襲でやられるまでは店を切り盛りしていたそうだからな。高く売ってくれ」
運命の横滑りで、帰国の日が大型闇屋、ブローカー矢之倉誕生の日となった。さしあたって、ほかにやることはない。
人生どう生きたかはどう死んだかで決まる。急ぐことはない。天馬のいうとおりゆっくり考えるのもいい。納得いく死にかたを見つけるまでとりあえず生きてみようか、という気になっていた。
昼間は人の目があるという天馬の忠告で、夜になってからキクを訪ねた。矢之倉商店の焼け跡に防空壕を掘って、母親と幼い男の子、女の子の4人で暮らしていた。キクも母親も、突然の矢之倉の訪問を夢かとばかり驚いた。
キクは買い出しのため母親の実家の深谷へ行っていた。一夜泊まったその晩が空襲で、一人家に残った父は矢之倉の両親とともに焼死体になっていた。埋葬もすませたということで、寺には内緒でこっそり案内してくれた。
キクは生活のため昼間は友人の世話で新宿のヤミ市で働いているという。すでに日本は飢饉状態だったから種苗では商いにならないという。
「よしキク姉、大きな商売がある。手伝ってくれ。種苗問屋を再開する資金ぐらいすぐにも稼げる。食糧難だそうだから、種は今に商売になるようになるさ」
ざっと今後のことを説明して、天馬から預かってきた1万円の札束を渡すと、
「まったくあんたって子は人を驚かすことばかりやるのね、いきなり地獄から帰ってきたと思ったら大変なお土産つきで」
目を丸くしたキクは、ヤミ市をやめて早速翌日から販路を求めて奔走しはじめた。
(命は国に捧げた。亡霊はしばらくさまようか。捉えるなら捉えてみろ)
矢之倉は肚を決めた。いざという時の自爆用に、手榴弾も天馬からもらってポケットにいれていた。
その月の30日にマッカーサー司令官が厚木に降り立つと、身辺に危険が迫ったはずだが、亡霊は顔色一つ変えなかった。肚はすわっていたが用心して、しばらくは天馬の家に潜んでいた。
販路拡大をはかるキクとの連絡と品物を運ぶ役は、もと矢之倉商店の丁稚でっちで召集され、復員してキクを頼ってきた岩間だった。岩間が軍隊仲間で真面目ひとすじの大河原と柱谷を誘った。三人とも失業者だから大喜びで闇事業に忠誠を誓った。
天馬は闇屋と直接取引するなど不得手なことからは手を引いた。人に頭を下げることがきらいな彼は、すれっからしのブローカーとの取引では、二言目には腹を立てて怒鳴りとばしてしまう。自分自身むいていないと思っていたから、これ幸いと、
「俺は習志野から運びこむ役目に専念する」
と告げた。
いざその体制で動き始めると、キクの才覚を得て矢之倉の仕事ははかどった。やはり商人の血が流れているとキクが感心したほど駆け引きにたけていて、迫力ある商談ぶりで、まちがっても闇ブローカーにつけ込む隙をあたえるようなことはなかった。
天馬は天馬で、矢之倉からたんまり報酬が入るのでご機嫌で、暇ができれば好きな釣りをしてきて、刺身や天ぷらを母親に作らせ、
「ポンポン蒸気も呑気でいいぞ。今日はキスが大漁だ。馬や戦車もいいけど、何といっても江戸前の魚は最高だからな」
笑い飛ばして毎晩矢之倉と酒を酌み交わして母親を心配させた。
その年の10月末のある夜の酒盛りは軍隊小唄だった。
♪七つボタンを脱ぎ捨てて 粋なマフラーの特攻服 飛行機枕に見る夢は 可愛いスーちゃんの泣きぼくろ……
例によって二人が飲み、手を打ち、箸で茶碗を叩いてどら声あげていた。
♪大佐中佐少佐は老いぼれで といって大尉にゃ妻がある 若い少尉さんにゃ金がない 女泣かせの中尉どの……
少尉さんと矢之倉を、中尉どので天馬を指した時だった。
天馬の母が顔色をかえて駆け込んできた。
「ちょっと……さっきから家の前をうろうろしている男がいるんだけど」
「警察かな」
矢之倉が眉をひそめた。
「なあにかまわん、追い返してくる。警察なんぞ叱り飛ばしてやる」
まだ将校気分そのままの天馬が胸をはり、玄関から門まで出て行ったが、笑いながら戻ってきた。うしろからついてきたのは、矢之倉のもと腹心の部下、源場辰五郎下士官だった。
「おう源場きたか……無事だったか」
矢之倉が目を丸くした。
源場は、もしもの場合は天馬の家にこいと矢之倉からいわれていた。
「表札は燃料代わりに持っていかれてな、だから探してうろついていたそうだ」
と天馬が苦笑いした。
源場の報告によると――
零戦で狭山へ脱出した18機の戦友たちは翌22日に厚木へ連れ戻され、抗命罪によって捕らえられた。陸軍の彗星13機も同じ運命だった。
26日には米軍先遣隊の輸送機13機が、続いて30日には連合軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木に降り立った。
その後10月15、16日に、巣鴨拘置所で日本最後の軍法会議、横須賀鎮守府臨時軍法会議が開かれ、小園司令は抗命罪により無期禁固刑が言い渡され、即日官位が剥奪されて横浜刑務所に収監された。士官は禁固刑が確定して横浜刑務所と横須賀刑務所に収容されたが、下士官と兵は執行猶予で釈放になったという。
小園司令の処遇は、矢之倉にとって大きなショックだった。腕組みしながら聞いていたが、
「めちゃくちゃになったな、日本人のやることが……」
腹立たしげにうなって、コップ酒をあおった。
「お前こそめちゃくちゃだ。つかまったら禁固刑じゃすまん。敵前逃亡だからな」
天馬がいいながら酒を注ぎ足してやる。、
「極刑だな、でも亡霊はつかまらん」
と矢之倉が受ける。
「いえ……」
源場が手をふった。
「少尉殿は厚木脱出のときに機体もろとも自爆したということで処理されました。自分も聞かれて、間違いないと答えておきました。敗戦のどさくさで、日本兵は消息不明だらけらしいです」
「ああ、俺もどさくさのおかげで稼いでいる。いくさに負けるとはそういうものだ。結構結構!」
酒の勢いで天馬は得意になり、矢之倉も、
「俺は死人か……それはいい。亡霊は死なず、ただ消え去るのみ。ハッハ、死んだ人間としてすこし生きることにするか」
と支離滅裂になると、天馬が上機嫌で膝を叩き、
「地下に潜ってな。ハッハッハ。武士道といふは、死ぬ事と見つけたり、だ」
矢之倉が引き継ぐ。
「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身しにみになりているときは、武道に自由を得、一生越度をちどなく、家職を仕果しおほすべきなり」
「だいぶお酔いになってますね」
源場はあきらかに異常な二人のやりとりに呆れながらも、この時の彼は自身も死を覚悟していたので、笑顔でいちいちうなずいていた。
「名を惜しむ武士は偽名なんぞ使わんぞ。米軍にとっつかまったら奴らを巻き添えにして木端微塵だ。そうすりゃ多少はスカッとするだろう」
矢之倉が吐き捨てるようにいうと、天馬が頷いて手を叩く。
「ようし、前祝いだ。母さん、すみませんが酒を追加してください。おい源場、貴様も飲め」
「はい、シラフじゃお話についていけませんから」
と酌をうけてあおり、天馬は茶碗を叩く。
矢之倉も手をたたき、今度は海軍小唄で、
♪花は桜木 人は武士 語ってくれた人よりも……
源場も手を打ち始めた時だった。玄関のガラス戸を激しくたたく者があった。
「天馬さん、警察の者ですが……」
「まずいですね、私がここにいては」
源場ははじかれたように立ち上がった。猫のように動きが俊敏な男だ。
「おおう、今行く」
天馬が大声で叫んで玄関へむかった。
「自分は裏口から消えます」
源場が天馬の母とうなずきあい、母が気を利かせて裏口へ案内する。
「少尉殿、自分はどうせ命を捨てた男です。郷里へ帰っておふくろや兄貴たちに顔を見せたらすぐ戻ってきます。必ず!」
「待ってる」
矢之倉も短く伝え、源場は去った。
天馬の大笑いする声が聞えたのは、しばらくたってからだった。
「ご苦労!」
もうひと声叫んでから戻ってきた。
「怪しい男がうろうろしていると、隣の奥さんが電話したんだそうだ。源場のことだよ。ハッハッハ……あれ? 源場は?」
荒川べりの矢之倉の寝顔に、思い出しわらいが浮かんだ。
かすかにポンポンという音がきこえはじめ、矢之倉は回想を中断されて跳ね上がるように身軽に立って大きく伸びをした。
下流に姿をあらわしたのは、スクリューの船外機ではなく焼玉エンジンで動く<ポンポン蒸気>と呼ばれる小舟である。
一見したところ漁から帰る貧しい漁船で、貧しいナリの漁師が一人乗っている。日本手ぬぐいで包んでいる顔は天馬だ。積荷はもちろん魚ではなく習志野から運んできた陸軍の隠匿物資である。
矢之倉がふり向くと、土手のほうからはリヤカーが下ってくる。電柱のようにひょろ長い復員兵が腰を曲げてひくリヤカーの両側を、二人のずんぐり復員兵がころがるように駆け下りてくる。
つづく
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