5 生きていた英霊 (6) || 池袋ぐれんの恋 | 西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」
2012年03月06日(火) 04時02分09秒

5 生きていた英霊 (6) || 池袋ぐれんの恋

テーマ:5 生きていた英霊 (6)

( 6 )

 闇が支配する深夜の広い焼跡の中の大通りを、ライトをつけた一台のスクーターがつっ走って行く。ほかに車はもちろん、人通りもまったくない。
 タイヤの音をきしませて急カーブをきり、またとんでもない方角へとまがり、狂ったように疾駆する。
 目的がある走りとは思えない。航空帽をかぶった矢之倉だった。
 「ばかやろおッ。立派なこというな!」
 大声が焼け野原の闇に吸われていった。


 道ぞいの焼跡に、三つの屋台が弱々しい明りの提灯をぶら下げて、ポツンポツンと少しずつ間隔をおいてならんでいた。
 矢之倉はその前を通りすぎてしまってから急ブレーキをかけた。
 ふりむいた先には、一番手前の屋台に群がった酔った大きな体のGI三人とパン助三人が、立ったままトウモロコシをふりかざすようにして、ワイワイ騒ぎながら飲み食いする姿があった。
 矢之倉はUターンして徐行しながらその方へ近づき、目を凝らした。
 GIたちの顔は提灯でやっと見分けられる程度で、そばの暗がりにはジープが1台停めてある。
「奴らだ……」
 矢之倉はうなった。


 昨年暮れの真昼間、西口の大踏切の近くでジープが靴みがきの浮浪児を虫けらのように撥ねた。乗っていた三人はふり向いて見たが、笑って行ってしまった。目撃者は大勢いた。矢之倉もその一人だった。
 死体はその日おそくまで道端にころがったままだったが、犯人捜索の気配はまったくなかった。そのときの三人にまちがいない。二人は白人、一人は黒人だ。そんな事件はザラにあったが、犯人と確認できただけに、矢之倉はカッとなった。

 ポケットから飛行メガネをとりだしてつけた。アクセルをふかし、GIたちのほうへむかってスピードをあげた。
 「ヘーイ、ガッデム、ファック、サナバビッチ……」
 近くを通りすぎながらスラングで挑発した。
 GI三人は口々になにか叫びながらトウモロコシを投げ捨て、グラスを投げ割ってジープにとび乗った。怒りくるっている。
 矢之倉のスクーターが逃げる。
 相手をからかうようにジグザグにはしって、右か左の小道へ入るかと迷わせ、スクーターのライトは交互に道の左右を照らす。その都度ジープは急ブレーキをかけ、またアクセルをふかす。
 ジープはライトをつけるのも忘れ、物凄いエンジン音をあげて追う。
 助手席の白人は半分立ち上がった姿勢で、指さしながら叫んでいる。ジープはせいぜい時速100キロ程度だが、スクーターのスピードは60キロがリミットだ。
 たちまち追いすがる。
 きわどくロータリーにはいった矢之倉がスクーターを思いっきり左に傾けたため、彼の航空靴がアスファルトの路面に触れて火花を散らした。
 つづいて右に傾斜して車体の右側から火花があがる。
 昭和10年に環状線通り(現明治通り)と川越街道と春日通りとを合流させたときにつくられたこのロータリー(現東口六つ又ロータリー)は、コンクリート製の外壁をめぐらした大きな円形地帯を中心にしてその周囲に道路をつくり、合流した道は円形を左まわりにまわって目的の方向へすすむようにできていた。
 「ああっッ」
 GIの悲鳴が一声。つづいてにぶい衝突音がおこった。
 ハンドルをきる間などない。
 ジープの運転者は、いきなり道路が消えて目の前に壁があらわれたと思ったろう。
 壁は分厚く頑丈で、ジープが乗り上げるには高すぎた。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-六つ又ロータリー


 助手席のGIの体が大きく空中を泳いで、円形地帯の闇に消えた。
 ほど近い距離にある大踏切の遮断機がおりて、静寂をやぶってポーーッと機関車の鋭い警笛が鳴り、貨物列車がノロノロゴトゴト走る。
 通行人はない。
 遠くからパンスケたちが闇の中を黄色い声をはりあげながら走ってくるが、矢之倉の姿もスクーターの音も、闇と貨物列車の音にかき消されていた。


 米軍のジープが都電の停留所のコンクリート製の安全地帯や、交差点のロータリーに接触衝突する事故は多発したが、中でもこの池袋東口のロータリーは数の上で群を抜いていた。広い道に慣れた運転者には、東京の道は障害物だらけの怖ろしいせまい迷路だった。


 事故現場にたどり着いたパン助たちは、暗がりの中のつぶれたジープをこわごわと覗き込んでいたが、たちまち引きつった顔を見合わせると、ヤバいよ、とばかりうなずき合ってこそこそ逃げるように立ち去って行った。

 ひと口にパン助といっても、不特定多数のGIを相手にするいわゆる街娼から、特定の恋人をもつ〔オンリー〕までさまざまあった。もちろん結婚したカップルも多く、アメリカの豊かさにあこがれ、戦争花嫁として渡米した女性も多かったが、彼女らのその後の悲喜劇が伝わってくるのは数年後からである。 恭子の中ではすべてが日本を侵略した敵国人を相手にする女たちであり、生理的にゆるせぬものだった。


 だが、桃子にとってはもうそんな時代ではなかった。過去より今が大事だし、戦争のことを忘れなくてはとてもPXには勤められない。でも世間しらずで柔軟性のない姉の気持も充分に理解できた。兄了典を殺したのは米軍である。桃子もアメリカ憎しの気持を抑えての恋だが、桃子の場合敵を愛するという複雑な気持を超えるものがあった。ボブは彼女が尊敬するに値する男性だった。
 だからボブのプロポーズをなかば受入れた形で、相変わらず中元寺笙子の家から笙子と一緒にPXへ通っているが、恭子の前ではいっさい彼のことにはふれなくなった。秀雄が帰国したという恭子からの葉書も、笙子の家に届いた。
 その日の仕事が終わると、桃子はとぶ思いで恭子の家を訪ねた。桃子も秀雄の変貌ぶりにはおどろいた。桃子にとって、出征前の秀雄は真面目で温厚な紳士だった。
「お姉ちゃん、最近開発されたストレプトマイシンっていうのが効くそうよ。ペニシリンで治らなかった結核の特効薬なんですって。イギリスのチャーチル首相もそれで治ったとか……」
「その話は私も聞いたけど、目がとびでるほどの高値なんでしょ?」
「らしいけど……」
 といってから、桃子は思いきった様子で正座の膝をたたいた。恭子がヤミ市で古着屋を始めたことは聞いていた。
「だったら儲ければいいじゃない、古着屋さんで」
「そんなこと言ったって……」
 恭子はため息まじりにいった。古着の店はたび重なる警察の手入れとのイタチごっこで、あまり分のいい商売とはいえなくなっていた。
「派手な着物、たくさん仕入れられない?」
 桃子が訊いた。
「派手な着物? なあにそれ……」
「帰国みやげに、着物をほしがるアメリカ兵が多いのよ」
「何だってアメリカ兵が着物なんか……」
「おみやげだっていってるでしょ! 珍しいのよ彼らには」
 恭子としては奇異な取り合わせと感じたのだが、桃子はまた姉のアメリカぎらいが始まったと、じれったかった。
「お金が必要なんでしょ、ストレプトマイシンほしいんでしょ?」
「そりゃ……」
「たまたま訊かれたのよ、最近帰国する部隊があって、そのGIたちからどこへ行けば着物が安く買えるかって……ふっかけて暴利をむさぼる商人が多いらしくて、警戒しているの」
「ふうん……」 

「お姉ちゃんの好みとは別でしょ? 今お兄さんを助けるためなら手段を選んでなんかいられないんじゃない?」
「わかった……おねがいするわ」
「え? よかった、お姉ちゃん怒ると思ったけど、いってよかった」
「怒りはしないわよ。何としても元気になってもらわなければ」
「そうよ、やりましょうよ」
 桃子にいわれて、恭子は矢之倉がいれば相談出来るのにと思った。

 翌日、恭子はさっそくヤミ市へ品物を運んできた岩間にそのことを伝えた。
「いや……着物ならいくらでも……」
 といったが岩間は冴えない顔で、
「ちょっとお恭さん、話が……」
 と、ひそひそ話しに、三日前の晩から矢之倉がいなくなったことを告げ、何か心当たりはないかと訊ねた。三日前なら恭子と別れた夜だ。
「どういうこと?」
「それが、誰も知らないんで、困っているんです」
 恭子は激しい胸騒ぎにおそわれた。一切逢わないといわれて、恭子も覚悟を決めたのだった。
 だが逢わないというのはどういう意味だったのか、どこかへ行ってしまうということか。それとも……いのちしらずだけに、不吉な予感もあった。
 無駄を承知で矢之倉の家へかけつけた。
「はい……この2・3日電話もございませんで……」
 老婆が心配そうに答えた。
(ひょっとして二人でどこかへ……)
 思いをめぐらせ、恭子は久しぶりに天菊へ走った。
 が、そこにはもう天ぷら屋はなく、2軒に分けられて一杯飲み屋とうどん屋が商売をしていた。その2軒はもちろん、近所の店でもキクの行き先を知るものなどいなかった。

「天ぷら屋がやめたのはずいぶん前だったろう」

 という男が一人いたが、みんな浮草たちだった。自分のことで精一杯で、隣の店、前の店などどうでもいいという顔だ。

 警察の目から隠れて違法営業をつづける彼らは、逃げまわる小魚に似ていた。群れになって天敵から逃れ、不運な仲間を失いつつ生きているイワシのようなもの。群れに連携などない。それぞれが助かりたいから隠れ蓑のなかへもぐりこんで生き延びるのだ。

 数日後、桃子はボブの部下の運転するジープで岩間が指定した倉庫へ直接乗りつけ、その翌日、着物の代金として恭子の店へ現金をもってきた。
「ありがとう。あなたのほうは大丈夫なの?」
 恭子は心配したが、平気よ、と桃子は受け流した。
 GIがみやげに日本の特産品を買うのは犯罪でもなんでもない。岩間にわたす金額を差し引いても多額の現金がのこった。
「桃ちゃん、あなたやり手ねえ、こんなにいいの?」
「いいわよ。アメリカ兵たちからもすごく喜ばれたのよ」
「助かるわ……」
 恭子は思いをめぐらせた。

 その五千円という大金を、すべてストレプトマイシンにつぎこむ気になって、ちょっとした顔見知りの〔ビーパップのルーヤン〕という男に購入を依頼した。
 ルーヤンは裏の世界に通じているだけにあくどいという評判だが、美人には片端から声をかけ、誠実げにふるまう男だった。おもな稼ぎはポン引きだが、金になることなら何でもやった。
 恭子には特に親切だった。米兵に取り持てばいい稼ぎになると踏んでいた。その心を見透かして、磯海と佐川は大反対した。だますに決まっているとにらんだ。
「そう……でもどうしてもほしいの、ほかに手はないでしょ?」
 磯海と佐川は顔を見合わせただけだった。二人とも秀雄の復員を心から祝福していた。矢之倉をうさん臭い男と思っていただけに、夫のために奔走する彼女を応援したいという気持は強かった。

 秋が深まったが、矢之倉は姿をあらわさない。キクの消息を岩間に聞いても、
「そうなんですよ。キクさんもいなくなっちゃって……自分はいま兄貴の参謀格の青木さんという人の命令で動いているんですが、その青木さんも知らないんですよ。一体どこへ行っちゃったんですかねえ」
 恭子は無理して、毎日秀雄のために栄養のある食べ物を買ったが、そのために生活が苦しくなり、時には人形づくりで徹夜することもあった。
 さいわい人形はよく売れた。
 黒江がしばしば顔を出すようになった。
 矢之倉がいなくなったのをいいことに、彼は酒を飲むとそのいきおいでやってきた。
 主人が復員しまして、といっても、ほう、それはよかったといっただけで、店の品物をいじくりまわしたりして恭子と世間話をして帰るのだった。
 たまに恩きせがましく手入れの情報をくれることもあるので、むげに邪険にするわけにはいかなかったが、用もないのにくるのは迷惑だった。ヤミ市の仲間たちが、恭子が警察に内通していると変に勘ぐるかもしれない。黒江がくると店を早仕舞いして帰宅するようになった。

 帰る道すがら、恭子はなにかに追いたてられるような思いに襲われていた。
 秀雄が二度目に恭子を防空壕の寝床に誘ったとき、恭子は顔をそらした。
「私にうつれば子どもたちにも……」
 といいわけしたが、その底に、受け入れる気になれないという、どうにもならない拒絶反応があった。体が毛嫌いしていた。
「もう一度だけだ。な……」
 泣かんばかりに哀願されて、しかたなく防空壕で横になったが、秀雄は萎えて目的をはたせなかった。
「もういい。行って寝なさい」
 そういって恭子を追い出すようにした。
 恭子には焦りがあった。自分の女が老いていく、このまま花の季節がすぎていく、夫と同じようにしぼんでいく……それは矢之倉に逢えないためのストレスからくるものだったが、それでいい、これが夫婦というもの、もし逆だったら夫は自分を捨てるような人ではない、夫と心中するつもりになるべきだ、そんな夫婦は世間にザラにあるに違いないと自分にいい聞かせもしていた。
 間もなく秀雄が防空壕からこっそり出かけて行ったのには気づかなかった。

「首藤さん、あしたは入るで。昼ごろまでには持ってくるよってな」
 と前を通りかかったルーヤンが声をかけた。恭子はとびあがる思いだった。
 家へ帰ると、
「早くよくなってくださいよ」
 と薬が手にはいることを告げて秀雄をはげました。
「そうか、すまんな、お前にそんなことまでやってもらうなんて……」
 いいながら、秀雄は恭子がどんどん変身して行くのに舌を巻いていた。
 箱入り娘と結婚して東京へ連れてきて、出征まではまさに西も東もわからぬ女だったのに、愚連隊が右往左往するヤミ市でいっぱし商売をしている。ストレプトマイシンなどどこで手に入れるのか。女というものは男よりはるかに逞しい生き物なのだと、自分をふりかえってますます惨めになったが、死病にとりつかれてはどうにもならぬ、このまま当分頼って生きようかという気持になっていた。
 翌朝店へ出た恭子は、裏の焼跡に人がたかっているのを見て、のぞきに行った。警察官が縄をはって、野次馬を追いはらっていた。
「ルーヤンが殺されたのよ」
 パン助のトミちゃんが教えてくれた。
「え? 誰に、どうして……」
 と訊いたが、彼の死因より、
 (ストレプトマイシンを持っていたのだろうか、持っていたとしてももう……)
 五千円がむなしく消えたことで力が抜け、恭子は店に着いても戸板をはずす元気もなく、中で坐りこんだ。
 佐川がどこからかもどってきた。
「ああ、首藤さん、聞きました?」
 恭子はうなずいた。
「あいつ、えげつない真似するもんだから、怒ったGIに叩き殺されたんだそうです。明け方らしいですよ」
 いまさらルーヤンの身元をさぐってもどうにもならず、五千円もストレプトマイシンも水の泡だった。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-ビーパップの死


 ルーヤンの死体は警察のリヤカーに乗せられ、ムシロをかけて乱暴に運び去られた。ヤミ市での殺しはめずらしいことではなく、警官は単なる死体処理係といった感じで犬なみに扱った。


 このようにほとんど無警察状態の盛り場に君臨していたのが、東京露店商同業組合の親分たちだった。警察は組合の手を借りて統制していたにすぎず、その各支部の縄張り内の出店の許認可、不当な暴利の取り締まりなどすべての権限が組合幹部に公的に委任されていたに等しかった。だからヤミ市が犯罪の温床になったのは無理もない。駐留軍兵士の犯罪など野放しだった。
 ことに池袋は、新橋や新宿あたりとちがって、小グループのならず者たちが群雄割拠して血なまぐさい縄張り争いをくりひろげる治安の悪い町で、どこにでもころがっている建築中の角材をつかんでの果たし合い、日本刀をふりまわしての集団乱闘や殺しあいがあいついだため、都内でももっともこわい町、アメリカ映画のタイトルをあてはめて「情け無用の街」とまでいわれた。


 昼間からポン中でラリッた(ヒロポン中毒でおかしくなった)浮浪者や酔っぱらいがうろついたり路傍にごろごろ横たわっている物騒きわまる街で、パン助の死体もしばしば焼跡や公衆便所などに捨てられていた。
 かよわい女たちにとって、行きずりの屈強なGIと密室や人目のない焼跡で裸でふたりきりになり、しかも不正な金をうけとるという仕事は、当然のことながらいのちがけだった。下半身血だらけでころがっていたパン助は、噂によれば黒人GIの巨大な男根に腹膜までつき破られて死んだということだった。

 ルーヤンが殺されようが、出入り(喧嘩)があろうと、パン助の死体が発見されようがヤミ市の日々はなにも変らず、驚いたり恐怖をおぼえても他人のことどころでない人々は、ケロッと忘れたように自分の商売や生活にもどっていく。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-飲んだくれの秀雄


 西口のヤミ市はどんどん増築を重ねて住人がふえ、とてつもない規模の大きなマーケットへとひろがりつづけ、昼夜兼行で建築の音は響いていたが、そんな騒々しいヤミ市のはずれの一杯飲み屋で、秀雄が女将を相手に飲んだくれていた。すでになじみの客らしい。

 こういう店で飲み食いすることに恭子は不安をおぼえていた。金の集まるところに犯罪はつきものだし、不潔な食品による中毒も日常茶飯事だったからである。


 つづく


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